私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

安慶名栄子著『篤成』(25) ニッケイ新聞WEB版より

 若者の間ではあのハボ・デ・ガーロが流行っていたにもかかわらず、彼らはいつもコーヒーだけを飲み、あの面白い、陽気なプログラムの演出に向かうのでした。あの頃から実に風変わりな方達だったのを覚えています。

第13章  霊魂の声

 仕事に専念していると時が過ぎるのも感じないのが事実です。二十歳になってすぐに私は結婚しました。特に女性にとっては、結婚式は母親に伴われて準備をする最高に幸せな儀式です。
 その時もまた父が母親役を果たし、私がウェデイングドレスを選びに行った時には進んでお伴をしてくれました。娘の人生で大事なイベントだということを認識してくれていた父は、自分も参加したいと思うのでした。
 父はいつも私たちに母親の不在を感じさせないように色々と工夫するのでした。
 結婚して間もなく、娘のイヴォーネ・えつ子が生まれました。イヴォーネは赤ん坊の頃から活発で賢く、3歳になる前にアルファベットを全部覚えていました。近所にブラジル歴30年の日本人のおばちゃんがいましたが、イヴォーネがその方にアルファベットを教えました。
 おばちゃんは2歳そこそこの子供に読み方を教えられるなんてと恥ずかしがり、イヴォーネと一緒にデパートへ行き、ポルトガル語の教科書を買い求め、一所懸命勉強を始めました。何か月もたたないうちに彼女は新聞を読めるようになるまで上達しました。
 そして、それは2歳の子がアルファベットを教えてくれたおかげだといつも言うのでした。
 また、3歳の頃でした。イヴォーネは近所にお住いの音楽の先生のおかげで音符を全部知るようになっていました。
 5歳になったときには、その音楽の先生がイヴォーネを学校に連れて行くようになりました。イヴォーネはどんな授業でもよくついていくことができ、8歳で小学校を終わらせ、卒業証書まで頂きました。でも結局2年間泣き寝入りし、待つしかありませんでした。中学校には11歳にならないと受け入れてもらえなかったのです。
 その間、私は男の子にも恵まれたのですが、まだ小っちゃいときに小脳炎で神様の元へ戻ってしまいました。
 イヴォーネがまだ5歳のころでした。隣にネーガと呼ばれていた女性が一人暮らしをしていましたが、毎日午後からイヴォーネにタトゥジーニョというお酒を買ってくるようにと頼んでいました。
 ネーガはとても痩せていて、いつも咳をしていたので周りからは結核だといわれていました。友人もいなくて、誰一人彼女に近づくものはいませんでした。お酒を飲んではたまに転げそうになりながら庭で歌うのが日課でした。
 いつものようにお酒を買って戻ってきたある日の午後、イヴォーネが、「おばちゃんが病気だよ」、と大声で叫びながら走ってきました。見に行くと、ネーガが冷たいセメント床の上で倒れていました。

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母を失った傷心を少し癒した何気ない一言 ニッケイ新聞WEB版より

思いがけない店員の対応に感動した男性の話を報じる13日付G1サイトの記事の一部

思いがけない店員の対応に感動した男性の話を報じる13日付G1サイトの記事の一部

 数日前に母親をコロナ感染症で失った男性が、携帯電話のワッツアップでピッツァを頼んだ際、店員からの言葉に心癒された話を読んだ。
 母一人、子一人で暮らしていた男性にとり、母を失った悲しみや寂しさはどれほど大きかった事か。まして、死後4日では、「とにかく何か食べねば」という思いだけでメッセージを送った事が想像できる。

 なじみのピッツァ店のワッツアップ番号に注文を頼んだ男性は、「皆、元気?」との問いに「元気ですよ。あなたは?」と聞き返され、「母を亡くして、落ち込んでいるんだ」と書き込んだ。
 これを見た店員は、注文を確認後、「今日はお代は結構です」「お気持ちはわかります。大変でしょうが、神様に信頼して(委ねて)下さい。お母さんは星になってあなたの事を見守ってくれていますよ」「何か話したくなったら私達もここにいますからね」と書き込んだ。
 思いがけない言葉に慰めを得て感動した男性が、そのやり取りをSNSに掲載すると、多くの人がそれをシェアし、店員をほめそやしたという。
 自分も祖母を亡くした時、「ご愁傷様」という決まり文句以上の言葉を聞きたいと思ったという経験から、男性の心が癒される事を願ってやり取りしたという店員は、反響の大きさに驚いた。
 自分も辛い経験をした筈なのに、いつも攻撃的で、人を傷つけるような言葉しか話せない人もいる。だが、自分の経験を顧み、否、何もなくても常に、相手を思いやる事ができる人もいる。
 人を追い詰め、打ちのめしたがる人もいるが、常に誰かの傍に立ち、慰め、励まし、立ち上がらせる人もいる。人生で大切な事は、いかに多くを得たかではなく、どれだけ多く与えたかだと思う。
 ブラジルのコロナ犠牲者は15日に49万人を超えた。その他の理由も含めれば、数えきれないほどの人が、身近な人を失い、悲しみや寂しさと戦っている。
 半ば涙で読んだ後、全ての人に手を差し伸べる事は無理でも、せめて、目の前の人を慰め、立ち上がらせる言葉を贈れるようになりたいとの願いを改めて胸に刻んだ。(み)

《ブラジル》大統領関連の問題一気に噴出=ファイザー本社社長のメール無視=選挙時の違法献金も発覚=いまだにコロナ死者数を疑う ニッケイ新聞WEB版より

7日のボルソナロ大統領(Twitter)

 週末から週明けにかけて、ファイザー製薬のワクチンに関する手紙無視、大統領選挙の際の不正疑惑、虚偽報告など、ボルソナロ大統領にまつわる疑惑が次々と浮上した。7、8日付現地紙、サイトが報じている。
 週末に、決定までのあり方も含め、サッカーのコパ・アメリカのブラジル開催に難色を示すブラジル代表の人事に介入を試みた疑惑で物議を醸したばかりのボルソナロ大統領だったが、7日には他の疑惑が一気に噴出した。

 ひとつは、米国ファイザー製薬が昨年の9月12日に、ボルソナロ大統領にあてて手紙を直接送っていたことが判明したことだ。このことは、サイト「アンタゴニスタ」が情報公開法に基づいて入手した連邦政府の書類によって明らかになった。
 手紙の送り主はファイザー製薬米国本社会長のアルバート・ブーラ氏だ。この件に関しては、昨年8月に同社から連邦政府あてに3度のメールが送られ、政府が返答を行っていなかったことが報じられていたが、この手紙には「弊社の担当者が連邦政府の担当者と会合を行ったのに、その件に関する返答をまだ受け取っていないが」と書かれていた。
 この事実は、大統領府内部管理副室長のアイダ・イリス・デ・オリヴェイラ氏が9月14日にブーラ氏に宛てて、「あなたの手紙は受け取ったが、今後の連絡は保健省と取るように」と返答した手紙が見つかったことでも明らかになった。

 一方、7日には、ボルソナロ氏の2018年の大統領選に関し、企業家のオタヴィオ・ファコウリ氏が、選挙高裁に届け出ていない5万レアルの違法献金を行っていた事実が判明した。同氏は選挙グッズ(シールとパンフレット)の分として、二つの印刷所に5万レアルを支払っていた。
 このことは、最高裁のアレッシャンドレ・デ・モラエス判事が4日に、同判事が管轄する連邦警察の「反民主主義行為」捜査に関する情報開示を命じたことで明らかになった。
 ファコウリ氏は昨年の上半期に繰り返された反連邦議会・反最高裁のデモをネット上で煽っていた人物の一人。昨年の2月21日には「このデモのために、可能なかぎりたくさんのトラックを調達する」などと発言した記録も残されている。
 この反民主主義捜査に関しては、ボルソナロ大統領自らが参加したことで問題となった昨年4月19日のブラジリアの陸軍本部前の反民主主義デモに資金提供をしていたのが、ダマレス・アウヴェス人権相の部下だったことも判明している。
 7日はボルソナロ氏本人の発言でも問題を招いている。この日午前、大統領は官邸前に集まった支持者たちとの対談中、「連邦会計検査院(TCU)が昨年のコロナ感染症の死者の約50%について、真の死因を疑う報告書を送ってきた」と話した。
 これを受けて、TCUはその日のうちに「そのような文書を作成したことはない」と反論した。それを受け、大統領は8日午前、「あれは私の誤りだった」とし、失言であったことを認めた。だが大統領はなおも、「知事たちは死者を過剰報告している」と、コロナの死者数への疑問を口にし続けた。

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