安慶名栄子著『篤成』(43) ニッケイ新聞WEB版より

第32章  夢のパンタナール

 姉のよし子が一緒に旅行してくれることが父の一つの要望でした。父は、「自分はもう年寄りで、もしもの事があったら、栄子が一人で介護をするのは気の毒だ」と思っていたのです。
 私たちはまだパンタナールへ行ったことがありませんでした。それでカーセレスという所へ行きましたが、今回はよし子姉さんも一緒でしたので父はとても喜んでいました。

 シャパダ・ドス・ギマラエスでは素晴らしい絶景や滝を満喫しました。ブラジルの大陸の中心点にたどり着きました。
 実は父がその時「長旅はこれが最後だ」、と言ったので私は怖くなりましたが、その反面、父は色々なところに行く事が出来、本当に幸せだ、そろそろ休みたいと言っているのだと思いました。
 旅行は父に幸せをもたらしたので、それが私にとって一番の幸せでした。


第32章  永遠に変わらぬ感謝

 ちょっと話を戻し、ジュキアからサンカエターノへ引っ越して以来、数年間会わなかったおばあちゃんの話をしたいと思います。運命の巡り合わせで数年後に、おばあちゃんの家族もグァルーリョスへ引っ越し、もっと近くなったので、たまに遊びに行ったりしました。
 遠い距離になって別れ別れに過ごした時期でも、おばあちゃんの私たちに対する愛情は全く同じでした。おばあちゃんはサンカエターノまで来てくれる度に自分の服の中にしまい込んだ包みを取り出し、私たちにプレゼントするのでした。そんな些細なしぐさにおばあちゃんの大きな愛情が表されていたので、感激せずにはいられませんでした。
 時にはハンカチにお札を持ってきてくださいました。私にはそのお金を使う勇気がなく、長い間収めていたのを覚えています。
 おばあちゃんは病に侵され、私たちがお返しをする機会もなく逝ってしまいました。
 私は、おばあちゃんの誕生日やお正月にちょっとした贈り物以外、何もしてあげられませんでしたので、とても悔やんでいました。何とかお礼を示したかったが、もう遅かった。
 沖縄へ行くときには、必ず上原タツさんにチョコレートを持っていきました。タツさんは、他の無数の家族同様、おばあちゃんがブラジルに渡った時にやむを得ず沖縄に残してしまった娘さんでした。父と同じように、おばあちゃんは娘を親の元に預けて、数年後必ず迎えに来る希望をもってブラジルに渡ったのでした。
 しかし、その夢は叶えられず、一度たりとも娘に会うことがなく、亡くなってしまいました。
 何回かタツさんの所に行ったある日、「栄子さん、あなたはいつも私にプレゼントを持ってきてくれるけど、親戚でも友達でもないのに、なぜそんなことをするの」と聞かれました。
 私は「あなたのお母さんは、私たちにとって母親みたいな存在でした。母を亡くした小さい私たちを支えてくれたのはあなたのお母さんでした。それなのに、おばあちゃんは私たちがお返しをする機会がないうちに亡くなってしまったのです」、と答えました。
 すると、彼女の反応にはショックでした。「ああ、そう。母は私を育てずに他人の子供を育てたのね」と。

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