キノコ雑考=ブラジルに於けるキノコ栽培の史実とその背景=元JAIDO及びJICA 農水産専門家 野澤 弘司 (23) ニッケイ新聞WEB版より

ブラジルの茸栽培の先駆者・古本(左)と野澤。タピライのサンタモニカ農園にて

ブラジルの茸栽培の先駆者・古本(左)と野澤。タピライのサンタモニカ農園にて

 ここまで記述して過去を振返ると、私の移民当初の生業が、巡り巡ってキノコ屋稼業になった事は、文字通り運が7分実力3分の生き様で誠に恵まれた第一歩を踏み出す事ができた。
 そして今日迄の運命の分岐点となった節々の「動機」の軌跡を辿ると、奇異なるかな「動機」は生来延々と取り憑かれて来た「貧乏神」がとりなす「結果良し」のご縁に起因し「物は考えよう」と悟った。
運命の岐路となった「動機」を回想してみると、
1)中学3年時のキャデーのアルバイトでアメリカ陸軍大佐を知り、定時制高校に進学するや紹介された進駐軍関連施設の職場で人種差別を知り、2)生来の異常なまでの旺盛な好奇心と放浪癖に触発され、アメリカ移民志向からブラジル移民に変え、3)大学卒業、移民船が出港するまでの6カ月間の時間つぶしに働いたキノコ栽培企業で栽培技術を習得し、4)移民携行資金80ドルを懐中に、餞別代りの種菌0・5Lを携え、西航アフリカ経由の移民船内で、移民初期の生活を支援してくれた里帰り旧移民と奇遇し、5)サントス港には2カ月後のキノコ栽培準備時季の10月に着き、水産移民から必然的にキノコ移民へと変身した一身上の内因的「動機」と、キノコ栽培者の多くは菌舎に空調設備を設置する資金がなく、夏場栽培のキノコを探索した古本により健康食品業界に未曾有の経済効果をもたらしたアガリクスの栽培が導入された外因的「動機」が考えられます。
 これにて私が関与したアガリクスの生産と流通が終焉するまでの、ブラジルのキノコ関連の業界史とその背景を列挙しました。これにより次世代のキノコ業界の歩みを継続して収録し記述されることを切望し、ブラジルのキノコ業界の更なる繁栄を祈念致します。 以上
連絡;ecohnozawa@gmail.com)
  2021年8月1日   無断転載を禁ず。