戦争で日本国籍奪われた2世世代=もしあれば子孫も日本が身近に(3)=ビザ条件が厳しくなった3世 ブラジル日報WEB版より

 世界的な新型コロナウイルスの流行により日本政府は、国内の感染拡大防止のため、入国制限を厳しくした。この影響を強く受けたのが、働き盛りの50代以下のブラジル日系3世の人たちだ。
 日本政府は3月1日、ビザの発給に関する規制を緩和した。「ようやく日本での生活の目途がたてられる」と胸をなでおろす人もいたが、日系3世には規制強化時に必要となった在留資格認定証明書の提出義務がそのまま残され、同書類に必要な日本在住の「保証人」がいない日系3世がビザを取得できないケースが発生している。パンデミックを経て、実質的に日系3世は日本への渡航ビザ取得が困難になった。

在留資格認定証明書の大きな壁

 日系3世のトーマ・ファビオーラさん(44、サンパウロ州バウルー出身)は、1999年に初めて日本に渡航して以来、これまで6回、就労を目的に日本とブラジルの間を往復してきた。
 日本では、愛知県や島根県で働いた。最後に日本に行ったのは2017年。ブラジルでも日本でも、22年間を共に過ごしてきた事実婚の日系3世のパートナーと一緒に生活し、パンデミックに入る少し前、2人は家族や友人に再会するため、一旦ブラジルに戻った。
 そして、再び日本へ渡航しようと思った矢先、パンデミックに突入し、渡航が足止めされた。
 現在は母親も暮らすバウルーで、パートナーの日系3世の男性と一緒に生活し、編み物や縫い物をしてフェイラなどで販売している。パートナーは商店でマネージャーを務めている。
 パートナーは「同じだけ労働しても日本の方が賃金や生活レベルが良い」ことから、既に仕事にも生活にも慣れた日本で暮らし続けることを希望している。ファビオーラさんは日本にいとこがおり、いとこの在住する管轄地域で在留資格認定証明書を取得でき、ビザも申請できる。
 しかし、パートナーは、事実婚の配偶者であるファビオーラさんが先に日本へ渡航し、保証人となって、在留資格認定証明書を取得する形でしかビザ取得の道は開かれない。「パートナーが確実にビザを取得できる保証がない間は、先に一人で日本へ行きたくありません」と、単独での渡航には慎重な姿勢を崩さない。

記憶にない日本の在外公館が引き揚げた時代

 15年前に逝去したファビオーラさんの父親は1948年生まれ、母親は1950年にサンパウロ州で生まれた日系2世だ。ファビオーラさんは「両親に日本国籍があれば、私もビザ取得で悩まなかったのにと思ってしまいます。そして、その原因が第2次世界大戦中の日本の在外公館引き揚げによる出生届け出の複雑化に起因する可能性があるとは想像もしませんでした」と語った。(取材=大浦智子、つづく)