第三十四章 水産加工場の戦
儀式が終わるまで辛抱強く待っていた軍曹は、
「(ウエムラを生捕りしろ)」と命令を下した。
ジャプラ兵は、洞窟に入ると獲物を追うように足跡を調べ、ジョージ達が逃げ込んみ塞いだ横穴を見つけるまで三分もかからなかった。石を取り除き軍曹自ら這い込んだ。
ジョージは塞いできた穴に向って空気が動いたのを感じ、
「(抜け穴が発見された。早く!)」大きく開いた洞窟の天井から下がる蔦を伝って二人は壁を登り始めた。
最後のニメートルは壁が張り出している為に足場が無くジョージは幾つかの蔦を束にして結び合わせ、その末端を握りカロウを最初に登らせた。
カロウは自力で岩の上へ這い上がった。
続いてジョージが揺れ動く縄を伝って登り始めたその時、軍曹が現われ、
「(ウエムラ! 下りろ!)」
ジョージは無視して登り続けた。
軍曹の命令で、ジャプラ兵は軍配給のモルヒネから作られた特別の即効性麻酔の吹き矢をジョージに放った。
『プッ!』矢を足に食らったジョージは六メートルの高さから蔦に絡まりながら落ちたが、本人はモルヒネの即効性のエフェクトで空から舞い降りたような心境であった。ジョージはモルヒネの世界を満喫しながら軍曹が差し伸べた手を掴んで立ち上がったところを、ジャプラ兵に生け捕りされ、カロウと共にマリオ中尉の所に連行された。
本当は救助されたジョージは中尉が返した拳銃の重さから弾丸が抜き取られているのを察知、弾庫に弾を補充し、直ぐに大橋達を追って密林に入った。それに気付いたカロウが慌てて後に続いた。
大橋と三井はジェシカの強い要望である商品と呼ばれる女達を救うため、地図上にM2と記された水産加工場の排水路から侵入した。遠くから見ると廃墟に見えた水産加工場は、発電装置や空調装置も備わった立派なものであった。
運河に面した大きな排水口から加工場に侵入、排水口は鉄格子の蓋を持った二つのタイル張りの排水溝として工場の床に通じていた。中は清潔で、魚を加工する作業ラインと思われるキャスター付きのベッド大のステンレス製の机が十数台あった。
加工場は魚の匂いなど全く無く、一角に丸いガラス窓が付いた観音開きの扉があり、扉の向こうは通路で、その奥に部屋があった。三人は部屋に忍び込むと、中には手術台や照明灯が設置され、滅菌用の紫外線ランプが灯り、手術室そのものであった。水産加工場は一種の病院に変身していた。
その手術室と対面して『冷凍室』と記された古い金属プレートが貼られた重い扉があった。扉を引き開くと、ガラスのプロテクターが付いた船舶用の電灯が自動的に点灯し、冷気が流れ出ないように白いプラスチックのカーテンが床すれすれまで垂れ、温度は冷凍室としてはそれほど低くはなかった。
カーテンを割って中に入ると、数台のステンレス製の台車の上に白いシーツで覆われた物体が現れた。三人は、直感で、それが何であるか分かった。
三井がシーツの一つを捲ると、現われたのは二十四、五歳の全裸の男の死体であった。更に、奥にもカーテンで仕切られて同じ状態の八体があった。その中の五体はシーツの端からはみ出た髪で、女である事が想像できた。ジェシカは蒼白になりそれ以上中に入るのを拒んだ。
三井は更にカーテンを割って中に進んだ。そこには、胸から下腹部まで大きく切り開かれ、臓器が取り出された男女の区別もつかない三体があった。三人は無口で冷凍室から出た。
更に奥にシャッター式の大きな扉があった。建設当時、魚の加工品の出荷用に造られたのであろう。その横の頻繁に使用されている小さなドアを抜けると、観葉樹が置かれ、クリニックの受付かと思わせる薄緑の通路が続いていた。
ジェシカは勝手を知っているかのようにその通路の奥のドアに先導した。
三井が十センチほどの中開きの中を覗くと、その棟は、鉄骨で組み立てられた工場のような造りで、高いトタン屋根は一部がプラスチック製で採光し、二段構えで暑い空気を外に排気する様に配慮され、その広いスペースの真中に二メートル幅の通路があり、それを挟んで左右に、上と四面を鉄格子で囲ったひ弱い檻が二つずつあった。
右側の二つの檻には各々に四人の女達、左側には一人の若者、もう一つには気を失った十歳位の男の子と二人の女が点滴を受けキャスター付きのステンレスベッドに横たわっていた。外の騒ぎとは対照的に静かであった。
「(レオ! 皆、鎮静剤で走れないわ。あの白衣の男は皆と喧嘩ばかりしてここに廻された男よ、私、知ってるわ)」
三井が、
「私も知っています」そう言って白衣の男の前に出た。
「(俺を覚えているか?)」
「(お前、拷問役のレオだな、拳銃のペドロを素手で倒したと噂を聞いた)」
「(噂は大げさだ。素手ではなくこの棒だ)」
「(何しにここへ?)」
「(彼等を助けに来たんだ)」と檻を指した。
男は普段の赤い顔をもっと赤くして、
「(それはどう云う意味だ?)」
ジェシカが入れ替わって、
「(あの人達を助けに来たのよ)」
ジェシカを見た白衣の男は、
「(お前は!・・・)」驚きで声を失った。
「(私はこの通り無事よ)」
男は怪訝な顔をしたが、緊張を解き、
「(レオ、聞いてくれ、実は俺、情報員として一年前、コマンドに潜り込んだデニスと云う者だ。しかし、数ヶ月前、陸軍の伝書バト役が殺され、活動が止まっていた)」
「(お前が陸軍が送込んだコウモリか。お前の情報は立派な報告書となって伝えられ、それで俺達は助けに来れたんだ)」
「(すると、俺の情報は役に立っていたんだな。命を賭けた甲斐があった。これで、俺の任務は終った。これから、お前達に同行して一緒に戦わしてくれ)」
第三十五章 砦
大橋と三井・ジェシカはコウモリとして潜り込んでいたデニスが加わりM2の檻に監禁されていた十二人を助け出し、元の加工場に戻った。
その時、丁寧な言葉だが金属性の何となく嫌味のある声が天井の小さなスピーカから聞こえてきた。
「(わざわざこの部屋まで御越しいただき有難う。この部屋の出口はロックされ、残念ですが、もう生きて戻れません)」
「先輩! あのカメラを!」
「よし!」大橋は加工場の天井の隅に付けられた小型カメラを一振りで壊し、三井も反対側に取り付けられたカメラを壊した。
マイクを持ったジェハーが見ていたモニターが突然乱れ、ホワイトノイズに変わった。もう一つの画像も、三井の顔を最後に、ホワイトノイズに変った。
大橋は『周到な準備さえすれば怖いものはない』と語った父を思い出し、
「三井、俺達はこの作業場に閉じ込められたが、逆に砦に入ったも同然だ。ここを砦と考え準備しよう。皆を頑強な冷凍室に入れ、この作業場を俺達に有利な戦場にするんだ」
大橋と三井はステンレス製のキャスターが付いたベッドを何台も倒しバリケードを作り、
「暗闇にすれば我々に有利です」
「そうしよう! 足場もなくそう」手当たり次第、医療器具や家具の小物を床にばらまいた。金属製の医療器具は足に触ると派手な音を出し、敵の位置も確認出来た。二人は加工場の両隅に陣を作り、準備を終えた。
ジェシカとデニスは冷凍装置の電源を切り、救い出した皆を安全な冷凍室に誘導して、プラスチックのカーテンを床に敷き、男の子を中心に皆を座らせ、カーテンで包み、寒さから守った。
冷凍室から出て来たジェシカに、
「(ジェシカ、皆と冷凍室に残れ)」
後から出て来たデニスが、
「(俺も戦う)」と言って電灯の光を洩らしていた冷凍室の重い扉を閉め、レオの前方五メートルに陣取った。
加工場は小さな換気扇からの外光だけで薄暗くなった。剥ぎ取った天井の断熱材で換気扇の穴を塞ぎ、最後に、大橋が電話保守用のライトを消すと、加工場は暗闇となった。
加工場の画像を失くしたジェハーは薄笑いを浮かべ、
「(思い通りに鼠が罠に入った。ネット! 部下を集めろ)」
ジェハーは集まった男達に、
「(コマンドMを裏切ったレオともう一人、謎の東洋人が商品を連れてこの部屋に逃げ込んだ。煮ても焼いてもいい、奴等を料理しろ!)」
殺気立った男達は大橋達が入った加工場に向かった。
大男が軽機関銃を拳銃の様に扱いながら、
「(俺に任せろ! レオのこん棒など、ハァハァハァハァ)」と笑い捨て、加工場に飛び込んだ。油圧式ダンパーで扉がゆっくり閉まり終わると加工場は真っ暗になり、大男は扉を開けようとしたが、自動ロックされて内側からは開かなかった。少し慌て、
「(裏切り者!)」と叫びながら、暗闇に向け盲滅法乱射した。
三井は一吹きの乱射が終わった瞬間、間髪を入れず、コンクリート柱の
陰から飛び出し、軽機関銃めがけ
て三井家伝承の『面、打ち下ろし』をくらわした。
【クシャッ】大男は頭の半分をヒシャがれ、のたうって絶えた。
「先輩、大丈夫ですか」
「大丈夫だ」
「デニス!(大丈夫か)」
「(あぁ、大丈夫だ)」デニスは少しきつそうに答えた。乱射の弾を脇腹に喰らっていた。
乱射が止んで一分後、
「(如何した? 中が静かだ)」
「(オリエンタルにやられたな、俺が始末してやる)」
「(ノイア{ノイア=パラノイア:麻薬患者に付けられる隠語}一人では不利だ)」
「(相手はたかがこん棒だ・・・任せろ)」
「(奴は拳銃のペドロをこん棒で倒したんだぞ)」
ノイアは手の甲に乗せた高純度のコカインを鼻から吸って、拳銃を抜くと、
「(こん棒と拳銃では勝負は決まったようなもんだ)」と言い残し、加工場の中に入った。
扉が閉まって、真っ暗になった加工場に慌てて床に身を伏せたノイアは薬の効果が直ぐに出て、瞳が開き、目が充血し、恐怖感が無くなった。
「(レオ! 覚悟しろ)」
デニスがそれに答え、
「(ノイアだな! お前の相手は俺で充分だ)」
「(デニス!? 裏切ったな)」と、ノイアは声のする方に四、五発撃ちながら前方に滑り込んだ。『カラン、カラン』と、三日月形の金属製の医療容器が大きな音を立てて転がった。その音の方角に大橋も二発撃ちこんだ。
ヤクで聴覚が敏感になったノイアは、傷で苦しそうなデニスの呼吸を聴き取り、ゆっくりとその方向に這って来た。
デニスもその気配を察知し、痛みに耐えながら、一メートル右横に移動した。
ノイアは確実にその動きを捉え、ナイフを抜きデニスに飛び掛った。ノイアの足が小物器具に触れ『カラ、カラン』と音を立てると、デニスはその音に向かって二発放ち、一発がノイアの眉間を捉えた。ノイアのナイフもデニスの太腿に突き刺さった。
デニスは痛みを堪えながら、
「(レオ、ノイアを倒した。奴の拳銃を奪う)」
「ライトを・・・」大橋がライトを点け、
「彼が傷を負っている、重症だ」
「デニスを診ます」三井は移動した。
「(ひどい出血だ!)」
「(大した事無いさ・・・うう・・・)」デニスは、痛みを隠そうとしたが堪えきれず、唸った。
三井も傷口を押えるだけの応急手当しか出来ず、
「(かなりの出血だ。冷凍室に入れる)」と言って三井は大きな体のデニスを引いた。
「(大丈夫だ、俺は此処で・・・、その拳銃を拾ってくれ)」
「(しかし、この傷では)」
「(奴等を倒してからでいい・・・)」デニスは頑固に三井の指示を断った。
三井は拳銃と大男の軽機関銃を拾ってデニスに渡し、この状況に、大橋は『冷静に』と自分に言い聞かせながら、
『ジョージが必ず応援に来る。それを前提に考えると・・・、籠城だ』
「三井! 扉を塞ぎ、ジョージが来るまで時間を稼ごう。そうすれば必ず助かる」
二人はステンレス製の台車をドアに立て掛け、その後(うしろ)に幾つもの台車を組み込み、頑丈に扉の開閉を阻止した。後はジョージ達の助けを待つのみであった。
第三十六章 海軍の傍受
マリオ中尉と招集されてアマゾンから参加した軍曹、その配下で重装備に戻ったジャプラ兵の特殊部隊とジョージの相棒であったアレイショス警部は、先行のジョージとカロウを追って水産加工場M2に向かっていた。
ジョージはジャプラ兵の背嚢から盗んでいた超小型通信機の送信ボタンを押しながらM2を目指していた。
カナネイア沖四キロにある小さな島の大陸側に停泊しているブラジル海軍小型艦船の電波スペクトラムアナライザーのスクリーンに、多くの信号に混ざって細い棒が出たり消えたりしていた。
それに気付いた通信兵は、緊張の面持ちでヘッドホーンをつけ、同調ダイヤルを廻し電波を捉えた。しかし、ヘッドホーンからは『サササ、サーサーサー、サササ』と雑音が聞こえるだけで、暫くすると信号は消え、通信兵は首を傾げただけでヘッドホーンを外した。
暫らくして、同じ信号を受信した通信兵は前よりも丁寧に全ての変調方式で調べたが前回と同じく雑音だけであった。
上官が現れ、若い通信兵は起立し、敬礼をして元の位置に戻った。その若い通信兵の肩越しに上官の鋭い目はスクリーン上の細い棒の動きを見逃さなかった。
「(ボジェス通信兵、この信号はなんだ? 詳しく調べろ!)」
「(調べました。無変調の搬送波の様です。それか何かの干渉波と考えられます)」
「(変調は無いがメッセージを送っているではないか! よく見ろ)」
ヘッドホーンを素早く付けた若い通信兵は、
「(?? 何も?)」
「(方角と周波数を調べろ!)」
上官はマイクを奪うように取って、
「(こちら艦船トッカンチン、司令艦ミナス、緊急呼び出し、どうぞ)」
【(こちら司令艦ミナス、どうぞ)】
不思議そうな顔の通信兵から受け取った紙切れを読み、
「(周波数475.225MHz、我艦船の停泊位置を基点に西線に北へ5.5度、緊急信号受信、確認願う)」
【(了解、・・・、位置確認! 南緯24.9度、西経45.6度、陸地からの発信により出動なし、一応ヘリ準備、モニター続けよ)】
「(了解! トッカンチンにてモニター続行)」マイクを切った。
「(何か?)」
「(この信号はSOSだ。短距離トランシーバーからの発信だ)」
「(SOSですか?)」
「(搬送波だけだが、モールス信号だ。トトト、つまり『S』、ツーツーツーは『O』、君も習った筈だ!)」
「(ハッ? しかし、この方式は今まで一度も実戦で・・・、気が付きませんでした)」
「(司令艦から緊急出動は発令されなかったが、海岸線に近い。この位置を海図上で詳しく調べろ。注意して監視を)」そう言って上官は通信室から出ていった。
軍曹の命令で一人のジャプラ兵が民間人の餌として先行しているジョージとカロウに加わった。
「(俺達の監視ではなく、この女の護衛をたのむ)」
第三十七章 攻防
大橋は、ジョージが応援に来る事を前提に、籠城作戦を取った。その目的で、大橋と三井は多くのステンレス製の台車等を扉に立てかけ、ただ一か所の出入口の扉を塞いだ。
大男ロコと麻薬患者のノイアを失った男達は集団での攻撃を企みたが、扉は開かなかった。体当たりしてもビクともしない、それで、弾を撃ち込み、ノブの部分をバラバラにしても効果がなかった。
「(畜生!)」別の男がライフルの尻で扉そのものを壊し始め、四、五分して扉が崩れ落ちると現れたのはステンレスの板であった。
男達は加工場への通路に備えられた待合用の長椅子を使ってステンレス板を突き破ろうとしたが大橋達が組んだ頑丈なバリケードは堪えたが。しかし、それも時間の問題となった。
それに備え、デニスは侵入口から右前方七、八メートルにある柱の後に陣取り、軽機関銃を構えた。
遂に、バリケードを突き壊して、男達は加工場に雪崩れ込んで来た。デニスが先頭の男を倒すと、続く男達は通路に逃げ戻った。
「(畜生!)アジアチコス!(東洋人め!)」
打ち破られた扉の通路側からの光の陰が慌ただしく動き、再突入の構えが伺えた。
デニスは侵入の時期を遅らせるため、間欠的に威嚇射撃を続けたが、これにも、弾に限度があった。
弾が尽き、威嚇射撃が無くなったのを悟った男達は加工場に侵入、各々物陰に飛び込んだ。
大橋が放った一発を被弾した男がその場に倒れたが、何とか柱の陰に這い込んだ。
一旦、加工場は静まり返ったが、やがて、男達は物陰から攻撃を仕掛け、一番前のデニスは三方からの攻撃に反撃も出来ず、命を落としてしまった。
大橋と三井を守るバリケードのステンレス板には無数の穴が空き、男達は穴だらけになって倒れたバリケードの後ろに大橋と三井の屍を確かめようと一旦射撃を止めたが、倒れたバリケードの後ろには大橋達の姿は無かった。男達は直ぐに左右のコンクリート柱の陰に隠れた二人を見付け、ジリジリと迫ってきた。
大橋と三井は、弾道を十字に交差させ、互いに反対側の男達を側面から攻撃した。思わぬ方向からの反撃で男達は後戻りを強いられた。
三井の最後の引金は空撃ちであった。三井は予備の弾庫は無く、拳銃を床に捨て、棒を引き寄せた。
再び、男達は発砲しながらジリジリと近づいてきた。
大橋は一人で左右交互に応戦したが、反撃のない三井側の敵は怯まず、 先頭の男が三井を側面から射殺する位置まで迫ったその時、冷凍室の側壁から弾が打ち込まれた。その不意の攻撃に混乱した男達は再び後退せざるを得なかった。
「(ジェシカ?!)」
「(私が素直でないのは知ってるでしょ)」
「(俺は素直な女が好きだ)」
「(じゃー、素直でない女がどれほどいいか証明するわ)」
三井はジェシカに拳銃を催促したがジェシカは、三井の前に男達が落とした拳銃を指し、自分の拳銃を頬の横に立て、一緒に戦う決意を見せた。
三井は拳銃を拾いながら、一気にジェシカのいる冷凍室の側壁に転がり込み、そして、背を壁に寄せ、ジェシカの横に並んで座った。
「(お前を救い出す為に、俺はここに来たんだ)」
「(でも、貴方がいない世の中なんて、私には意味ないわ)」
「(俺だって、同じだ)」
「(私も一緒に・・・)」
男達に、痺(しびれ)を切らしたジェハーが加わった。
「(たかが二人の東洋人に、何もたもたしてるんだ! 俺は煮ても焼いても良いと言った筈だ)」
ポケットから油紙に包まれ長年保管していたらしい手榴弾を数個取り出し、
「(これで、思う存分に料理して見せる)」と言って、大げさな動作で手榴弾の安全ピンを外し、
「(この手を離すと七秒であの世へ『ブン』だ)」
その言葉に驚いて男達はジェハーから退いた。ジェハーはその手榴弾を加工場に投げ入れた。
大橋が身を隠している柱の横に何かが転がって来た。大橋は始めて見る代物だが、それが手榴弾だと悟り、手榴弾とは反対側のコンクリート柱の陰に身を投げた。
『ズドーン』大きなショックと、閉じた目に閃光を感じ、渦巻くように灰色の煙が舞い上がり、火薬の匂いが大橋を包んだ。
至近距離での爆発だが、物陰に素早く隠れた大橋は無傷であった。
三井とジェシカの周りには手榴弾や床の花崗岩の破片が降りかかり、続いて煙が襲ってきた。三井はジェシカの手を強引に引いて、冷凍室の横壁から走り出て、冷凍室の重い扉を開け、頑固なジェシカを中に蹴り入れた。
大橋は床に二筋作られた水産加工場の名残であるタイル張りの幅六十、深さ六十センチ程の大きな排水溝の鉄格子蓋を取り外し、転げ込んだ。
又、一つ手榴弾が投げ込まれた。
手榴弾は壁に当って跳ね返り、床を滑って大橋のいる溝に転げ落ちた。
大橋は、鉄格子の蓋を背中で撥ね飛ばし、そのまま転がって溝から離れた。『ドン!』一枚の鉄格子が真上に吹っ飛んで天井の断熱材に刺さり、床に伏せた大橋の横に断熱材と一緒に落ちて来た。
逃げ遅れた三井は爆風に吹き飛ばされて壁に打ちつけられたが、幸運にも溝の中で爆発した事で手榴弾の殺傷破片の直撃は免れた。
又、一つ手榴弾が転がって来た。大橋は溝に転がり戻った。
三井は、手榴弾がくるくると回りながら、自分から三メートル先に止まったのを見たが、未だ手足の感覚が戻らず身動き出来なかった。三井は覚悟して目を瞑った。その瞑ったまぶたに、ジェシカの像が現れ手榴弾に触った。三井が恐る恐る目を開けると、手榴弾は不発のまま床に転がっていた。
動けない三井を見た大橋は溝から飛び出し、不発弾を掴むと扉方向に投げ返した。不発弾は扉の枠に当って爆発し、大橋は床に伏せるのがやっとで、頭を被った右腕と右足に破片が刺さった。
この爆発で前列の男が吹っ飛び、後ろの男達は薙ぎ倒された。
一番上の死者を無造作に押し退け、重なり倒れた男達の間から、ふらふらしながらジェハーが立ち籠める煙を掻き分ける様に、拳銃を持って現れた。
「先輩、こんな事になって・・・」
「諦めるな! ジョージが来るまで頑張るんだ」
ジェハーは身動き出来ない三井の頭に銃口を向け、
「(死ね!)」
「三井!」大橋は片足で立ち上がり、左手の拳銃をジェハーに投げつけた。拳銃はジェハーの一メートル左を飛んだ。
ジェハーは振り向きざま、片足の大橋に発砲し、大橋は尻餅をつくように後ろに倒れた。
「先輩!」と叫ぶ三井にジェハーは再び銃を向けた。
大橋は座ったまま、床に落ちている医療用の金属容器をジェハーめがけて投げつけた。
引金を引こうとしたジェハーは、
「(しつっこい野郎め!)」と、振り向きざま、再び大橋に二発目を発砲した。
大橋は後に仰向けに倒れ、動かなくなった。
再び三井に向って銃口を向けると、三井は居なかった。
斜め横から、ジェハーに向って棒が振り下ろされたが空を切り、三井は的を外した棒と共に、ジェハーに倒れかかり、慌ててジェハーが発砲した弾は三井のわき腹をかすった。三井はわき腹を押さえ座り込むと、ジェハーは三井の頭に銃口を向け発砲したが空打ちであった。
「プッツ(クソッ)」とジェハーは弾庫を取替え銃身をスライドさせ銃口を三井に向けた。
「(地獄へ行け)」『ダン』
うつ伏せに倒れたのはジェハーであった。その後ろに、ジョージが立っていた。
マントバーニ軍曹は、現れる敵を排除しながら小隊を進めていた。
先頭の兵が、
「(前に障害物あり)」と、十メートル先の地面に置かれた椰子の葉を指した。
「(この椰子の葉の置き方は『これから先はインディオの聖地』の意味です)」
「(とすると『この先に進むな』と云う事か)」
「(そうです。刑事と女に同行させた兵が置いたものです。この横の二枚は『この方向に迂回せよ』の意味です)」
「(後続のマリオ中尉にも知らせろ)」
「(分かりました)」一兵が後方に走り、小隊は迂回して先を急いだ。
水産加工場の外壁に小隊員が張り付くと、軍曹の『Go』サインで二人の兵が爆薬で壁に穴を開け、未だ煙が立ちこめる穴から小隊は突入した。
抵抗が全く無く、気抜けした軍曹の前に爆破で飛んだ瓦礫と埃を被った手術台があった。
「(こっちだ! 日本人達が重傷だ)」とジョージの声が、爆破した穴で明るくなった加工場から聞えた。直ぐに大橋と三井に看護兵が走り寄った。
「ヒロさん、大丈夫か!」
「この通り防弾チョッキのおかげで・・・、三井は?」
「弾は急所を外れたが、出血が酷く、心配している」
「ジョージ、俺の血液は三井にマッチしている。輸血を頼んでくれ」
看護兵が大橋の動脈と三井の静脈を点滴用のチューブで結んだ。
「有難う。ジョージのおかげだ。みんなうまくいった」
「ヒロさんとレオの頑固には参った」
「いや、あのレオの女の助けがなかったら、今頃俺達はあの世だろう。それで、皆は?」
「軍曹が無事救出した」
ジェシカはカロウと手を取り合って再会を喜び、気を失って看護を受けてる三井に寄り添っていた。
マリオ中尉は仮本部を設置すると建物の中の詳しい捜査と付近の残党の掃討を指揮した。
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