私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2007年05月

イメージ 1

イメージ 2

今朝、サンパウロからポルトアレグレに戻りましたが、今朝の地元紙では過去20年間で一番寒い5月を記録していると第1面に報道していました。州内の山岳部サンジョゼ・ドス・アウセンテスでは、何と零下4.5度を記録したとか。カシアスの町でもマイナス1.6度。ポルトアレグレでも3.4度を記録しています。
写真は、ZERO HORA紙の第1面と霜で真っ白なパンパスの寒そうな風景です。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

6日振りにポルトアレグレに戻って来ましたが、今朝飛行場に向う道すがらサンパウロでも温度計は10度を示して居ました。
イビラプエラの戦没者記念塔、コンゴニアスの飛行場の景色を貼り付けて置きます。

イメージ 1

まだWEB版に出ていないので全文掲載は出来ませんが、今朝サンパウロを発つ時にホテルで貰ったニッケイ新聞にも日曜日の会合の記事が出ていました。
結びつき強める同船者会 ア国から娘を代理出席させる人も -45年の歳月、つのる懐かしさ
62年5月サントス港着港 あるぜんちな丸の親類達
大きな字が躍っていました。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

下記は、サンパウロ新聞の記述ですが、単身でアルゼンチンに移住した田上英昭さんのご子息3人と長女のクラウジアさんのご主人の4人が45年の集いに参加され人気を博しました。特に田上さんが大事にしておられる染みのついた日章旗の書き込み、船内で使っておられたあるぜんちな丸のバス・タオル、赤道祭の写真等を一緒に持参してくれました。日章旗の前での4人の写真。日章旗等を下記して置きます。

今回、式に行くことのできない父親、田上英昭さん(鹿児島県出身、六十六歳)の代わりにアルゼンチンから駆けつけた田中アリエルさん、クラウジアさんと夫のビィットールさん、ミリアンさんは英昭さんの思い出の品を持参。日本を出発する時にもらった日の丸の旗には独身で船に乗った英昭さんへの「女に用心」という言葉や「キバレ」(がんばれ)と鹿児島弁での寄せ書きがされていた。また、アルゼンチナ丸と刺繍の入った水色のタオルを見た同船者は「よく残ってたね」と懐かしげに手にしていた。
 アリエルさん兄弟は式の前から、白黒の写真に写る人物を指しながら「父と同じ部屋だったこの人に会いたい」と話していたが、その同室者は来ておらず、所在も分からなかったため「残念だ」と肩を落としていた。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

サンパウロ新聞記事より。
船上で行われた「赤道祭り」の思い出を「閻魔大王の役をして、二人の若い子の注いでくれたお酒の味が45年経った今でも忘れられない」と話した南米産業開発青年隊8期生の山下 公さん(大阪出身70歳)。同じ船で渡伯した青年隊の仲間と再会し「40数年会ってなかったけど、顔をあわせた瞬間分かった。まるで(会っていなかった)期間が短縮されたよう」と語った。同船には33人の開発青年隊員が乗船。この日の式には10人の元隊員が参加し、思い出話に花をさかしていた。

写真は田上さん提供の第12回赤道祭の貴重な写真と70歳になった閻魔大王、山下 公さんです。

↑このページのトップヘ