私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2007年07月

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今回、マナウスで全伯の日系商工会議所の年に一度の全体会議参加とアマゾナス日系商工会議所の設立20周年記念式典に参加するために8時間を掛けてマナウスに出かけました。会議の前日に当たる7月26日(木)の夜、マナウス総領事館の瀬川総領事に公邸に置ける歓迎夕食会に招かれました。瀬川総領事は15年程前にポルトアレグレ総領事館の領事として勤務しておられ旧知の間柄で昔話も出て楽しい一時を過ごしましたが、招待側の総領事館には、瀬川総領事に若い岩嶋健次副領事と中村玲子副領事も参加しておられました。パラナ代表の85歳になられる元連邦下院議員の上野アントニオ会頭、パラ代表のニチレイの清水克彦副会頭ご夫妻、アマゾナスのHONDA社長、鶴西幸博会頭、山岸 照明副会頭が招待されており9人でテーブルに座っての食事で着席場所に名札が飾られており晩餐会の御品書が置かれていました。(写真1)、お料理は、グリーン・サラダ(写真2)、ピラニア・スープ(写真3)、蟹身料理(写真4)、ピラルクのツクピー煮(写真5)、春雨の酢の物(写真6)、オクラと塩海老の料理、ご飯付(写真7)、デザート季節の果物(写真8)でした。
料理人は、ブラジルのマラニオン州生まれの日系人で日本食が得意との事でしたが地元アマゾンの素材を使った地場料理の味も取り込んだ和風料理で瀬川総領事が夕食後紹介して呉れました。シェフのもとやさん(写真9)と全員の記念写真(写真10)を貼り付けて置きます。最後に瀬川総領事がお気に入りの料理を皆で選びましょうとの提案で拱手して選びましたが、矢張り地元のピラニア・スープとピラルクのスクピー煮が選ばれました。

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2007年度、全伯日系商工会議所代表者会議提出資料

http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1099

7月28日にアマゾナス州の州都マナウス市で第19回の全伯日系商工会議所の会議がHONDA社が所有するアマゾン河に浮かぶ豪華クルーズPIRARUCU II号の船上で開催されました。また同日夜には、アマゾナス日系商工会議所の設立20周年記念式典がTROPICALホテルで開催されました。
南伯日本商工会議所の代表としてこのブラジルに存在する6商工会議所の船上会議と20周年式典に参加するためにマナウスまで出掛けました。
全伯会議での発言原稿を参考に掲載して置きます。
写真は、HONDA所有の豪華船内での会議を主催されたアマゾナス日系商工会議所会頭(モト ホンダ アマゾニア社長)鶴西 幸博さんです。バックの船窓を照らすアマゾンの夕焼け茜色に注目下さい。 

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ポルトアレグレのシンボルの一つエレベータ式で船が通過時に上がる橋が上がっていました。今日昼前にポルトアレグレ空港に着陸寸前に何時も見慣れた橋が上がっており長い車の列が見られました。通過する船が一緒に写っていれば良かったのですが船映は、見えませんでした。
橋を撮った前後の写真と共に貼り付けて置きます。

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毎週勢古口さんのJ REPORTが届いていますが、今週号は、ラベンダーに寄せる北海道の想い出を書いておられます。『私たちの40年!!』MLメンバーにも北海道出身の中村さん、工藤さん等がおられ共通の話題にもなるのではないかと思います。先週の関西復権と共に連続2週の勢古口さんのレポートです。

5月連休明け以来、今年2度目だ
今の北海道と言えば、やはり「ラベンダー」の花だろう
今が盛りと咲き誇っていた
本場は富良野なのだろうが、札幌市内の公園でも美しい眺めを見ることができた
そこでちょっと調べてみたのだが
「北海道」の
「花、木、鳥」は何か?
「ハマナス、エゾ松、丹頂」だそうだ
「札幌市」の場合は「スズラン、ライラック、カッコー」だという
私は子供時代に何度となく札幌を訪れている
母方の祖父祖母、叔父たち家族が札幌に居たので
母に連れられて、冬休みや夏休みに妹と一緒に幼稚園時代から小学校低学年にかけて何度も来ていた
しかし、覚えていることは余りない
まずは、上野から蒸気機関車で青森に向かう車中のこと、床に寝た記憶もある
一番の思い出は混雑する列車でおしっこに行けなくて、車窓から駅のホームに向けておしっこをしたことだろうか
小さい子供だからよかったものをホームの人もさぞ驚いたことだろう。汽車からおしっこが降ってきて
それから青函連絡船に乗るのに皆が走っていたことを
覚えている。多分よい席を確保するためだったのか?
青函連絡船では丸い窓から海の水が見えて、波がゆらゆらしていた
冬は暗く、夏は青く、海の色がいろいろと変わるのが面白かった

函館に到着し、列車も船の中から線路に下ろされる
その列車に又乗る
母が買ってきてくれた茹で上がったばかりの蟹の美味しさには子供心にも驚いたものだった
本当にあの時の蟹の味は忘れられない
あんなに美味しい蟹はその後も食べた記憶がない
札幌では馬車に驚いた
横浜生まれ横浜育ちの私には勿論馬車は初めて見るものだった
そんな馬車を曳く馬は糞をぼとぼと落としながら歩いていた
叔父の家の記憶は家を出ると平原に大きな山が地面から突き出していたことだ
最近のことだが叔父(母の兄)に聞いて見たら、それは手稲山だと行っていた
多分札幌の市内でも北の方に住んでいたからだろう
その山がぽっかりあったのを思い出す
当時の私は読売新聞夕刊に連載されていた小説「猿飛佐助」を愛読していた
それで父が1週間分を切り取って札幌まで送ってくれた
夢中で読みふけった
もう一人の叔父(母の弟)家族の家に行くと夜になるとラーメンの出前を頼み、皆が食べていた
冬には熱々のラーメンが美味しかった
その当時は味噌ではなく、普通の醤油仕立てのラーメンだったが
母の父が道庁に勤めていたので、赤レンガの道庁にも遊びに行った
今もある池でミニチュアの船を浮かべて遊んでいた人がいたのを覚えている
兎に角、子供だったから記憶も薄れているが、何を見ても驚きの連続だった
横浜にはないものばかりで興味津々の旅だった

夜7時とはいえ
「TV塔」の空はまだまだ明るかった
高校3年の時の修学旅行は北海道一周の旅だった
まあ悪いことばかりしていた旅行だった
もう時効だろうからよいのだが、いや決してよくはないが、いたずらばかりし、隠れてタバコを吸い、万引きもし、悪がきだった
毎年、旅行が終わると必ず処罰者が出て、停学だとかになる生徒がいた
私の時も偶然先生に捕まらなかったから処罰者は出なかったが、悪いことするための旅行だったのか
それでもどこかで神戸女学院の短大生と知り合い、真夜中のデートをしたこともあった
こっちは浴衣、夏とはいえ、北海道の夜は寒かった
それまで札幌しか実質的に来ていなかったので、北海道の広大さ、
雄大さに圧倒された旅だった
今なら飛行機で行くのだろうが、当時昭和41年の夏は行きも帰りも夜行列車の旅だった

札幌駅前の「ESTA」とかいうショッピング街にラーメン屋さんが集まった場所があった
そこで「釧路ラーメン」の
「春鶴」という店で醤油ラーメンの「小」を食べた
最近の日本のラーメンの主流は「細麺」「醤油味」「鶏だし」だという
北海道は超有名になった「札幌の味噌」に
「函館の塩」、そして「旭川の醤油」だが、釧路にも中々美味しいラーメンがあり、「細麺醤油鶏だし」とまさに王道を行くラーメンだった
ダイエット中の私は何とか言う、所謂「小」を頼みじっくりと味合った
札幌ラーメンの麺はどちらかというと中太縮れ麺だが、釧路ラーメンのこの店は細縮れ麺だった
九州は殆ど全てが細麺ストレートだが、九州並みの細さだった
ラーメンの街「札幌」は更に進化していた

札幌の朝、快晴
雲ひとつない
空が広い感じがする
列車で「追分」というところに向かったのだが、青い空の外れに数個の白い雲があるだけ
市内を出て広い原野が広がると、ぽつんぽつんと農家があるが、どこを見ても原野か畑
昔、明治政府は北海道での米作を禁止したという
そして穀物や粟、ひえなどを作らせたという
今では勿論「米作」もやっている
一面麦畑も見える
麦は二毛作だそうだ
白樺が普通に生えているのは流石、北の国ならでは
短い夏を楽しむのか、外国人観光客も非常に多いと聞く
こちらは観光ではないので、そそくさと足早に立ち去るが、市内では標準語、関西弁、九州弁、英語、韓国語、中国語と一大観光地だ
ところで東西の差についてお話ししたことがあったが、例えばエスカレーターの並び方とかだが、実はお墓の色にも東西で差があるという
必ずしも完璧ではないが、傾向があるということでは間違いないだろう
それは墓石の色が、西日本は白が中心で、東日本は黒が中心なのだ
では北海道は??
やはり東日本で「黒」だった
写真も勢古口レポートにあったラベンダー、クラーク博士像、大志を抱け、時計塔です。

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マナウスで泊まったTROPICAL HOTELのプールサイドに大きなアマゾンの鬼蓮が幾つも浮かんでおりそのうちの一つが蕾が弾けそうになっているのを見付け写真でFLWしました。到着した午後には蕾だったのが夜には花が開き白い花と中心部部分が赤みを帯びていました。翌日の夜見に行ったら真っ赤な色に変わっており奥の方にあった蕾が白い花を付けていました。

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