私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2007年09月

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ポルトアレグレの地元紙CORREIO do POVO紙にもミャンマーで取材中に至近距離から射殺された長井健司さんのニュースが写真入りで報道されています。

yahooニュースのWEB版より時事通信の報道を下記して置きます。

取材カメラ、押収か=長井さんの遺留品を確認-現地入りのAPF社長・ミャンマー
9月30日19時0分配信 時事通信


 ミャンマーで治安部隊の銃撃を受け、死亡したジャーナリスト長井健司さん(50)が撮影していたビデオカメラが、警察側から返却されていないことが30日、分かった。長井さんが契約していたニュースプロダクション「APF通信社」(東京)の山路徹社長が同日、現地で遺留品をチェックした後、同社に報告した。
 警察当局が没収した可能性が高く、山路社長はカメラの返却を求めるとともに、遺体の搬送準備を進める。
 長井さんは銃撃され倒れた後も、ビデオカメラを握り締めていたことが、当時の映像などから分かっている。山路社長は日本を出発する際、「ビデオの映像を確認したい」と話していたが、当局の没収についても懸念を示していた。 

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優雅な百一歳児、熱烈講演で魅了 サンパウロ新聞WEB版より

http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1145


百一歳の昇地三郎博士がサンパウロの宮城県人会会館で公演会を行ったとの記事がサンパウロ新聞に掲載されていましたが、『私たちの40年!!』BLOGにもその昇地三郎博士が訪問して下さいました。同博士のBLOGには、『102歳の誕生日は・・ブラジル「日本移民100周年祝賀講演」を約束』との書き出しで2008年のブラジルに於ける日本移民100周年の年にブラジルで102歳の誕生日を記念してサンパウロ大学で公演することを発表しておられます。是非サンパウロまで出かけて来年はお聞きすると共に直接お会いしてその元気の一端を分けて頂きたいと思います。サンパウロ新聞記事と同博士のBLOGよりお借りして一緒に掲載して置きます。昇地博士のBLOGのURLは下記です。
http://blogs.yahoo.co.jp/shiinomi100/MYBLOG/yblog.html
写真は、同博士のBLOGに掲載されているサンパウロ新聞の記事と元気溌剌の昇地博士の写真をお借りしました。

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久々に松本市を訪れた
こんなに綺麗な街だったのかと驚かされたが、本当に綺麗に整備され、美しく感じられた
それと驚いたのは外国人観光客の多さ
欧米人が沢山いた
松本駅から歩いて10分程で松本城に着く
この城には中学生の時、地理研究会というクラブに入っていて、先生に連れられて訪れた記憶があったが、それにしても見事な城だ
これほど往時の姿を残しているのだから国宝に指定されていて当たり前か
ほぼ400年を経て現在に至るその姿は優雅とさえ映る
天守閣の窓からは南アルプスが見えるはずだが、もやに隠れていた
しかし、涼しげな風が吹き寄せ、浮かんだ汗があっという間に去った
盆地になった松本には空港もある
長野県唯一の空港だそうで福岡便もあるという
それこそ中学生の時、友達と春休みに乗鞍高原へ春スキーに行った
ここ松本から電車を乗り換えて終点「新島々」からバスで行った
南アルプスの玄関口がこの松本だった
時計博物館があったから、精密機器の製造拠点でもあったのだろう

写真は松本城です。

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9月初旬に訪れたラーモス移住地では桜の花が満開でツツジ、藤の花、梨の花にドングリの花まで目を楽しませて呉れました。
藤の花を貼り付けて置きます。

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(写真説明) サンパウロのホテルで何気なく無料配布の小冊子月刊ピンドラーマ8月号の表紙に陶器の里クンニャが掲載されていました。本文にも火と土の芸術 陶器の里 クンニャ(青木遼さんの文・写真)が掲載されていました。

『私たちの40年!!』同船者忘年会兼第1回サンパウロOFF会日程が決まりました。

少し早いようですが、先週サンパウロで同船者の皆さんとお会いした時に話が出た今年の忘年会は、1泊2日で陶芸の町クーニヤーに出掛けようとの話題が早速具体化したとの事でいつもの幹事役をやって呉れて居る吉田和子さんが同船者会の名司会をされた旅行社をやっている吉田栄一さんと相談し12月15日(土)サンパウロ発のバスでクーニヤーに出掛け翌16日(日)の夕刻7時にサンパウロに戻って来る予定で岩風呂(温泉ではないそうです)が有るグアタパラ出身の日本人が経営しておられるリゾートホテルを25-30名(バス1台分)の宿泊を確保出来たとの連絡を昨日受けました。詳細はこれから詰めて正式発表となりますが、今回は同船者のみでなくブラジルで参加頂いているこの『私たちの40年!!』MLのメンバーの皆さんにも是非参加して頂きたいと思い第1回サンパウロOFF会として開催する事にしましたので是非沢山の方の参加をお待ちします。

尚、クーニヤーの町は、陶芸の町として有名で先般サンパウロ新聞の「伯国の大地に生きる日本女性物語 43」で紹介されている《南国の土の匂いに惹かれ》《愛娘と離れる悲しさに耐え・請関美重子さん》とある請関美重子さんが住んでおられる町でもあり登り窯の見学も可能なようで恵子が非常に楽しみしています。クーニヤーに住み着きたいなどと言い出さないかと少々心配でもありますが、私も楽しみにしている次第です。

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