私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2008年01月

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サンパウロの東洋人街と呼ばれているグアルボンブエノ通りに大阪橋があります。その大阪橋の近くに大きな鳥居があります。これは町のシンボルともいえます。大阪橋から三重県橋を臨んだ風景です。サンパウロ州は、どうゆうものか三重県と姉妹県提携をしております。三重県橋には立派な石碑があります。

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ブラジルにもこの季節に葵の花が咲いています。

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フロリアノポリスのコンセイソンの湖で獲れた海老を昼食に食しましたが、そのレストランの建物とその窓際から撮った海老漁を遣っている人の写真です。投げ網で海老を採っていました。

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ブラジルの米事情の概略 麻生 悌三さんの寄稿です。

http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1223


東京農業大学のOBでブラジル三菱商事の食糧部長をしておられた麻生 悌三がブラジルの米辞譲の概略として纏めて呉れました。『私たちの40年!!』関連BLOGにサンタカタリーナ州の水田の写真を掲載して置いたのに触発されて纏めて呉れたものです。
私も弥勒輸出入有限会社と言う広島の常石造船(神原汽船)のウルグアイの大農場で採れるコシヒカリ、秋田小町をブラジルに輸入販売する会社を農場側90%、私が10%の出資で3年間営業しましたが、為替で叩かれ弥勒米の輸入販売権を麒麟麦酒のブラジル子会社である東山農工(酒造)に無償譲渡手を引きましたが今も弥勒米がブラジルで一番高く良く売れている日本米として市場に残っておりその苦労も報われているかと満足しています。
写真は、サンタカタリーナの色着いて来た水田の景色の一枚を使用しました。
麻生さん寄稿有り難う。 

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ブラジルに良くカマロン(海老)と呼ばれる花が咲いているのですが、これはコエビソウ(ペロペロネ)と呼ばれるメキシコ原産の花だそうです。自信はありません。

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