私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2008年02月

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先週の日曜日ブエノスアイレスで1泊しましたが、町中の公園、街路樹としてパイネイラの花が満開でした。ブラジルでも咲き始めており遠くから見ると桜の花を思い出させることからブラジル桜と呼ぶ人も居ますが、ブラジルでは日本の桜便りと共に満開の季節を迎えます。アルゼンチンでは少し早く咲き誇るのでしょうか?

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同船者の城島 小百合さんからピラル ド スールの葡萄祭りの案内ポスターを送って頂きました。
今年は是非参加したいと思っていましたが生憎出張が入りリオに行っている予定で参加できなくなりました。葡萄だけでなく柿の里、最近は、デコポンの開発等篤農家が集まる移住地でもあり一度訪ねてみたいと思っています。

和田様御無沙汰しています 遅くなりましたがブドウ祭りのポスターが出来ましたので写真を送ります 皆様お誘いあわせの上 おいで下さい。 お待ちしてます。  

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酒ばっかり飲んでいる俺にとって唯一のスポーツはゴルフだ!

日本では考えられないことだが月平均12ラウンド以上、年間150ラウンドやる。アホみたいな話(アホダ!)だが距離にして1200キロ、今まで30年ちょっとやってるから歩いた距離約4万キロ、地球一周だ(普通はカネ貰っても歩きたくない)


一枚目
今は落ち目になったが、髭の兄ちゃんはパラグアイ出身のツアープロ
カーロス・フランコ、と俺、友人のブラジル人元プロ

二枚目
同じくカーロス・フランコとゴルフ仲間
黄色いシャツ着た人物は韓国系企業LGのゴルフ○違い社長

三枚目
女子キャプテンを取材するサンパウロ新聞記者の鹿児島研修生

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和田 様

ご無沙汰しております。6月の100年祭を前にしさぞかしお忙しい毎日をお過ごしのこ
とを想像しております。
先日テレビをブラジル移住100年祭のために「笠戸丸」と題した歌が創作されてい
るとのニュースを見て和田さんのことを思い出しました。

3日前の日曜日雪の中京都嵐山、嵯峨野を2時間程散歩したあと、嵐電に乗り御室仁和
寺に立ち寄たところ雪が舞う中、梅が咲いておりました。もう春なのですね。

私はこの4月一杯で13年間続けた大阪での単身赴任生活を終え、5月からは東京支店にて働き続けることになりそうです。
リリアさんにも宜しくお伝へ下さい。

イヌイ株式会社
深田

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情緒豊かな日本公園できました サンパウロ新聞WEB版より

《大鳥居、五重塔も設置 プレジデンテ・プルデンテ日系コロニア一丸となって》

 ブラジル日本移民百周年事業の一環として、国内各地で日本庭園の建設が進められている。その多くが六月イナグラソンを目指しているが、資金調達に苦労し、遅延気味だったり頓挫したりというのが現状。その中で現実的な企画を立て実行したところがある。四日系団体からなるプレジデンテ・プルデンテ百周年実行委員会(纐纈俊夫委員長)の日本庭園は、昨年十二月に完成。落書き消去、塗装、雑草除去などの仕上げ作業を除いて、後は六月のイナグラソンを待つばかりとなっている。

 《市も資金を協力 市民の憩いの場に》

 同庭園は、日本移民七十周年時に建設された「桜広場」を新たに「日本庭園」に造り直したもの。

 市街三キロのボン・ジョバンニ区にある同公園は三十年前、市から土地寄贈を受け、約五十本の梅、桜を植樹。しかし市の管理が行き届かず、桜はほぼ全滅、記念碑は落書きの被害に合うなど、「荒れ公園」となっていた。

 プ・プルデンテ百周年実行委員会は百周年事業として、同公園に新たな息吹を吹き込むことを計画。市が費用を負担し、造園師の水川昇氏の設計で日本庭園に造り変えた。計画は〇六年度から、〇七年八月に着工し、すでに完成という早期実現に漕ぎつけた。

 「こういうことは早めにやっておかないと。水川さんも忙しいし」と纐纈会長。先人が残した既存公園の作り変えという形で、無理せず低予算で日本庭園を実現。

 庭園は中央に五重塔を据え、鳥居、移民百周年記念碑などを新設。そのほか、総重量が六十トンにものぼる大小さまざまの庭石や、枯山水を造り、橋も渡した。

 また傾斜地の同公園を多くの人が利用しやすいよう、既設の階段をスロープに換え、バリア・フリーにした。さらに訪問者の目を楽しませるため、桜を植え替え、ソテツ、ツツジ、椿なども植樹した。 

 広さ百平方メートルの同公園には囲いがなく、誰でも入りやすい立地条件。平日は学校帰りに訪れる児童・生徒たちや、同公園で散歩、レース編みを楽しむ地域住民などに利用されている。

 纐纈委員長によると、「最近は近所の人が管理を自主的に買って出てくれている」そうで、地域住民が落書きや樹の盗難などのいたずら防止に目を光らせているという。 通行人の一人は、「整備される前は本当に汚かったのよ。こんなにきれいになって」と目を細めていた。

 日本庭園として再出発する同公園は、「『日系コロニアが造ってくれた公園』と親しんでもらえるように」というプ・プルデンテの約二千日系家族の願いが込められている。

 2008年2月26日

 (写真:新設された鳥居、記念碑、五重塔を前に満足顔の纐纈会長)

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