私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2008年06月

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ブログに突然強敵が現れました。 軽井沢に住んでいる小説家
のブログです。他のカテゴリーから移転してきたのですね。 桁違いの得点を得
ているので勝負になりません。 これからは勝負ではなく、皆さんが楽しめるブ
ログにしますので引き続きご訪問ください。

今日の写真は巣立ち直後の2羽のオオタカの子供が高い木の上から見下ろして
いる姿です。

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Nobu Nakamura
http://nobu31.blog67.fc2.com/

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ブラジルのトウモロコシ栽培と飼料産業 麻生 悌三さんの寄稿です。

http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1268

アメリカのエタノール生産原料として一躍有名になりエタノール生産原料として使用されることにより世界的に飼料用原料としてのトウモロコシが不足して大きな問題に発展していますが、ブラジルにおけるトウモロコシ栽培と飼料産業の現状はどうなっているのか東京農大卒の学究派の麻生さんから時宜を得た寄稿が寄せられていますので収録して置きたいと思います。
夏の海浜で食べる塩の良く効いたトウモロコシは、夏の風物詩を飾りますが、真冬の6月末にスーパーで立派なトウモロコシが店頭に並んでおり何時が季節か分からなくなっていますが食用には1年中やわらかいトウモロコシが出ているようです。こんな美味しいトウモロコシが自動車を走らせるためのエタノールになってしまうのは味気ない気がします。飼料作物としてならそんなに抵抗はないのですが。。。
写真は、トウモロコシ畑に行って自分で撮って来たいと思いますが、手っ取り早くGOOGLEで見つけた写真をお借りしました。

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「J REPORT 2008 7月第1週号」 「忙中、閑あり、最終回185号」
突然ですが、7月末で退職することとしました
ちょっと早いのですが、もういいでしょう
私の仕事も終わりました
昭和46年に当時の丸紅飯田入社以来、37年間働いてきました
その後、縁あって平成11年から大同コンクリート工業に移り、会社更生法を乗り越え、どうやら普通の会社になり、そして昨年経営統合でジャパンパイルになり、今日に至っています
余計なことは言いますまい
ただ去るのみ
そして6月27日は株主総会
しゃんしゃんしゃんと何もない株主総会を終え、これで肩の荷も下りました
これから残りの人生、約20年をどう生きるか
いつか来る道ですから、ちょっと早いですが、新しい道に進んでみます
毎日が日曜日ということになるのか
それとも忙しい日々?になるのか
全く分かりません
挨拶もせずに去っていきますが、これが私の生き方だとご理解ください
年金受給にもまだ早いのですが、当面は旅行などして、これまでのサラシーマン生活の垢を落としたいと思います
早速、旅行会社に行って、7月はカナディアン・ロッキーへの旅を計画している。
一人旅なので、ホテル代も高く、それと燃料費のサーチャージの上乗せもあり、非常に高い旅代となりますが、まあいいでしょう
これまでのご褒美ですから
皆様の大半の方より、ちょっと早目の隠居生活ですが、これからも「J REPORT」でご報告しますので、私の人生の一端を垣間見てください
8月には息子のいるスペインへ、帰りにパリでも1週間のバカンスを楽しむつもりです
日本国内では北から南から、ゆっくり車で旅行したいと思っています
収入は?
勿論ありません
でもこれまでの株式投資の利益もありますし、創業者利益もあるので、あくせくせずに当面は過ごすつもりです
どこかで私を見かけたら声を掛けてください
ということで会社を辞めました
某高炉メーカーの株主総会に出席した
これがしゃんしゃんしゃんでなく、実に2時間にも亘り、その内の1時間半ほどを使って質疑応答が行われた
社長さんもよく質問に自ら答えた
感心した
「独禁法」違反で課徴金が発生したり、「JIS」に違反したりと色々問題があったので質問はその辺りに集中したが、やはり株主総会は株主に真摯に対応することが必要だ
問題があっても隠さない
事実を公表し、正しい経営をする
この姿勢が求められている

博多のもつ鍋店七山での最後の夜でした
九州の仲間も散り散りばらばらになってしまうので、最後の夜をいつもの七山で過ごしました
ご主人の吉村さんと奥さんも大変残念がっておられましたが、これも仕方がない
いつか別れは来るのですから
会社生活がなくなるとどうなるのか?
分からないことばかり
そうですよね、これまで全てが会社生活からの流れだったんですからね
福岡の昔の部下達との最後の飲み会
彼らには「会社を辞める」ことは伝えておりません
30日の月曜日に知ることになるでしょう
「七山」へはもう7年間も通いました
この欄でも度々ご紹介しました
従って、私の推薦を頼りにして行かれた方も多くいます
どうということもない店ですが、家族的な雰囲気が好きで通い続けました
これからもチャンスがあれば、また行きたい店です
最近はホームページも開設したので、一度ご覧になってみてください
今年のお中元は七山のもつ鍋セットを使わせていただきました
梅雨真っ最中の日本列島
博多の夜も霧雨が静々と降っていました
ご主人奥さんと手を握り合い、またいつか再会出来る日を楽しみに別れてきました

何か湿っぽいですね
博多から広島へ移動するために博多駅に来ました
今、新しい駅ビル建設の真っ最中
駅前に幕に覆われた祇園山笠がありました
7月の梅雨が明けた頃の夜明け
この山笠が博多の街を駆け抜ける
博多っ子の意気が駆け抜ける
そんな男っぽい祭の季節がやってくる
早いなあ、もう山笠の季節なんだ
そんな感慨を持ちながら、朝の博多駅を歩いた
平成11年以来、果たして何回、博多に来たことか?
年20回として、160回? そんなもんかなあ?
恐らく200回は来たと思う
一番、出張した先が博多だと思う
一番好きになった街も博多だと思う
魚も美味いし安い
人も気風がいいし、暖かい
街も空港が近くていい
博多弁は結局喋れなかったが、博多が代浮キる九州は好きだ
今度来る時は何を食べようかと迷いながら来る街
それが博多
常連だった店はモツ鍋の七山
ステーキのかも川
呼子の烏賊と鯛茶のよし田
この3軒だけを廻るだって結国蝠マだった
いつか又来ますよ、博多よ

「手前勝手世界食物語、第100回」
もう100回ですよ、記念すべき回数ですね
ネーミングもこれからの旅を考えるとジャストでしたね
これからは世界の食をご紹介しますよ
さて、今回は広島は安芸の宮島
JR宮島口駅前のうえのの
穴子飯です
「明治30年、宮島駅が開業して少ししてから、駅弁として穴子飯が誕生した」そうです
電話をしたら、その日は穴子弁当の日で、弁当しかないとのこと
瀬戸内産の穴子が取れないと店を開かないという頑固な店
結高ナすよ、穴子弁当で「NO PROBLEM」
駅弁から発展してきたことをその日始めて知った
1.5cmほどに切り揃えられた煮穴子がご飯の上に乗せられ、しっかりした甘いたれがかけられた弁当は、これは最高の駅弁だったろうと思われる
当時、旅する人は宮島口では競って買い求めたんだろうなあと想像出来る
現在では新幹線の旅は味気ない
食堂車も駅弁もない
ただ単に移動するだけ
まさにビジネスライクな旅
本当の旅は、自分で好きな時間に好きな所に行ける事
柔らかい穴子弁当の包み紙は大正11年の
復刻版とか
折り詰された弁当も包紙も実によい
なるほど、これが有名な穴子飯か
納得の逸品でした

最後は今週も映画
「イースタン・プロミス」
ロンドンにあるロシア・マフィアの物語
同じ仲間の一人をボスの息子が殺した
自分のことを酒飲みで何も出来ないヤツだといったからだと言う
その死体の始末をしたのが、ボスの運転手
指を全て切り取り、歯を全て抜き去り、テームズ川に捨てた
一方、ドラッグストアに若い女の子が入ってきて、突然破水する
担ぎ込まれた病院で女の子を出産するが、若い母親は死ぬ
その女性の荷物の中から見つかったのはロシア語で書かれた日記だった
看護婦の女性がそれを家に持ち帰った
叔父がロシア人なので翻訳してもらおうと
そこには14歳の彼女がロシアの田舎から出てきてマフィアにロンドンで捕まり、レイプされたことが書かれていた
看護婦は彼女が住んでいたロシアレストランを訪れオーナーに日記のコピーを渡し、翻訳を依頼する
だが、オーナーこそがボスでレイプした犯人だったのだ
日記を取り戻そうと派遣されたドライバー
ボスは日記を読んだ看護婦の叔父を殺させる
果たして、看護婦はどうなるのか?
生まれたての子供はどうなるのか?
裏の裏があり、サウナでの格闘シーンは凄い恐ろしさがある
気が弱い人は観ないほうがよいが、面白い
次は「インディージョーンズ」
「クリスタルスカルの王国
第二次世界大戦直後のお話だそうだ
南米で見つかったクリスタルスカル
実際にあるのだが、今回のはちょっと変わった形のもの
本物は水晶の完全な一個を加工してあるものだが、映画のは頭の部分が細長くなっているもの
これを見つけようと・A軍がやってきて、インディーに発見するように命令する
こうしてドタバタ劇が始まる
息を付かせぬいつもの動きが続き、休む暇なく活劇が行われる
娯楽映画としてはまあいいか
そして黄金が集められた王国が見つかるのだか
後は観てのお楽しみ
娯楽だけならインディー、ストーリーや総合的に楽しむならイースタンプロミスでした
先週末には宮城県松島の不動院というお寺に地震で一週間遅れになったが行ったことは報告した
人生の節目節目で和尚さんと話し合う
観方は色々あるのだろうが、気持ちの整理にはなる
結局は自分で決めることなのだが、アドバイスにはなると思い、和尚さんの話を聞く
さあ、結論は出ました
「会社を辞めました」
以上、無職のフリーになった
勢古口がお送りしました

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このところ少し寒さが穏やかにかんじますが、散歩する道筋には殆ど花がなく葉を落とした木が目立ちますが、それでもポルトアレグレでも秋の景色が見られます。
カナダの楓に似た木、黄色い葉を付ける木、少ないですが街路に紅葉も植えられています。
昨日の散歩道で撮ったポルトアレグレの秋の紅葉です。

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あるぜんちな丸とポルトアレグレ 2008.4.7 update
プロフィールにありますように、1962年5月11日サントス港着のあるぜんちな丸第12次航で681人の同船者仲間と共にブラジルにやってきました。東京都の農業移住者として10万2千円の渡航費の貸付を受けた雇用農の扱いでしたが、実はまだ早稲田大学の政経学部に在学中の“もぐり移住者”。大学の卒業の為に1964年、東京オリンピックの年に一時帰国、無事大学卒業と共に1965年に再移住しました。以来、今年(2008年)で在伯46年のマカコ・ヴェリオ(年寄りの猿。日本で云うところの「古狸」をブラジルではこう呼ぶ)です。

今回、お隣のアルゼンチンのヴェテラン特派員の相川知子さんのご紹介で「各国いまどき報告ブラジル」を担当させて頂くことになりました。ブラジルに置ける日本移民100周年の年でもあり、その関連記事も含め私の46年に渡るブラジル生活の中から、一移住者の目線でブラジルのいまどきを報告させて頂ければと張り切っておりますのでお付き合い下さい。

その第1回目にあたりますので、やはり自己紹介的な部分から入って行きたいと思います。私の住んでいるのは、もう一つのブラジルと言われるドイツ移民、イタリア移民が多いブラジル南部地方で、アルゼンチン、ウルグアイと国境を接するリオグランデドスール州(南大河州)の州都ポルトアレグレ(「愉快な港」の意)に40年近く住んでおります。

現在68歳ですが、ささやかな「さわやか商会」というファミリー会社を女房、娘3人、義妹の女性5人の出資者とやっており、現役で働いています。

現在、私が嵌まり込んでいるのが、着伯40年に始めた『私たちの40年!!』と云うホームページの管理運営、画像掲示板、関連BLOG等の更新作業です。ブラジル、アルゼンチン、ボリビアに入植した同船者仲間681人の移住受け入れ先国への定着の過程を通じて、戦後移住の歴史の一部を書き残そうとの趣旨で継続していますが、この3月13日に何と80万回のアクセスを記録、移民100周年の今年中に100万回アクセスが予定されています。

さて、ブラジルで最初に紹介する町は、矢張り我町、ポルトアレグレを選ばせて頂きます。南大河州の州都ポルトアレグレは、人口150万弱、近郊を含めたメトロポリタン圏では300万人に達する南部地域最大の都市、経済圏を形成しています。

南大河州は1千万人の人口を抱え、その30%がポルトアレグレ圏に住んでいます。ドイツ移民、イタリア移民を中心としたヨーロッパの影響を受け、ブラジルらしくないブラジルと言われており、ウルグアイ、アルゼンチンと国境を接し愛国心、独立心が強く、遠い昔にはブラジル中央帝政政府から1835年から1845年まで10年間リオグランデ共和国として独立していた時期がある。ブラジルに置ける歴史の中でもガウショーと呼ばれる州民は、特異な存在として新しい時代を切り開く転換期に大きく貢献してきました。

町のシンボルとして親しまれているラッサドールと呼ばれるカーボイは、最近立体交差の道路工事のため場所を700メーター移動させましたが、ポルトアレグレの町の入り口に鎮座しており、グアイーバ河に落ちる夕日と共に多くの訪問者に喜ばれている。

また、ポルトアレグレの飛行場に降り立つ時に車窓から見える景色は、丁度ニューヨークに良く似ているとの事で小マンハッタンとも呼ばれている。グアイーバ河に掛かるエレベータ式の橋も名物の一つです。

ブラジルの南の玄関と云おうか、お勝手口としてメルコスールの首都としての役割を果たし、近年その重要性をましている一方、ポルトアレグレ総領事館は、一昨年(2006年)閉鎖されク、リチーバの総領事館の出張駐在官事務所に格下げされた。州内の在留邦人は、1,194名、2世・3世の日系人が2,012名、内432名が日本で就労しているとの2007年11月の調査結果が最近発表されている。

それでも移民100周年の記念行事は、ポルトアレグレでも時期をずらして9月27日~28日に行われる予定になっているので、改めて紹介しましょう。

画像上右:1962年、あるぜんちな丸第12次航でブラジルに
画像上左:あるぜんちな丸
画像中右:リオグランデドスール州(南大河州)の州都ポルトアレグレ
画像中左:町のシンボルとして親しまれているラッサドールと呼ばれるカーボイ
画像下右上:グアイーバ河に落ちる夕日
画像下左上:グアイーバ河に掛かるエレベータ式の橋
画像下右下:あるぜんちな丸第12次航同船者仲間と記念撮影
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ポルトアレグレは、ニューヨークに良く似ているとの事で小マンハッタンとも呼ばれている

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