私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2008年11月

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11月27日にブエノスに行きましたが今回のGOLは、着陸前にエゼイザスの国際空港の真上を通過して迂回後着陸態勢に入りました。従い国際空港がばっちり右車窓(座席7F)から見ることができました。写真3枚を撮ることができましたので貼り付けて置きます。高度があったので全景が入っています。

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河野さんの農場で生産しているカシャーサ(砂糖きびの焼酎)をお土産に頂きました。リオに帰る山下さんは軽装で手荷物しかなくどうせ機内に持ち込めないで取り上げられるよりは飲んだ方がベターとの論理で帰りのバスの中で飲み始め皆さんにも振舞っておられました。私もお相伴に預かりましたがトランクに入れてポルトアレグレまで持ち帰ったカシャーサは、娘たちに1本ずつお土産として分配しました。まだ大事に取っているようでコメントは来ていません。
箱にあった農場名と収穫年の印刷とカシャーサの瓶です。河野さんいデザインの細めの瓶でした。

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11月27日早朝にブエノスアイレス行きの6時半のGOLに乗りましたが、窓から見えた朝日と旧飛行場の建物、窓から何時もGOLの主翼のマークが目を楽しませてくれました。これまで余り乗ったことがなかったのですがVARIGを買収した会社ですのでこれから乗ることが増えそうです。

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京都の吉田山の麓の真如堂のもみじです。葉は京都特有の細かいもので、きれいでした。
下の3枚は上のものをピカサで傾きと色調を調整したものです。

本日は会社の先輩の一周忌みたいな会合があり、京大の時計台の下のレストランで昼間過ごしました。
その後、妻が吉田山に登ろうというので、50年ぶりに近い形で、登りました。頂上に古風な感じの喫茶店があるのですね。しりませんでした。途中あまり人に会いませんが、喫茶店ははやっているようでした。

吉田山の反対側に下ると、真如堂があり、大勢の観光客が居そうで、見ごろかな?と思い行くと見ごろのようでした。写真は撮影したままで、良いかどうかわかりませんが、ごらんください。写真をクリックすると大きくなると思います。

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サンパウロ新聞で研修しておられる鹿児島県人会の研修生の下松八重ひとみさんが今回のバス旅行に参加して下さり旅行記をサンパウロ新聞に掲載して呉れておりますのでそのままお借りして転載して置きます。


あるぜんちな丸同船者会 ㊤ サンパウロ新聞WEB版より

 『あるぜんちな丸第十二次航同船者の集い』が二十一日から二十五日まで四泊五日の日程で行われ、ブラジリア、アナポリス、ピレノポリス、カルダス・ノーバス温泉郷を旅した。同船者の集いは昨年のクーニャの旅に引き続き二回目で、二十九人が参加した。(下松八重ひとみ記者)



《花火の歓迎に感激 アナポリス市ピンガもシュラスコも美味しく》

 今回の旅行は様々な事情で、同船者はわずか七人と少なかったが、日本、ボリビア、ミナス州など遠方からの参加者もおり、在住国のことを語り合いながらの賑やかな道中となった。

 二十一日午後七時、リベルダーデ広場を出発し、予定より一時間遅れの午前九時にブラジリア到着。同船者の吉田武さんや、元日伯交流協会生の平野司さん(ケンブリッジ・コンサルタント職員)が一行の到着を待ち侘びていた。

 平野さんの案内で市内観光が始まり、オスカー・ニーマイヤーの建築物やルシオ・コスタが設計した計画都市を見学。

 「現在は雨期だが、朝から雨が降るのは珍しい」と言う平野さんの言葉どおり、一日中雨に打たれる天気となったため、高さ七十五メートルあるテレビ塔からの眺めを堪能できず、名残り惜しくもブラジリアを後にすることとなった。

 そして、旅のメインとなるブラジリアから約百五十五キロ離れたアナポリス市の河野農場(河野賢二ケンブリッジ・コンサルタント代表)を目指した。

 到着した一行の疲れを癒すかのように、同農場特製の練乳と牛乳で割りのピンガが振舞われ、和田好司さん(六七、兵庫県出身)の音頭で乾杯。農場内にあるピンガ工場を見学し、アナポリス日本人協会の会員やケンブリッジ・コンサルタントの職員ら総勢約百人が集まり、シュラスコを堪能した。

 ケンブリッジ・コンサルタントは、六月十八日に皇太子殿下が来伯した際、三菱自動車の提供によりブラジリアで約五百発の花火を打ち上げた主催者でもあり、この日は約二百発、三分間、目前に花火が上がり、感動した見物客から大きな拍手が沸き起こった。

 和田さんは「南十字星と打ち上げ花火を見るという企画が立ち上がり、実施されたことを嬉しく思う。悪天候のため南十字星は見えなかったが、河野さんの戦後移住の原点を見れて光栄」と挨拶した。

 お腹を満たした一行を乗せたバスが走ること約四十分。ホテルに着き、一行は翌日に向けて深い眠りへとついた。(つづく)

写真:河野農場にて記念撮影をする一行と、河野代表(右上端)

2008年11月28日付け

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