私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2009年01月

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BR14号線と呼ばれるべレンーブラジリアの街道は真っ直ぐに北に伸びる道ですが、ブラジリア建設と時期を同じくして開設された国道で開通したとは言えトラックでの旅は道を修理、建設しながらの旅はなかなか進まず2-3日ブルドーザが援助に来るのを待たないと身動きが出来なくなることもあり大変な旅でした。時を相前後して徳力さんがこの同じべレンーブラジリアを旅されたと聞いておりそろそろ御出ましかなと思っています。懐かしいでしょうこの風景は?

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もう44年も前に亡くなった母の分も生きる積りか父は1月28日で満97歳の誕生日を迎えたそうです。お世話になっている養護施設『めぐみ』のスタッフの皆さんに誕生日を祝って貰ったそうです。
週に3度ほど通っている妹の多加代から写真が届きました。
近くで面倒を見て呉れている妹に頭が下がります。もうブラジルに飛び出した息子のことなんどは忘れていることでしょう。年に一度会う度にこれが最後と思うのですが翌年行くと元気にしています。昨年までは借家で一人住まいでしたが現在は養護施設に入っているそうですが、月、4万円の借家はまだ借りており時々帰りたがるそうです。特別養護施設に入れるとこの借家を借りて置く必要がなくなるそうですが中々席がないそうです。

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北ゴヤス(現在のトカンチンス州)の西部にバナナの島と云うのがありこの地方では雨期になれば牛を島から乾燥地帯に追い出し乾期になれば草の多いバナナの島に牛を追いこむと云う仕事をしているバッケイロ(牛飼い)が沢山いますが、預かった牛の生まれた子牛の25%を貰えることになっており年中牛を追って移動しています。
この牛の干し肉またはアマゾン鯉の干し肉や鰐皮を集めて大市場であるべレンに運ぶトラックのキャラバン(仲間は3台でしたが途中増えたり減ったりする)にバナナの島での積み込みからべレンまで約2週間一緒の生活をしました。今日はその干し肉の積み込み場所の風景を紹介して置きます。

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昨日、歩いていてジャカランダの花がまだ咲いている木がありました。それも一枝の狂い咲きでなく結構木一杯に咲いている感じでした。1月の末にジャカランダ?と奇異な気がしました。
写真を貼り付けて置きます。

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ブラジルおもしろ裏話 ―坂尾英矩氏著― 『情熱のリオ』を刊行 サンパウロ新聞WEB版より

 ラテン音楽研究家として活躍している坂尾英矩氏が昨年十二月十日、日本の中央アート出版(東京都)から『情熱のリオ―ベテラン・サカオの半世紀・とっておきのブラジルおもしろ裏話』を出版した。

 坂尾氏は一九三一年横浜市生まれ、日大学生バンドで進駐軍回り。日大国際研究所を経て一九五六年渡伯、ラジオ・ジフゾーラ日語アナ、七二年から九六年までサンパウロ総領事館文化班に勤務、退職後は音楽研究家としてラテン音楽を中心に活躍、アントニオ・カルロス・ジョビンをはじめ数多くのミュージシャンと親交を深め、著名音楽家を日本に招聘してブラジル音楽普及に努める。『ボサノーバ詩大全』、『サンバ・ピンガ・モレナ』などの著作も多い。『南米銀行』、『バリグ航空』、『アンタルチカ』などのコマーシャル音楽の作詞作曲も手掛けた。

 『情熱のリオ』は「メデイア」(クリエーティブで風刺あふりるブラジルのマスメディア)世紀の恋、美空ひばり幻のブラジル公演秘話、リオと浅草カーニバル提携裏話、百年目に実現した日系人気スター、など。「音楽」(サンバはブラジル人気質そのもの)別れの名文句オブリガード、ヤマハ世界歌謡祭を蹴ったトム・ジョビン、ブラジル男子の夢は…を食べることなど。「女性」(男性より勉強家で勇気あるブラジル女性)コパカバーナの女性、ヒップに乾杯、「歴史」(教科書にはないブラジルの裏歴史)リオから始まったファベーラ、カリオカ気質とは、イパネマ娘の今昔、グアム島最後の一兵・横井庄一さんの新婚旅行など。

 百八十八頁。千五百円+税。

 (写真=刊行された「情熱のリオ」表紙)

 2009年1月28日付

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