私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2009年01月

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昔懐かしい北ゴヤス(現在のトカンチンス州)の田舎で見られた牛車です。大きな木の車輪に大きな牛2頭か4頭で曳かせる。この牛車に揺られて旅したこともあります。
現在のBR14(べレンーブラジリア街道)は、全て舗装されておりバス、トラック、車が引っ切り無しに走っており牛車が横切ると云った光景は先ず見られないでしょうね。街道から中に入れば今でも農家(牧場)では使用されていると思います。この写真は先年娘たちを連れて行ったグルピーの街で撮ったのではないかと思います。(45年以上前ですが)

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正月に撮った風車小屋の亀さんと小鳥の共存の写真は、結構気に入っていたのですが、その後食糧難?で亀が鳩を食している写真が新聞に掲載され風車小屋の亀さんは肉食の獰猛な動物だと恐れられていますが人気者になり誰もが見に行き話題にします。
今朝、早朝補聴器の調整に出かけた帰りに風車小屋を通り抜けましたが、亀さんがのんびり岩の上で甲羅を干していました。風車小屋と共に亀さん達の写真を貼り付けて置きます。

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最近、プールで知り合った方が、大阪商船時代の『ぶらじる丸』で通信士をされて
いた事が判明し、以後元船乗りの誼みから、お付き合いを願っています。
今日も水泳の傍ら、プールサイドでの雑談の中で、移民船のよい写真がありませんかと
聞きましたところ、早速、件名の二隻の勇姿の画像(写真ではなく、竣工時の披露の為
の絵画=絵葉書?のようです。)を送って下さいましたので、お送り致します。

     賀多井

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ポルトアレグレは、連日真夏日を記録、毎年ながら暑い夏を過ごしています。それでも朝夕少しづつ涼しくなって来ており夜、エアコンを付けることはありません。(私が好きでないことも影響していますが)。我が家には各寝室にエアコンが付いており3個に応接室に大きめのエアコンがありますが応接室に隣接するPCを置いている仕事場(オリジナルの設計では女中部屋)が風が入らず我が家で一番暑い場所です。恵子が夏も終わりに近づいて来ているがまだまだ暑さも続くので扇風機を買って来ようと云って今日散歩の帰りに扇風機を購入しました。結構威力を発揮して呉れて汗も引き寒いぐらいの感じになります。
エアコンを付けるより電気代も安いでしょうし微風は心地良い音と共に結構行けると思います。
今日の午後の温度計と新しく購入した扇風機です。
それと日曜日のお昼はうどんを頂きました。夜は誕生日のお祝いがあり少し食べ過ぎた感がありますが皿に盛り合わせたお料理です。

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生きて残っていたぶらじる丸!!

http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1345

私たちのあるぜんちな丸の姉妹船ぶらじる丸が中国で解体されたものと思われていたが10数年後の最近中国南部の町【湛江=じんこう=ヂエンジャン】で観光施設として残されていたことが分かり関係者を驚かせると共に喜ばせている。2009年1月27日付けの朝日新聞、国際ニュースのアジア欄に【ぶらじる丸、生きてた 解体の予定が…中国で観光施設に】のニュースを目聡く見つけてくれたサンパウロの麻生 悌三さんが知らせて呉れました。
昔の蚕棚はないようですが船内に海鮮レストラン、水族館などをつくり、船の歴史も展示しているという。華麗な船体を今に残すぶらじる丸は、現在【海上都市「湛江号」】として湛江海浜公園にその雄姿を留めている。戦後移住船の唯一の生き残りとして今後ブラジル移住者にとっての歴史的実存建造物として神戸の元移住センターと共に訪問客を引き付けるのではないかと思います。是非見に行きたいものですね。

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