私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2009年05月

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阪神は、相変わらず勝てないようですね。今日も延長12回4-4で引き分けているようです。
私が観戦に甲子園に行った日は雨で試合中止、翌週の火曜日が予備日だった様で再試合になりましたがこれも負けていました。
甲子園観戦の日の入り口で当たり籤?がある袋を貰い中を開けると鳥谷選手の写真カードが入っていました。当日の新装なった甲子園の様子等と共に貼り付けて置きます。

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「J REPORT 2009 5月第4週号」

「イギリスの旅、総括編、その1」
「羊の国、イギリス」
何から書いたほうが良いのだろうかと思いながらキーを叩く。私自身は日頃から頭の中に色々と文章やらを考えているだけで、これをこうしよう、あれをああしようという考えを常に持っているわけではない。
従って、イギリスの旅を終えて総括するとなると、もう一度旅を初めから見直さなければならない。そうしてその中で何か見落としたものがないかどうかを考察するしかないだろう。
兎に角、第一印象というか、強烈な印象は、「羊の国」だということだ。
これほど牧歌的な国だとは想像もしていなかった。あれだけ広い農場があること事態が信じられない。確かにロンドンを中心としたイングランドの大半は平野部分だが、日本では信じられないくらいその全てが農場なのだ。都会というのはロンドンくらいで、後は皆地方都市というか、所謂村みたいなのだ。そして農場には羊が、牛が、馬が飼われている。それもどうみても「完全放牧」という形態のようだ。この方式の良い点は、動物が食べ、糞尿を排出し、それらがリサイクルすることで自立した放牧が出来るということらしい。人工的な餌を与えることなく、自然のものを吸収し、排出し、それ自体が肥料となり、また餌を育みと正にリサイクルの世界になるという。
ただ、私たちからすると、雨が降ったり、雪が降ったりする中で、生活する動物たちを哀れに思ってしまう。しかし、よく考えてみれば彼らの祖先は皆そうやって生活してきたわけだ。近年、人間の都合で小屋に入れているだけで本来の彼らの姿は、自然の中で生活していたのだった。雨にぬれ、風に吹かれているのを観るとどうしても同情したくなる我々のほうが、自然に対しては弱い存在なのだ。だが、不思議だったのは、私が見た農場というのが、放牧しているだけで、農産物を栽培しているという雰囲気を感じなかったことだ。どこで食料の生産をしているのだろうか?例えば、小麦や野菜といった食料品はどこで生産しているのか?全く見えてこなかった。

「尖塔の国、イギリス」
列車でロンドンをでて郊外から田舎へ向かうと必ず気付くことがある。
街の或いは村の中心部に必ず教会と鋭く聳え立つ尖塔が見えることだ。
鉄道は19世紀、イギリスで発達した。だからロンドンを出発して鉄道は出来る限り直線で進んだのだろう。
それが合理的な考え方だ。そして、どこかの村の近くに駅が出来る。既に人が住んでいた村の場合もあるだろうし、新しく村を作るために出来た駅もあるだろう。だがその共通している点は、まず村の中心に教会があり、そしてその教会には鋭く尖った「尖塔」があることだ。村の中心事態が教会であり生活の全ての中心になっているようなのだ。昔は教会から破門されると「地獄へ落ちる」といって一番恐れられていたことだった。だから生活の中心が全て教会と一心同体だったのだろう。従って、どこの村の教会も目立つこと目立つこと。恐らく旅人が道を歩いているとすると、遠くに教会の尖塔が見え、次の村に来たことが分かるはずなのだ。そして教会の中心はローマ法王だったのだが、訳ありで、イングランド国王の結婚問題から、ローマとロンドンとの意見が分かれ、遂に決別して国王は自ら「英国国教会」を作ってしまい、ローマ法王から離別してしまったのだった。
また一方、中世イングランドでは大聖堂の建設が盛んだったという。それは競うようにして行われたとも言う。
小説「大聖堂」を読むと、村々、街々が競うようにして、教会を建て、尖塔を造ったということが描かれている。
誰よりも高く立派な教会と大聖堂、そして大聖堂には尖塔が必要だった。「SALISBURY」などはその代表だろう。こうして空高くそびえるほど、神に近づくと考えたのだろうか?
例えばコッツウェルヅ地方なども、どの小さな村でも必ず村の一番良い場所に教会とそして尖塔があったことを思い出す。如何に中世から教会との親密な関係を住民たちが築いてきたのかが分かるというものだ。

「セキュリティーの国、イギリス」
まあどこにでもテレビカメラがある。「CCTV」というやつらしいが、市民生活全てにこの監視カメラが入り込んでいる。それだけ安心できるかもしれない。駅や空港などの公共の場は勿論、一般庶民が集まる場所には必ずといってよいほどカメラがあるようだ。私などは気にならないが、プライバシーの侵害だとか言う人もいるのだろう。
何も悪いことをする訳でもなし、気にする必要はないと思うのだが。
「空気と安全はただ」という日本人の感覚からするとやはり違うのだろう。常にテロリストの攻撃に晒され、アラブ系の人たちも沢山移民として受け入れてきた国ならではの対応策なのだろう。これも極東の国、日本との大きな差なのだろう。
日本が太平洋戦争でしたことでよかったことがあるとすれば、限定的ではあるが、植民地の独立を側面から助けたということなのだろうか? 元幕僚長の人ならば即そういうのだろうが、まあ間接的には独立を早めることになった手助けをしたのかも知れない。最近読んだ小説に佐々木譲の「ベルリン極秘作戦」というのがあり、これが太平洋戦争直前の昭和15年年末に「ゼロ戦」を日本からドイツまで運ぶという極秘作戦が行われたとこを書いていたが、この中に当時植民地であったインドで既に独立運動が高まっていて、現地の王族が独立を手助けしてもらうために日本軍に協力する話しがあった。そして王様が英国人スパイに対して、我々の歴史のほうが、文明のほうがイギリスのちっぽけな文明や歴史より余程長く深いものがあるのだというくだりがあるが、正にその通りだろう。
インド人たちは仏教を生み出し、その前にはインダス文明を生み出し、ゼロを考案し、素晴らしい数学を完成させていたわけだから、ほんの2000年足らずのイギリスの文明など馬鹿みたいなものだと思って当たり前だ。
ちょっと本題から離れてしまったが、植民地を持っていたことで今のようなテロとの戦いのリスクが生じたこともまた事実だろう。中東からインド、パキスタン、バングラディシュ等々、宗教の違う国々を支配していたわけだから問題が残っても当然だったのだろう。今、その付けを支払わされている訳だ。

「階級社会の国、イギリス」
ロンドン市内でも高級住宅街は「白い石壁」の我々の感覚だと豪華なマンションか、大きな一戸建てなのだが、一般市民の住むのは「赤レンガ」で造られた2階建てや3階建ての建物のようだ。郊外にいくとそういった赤レンガの集合住宅、所謂長屋風のものが沢山見られる。不思議にこの赤レンガの家は都会だけだ。田舎に行くと漆喰を塗った白い石の壁の家が殆どだ。木造は牛の小屋くらいか。
そこで思い出すのが、「階級社会」だということだ。大学進学率が上がっても50%,女子の大学生も50%近くになってきてはいるようだが、エリートは幼い頃からエリートに相応しい教育を受けられるから、当然良い大学に進学できるが、低所得層の人たちは公立学校へ行ってそのまま働きに出て労働者階級になるしかない。ようは平等なチャンスなどこの社会にはないということなのだ。エリートは常にエリートに、労働者階級は常に労働者に。
だから、産業革命が起こっても資本家になるのは富を持った一部のエリートしかなれなかった訳だから、格差はますます広がっていっただろう。従って夢を求めて「アメリカン・ドリーム」を求めて新大陸に渡った人たちがいたわけだ。教育を満足に受けられなければ世の中で成功しない。唯一例外的なのは「芸術」や「スポーツ」という才能を開花させることが出来る分野のみだ。その最たるものが「ビートルズ」だ。リバプールの若者がその才狽セけで全世界を熱狂させ、「ナイト」の称号まで得てしまったのだから。一代限りとはいえ上流階級に属する「騎士」で、「サー」で呼ばれる人になったのだから素晴らしい。女性は「レイディー」と呼ばれるのだが。
鉄道の駅で見かけた若い女性、ホームで出発の合図をしていたが、彼女はこれからどこまで出世できるのだろうか?当然大学卒業したエリート管理職が入ってきて上層部を占め、彼女はこの仕事から解放されることは恐らくないのだろう。日本でも事務職の女性と同じ立場か。ホワイトとブルーの差だけだろう。

「正確さの国、イギリス」
鉄道にしても地下鉄にしても、その運行は正確だ。時間通りにほぼ到着するし、出発する。
伝統的なのだろうか?ロンドンの街中は綺麗だし、不潔感はない。これはニューヨークとの大きな違いだ。
また驚いたことにゴルフコースを余り見かけなかった。土曜日にSALISBURYに行くとき列車の窓からコースが見え、週末だから何人かがセルフでプレーをしていた。
話しは戻るが、一番驚いたことの一つに、「フリーペーパーの読み回し」だ。駅で配っているタグロイド版の新聞を地下鉄で読み終えると座席の後ろにぽいっと置く。すると次に乗ってきた人がそれを拾って読む。読み終えたらまた捨てる。誰かが拾って読む。こういった具合だ。私など本は初版しか買わないし、飛行機の中での新聞も本当は新しいのしか読みたくないほうだが、この風習には驚いた。
地下鉄では殆どの人が新聞を読んでいる。満員でないから可能なのだろうが。
イギリスの良いところも悪いところもあるのだろうが、短期間の滞在で得られたこと、分かったことはこんなものか?だがイギリスを好きになったことは事実だ。ぜひ次回は北のスコットランドに行って見たい。正確な列車に乗っての旅はきっとたのしいものになるだろう。

以上、ロンドンから帰国したばかりの勢古口がお送りしました。  

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日本における仕事の最後は、滋賀県の栗東市にある三菱重工工作機械事業部での打ち合わせでした。毎年栗東の工場は、岩山を砕き拡張してるのですが、今年は新しい建物はなくあれだけ工場一杯に機械の組み立てを遣っていた昨年とは様変わりで空いているスペースが多く1系列空けたままの場所もあり寂しい限りでした。それでも中国の自動車工場からの注文とのことで50台の歯車加工機械の組み立てをしていました。経済の回復は矢張り中国から?また三菱が得意とする大型機もそこそこ組み立てをしていました。
写真は、草津駅前のボストンプラザホテルとその反対側にある草津宿の石の指標には、右東海道、左中仙道と書いていました。

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山下@リオです
感染者数15510名 53カ国
日本は治まったが、オーストラリアとチリが感染者100名以上に急増
これから冬になる南半球は要注意

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日本kらの帰路は、一番前の席に座っていましたが、右側でポルトアレグレの中心地は通路を挟み席を3つ隔てた窓から望遠で撮ったもので上手く撮れていません。天気の良い日にグアイバー側に架かるエレベータ式の橋を撮って見たいと思います。次回は進行方向右側の窓の近くの席を取ることにします。

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