三日目、朝起きたら雨が降っていた。霧よりはいいかと思って出発、モーニングコールは4時45分、ホテル出発は5時半。ところが7時発の飛行機は目的地の「九寨溝」上空でトンボ帰り、またまた天候悪化だという。結局成都に戻り、一時間待機してその後再出発し、3時間遅れで漸く「九寨溝空港」に到着。この空港は海抜3500m、九寨溝の入り口は海抜2000m、その落差1500m。途中、バスは水を補給、理由は過熱したブレーキを冷やすための水だという。おいおい本当かよ?驚く話しだ。ブレーキ大丈夫なのかなあ?
話しは変わるが、中国の「一人っ子」政策は少数民族には適用されていないという。基本的には「漢民族」は一人っ子政策で違反すると年収の3倍の罰金が科せられるという。だが富裕層は罰金を払ってでも子供を増やしているという。
さて、目的の九寨溝は、「九つの村がある谷」という意味で、「チベット族」が暮らしている場所だという。1982年に政府によって観光地として認められて整備されたという。生憎の空模様で霧雨が降っていたが、その湖の美しさは筆舌に尽くしがたい。エメラルドグリーンの「五花海」などは幻想的な雰囲気だった。スタートが遅かったので殆どの観光客は帰ってしまっていて、我々のツアーだけで廻れたのは救いだった。深い森の中に佇む湖と滝、周囲の緑が映えて実に美しい色合いを放っていた。
四川大地震の影響で車で来られないので、現状では飛行機のみで、今日は7,000人の観光客だったという。入り口で全てのバスから乗客は降ろされて、九寨溝内専用のバスで移動する。ピーク時には一日で3万人が訪れたという。さて、その美しさはぜひ皆さんにも観てもらいたいものだ。絶対にお薦めのポイントだった。
宿は「シェラトン」、漸く中華料理から開放された。日に3食、中華は流石に堪える。中華は油が多くて、胃腸が持たない。たまにはさっぱりしたものを食べたくなるというのは私が年齢を重ねたからなのか?ここのワインはボトルで160元とリーズナブルな料金でした。毎日、飲み過ぎですね。中国人のウェイトレスがいて、名前を聞いたら「キャンディー」だという。英語も下手だったがワインを注文したが彼女がオーダーを理解しても次が繋がらない。まあ15分してから漸くワイン到着。しかたないなあ。本当の僕なら怒って怒鳴っていたけれど、キャンディにあわせて許してあげよう。
「黄龍」
黄色い龍が住んでいるという「黄龍」。湖の中に色が変わった部分があり、それが龍の形に見えるという。
九寨溝から120km、標高2000mから4000m以上の峠道に向かう。今日はほぼ快晴。峠では5000m級の山々が望める。峠に立つと標高5500mの「雪宝頂」が見え、北側の斜面には万年雪がつもり、三角に尖った頂上が印象的だが、これが見える確立は10%とか。まあ良かった。
黄龍ではまずロープウェイで3000mから一気に3500mまで、そこから約3km歩いて「五彩池」に到着、山歩きの基本はゆっくり確実に自分のペースで登ることと「野口健」氏に教わっていたので、兎に角「高山病」にかからないようにひたすらゆっくりと歩いた。そして目的地の「五彩池」に到着、こちらは所謂「棚田」状になっていて、水が棚田をゆったりと零れ落ちる。水の色が太陽や緑の木々の色を反射させ微妙な雰囲気を醸し出す。途中、滝になり、池になり、そして水の滴はやがて大河となって長江となる。水の長い永い旅の始まりの水滴だ。水の美しさに驚かされる。この光景はよくテレビなどで観ることがある。
さて、このツアーが本当に体力を使う登りは最後の300mらしいが、まずは高所に対する順応性に欠けている我々にはかなりに辛い。更に帰りは絶対に自らの足で下りるしかない。下り4.3km、これが意外にきつい。
階段と下り坂通路の連続、膝の悪い私など下りは最悪だ。本当に膝には迷惑をかけたと思う。でもツアー最年長のお婆さまは82歳の健脚、まあ参りました。脱帽。手渡されていた「酸素ボンベ」は使わずにすんだが、ロープウェイを使わずに徒歩で登って来る人もいるし、みなさんがんばっていますね。更に驚いたことに所謂「強力」さんたちが重たい材木を担いで登っていた。チベット族の人なのか、高地に順応した体でないと絶対に不可狽セと思った。
九寨溝から黄龍へ向かう最後の20km程度の山道はこれまでの2車線を4車線に拡幅工事中だった。中国は今年は公共事業を大規模に行い経済快復をリードしたい意向だ。そこで四川大地震の近くも公共事業漬けしたいのだろう。しかし、やっていることは全く問題外の作業工程だった。
そうそう、その前にペットボトルを頂上付近で開けて、ホテルまで持ち帰ったら、なんと気圧の変化で細身の身体に変身していた。本当に驚く
「パンダ」
「熊猫」と中国語では書く。実に愛らしい動物だ。「成都」にある「パンダ繁殖センター」に行った。ここには結拷「米人の姿もあった。しかし、九寨溝や黄龍では殆ど見かけなかった。理由は彼らは文化を見たがっており、「チベット」へ行ってしまうという。成都からチベット行きの飛行機も出ている。日本人は「景色」を欧米人は「文化」をそれぞれに見ている訳だ。
さて、まずは中国の田舎の「トイレ事情」から、これは最悪だった。それは和式(中式と呼ぶべきか?)のトイレが大半でそれもドアに鍵が掛からないのが当たり前。私もトイレを開けたら中のしゃがんでいた人が見上げてきて驚いて閉めた。不思議と九寨溝内にある簡易トイレは逆に綺麗で衛生的だったから面白いものだ。北京などはオリンピックを契機として改善されたようだが、地方はまだまだだ。成都空港ですら、鍵になし、中式トイレばかりだった。たった一つだけあった洋式トイレは便座がなかった。
それと「公共事業」の道路造り、これは文字通り「酷い」の一語に尽きた。2車線の道路を4車線に拡幅工事中だったが、山側の斜面を機械で削り、その跡に、幅50cm、深さ30cmほどの溝を掘り、底に砂利を敷いて、直接生コンを打せつ、途中で人間の頭位の大きさの石を投げ込み、更に生コンを打つ。こんな調子で1m位の高さの「よう壁」が出来上がる。鉄筋の姿が全く見られないし、基礎の杭も打たれていない。これは酷い工事でした。地震が来たら間違いなく壊れるはずだ。四川大地震の際、学校が潰れて幼い子供たちが多数死んだ原因が手抜き工事だと親たちが抗議していたが、その通りだったのだろう。道路建設を見ているとそれらが如実に分かるというものだ。何諸Nに一度起きるか起きないかの事態に対処するより現実的な面を取るという訳か?
話しをパンダに移そう。午前中の涼しい時間帯は屋外で遊ばせるらしい。屋外で動いていた3歳未満のパンダたちは気温の上昇に伴い、係員に連れ出されて冷房の効いた場所に運ばれていった。現在ここでは80頭のパンダが飼われているという。今年も9頭が春に生まれたらしい。赤ちゃんパンダが飼育機の中でうごめいていた。観ていると係りの人がやって来てお腹を何度も何度も押していたら、漸く排便が始まった。定期的に手助けしてやっているらしい。こんな動物だが、繁殖力が極端に落ちてしまっているらしい。発情するのが年に3日、そこでオスとメスが出会わなければその年の赤ん坊は生まれない訳だから低い確率だ。そこで人間の手助けが必要となる。人工授精等で今年は4組8頭の双子が生まれたという。双子は親が片方を殺してしまうので、直ぐに1頭は別ける必要があるとか。パンダと一緒に写真を撮るのに料金が1000元、約1万5千円だという。希望者殺到で年々料金を上げていると言う。愛くるしいパンダだが、絶滅種にならないように人間に支えられて生きていた。
「手前勝手食物語、第120号、四川料理編」
最後の夕食は有名な「陳麻婆豆腐店本店」だった。昔、陳さんのお婆さんが作ったのが有名になり、現在は国有企業化されているという。なるほどなるほど?だが、どうも観光客用の味付けで決して辛さがにじみ出ているわけでもない。まあ合格品とはいえ、私にはもう一味物足りなさを感じた。今から10年ほど前だったが、目黒の有名な中華料理店で食べた「麻婆豆腐」は本当に美味しかった。だが辛過ぎて普通の人は食べることが出来なかった。それほど「刺激的」な味だった。麻婆豆腐発祥の店で感じたこと。すみません。これまたトイレが汚いこと、国有化の最悪の事態でした。先月、杭州や上海を廻った時には感じなかった落差を感じました。
楽山大仏を観光中に突然若い女の子二人にツアー客が話しかけられた。勿論彼女たちは中国人だが、「日本の方ですか?一緒に見学しましょう」と言い出した。これが本当に上手い日本語なのだ。「どこで覚えたのか?」と聞くと、「暇なときに勉強した」という。中国の若い人たちの日本語熱も凄いものだと実感した。ネイティブの発音というのは本当に外国人にとっては難しい。だが、彼女たちの日本語は独学にしては本当に上手かった。私も中国にいる間は中国語を少しでもしゃべりたいと思っている。ドライバーさんに朝会うたびに「早上好」(おはよう)と声をかけると彼はにっこり笑う。こういう関係が一番必要だと思う。添乗員さんから「私も永くOLやってましたから、役員さんだったんですか?」と聞かれた。まあ、宮勤めを終えると人生感は変わる。おっと、食の話をするのを忘れてしまった。油、香辛料、薬味、こういったものが沢山入った四川料理は刺激的ではあったが、今回の旅では本当に美味しいなあと思うものに出会わなかった。それと6月中旬の「杭州、上海、蘇州」と廻った旅では料理は問題なく、お腹の調子も良かったのに、今回は初日からお腹がおかしくなってしまった。やはりスタートが徹夜同然だったので疲労から来たのだろうか?結果、東京へ帰って漸く普通の調子に戻った。
以上、四川省の旅から戻った勢古口が東京からお送りしました。
話しは変わるが、中国の「一人っ子」政策は少数民族には適用されていないという。基本的には「漢民族」は一人っ子政策で違反すると年収の3倍の罰金が科せられるという。だが富裕層は罰金を払ってでも子供を増やしているという。
さて、目的の九寨溝は、「九つの村がある谷」という意味で、「チベット族」が暮らしている場所だという。1982年に政府によって観光地として認められて整備されたという。生憎の空模様で霧雨が降っていたが、その湖の美しさは筆舌に尽くしがたい。エメラルドグリーンの「五花海」などは幻想的な雰囲気だった。スタートが遅かったので殆どの観光客は帰ってしまっていて、我々のツアーだけで廻れたのは救いだった。深い森の中に佇む湖と滝、周囲の緑が映えて実に美しい色合いを放っていた。
四川大地震の影響で車で来られないので、現状では飛行機のみで、今日は7,000人の観光客だったという。入り口で全てのバスから乗客は降ろされて、九寨溝内専用のバスで移動する。ピーク時には一日で3万人が訪れたという。さて、その美しさはぜひ皆さんにも観てもらいたいものだ。絶対にお薦めのポイントだった。
宿は「シェラトン」、漸く中華料理から開放された。日に3食、中華は流石に堪える。中華は油が多くて、胃腸が持たない。たまにはさっぱりしたものを食べたくなるというのは私が年齢を重ねたからなのか?ここのワインはボトルで160元とリーズナブルな料金でした。毎日、飲み過ぎですね。中国人のウェイトレスがいて、名前を聞いたら「キャンディー」だという。英語も下手だったがワインを注文したが彼女がオーダーを理解しても次が繋がらない。まあ15分してから漸くワイン到着。しかたないなあ。本当の僕なら怒って怒鳴っていたけれど、キャンディにあわせて許してあげよう。
「黄龍」
黄色い龍が住んでいるという「黄龍」。湖の中に色が変わった部分があり、それが龍の形に見えるという。
九寨溝から120km、標高2000mから4000m以上の峠道に向かう。今日はほぼ快晴。峠では5000m級の山々が望める。峠に立つと標高5500mの「雪宝頂」が見え、北側の斜面には万年雪がつもり、三角に尖った頂上が印象的だが、これが見える確立は10%とか。まあ良かった。
黄龍ではまずロープウェイで3000mから一気に3500mまで、そこから約3km歩いて「五彩池」に到着、山歩きの基本はゆっくり確実に自分のペースで登ることと「野口健」氏に教わっていたので、兎に角「高山病」にかからないようにひたすらゆっくりと歩いた。そして目的地の「五彩池」に到着、こちらは所謂「棚田」状になっていて、水が棚田をゆったりと零れ落ちる。水の色が太陽や緑の木々の色を反射させ微妙な雰囲気を醸し出す。途中、滝になり、池になり、そして水の滴はやがて大河となって長江となる。水の長い永い旅の始まりの水滴だ。水の美しさに驚かされる。この光景はよくテレビなどで観ることがある。
さて、このツアーが本当に体力を使う登りは最後の300mらしいが、まずは高所に対する順応性に欠けている我々にはかなりに辛い。更に帰りは絶対に自らの足で下りるしかない。下り4.3km、これが意外にきつい。
階段と下り坂通路の連続、膝の悪い私など下りは最悪だ。本当に膝には迷惑をかけたと思う。でもツアー最年長のお婆さまは82歳の健脚、まあ参りました。脱帽。手渡されていた「酸素ボンベ」は使わずにすんだが、ロープウェイを使わずに徒歩で登って来る人もいるし、みなさんがんばっていますね。更に驚いたことに所謂「強力」さんたちが重たい材木を担いで登っていた。チベット族の人なのか、高地に順応した体でないと絶対に不可狽セと思った。
九寨溝から黄龍へ向かう最後の20km程度の山道はこれまでの2車線を4車線に拡幅工事中だった。中国は今年は公共事業を大規模に行い経済快復をリードしたい意向だ。そこで四川大地震の近くも公共事業漬けしたいのだろう。しかし、やっていることは全く問題外の作業工程だった。
そうそう、その前にペットボトルを頂上付近で開けて、ホテルまで持ち帰ったら、なんと気圧の変化で細身の身体に変身していた。本当に驚く
「パンダ」
「熊猫」と中国語では書く。実に愛らしい動物だ。「成都」にある「パンダ繁殖センター」に行った。ここには結拷「米人の姿もあった。しかし、九寨溝や黄龍では殆ど見かけなかった。理由は彼らは文化を見たがっており、「チベット」へ行ってしまうという。成都からチベット行きの飛行機も出ている。日本人は「景色」を欧米人は「文化」をそれぞれに見ている訳だ。
さて、まずは中国の田舎の「トイレ事情」から、これは最悪だった。それは和式(中式と呼ぶべきか?)のトイレが大半でそれもドアに鍵が掛からないのが当たり前。私もトイレを開けたら中のしゃがんでいた人が見上げてきて驚いて閉めた。不思議と九寨溝内にある簡易トイレは逆に綺麗で衛生的だったから面白いものだ。北京などはオリンピックを契機として改善されたようだが、地方はまだまだだ。成都空港ですら、鍵になし、中式トイレばかりだった。たった一つだけあった洋式トイレは便座がなかった。
それと「公共事業」の道路造り、これは文字通り「酷い」の一語に尽きた。2車線の道路を4車線に拡幅工事中だったが、山側の斜面を機械で削り、その跡に、幅50cm、深さ30cmほどの溝を掘り、底に砂利を敷いて、直接生コンを打せつ、途中で人間の頭位の大きさの石を投げ込み、更に生コンを打つ。こんな調子で1m位の高さの「よう壁」が出来上がる。鉄筋の姿が全く見られないし、基礎の杭も打たれていない。これは酷い工事でした。地震が来たら間違いなく壊れるはずだ。四川大地震の際、学校が潰れて幼い子供たちが多数死んだ原因が手抜き工事だと親たちが抗議していたが、その通りだったのだろう。道路建設を見ているとそれらが如実に分かるというものだ。何諸Nに一度起きるか起きないかの事態に対処するより現実的な面を取るという訳か?
話しをパンダに移そう。午前中の涼しい時間帯は屋外で遊ばせるらしい。屋外で動いていた3歳未満のパンダたちは気温の上昇に伴い、係員に連れ出されて冷房の効いた場所に運ばれていった。現在ここでは80頭のパンダが飼われているという。今年も9頭が春に生まれたらしい。赤ちゃんパンダが飼育機の中でうごめいていた。観ていると係りの人がやって来てお腹を何度も何度も押していたら、漸く排便が始まった。定期的に手助けしてやっているらしい。こんな動物だが、繁殖力が極端に落ちてしまっているらしい。発情するのが年に3日、そこでオスとメスが出会わなければその年の赤ん坊は生まれない訳だから低い確率だ。そこで人間の手助けが必要となる。人工授精等で今年は4組8頭の双子が生まれたという。双子は親が片方を殺してしまうので、直ぐに1頭は別ける必要があるとか。パンダと一緒に写真を撮るのに料金が1000元、約1万5千円だという。希望者殺到で年々料金を上げていると言う。愛くるしいパンダだが、絶滅種にならないように人間に支えられて生きていた。
「手前勝手食物語、第120号、四川料理編」
最後の夕食は有名な「陳麻婆豆腐店本店」だった。昔、陳さんのお婆さんが作ったのが有名になり、現在は国有企業化されているという。なるほどなるほど?だが、どうも観光客用の味付けで決して辛さがにじみ出ているわけでもない。まあ合格品とはいえ、私にはもう一味物足りなさを感じた。今から10年ほど前だったが、目黒の有名な中華料理店で食べた「麻婆豆腐」は本当に美味しかった。だが辛過ぎて普通の人は食べることが出来なかった。それほど「刺激的」な味だった。麻婆豆腐発祥の店で感じたこと。すみません。これまたトイレが汚いこと、国有化の最悪の事態でした。先月、杭州や上海を廻った時には感じなかった落差を感じました。
楽山大仏を観光中に突然若い女の子二人にツアー客が話しかけられた。勿論彼女たちは中国人だが、「日本の方ですか?一緒に見学しましょう」と言い出した。これが本当に上手い日本語なのだ。「どこで覚えたのか?」と聞くと、「暇なときに勉強した」という。中国の若い人たちの日本語熱も凄いものだと実感した。ネイティブの発音というのは本当に外国人にとっては難しい。だが、彼女たちの日本語は独学にしては本当に上手かった。私も中国にいる間は中国語を少しでもしゃべりたいと思っている。ドライバーさんに朝会うたびに「早上好」(おはよう)と声をかけると彼はにっこり笑う。こういう関係が一番必要だと思う。添乗員さんから「私も永くOLやってましたから、役員さんだったんですか?」と聞かれた。まあ、宮勤めを終えると人生感は変わる。おっと、食の話をするのを忘れてしまった。油、香辛料、薬味、こういったものが沢山入った四川料理は刺激的ではあったが、今回の旅では本当に美味しいなあと思うものに出会わなかった。それと6月中旬の「杭州、上海、蘇州」と廻った旅では料理は問題なく、お腹の調子も良かったのに、今回は初日からお腹がおかしくなってしまった。やはりスタートが徹夜同然だったので疲労から来たのだろうか?結果、東京へ帰って漸く普通の調子に戻った。
以上、四川省の旅から戻った勢古口が東京からお送りしました。