私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2009年10月

和田さん
今日18日、旧神戸移民センターで中平マリコさんの歌を楽しんできました。取り急ぎご報告。
お母様のフーコちゃんにもお会いしました。お元気でした。
また、CBK副理事長で今回の中平さんのお世話をされている東連寺さんにもお会いしました。
わたしたちの40年の304番目のメンバー。メール苦手でよろしくとのことでした。
また、同じく、女性の方で神戸の....さんというかたにもごあいさつしました。お名前ど忘れで
出てきません。メールご覧になっていたら教えて下さい。失礼の段おゆるし下さい。

一言でいうと感動しました。心をこめて、一段と磨きがかかった歌唱力。涙が出るくらいでした。
中平さんは2004年のときより、一段と歌に深みが出てきてすばらしかった。
もし、そのように内田さんが感じて頂いたなら、それは、なにより、ブラジル、パラグアイの日系の方々
がそのように私を育てて頂いたのですよ、とおっしゃっていました。
軍歌については、私は、最後にごあいさつしたときに、軽率にも、”日本では軍歌はあまりされないほうがいい”との趣旨でお伝えしましたが、中平さんは、そんなことはないという語気で、”そうですか”と言われました。
私は、長いものに巻かれろの現代日本の風潮におかされている自分をはっと発見し、はずかしかったです。中平さんが、軍歌につきいわれていることは本物です。
きっときっと、こころをこめて歌いあげてもらえると帰りの車のなかで思いました。うれしくなりました。
中平さん、ごめんなさい。日本でも、歌いましょう。ブラジルパラグアイで苦労された人々の応援と
いうか、明日への希望の糧であったもですものね。

中平さんのショーは童謡で始まりました。お手手つないで、結んで開いて、など。
お父さん、お母さんが、厳しい大地で作物を植え汗水と血と涙で格闘されている間、子供たちはじっと、家で待ち、お父さんお母さんが帰ってきて童謡を歌ってくれるのを楽しみにしていた、とのこと。
なんと、けなげで、辛抱強い、こんな悲しくて美しい心根があるのか、と思わずぐみました。日本人だなと思い、自分が日本人であることになんともいえない誇りを持ちました。
ショーの前のプログラムで移民の歌といわれる歌を一世のかたが披露され、おそらく90歳くらいのかたでした。 1934年ごろの渡航とか。
”万里の波濤を乗り越えて御国の光輝かせ、” との一節にも、ジンときました。外務省はおそらく建前でそんな威勢のいい歌を作ったのでしょうが、渡航した方々はそれを本音で、厳しさに耐え、今の緑の大地を実現されたのだと思います。中平さんが、日系の方々は日本人の誇りを忘れずにひとに笑われることがないように頑張って来た、と言われましたとの言葉は本当だと思います。ルーラ大統領、カサビ市長が、ブラジルが今日あるのは日系人のおかげとごあいさつされたとの事。決して、ブラジル人のお世辞だけではないと思います。

中平さんには、貴重な日伯の橋渡しとして地道に誠実に活動してほしいと思いました。もちろんその希望も最後にお伝えしました。中平さん、円熟味が増して、ほんとうにブラジルの、パラグアイの日系の方々の代弁者として適役というか、歌っていいな。歌手っていいなとうらやましく思いました。

写真を添付しておきます。
貴重な機会をご紹介いただき、中平さんには感謝致します。和田さんの後押しもありがとうございました。
ああ、Wada,Keiko Wada, YOshijiの名札は仮ですがありましたよ。
正式なパネルにすべく工事中とのことでした。

神戸灘住吉
内田雅夫

この『私たちの40年!!』関連BLOGは、下記の理由で画像の貼り付けが出来なくなり『私たちの40年!!』関連BLOG2として新しいBLOGに継続して更新を続けていますのでお知らせします。
新しいBLOG2も宜しくお願いします。

アップロードした全画像の容量が制限に達しました。との表示が出て画像を貼りつける事が出来なくなったので下記BLOGに継続することになりました。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/MYBLOG/yblog.html


10月2日最終更新
10月5日訪問者数 78100
ファン          47
コメント       4604
トラックバック    1152

カシアスに1泊することになりまたカシアスの街に43年間住んでいる高梨輝久さんを呼び出して一緒にカシアスに来ると一度は食べたくなる名物のバウルをレストランダヌビオに食べに行きました。サラダにポテトチップ、ぱさぱさのご飯にバウル(ハムとチーズを薄く広げた肉に挟んでミラネーザにしてその上にトマトを使用した特別のソースをかけたもの)を3人で食べましたが食べきれずに1切れ残り高梨がんが家に持ち帰りました。
写真は、高梨さんと私のツーショットです。ホテルに戻る途中にあった電光盤には7度の表示がありました。明日の朝はもっと冷えそうです。長袖のシャツにおじんパッチを入れて置いて呉れましたので明日はそれを着用します。
もう10月だと云うのにどうしたのですかね。この寒さは。

カシアスに1泊することになりまたカシアスの街に43年間住んでいる高梨輝久さんを呼び出して一緒にカシアスに来ると一度は食べたくなる名物のバウルをレストランダヌビオに食べに行きました。サラダにポテトチップ、ぱさぱさのご飯にバウル(ハムとチーズを薄く広げた肉に挟んでミラネーザにしてその上にトマトを使用した特別のソースをかけたもの)を3人で食べましたが食べきれずに1切れ残り高梨がんが家に持ち帰りました。
写真は、高梨さんと私のツーショットです。ホテルに戻る途中にあった電光盤には7度の表示がありました。明日の朝はもっと冷えそうです。長袖のシャツにおじんパッチを入れて置いて呉れましたので明日はそれを着用します。
もう10月だと云うのにどうしたのですかね。この寒さは。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

後先になってしまいましたが、ラプラタ河に沿って走る電車?から離れて最初に立ち寄ったのがオウビドスの港でした。沢山のレストランがありヨットハーバーも兼ねていますが、対岸のウルグアイ側のコロニア・デ・サクラメントまで快速水上艇が出る場所でもあるとの運転手さんの説明でした。大統領官邸も近くにあり環境は良好の場所で今回初めて立ち寄りました。
写真を貼り付けて置きます。

↑このページのトップヘ