私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2014年11月

ベレン・トメアスー訪問記(終) 日本への郷愁感じた取材旅行 14/11/24  サンパウロ新聞WEB版より 
           
 
  【一部既報】梅田大使一行は笹原農場を後にし、トメアスー(クワトロ・ボッカス)へと戻る。
 帰路、CAMTA(トメアスー総合農業協同組合)の坂口フランシスコ理事長の車に再び便乗させてもらっていると、来年3月ごろからトメアスー市から3キロ、クワトロ・ボッカスから約10キロ離れた間の場所に大学の分校が完成するという話を聞かされた。
 その土地は戦前、坂口理事長の母方の父親(祖父)がトメアスー市から購入したものだったという。第二次世界大戦で没収されて同市の土地となっていたが、その後坂口家に返還。このたび大学の分校を建てるため、一族にとって思い入れのある38ヘクタールの土地を寄付した坂口理事長は「今後一生、トメアスーの歴史に残ると思う」と個人の目先の利益よりも地域の将来を考えて決断したようだ。
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この日(9月20日)午後7時半からは、トメアスー文化農業振興協会(ACTA、乙幡敬一アルベ ルト会長)会館で梅田邦夫大使夫妻の歓迎夕食会が開催され、会員ら約200人が出席。梅田大使は、同日トメアスーの各機関等を視察したことに触れ、現在ア グロフォレストリー(森林農法)などで世界から注目されている同地の日本人・日系人の活躍を褒め称えた。さらに、第2移住地に続く舗装道路の整備など日本 政府としてできる限りの協力を行っていくことを強調していた。
 主催者及び来賓のあいさつに引き続き、平成26年度公館長表彰として在ベレン領事事務所を通じて日本政府から、長年トメアスー地域で農業に従事してきた峰下興三郎氏(75)、高橋茂雄氏(63)、伊藤ジョージ氏(59)の3人に梅田大使から表彰状が手渡された。
 また、乾杯の音頭を取った第1回アマゾン日本移民の山田元(はじめ)さん(87、広島)は、入植から85年がたったことについて「感無量の一言に尽きます。人間持ちつ持たれつで、皆さんのお世話になって生かされております」と述べ、充実した表情を浮かべていた。
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 翌21日は午前9時半から同地での敬老会が行われたが、予定時間から約40分遅れて開催。敬老会の前には、会場となったACTA会館でアマゾニア日伯援護協会の巡回班が高齢者を対象にした健康診断を実施していた。
 記者はその日の夜の便でサンパウロに戻るため、トメアスー発ベレン行きの午前10時半のバスに乗らなければならない。時間の都合上仕方なく、敬老会の取材をあきらめて帰路のバスに乗った。
 サンパウロに戻るのは夜だが、往路のブジャルーのバルサ(いかだ)に1船乗り遅れた経緯から、できるだけ早めにベレンに戻っておきたかった。
 ところが、帰路のバスは今まで乗車したことがなかったアカラー回りだった。結局、約3時間と往路の半分の時間でベレンに着いたのには拍子抜けした。途中、アカラーでもバルサで川を渡るのだが、こちらはプジャルー経由の往路と比べて川幅が200メートルほどと短い。
 炎天下の中でバルサに乗っていると、60代前後と思われるブラジル人女性がなぜか弁当に入ったおにぎりと卵焼きを「食べないか」と勧めてくれた。不思議に思っていると、トメアスーに住む日本人の家からの帰りだと聞いて納得した。
 バルサの船上で日本式のおにぎりと卵焼きを食べられるとは夢にも思わなかったが、アマゾンで日本への郷愁を感じることができた取材旅行だった。(おわり、松本浩治記者)

2014年11月22日付

天理教の駅前伝導をしておられる高坂一房さん72歳と今日もお会いしました。
 
土曜日は、通常は午前中に駅前に立つそうですが、今日は、明日の行事の準備があり午後から街に立っていたそうで引き上げる準備をしておられる高坂さんにまたお会いしました。また立ち話程度でしたが、最初は農業を遣りながら子供を育てて来たが農業の限界を感じ街に出て洗濯屋さんになり今日に至るとか。現在も洗濯屋として働きながら天理教の伝導をしておられリベルダーデの駅前での伝導を2年前から始めたとのことで洗濯屋の仕事は息子さんが引き継いで呉れているとの事。家族揃って天理教で高坂さんの伝導を手伝って呉れているとの事です。
毎月第3土曜日にはバウルのブラジル伝導庁に行くとの事で天理教の布教、伝導に生き甲斐を感じているとの事でした。
写真は、伝導を終えた高坂さんとリベルダデ駅前の大阪城を模したBRADESCO銀行の写真で最後の1枚は、高坂さんと一緒に撮って貰ったものです。
 
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リベルダデの地下鉄の駅前で天理教の伝導をしておられた高坂さんにお会いしました。
 
サンパウロには色々な人が居られますね。1962年4月末の移民船(私たちのあるぜんちな丸の1船後)で20歳の時にブラジルに移住してこられた74歳の高坂さんと云う方にお会いしました。駅前のリベルダーデ大通りに天理王の命(テンリオウノミコト)と書いた盾を持って立ち停まって呉れる方に天理教のパンフを1枚1枚大事な子供を手放すような丁寧さで伝導しておられました。月曜日から木曜日は午後から金曜から日曜日は、色々な教会関係の行事があるので午前中に立っておられるそうです。60歳で定年退職後は、殆ど欠かさず駅前での伝導を続けておられるそうで頭が下がります。
100歳で亡くなった父の母親、私のおばーちゃんは、熱心な天理教徒で私も小学校高学年の頃、一度奈良の天理市にある天理教の伝導庁(御本山?)に連れて行かれた事があり子供心にも変わった神さんがいるものだと驚いたのを覚えています。
時間があればゆっくり高坂さんのお話を聞きたかったのですが又の機会にしました。古い移住者、1世の方が次々消えゆく中、一人でも多くの移住者の話を聞いて置きたいと願っているのですでが。。。サンパウロの街を歩いているとお年寄りの方を見付けるとつい話しかけその方の人生談を聞かせて貰いたくなります。
そんな時間が取れれば幸せに感じるでしょうが。。。
撮らせて頂いた高坂さんの写真と頂いたパンフレット、≪一日生涯≫の平澤 興語録を貼り付けて置きます。
 
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現在サンパウロ滞在中でDAISO JAPANに半紙を買いに行きました。
 
今年1月にニッケイパレスホテルから歩いて恵子と一緒にDAISOに買い物に行く途中スリにあい財布を掏られてしまい買い物を断念しましたが、10ヶ月後の昨日、鴨ネギにならないように運転免許書とカード1枚に小銭だけをポケットに突っ込んで園田さんに云われたように目を後ろに付けて少し速足でセー広場を通過、DIREITA街に入りこの辺でスリにあったと確認しながらお茶の水橋の手前にあるDAISOまで行き恵子に頼まれていた練習用の半紙300枚、特選半紙240枚に墨の基、和紙の筆箱等を購入した。総てR$6,90(330円前後)と安い。これからサルバドールに行くので荷物になるので最低必要品に留めたが又12月に出て来るので年末の買い物の際に買い足しに出掛ける事にした。
セー広場のカテドラールの写真に購入品等の写真を貼り付けて置きます。
 
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≪多加代さんからいただいたとってもデリケートな作品≫ 川越 しゅくこさんのお便りです。
 
多加代さん &  50年のみなさま

                   しゅくこで~す

多加代さん、キイ・ホルダー、たくさん送っていただき、とっても嬉しかったです。直接お礼をもうしあげてもよかったのですが、みなさまに御覧になっていただきたく、こちらにお礼を送らせていただきます。

今日、介護施設で働く友人が来ましたので、さっそくおすそ分けしました。
施設の方たちにあげたいと喜んでいましたよ。

ドイツにも、持参していろんな方にあげたいです。
いまからワクワクしています。
よく見ると1つひとつがちがっていて、どれにも心がこもっている温かさを感じました。
私は添付写真の左のピンクのをいただきました。
車のキイにお守りとしてつけたいと思います。

この素材はなんでしょうか? 正式名は?
感謝   
 
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