私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2015年01月

小池信也シェフが和食講義=日伯修好120周年オープニングイベント  15/01/29 サンパウロ新聞WEB版より

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 在サンパウロ(聖)日本国総領事館(福嶌教輝総領事)は27日午後3時から、聖州における日伯外交関係樹立120周年オープニングイベントとして、聖市内で日本食レストラン(藍染、酒蔵阿吽)を経営し、昨年11月には農林水産省から表彰を受けた小池信也シェフ(57、東京)による和食イベントを聖市モルンビー区の総領事公邸で開催し、約100人の招待客らが出席した。

福嶌総領事のあいさつで始まったオープニングイベント。同総領事は「今年は日伯外交関係樹立120周年。ブラジルの政府と国民に感謝を表すため、多くのイベントが開催されます」などと話し、続いて昨年11月に小池シェフが日本で首相や農林水産大臣の出席のもと受賞した表彰状を読み上げて披露。日本の食文化・食材の普及に尽力し、日本の農林水産業の振興発展に寄与したとして、改めて小池シェフの功績がたたえられた。
 その後は小池シェフが登壇し、2013年末にユネスコ無形文化遺産に登録された「和食・日本人の伝統的な食文化」に関する講義が、パワーポイントを使って行われた。

 講義では初めに、「和食」の四つの特徴である「多様で新鮮な食材の味を生かす」「栄養バランスに優れた健康的な食生活」「自然の美しさや季節の移ろいの表現」「正月など年中の節目の行事との密接なかかわり」についてそれぞれ説明した。
  次に、平安時代、鎌倉時代、1990年以降の三つの時代における特徴を示し、伝統的な和食には「八寸」「御造り」「椀物」「焼き物」「揚げ物」「炊き合わ せ」の6種類があり、近代的な和食のカテゴリーには「すき焼き」「カレー」「ラーメン」「とんかつ」「焼きそば」などがあるとし、それぞれ意味や特徴を説 明しながら紹介した。
 最後にブラジルでの和食の将来について、「和食はただの料理ではなく、日本文化を象徴するもの。こ れからは日本から正確な情報を伝え、本物の和食を広めていくこと。来年はリオ五輪なのでしっかりプレゼンテーション(紹介発表)していかなくては」と語 り、普及に対する理解を求めた。
 その後は隣室へ場所を移し、「伝統的な和食6種」を中心とした小池シェフ手製の約30種類以上もの和食が立食形式で振る舞われ、来場者は美しく盛り付けられた料理の写真を撮るなどしながら楽しんだ。
  今年8月にジャパンフードショーを開催するため、和食について勉強中だというフランカウ・フェイラス社のアブダラ・ジャミウ社長(67)は、「和食の魅力 はとても味が良くヘルシーで、見た目も美しく華やかなこと。サンパウロにはシュラスカリアよりも日本食店のほうが多い。今後もますます人気は広がるだろ う」と語り、楽しんだ様子だった。

2015年1月29日付


 アメリカン青春グラフィティ No.24 「匂いの記憶」 川越しゅくこさんからのお便りです。


和田さん & 50 年のみなさま

                  しゅくこで~す


こちらは小雪が舞ったりしているのに、そちらが真夏の35なんて。

50年の投稿をみているとこの小さな地球でもこれほど違うのかと不思議な気持ちになります。そんななか、和田さんのwalkingは、ますます伊能忠敬に近づいていること。


丸木さんは避暑ではなくて避寒とか。庶民の私は猛暑も厳寒もじっと耐え忍んだ生活。うらやましいですね。


前田さんはゴルフをなさっているとか。安心しました。お大事になさってください。


さて、しばらくぶりにアメリカン青春グラフィティのNo.24 「匂いの記憶」

を送らせていただきます。あいかわらずの拙文ですが、よかったら御覧くださるとうれしいです。






アメリカン青春グラフィティ No.24


「匂いの記憶」     川越しゅくこ   


 


19628月。ひょんなことから、カリフォルニア州のサンフランシスコ効外で大学生活を始めることになった。あるぜんちな丸は太平洋を東に静かに進路をとっていた。デッキチェアに寝ころがって目を閉じる。それまで浴びたことのない光の量、まわり一面の海原、ただそれだけだった。私は飢えていた人のように細胞のすみずみまで、それをむさぼった。自分の体が変わりつつあることに気付いていた。じりじりと照りつける太陽は心身に巣くっていた青カビを焼きつくし、ポロポロと剥がしとった。硬直していた心身のネジがはずれ風通しもよくなった。20歳の私は思春期の頃から日本で生きていくのにある種の閉塞感に病んでいたのだ。行き場のなかった泣きじゃっくりのようなかたまりが吐きだされると、潮の匂いがそれを過去の世界に運んでいった。光と海は寛容で自由の匂いがした。この匂いさえ深く刻みこんでおけば、日本に帰った時にはもう一度、あの無邪気な少女期にもどり新しい再出発の糧にできる。そんな確信を得た。


15日後、真っ黒に日焼けした私は元気にタラップを降りた。あるぜんちな丸で得た確信を土台に、私のアメリカでの生活が始まった。ステイ先は芝生のまんなかに巨大なクルミの樹があった。その枝は大きな傘のように家の屋根にかぶさっていた。そよ風が吹くとその葉先が光の中で揺らぐのが見えた。小さい小学生の2人息子がいる大学教授の家族たちは日本の話しをなんでも訊きたがった。


ある日、あるぜんちな丸での話をしていると、意外な事に話題が飛んだ。17年前の1945年、当時20才であった父親のBillは戦場には行っていないが、進駐軍の一兵士としてはじめて日本の横浜に下船したという。
日本を出る前から頻繁に手紙のやり取りをしていたのに、なぜかそれは知らされてはいなかった。その時の匂いの記憶について話しはじめた。「日本を最初に意識したのはぼくの嗅覚だった。強烈な海藻の匂い。湿気の中に蒸れる木材の匂い。木造家屋、畳み、風呂などが醸し出す匂いだ。そして、味噌、醤油、どぶの臭い、線香の香りだった」と。古い歴史のなかに棲みついた匂いたちは、異国の不思議そのものであったと言う。「その中でも一番驚いたのが人糞肥料の臭いだった」と想いだし笑いをした。くみ取り式の便所から人糞を桶に入れて棒に前後にひっかけて田んぼにかついでいき、それをひしゃくで ( ま )く百姓の姿は珍しくなかった。「嫌だったでしょ?」私はちょっと恥じるように訊いた。かれはyesともnoとも言わなかった。それぞれの民族はそれぞれの匂いが染みついている。まぎれもなく日本民族のDNAを受け継いだ私は、どんな匂いをしみこませていたのか。~私はいったい何者なの?~。ふと思いもしなかった自己への問いかけが頭をよぎった。


その時、玄関の光の中に、私を呼ぶ幼い息子たちの弾ける声がした。走ってくるなり私に抱きつき、庭で収獲したクルミを後で見に来てくれという。約束したあと、Billは息子たちの後ろ姿を見ながら、「あの子たちを見ていると、終戦の焦土で遊ぶ日本の子どもたちを思いだす」と言った。彼の目に、目の前にいる私と当時4才であった廃墟の幼児がオーバーラップしたに違いない。「裸足で路地を走り回っていた子どもたちの歓声は幸せな生命力に溢れていた」と。そういえば、思い当たる匂いがある。私の育った小さな長屋には、北側に陽の射さない湿った裏庭があった。雑草が瓦礫( がれき)のなかに生い茂り、時にはコスモスが揺れていた。なかでもドクダミの薬草臭が強く蒸せかえっていた。それは太古からの原始的な懐かしい匂いでもあった。一歩外に出ると麦畑があった。麦畑に大の字に寝ころんだ。太陽のぬくもりに熟成された麦の穂波がむせかえる芳香を放っていた。まだ少女であったとはいえ、その香りがなぜかある種の性的な興奮を目覚めさせて気を失いそうになった。また、こんなこともあった。あれは小春日和の季節だったか。両親は多忙で、私は1人でよく留守番をした。ひっそりした部屋の隅の壁に背をもたせ、畳に足を投げ出す。すりきれた畳。破れを繕った ( つくろった )障子を染める光のなかにすっぽりはまりこんで、ガリバー旅行記などの世界の中にいた。ちっとも淋しくはなかった。というより十分幸せであった。そういえば、近くの畑で肥えの匂いがかすめることもあった。でもたいして気にはならなかった。人間には嗅細胞が数百万個くらいあると言われているが、慣れた匂いに嗅覚は慢性化するという。「ぼくにとって、それは特異な匂いだった。けれども、肥えの匂いなんて平和な香りみたいなものだよ」と彼は微笑んだ。それから一瞬怒りのこもった色が彼の青い目の中をよぎった。「シュクコ、僕が一番嫌いな臭いはね、血なまぐさい戦争の臭いだ」。その時、私は彼が日本の留学生を受け入れたいと思ったなんらかの動機を漠然と理解できたような気がした。「匂いの記憶」、その力をあなどってはいけないと思う。それぞれの20才で出会った匂い。それは私たちの人生の中に蓄積されて、奥行きと深さを増し、さまざまな形に変化しながら生かされていくものだから。彼の言葉は留学生活の三年間、私の背骨の中心核のように存在し支え続けた。昨今の日本のスーパーでは、棚に溢れんばかりの消臭剤や芳香剤が並んでいる。それでも人類はあきもせず血なまぐさい匂いをプンプンとまきちらかせている。シューと一吹きすれば、そんな臭いが消える芳香剤が発見されれば、・・なんて単純な頭は思うのである。


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≪ ブラジル 石油公社 投資見直し≫  駒形秀雄さんが纏められたレポートです。


ブラジル 石油公社_PETROBRASの不正、& 原油価格低下はこの国経済、景気に及ぼす影響甚大ですが、これに関する今日現在の状況を報告申し上げます。
外国の方や、興味の無い方も居られると思いますので、レポートは 添付 の形にします。 利害、興味のある方は 添付 を開いてご覧下さい。 駒形



景気への影響甚大


PETROBRASの投資大幅削減


                                                                                                          駒形秀雄


 遅れていたPETROBRASの昨年第3四半期の決算(B/S)が不完全ながら発表されました。これによりペトロブラス{以下、PETRO}の株は大幅下落しましたが、同時にPETROから投資の大幅削減が発表されています。


これには影響受ける企業も多いと思われ、以下要点のみを速報します。


# 油田開発 (exprolation)


必要最小限度に止める。更に言えば、今年は新しい鉱区の{開発}入札にはPETROは参加しないということ。(これは世界原油価格の低下に伴い、ブラジルの深海油田の採算性が悪化することも考慮されたでしょう)


# 精油所計画  (refinery)


建設中の2精油所計画を減速、中止する。即ち・


A) RIO郊外に建設中のCOMPERJ工事を減速、中止する。


B) レシフェ郊外に建設中のABREU LIMAの 工事を中断する。昨年11月にDIESELの精製装置は稼動開始したが、次の{ガソリンなど}の2-LINEの建設は中断する。


{以上2REFINERYの建設は今回汚職、不正の中心となった工事で巨額の不正あり。建設施工業者が起訴され混乱中}


  • 他に A) MARANHAO (PREMIUM-I)& B)CEARA (PREMIUM-II)の精油所計画は取りやめる。(LULAが建設推進してた。既に整地などで支出はしていた)
  • MATTO GROSSO SUL州の肥料工場工事を見直す。{工事は既に85%完成していたが、CONSORCIUMとの契約を不正がらみで昨年末解約していた。新規契約して妥当なスピードで完工する}


# 資産の売却{11億ドル}(開発、生産以外の資産売却)


要するに今年、来年中の現金収入に繋がらない計画を出来るだけ切り、投資金を計画の440億ドルから310億ドル程度に減らそうと言うものです。


(関連業界への影響甚大で、かつ、低迷が予想されるブラジル経済全体への悪影響が懸念されますね。PETROの自分の身の丈にあった活動にする。褌を締め直すといっていますが。日本企業が出資している造船RIG-PLATFORMへの影響も大きいですね。)-以上―


# 詳細はそのうちマスコミで発表されますから、そちらをご覧下さい。

関係写真が貼り付けられていなかったので地元紙の関係ニュースを貼り付けて置きます。
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グラッサ(PB社長)は、何処にいる?と云う見出しですが、同時に「なにが、可笑しい?」という意味にも掛けているようです。
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パラナ州100周年=三つの節目で飛躍の年に=西森連邦下議が抱負語る=3月開幕式、6月記念法要=海苔現地生産の可能性探る  ニッケイ新聞WEB版より

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「経済関係をより強めたい」と意気込みを語った西森連邦下議

 パラナ州では今年、日本人入植100周年、兵庫との州県姉妹提携45年、日伯外交樹立120周年という三つの節目の重なる一年を迎えるにあたり、同州選出の西森ルイス連邦下議(65、PR)が14日、本紙を訪れ、意気込みを語った。入植100周年記念事業実行委員会(山脇ジョルジ委員長)を昨年9月に立ち上げ、ベット・リッシャ州知事も名誉委員長として加わった。同下議は「州政府の協力も得られた。友好親睦化に加え経済関係のさらなる強化を図りたい」と狙いを語った。

実行委員長には、元クリチーバ文協会長で元市議の山脇氏が就任したが、西森下議は祭典委員長として政府関係との連携面を担う。文化局、防災局にリッシャ知事も加わり体制が整った。三つの合同開幕式典を3月12日に州政庁で行なうが「梅田邦夫大使なども招き3、400人規模の式典となるだろう」と見通しを語る。
6月18日の移民の日前後には毎年、ローランジアでパラナ開拓先亡者慰霊祭を行なっているが、今年は州入植100周年記念として同月13日に、入植が始まったとされるカンバラで法要を行なう。また10月にはロンドリーナで記念式典も開催する。
兵庫県の井戸敏三知事は8月に来伯できるよう調整中だ。詳細は決まっていないが、西森下議は経済使節団も招きセミナーなど開催したい意向で、「友好関係の強化だけでなく、この機会にビジネスを生みだし、将来に繋がる一年としなければ」と強調した。
実際、兵庫の漁業組合が来月に当地を訪れるという。パラナグア港でのりを生産する計画を進めており、「流通するのは中国産ばかりで価格競争に負けている。輸入すると3倍以上になるが、パラナグアはのり生産にも環境が良いと聞いている」と語り、現地生産の可能性を探る。
同下議は4月、恒例の友好経済使節団を率いて訪日する。リッシャ知事やパラナグア市長の同行も調整中だ。東京、愛知県豊橋市、兵庫県神戸市などを訪れるが「聖州、サンタカタリーナ州の関係者も連れて行く」と拡大を目指し、経済関係の基盤強化に高い意欲を見せた。
2月1日にはブラジリアでの就任式に臨む。党のパラナ支部長にも任命され、州内各地で活動する使命も得た。2月上旬に決定する伯日議員連盟会長にも立候補し、「2015年は日系社会のために全力を尽くします」と力強く語った。
記念事業の詳細は2月8日、パラナ日伯文化連合会(リーガ・アリアンサ)の総会(ロンドリーナ)で決定する。

イグアスの丸木さんからのお便りと写真が届いています。

丸木で〜す
イグアスの宿Viale Tower の近くに、大きな看板に恵子(OKEI)と描かれた靴屋が目につきました。ブラジルではスマホの盗難が多いと聞きiPhoneを持ってこなかったので、明日の朝にもiPadで撮影してきます。先年、オーストリーのザルツブルグで泊まったマーキュリーの近くに斎藤靴店があり、写真を撮ってナイヤガラの斎藤さんに差し上げたのを想い出しました。マーキュリーと斎藤さんの間に24時間営業のナイトクラブがあったのも、ついでに思い出しました。偶然にも恵子さんと同じ通りに深海サンタロロがありますが、弁当持ちでレストランに入ったような旅先では手も足も出ません。

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丸木で~す
ポルトアレグレからの青空航空機内で食べた飴で腹痛になった家内が夜通し嘔吐し、翌朝には下痢が続き、ホテル専属の看護師が点滴してくれ、世界一の滝にはポルトガル人夫妻に付き合えませんでした。僕達は3回目でしたから却って良かったと思います。一人寂しく僕はホテルの裏の寿司食い放題39レアルの手巻きクラブで20レアルの蛸飯を食ってから屋上のプールで泳いでました。

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