私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2015年02月

≪ブラジルで日本のヒノキを植樹したいのですが≫ 浅海さんから有隅先生への質問です。

有隅様へ、
はじめまして、私は1963年に渡伯、移住し田舎住まいをしている田舎者ですが、
先生に日本の檜をブラジルに移植することに就いて其の可否についてお尋ねいたします。
私は学校では畜産を専攻しましたが、昨今は植林否、植樹に興味があり、アラウカリア(パラナ松)の植樹を少しずつ試みて居ります。私はその間、ずっと、檜の日本からの移植を考えてきましたが、今回、先生に巡り合うことが出来、是非、先生のお知恵を拝借したく、本便を差し上げた次第です。私の住む、モジ。ダス。クルゼスは農商工業の町でサンパウロ市近郊、少しリオ寄りに位置し、気候は日本の鹿児島県に似たものかと思い ます。
四季も弱いですが、有季俳句が出来る位のものはあります。この町の郊外に植えたいと思います。
如何でしょうか、先生のご意見をいただければ、幸いです。お元気に。敬具。
浅海護也,モジ。ダス。クルゼス



浅海護也 さま
       有隅です
お便り拝見いたしました。ブラジルにヒノキの植林(林業としての、つまり木材を主体とする生産)を構想しておられる、とのことですが、同じ農学の中でも私の専門は園芸学で、林学ではありません。
それで身近にこの植物を見ては来ましたが、実際にその植樹・育成に当ったことがありませんので、素人に少し毛が生えた程度の知識しか持ち合わせていない、というのが実情です。お話を伺って、「これは勉強をし直さなくては」と思っているところです。
さて、気付いた点を幾つか申し上げます;
(1)先ずヒノキが、果してそちらの気候に合っているかどうか、ということ。ここが最大のポイントでる。そしてその好例がイペーです。そちらでイペーが咲くことは当たり前、日本では咲かないことが当たり前なのです
(2)何故か…… イペーにとって日本の冬が苛烈すぎて、耐寒性の程度如何で花蕾>細枝>太枝の順に凍害を受け、中には地際まで枯下がる、更には根までいかれて枯死してしまう、ということが極々普通に起るからです
(3)ヒノキでは、その逆のことが心配です。冬の低温不足で生育のリズムを失い、そちらの風土に適応できない、ということがないか、という問題です
(4)熱帯のシンガポールで、アッと驚いたことがありました。植物園でツバキが後生大事に「冷室」の中で育てられていたのですが、更にイチョウ(銀杏)が何回種子からトライしても、結局は育ち上がってくれない、という話でした。低温遭遇の程度(絶対量)が足りず、その植物本来のリズムを復元できない、ということが原因でした
(5)ヒノキ(及びその近縁の樹種)には園芸種があります。これらの園芸種がそちらに導入されていると思いますが、その育ち具合は如何でしょうか。それを見ると、大方の傾向は掴めるのではないか、と思います
(6)また園芸関係のナーセリ―からの情報収集も役立ちましょう。外来種を導入した場合、新しい土地の土着の病虫害で、壊滅的な打撃を受けて定着出来なかったという事例があります。そのようなことが実際に園芸種関連種でなかったかどうか、ということの聞き取りです
(7)最後は実際に自分で植えて、自分の目で確かめる、ということですが、扱おうとしていらっしゃる植物が永年性の植物でも、材木という息の長い植物相手です。私のように80台も半ばに差し掛かっていたら、ホンの入口しか見届けられないことを、構想しておられるのですね
<同類の木本類を扱ってはいますが、私の狙いは稚樹開花性を主体に考えていますから、林業とはそのスパンが桁外れに違います。園芸と林業は一面で、ウラハラの関係です>

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カーニバル時期に咲いていた今シーズン最後のジャカランダの花の写真です。


和田さん 

      有隅です


ブログの写真を拝見しましたが、花に手が届かなかったら、下に落ちた花の残骸で萼の形態を確かめられたのでしょうか? 植物学で「種」の同定をする……それほど簡単なことではないのです。

かつて宮崎県に、ジャカランダやトックリキワタなど沢山の南米の花木が導入されました。そのジャカランダの中に半矮性で、J.mimosifoliaとは明らかに発育形態の違うのがあり、最初ペルー原生のJ.acutifoliaではないかと考え、その種子を現地の方にお願いをして導入、本物のJAの実態を確認しましたが、JMはもとより、問題の半矮性とも全く違ったものでした。

それで次はJ.brasilianaではないかと考え、松村さんにお願いをして複数系統の種子の実生を育てましたが、これでもありませんでした。

<これらのJAJBには別途、若年開花性を期待していたのですが、残念なことに入手した系統に、この性質がなく、有効活用が出来ないまま現在に至っています。これらはJMに比べると小型種なので、現地を探せば、若年開花性の変異体があってもよくはないかと、考えているのですが……>

それで最後に残るのは、J.decurrensがあるのですが、これは地下部が大きく肥大した「地下王国」を作る「種」だとされていて、半矮性とは明らかに性質が違っています。

このような次第で、謎解き(種の同定)に十数年を掛けてきたのですが、未だ明快な結論に達していません(現在はJMの中の1つの変異形とするのが、妥当な線のように思っているのですが……)。

同定は慎重でなければなりません。因みに種を分ける大きな違いは、生殖器の形態が先ずは最優先です。ですから、萼を含めた花の形態を先ず確認するのが普通です。

ジャカランダの検索表で見ると、JMJ.cuspidifoliaを分ける最大の違いは「萼の形態」にあります。まずはここを確かめ、次に私が指摘しましたように、JCの種名の基になった「cuspidatus=急に尖った、

cuspidifolius=急に尖った葉の」の当否に当るべきなのです。

お送り戴いた写真では、萼の形がJCとは違い、ヒラヒラの裂片の発達がない、のっぺりのJMそのもののように私には見えますが、如何です? 細かくチェックしようとするとボケるので、実物に当れないなら、容量の大きいお手持ちの写真原板に当ってみて下さい(INで送付可能な、ギリギリサイズの写真を再送下さっても結構です)。

なお、Porto Alegreのジャカランダが判らなったと書きましたが、これは不時開花における、開花期の同調問題が絡んでいます。これについては、別途改めてお話をいたします。


上記お便りを有隅先生から頂いているのですが、出来の悪い落第生の私には良く理解が出来ずJ.C.だと思って採集したジャカランダがJ.C.ではないようだとの有隅先生のご指摘でジャカランダについては全く分からなくなりました。今シーズンは、カーニバル時期に2番花か3番花が緑の濃い新しい葉の先端に花を付けておりその他のジャカランダの木には若い緑の実(サネ)か昨年の熟成した黒っぽい実(サネ)がぶら下がっています。
私にとってはジャカランダは、ジャカランダだとの理解しか出来ておらず、大半がJ,M.で一部J,B.とJ.C.が存在するとの橋本先生の識別表と松村さんの写真がありますが、良く理解できず、総て新しいシーズンが始まる今年の10月以後のジャカランダの季節に観察しその違い、識別ができるようになるかどうか???今後の課題として残りました。
カーニバル時期に2番咲きのジャカランダの花が咲いているのを見付けてアトランダムに写真に収めたものを10数枚羅列して置きますのでこれで識別できるようであればご指南下さい。

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≪世界10位内のブラジル≫ リオの山下さんからの報告書が届きました。


山下@リオです


疑うことなく、実力世界10位以内のブラジル、急ぎ収集しただけで244項目ありますね。
マイナスの項目も新事業のチャンスになる点が興味深い。
たとえば、落雷が多ければ避雷針が売れ、病気が多ければ医薬品が売れる。
購買力平価値のGDPでは、世界10位の半分が新興国になってしまった。
もうG8も威張ってられない時代ですね。

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資料集めをしていて、意外に多いなと思ったのが640人のブラジル
サッカー選手です。この人たちはブラジルで、仲間に箸で日本食を
食べて見せたりして自慢するでしょうから、下手な「貧しい」
コロニア人よりも日本文化の親善大使と言えると思います。
サンパウロのカーニバルにはジッコも参加していましたし。(写真はNHKテレビより太りましたね)
以前リオで上手に箸で食事する人がいたので、聞いたら大概は
ペトロかヴァーレで日本に招待されたことのある人たちでした。
 
山下 日彬

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外交120周年=親善大使にジーコ&マルシア=日本で記念ミュージカルも  ニッケイ新聞WEB版より

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アギアのパレードに登場したジーコ氏
 

 日伯両国が外交関係樹立120周年を迎えるにあたり、サッカー元日本代表監督のジーコ氏(61)と日本で活躍するタレントのマルシアさん(46、三世)が親善大使に任命された。委嘱期間は今月12日から12月31日まで。

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昨年11月、コクエラふるさと祭りを訪れたマルシアさん
 

 ジーコ氏は1991年、住友金属工業蹴球団(現鹿島アントラーズ)に入団するため初来日。93年に発足した日本プロサッカーリーグの礎を築いた。02~06年には監督として日本代表を率い02年アジア杯優勝、06年ドイツW杯に出場した。現役時代はブラジル代表として78、82、86年のW杯に出場している。
今月14、15日に行なわれた聖市サンバカーニバルでは、1部の上位チーム「アギア・デ・オウロ」のパレードに登場した。4位に終わったとはいえ、最後尾の山車に乗り、テーマである「日伯外交樹立120周年」を体現する存在として扱われていた。
マルシアさんは69年2月、聖州モジ市生まれ。89年にシングル「ふりむけばヨコハマ」でデビューして以来、歌手、タレント、女優としても活躍している。昨年11月には故郷で行なわれたコクエラふるさと祭りに訪れ、母・芳子さんや友人らの歌唱ステージに声援を送っていた。
本業では、5月に行なわれるミュージカル「GARANTIDO ブラジルの風は僕らに絆を取り戻してくれた」(企画・制作=TSミニュージカル・ファンデーション、演出・振付=謝珠栄)に出演することが決定。
アマゾンのアカラー(現トメアスー)移住地を舞台に、41年の真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争によって、時代の荒波に呑み込まれていく日系人たちの姿を描く。外交120周年の記念事業として、東京芸術劇場と兵庫県立芸術文化センターで公演する。
19日には製作発表が行なわれ、公式サイト(
www.dstage.jp/garantido/)で動画配信されている。マルシアさんは、「1920年代に祖父母が移民した私にとって人ごとでないテーマ。移民した日本人それぞれにドラマがある。歌、芝居、ダンスという総合芸術でお届けしたい」と抱負を述べた。

抒情歌の集い、2015年2月21日(土)、於:宮崎県人会  石田さんからのお便りです。
 
抒情歌の集い、2015221()
於:サンパウロ宮崎県人会、
黒木けい会長の、軽快な司会で、総勢30名、
13:0017:00迄、素敵な集いになりました。
写真を、張っておきます。(石田)
 
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五十嵐さん
クリチーバの石田さんが撮られた皆さんの写真、一部『50!!』関係の皆さんの写真は、BLOGで紹介、貼り付けて置きますが、全然存じ上げない方の写真は、遠慮して置きますのでお手数ですが五十嵐さんから御本人に見せて上げて下さい。宜しくお願いします。メールアドレスをお持ちで50!!参加希望者がおられましたらご一報下さい。50!!を通じて皆さんの意見交換が出来れば嬉しいです。
 
 

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