私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2015年07月

≪ウユニに御一緒させて頂き楽しかったです≫  古山さんからのお便りと写真が届きました。

昨日コロンビアのボゴタに着きました。
ボリビアの旅行はご一緒に廻ることができ、大変楽しく過ごすことができました。
オルローでは旅行を少しあきらめ気味でしたが、タクシーを捜してきていただき、
大変お世話になりました。
ウユニ塩湖はやはりすばらしく、今後のいい思い出になります。

こちらに戻り体調もすっかりもとに戻りました。
標高のせいか、寒さのせいか少し崩し気味だったのですが、長くすんでいるところに体があっているのでしょう。
着いた昨日はすぐに買い物に行き、その後長々と寝ていました。

私が取った写真を送付します。
お体に気をつけて、お過ごしください。

      古山 德春

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練習艦隊がレシフェ到着=知事、梅田大使らが歓迎=現地コロニアも喜びの声  ニッケイ新聞WEB版より
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カマラ知事(中)と記念品を交換する中畑司令官(右)。(大使館提供)

練習艦隊がレシフェ到着=知事、梅田大使らが歓迎=現地コロニアも喜びの声

 日伯外交関係樹立120周年を記念し、海上自衛隊の練習艦隊三隻が27日午前8時半ごろ、ペルナンブコ州都レシフェに到着した。艦隊来伯は移民百周年の2008年以来、7年ぶり11回目。
 練習艦「かしま」はブラジル海軍との礼砲交換を行なった後、練習艦「しまゆき」と護衛艦「やまぎり」を伴い、レシフェ港第二ふ頭に係留した。双方の音楽隊による演奏が響く中、伯海軍や州内報道関係者、同州日系社会代表ら約60人が到着を見守った。
 伯海軍第3管区司令官ほか幹部によるかしま乗艦、栄誉礼、艦内視察、懇談などの後、中畑康樹練習艦隊司令官は州政府本庁舎へ。関口ひとみレシフェ領事事務所所長、山内徹在ブラジル大使館防衛駐在官らとともに、パウロ・カマラ州知事を表敬訪問した。
 今回の練習艦隊の概要、レシフェでの活動予定、日伯間における防衛交流の状況等に係る説明や意見交換を行い、記念品を交換、親睦を深めた。同日夜には中畑司令官と梅田邦夫駐伯日本国大使の共催で、かしま艦上レセプションが開催された。
 伯陸海軍と州政府、同州の日系社会や進出・日系企業などの関係者、在レシフェ各国領事団らが招待され、伯側来賓も交え鏡割りで寄港を祝福。海自音楽隊による演奏が流れる中、招待客らは日本酒や和食を堪能した。
 入港を出向かえ、レセプションにも招待されたレシフェ日本文化協会の伊与田明会長は、「入港時は悪天候だったが、音楽交流などでおめでたい雰囲気になった。一般公開もあり現地の移住者、日系人にとっては貴重な機会だ。軍関係の交流深化にもつながったよう」と喜びの声を寄せた。
 4~7日にはリオに「かしま」が、5~8日にはサントスに「しまゆき」と「やまぎり」が分散入港する。サンパウロでは5日昼に文協で歓迎式典が行われる。
 艦隊公開も予定され、詳細は以下の通り。
▽6日午前9時から同11時半まで(一般公開、予約不要)
▽7日午後1時から同4時まで(団体のみ特別公開、人数制限あり、要予約)
▽場所=CPSP (Capitania dos Portos de Sao Paulo, Cais da Marinha, s/ n – Porto de Santos)
 予約や問い合わせは在聖総領事館・日系社会班(11・3254・0100)まで。


□関連コラム「大耳小耳」□

 海上自衛隊による練習艦隊が到着したレシフェ。同地は現在雨季を迎えており、屋外行事は雨が降ったり止んだりと、怪しい雲行きの中での進行だったようだ。レシフェ文協の伊与田明会長は、「市内の日本移民記念碑を塗装する乗組員のボランティア活動も、雨で見送りになった。晴れの別日にできれば良いのだが」。3都市寄港中は、天候に恵まれることを祈るばかり。

同船者南雲謙太郎さんの経営される≪ホテル1番≫で2晩お世話になりました。

今回で3度目のラパスですが、今回が一番堪えた気がします。それだけ年と共に対応性が少なくなって来るのでしょうか?
ウユニからの飛行機が3時間以上遅れ折角タクシーを飛行場に待機させて置いて呉れたのに行き違いになり空港で捕まえたタクシーが一番ホテルの正面前の下水工事の為、一番下のコンドル広場で降ろされ急な坂をトランク引いて登るのに息が切れて動けなくなり一番ホテルに辿り着くの苦労、やっとホテルに着くとエレベータが故障しており荷物を担ぎ上げるのに苦労と散々でした。
6枚(シーツに毛布3枚、掛布団2枚)も敷いた重くて暖かい布団に感謝して寝る。
朝は、和食の朝食、チチカカ湖で捕れる紅ますの焼き魚、みそ汁、沢庵等の南雲さんが作られる家庭料理には、感謝の気持ちが一杯だが食欲がなく白いご飯を残してします。食後街を散歩に坂道を下りラパスのメインドーロ7月18日通りを歩く、ポトシの反政府デモの流れが大統領府、カテドラルまで警戒態勢に入り道が通行止めの場所がある。大統領府前の大きな公園を見て歩き借りた「地球を歩く」に出ていたレストランLa Guairaで昼食を採り、ドルを交換しタクシーでホテルに戻る。休息後、夜は7時過ぎから日本食店NEW TOKYOに繰り出し53年振りの再開を祝う。
土曜日は、高山病症状が出て朝食後もホテルでゆっくりし11時半まで安静❔にして過ごし飛行場でも深呼吸をしながら飛行機の着くのを待つ。
因みに歩行数は、移動日の金曜日は、28回目の1万歩以下の9401歩、土曜日が今年最低の29回目の1万歩以下の5914歩止まりで如何に歩くのが難しいかを体験した。今月は、1日平均1万歩ちょっとになりそう。
一番ホテルの南雲謙太郎さんを中心とした写真を貼り付けて置きます。

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サンタ・カタリーナ州ラーモス移住地を訪問 梅田大使、池田総領事一    サンパウロ新聞WEB版より
  • ん2015年7月23日

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ラーモス移住地を訪問した梅田大使一行(写真はラーモス移住地の山本氏提供)
 サンタ・カタリーナ州フロリアノポリス市で開催された「第1回日本祭・七夕祭」に出席した梅田邦夫大使夫妻、池田敏雄在クリチバ日本国総領事一行は4日午後5時、同州のラーモス移住地を訪問した。
 同移住地では、尾中弘孝ラーモス日伯文化協会会長、長南俊クリチバーノス体育文化協会会長、アントニオ・ギジ・クリチバーノス市長、岩崎秀樹フレイ・ロジェリオ副市長らが出迎え、夕闇迫るさくら公園を案内した。その後、剣道場「文武館」で剣士たちの稽古ぶりを参観し、梅田大使夫妻はブラジル人を含む剣士たちに声を掛けた。また、5月に日本武道館で行われた剣道世界大会ブラジル選抜チームの団体戦男女でそれぞれの大将をつとめた尾中栄作・美和兄妹にも詳しく話を聞いていた。
 一行はすっかり日の暮れたラーモス平和の鐘公園にある「平和資料館」を訪問。オズニーアルベルトン・フレイ・ロジェリオ市長、小川渡被爆者協会会長らの出迎えを受け1時間ほど滞在し、資料館設立経緯などの説明を受けた。
 午後7時半には歓迎夕食会会場の八角堂に移動。ロッキ・エスタンギリン州地域開発長官と移住地住民たちが、ドラム缶で作った大火鉢の炭火とともに一行を出迎えた。
 夕食会は移住地総出の持ち寄りと熱い味噌汁、手打ちそばでの食事が振る舞われた後、太鼓演奏と「私の町ラーモス」の歌が披露され、移住地に住む人々の歓迎の気持ちが表わされた。
 夕食後は移住地関係者から、移住地の将来に向けた夢と実現のためのプロジェクト、クリチバーノス市からフライブルゴ市までの舗装道路の敷設や9月に完成予定の50周年記念誌刊行などについて説明があり、梅田大使は熱心に耳を傾けていた。
 ラーモス移住地では、今回の梅田大使一行訪問が「夢の実現に向け大きな一歩となるもの」と期待を抱いている。
2015年7月23日付

ウユニ塩湖での面白いトリック写真を紹介しておきます。

13時45分   塩湖の上で昼食が始まる。車に用意して来た机3脚に椅子8脚並べて1万2千平方キロの塩湖の真ん中でピクニックを始める。これまでで一番贅沢な昼食となる。お腹も空いていたし高山病も治まっており美味しく頂く。食後に余興としてリンゴ、コカコーラの瓶、帽子果ては車まで使ってのトリック写真をガイドさんが撮ってくれる。良い記念になる。

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