私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2015年07月


一笑一若・メキシコ小話「スパゲッティ、スパゲッティ…」  富田さんからのお便りです。


和田さん&私たちの50年の皆さん、お元気ですか?一笑一若・メキシコ小話「スパゲッティ、スパゲッティ…」をお届けします。上司とわりない仲になった秘書は妊娠して国外で出産することになりました。そして6ヵ月後…ご用とお急ぎでないお方は、ぜひ下記のブログをお訪ねのうえ、メキシコ小話「スパゲッティ、スパゲッティ…」E N J O Y !!!


 

Shinzo Tomita


イメージ 2

             スパゲッティ、スパゲッティ…  
イメージ 3



 
                                                         (gravi.co.jp
  これはスペインの話である。弁護士は秘書とわりない仲になっていた。
必然の帰結として、秘書のお腹は大きくなった。
彼は妻に知られては困るので、それなりの金額を彼女に渡すと、イタリアで子どもを出産するように取り計らった。

  すると、秘書は「赤ちゃんが生まれたとき、どうやって知らせたらいいの?」と聞いた。
まだE-mailのない時代のことだった。

  弁護士は「絵葉書の裏に『スパゲッティ』とだけ書いて送っておくれ。心配するなよ、すべての費用は俺が引き受けるから」と請け負った。

  6か月後のある朝…
  弁護士の奥さんがあわてふためいて夫の事務所に電話して来た。
「あなた!今、イタリアから奇妙な絵葉書が着いたのよ。はっきり言って、何を意味するのか
分からないのよ。気味が悪いわ」

  弁護士は驚いて、「私が帰って説明するから、待っていておくれ」
と言って電話を切った。

  帰宅した男は絵葉書を読むや、突然心臓麻痺に襲われ、意識を失って倒れてしまった。すぐ救急車が来て、病院へ運ばれて行った。

  病院の医師は奥さんを元気づけながら、「ご主人に心臓麻痺を起させた、大きな精神的ショックとは何だったのですか?」と聞いた。

  すると、奥さんは例の絵葉書を取り出して読み上げた。
「スパゲッティ、スパゲッティ、スパゲッティ、スパゲッティ、スパゲッティ。
ソーセージとミートボール・スパゲッティが3つ、はまぐりのスパゲッティが2つ…」

 お後がよろしいようで




世界でも珍しい塩のホテルHotel Palacio de Salに泊まっています。

ホテルのWIWIが不安定でなかなかBLOGの更新が思うように行かないのですが、ウユニ2日目(ホテルとしては3カ所目)のHOTEL PALACIO de SALに泊まっています。ホテルからの夕日を動画で撮ったのでそれも公開しますが、まずはホテルの夕食後塩湖に向かって月明かりを頼りに歩いた時に撮った写真を貼り付けて置きます。寒い夜空には南十字星が綺麗に輝いていました。
寒そうでしょう。最後の一枚は、ホテルのロビーにある真っ白な塩で作られたソファーにどっしり座ってご機嫌の一枚です。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

サンタ・カタリーナ州ラーモス移住地を訪問 梅田大使、池田総領事一行  サンパウロ新聞WEB版より。
  • 2015年7月23日
  •               
http://saopauloshimbun.com/wp-content/uploads/2015/07/150723-Ramos-Umeda.jpg ラーモス移住地を訪問した梅田大使一行(写真はラーモス移住地の山本氏提供)
 サンタ・カタリーナ州フロリアノポリス市で開催された「第1回日本祭・七夕祭」に出席した梅田邦夫大使夫妻、池田敏雄在クリチバ日本国総領事一行は4日午後5時、同州のラーモス移住地を訪問した。
 同移住地では、尾中弘孝ラーモス日伯文化協会会長、長南俊クリチバーノス体育文化協会会長、アントニオ・ギジ・クリチバーノス市長、岩崎秀樹フレイ・ロジェリオ副市長らが出迎え、夕闇迫るさくら公園を案内した。その後、剣道場「文武館」で剣士たちの稽古ぶりを参観し、梅田大使夫妻はブラジル人を含む剣士たちに声を掛けた。また、5月に日本武道館で行われた剣道世界大会ブラジル選抜チームの団体戦男女でそれぞれの大将をつとめた尾中栄作・美和兄妹にも詳しく話を聞いていた。
 一行はすっかり日の暮れたラーモス平和の鐘公園にある「平和資料館」を訪問。オズニーアルベルトン・フレイ・ロジェリオ市長、小川渡被爆者協会会長らの出迎えを受け1時間ほど滞在し、資料館設立経緯などの説明を受けた。
 午後7時半には歓迎夕食会会場の八角堂に移動。ロッキ・エスタンギリン州地域開発長官と移住地住民たちが、ドラム缶で作った大火鉢の炭火とともに一行を出迎えた。
 夕食会は移住地総出の持ち寄りと熱い味噌汁、手打ちそばでの食事が振る舞われた後、太鼓演奏と「私の町ラーモス」の歌が披露され、移住地に住む人々の歓迎の気持ちが表わされた。
 夕食後は移住地関係者から、移住地の将来に向けた夢と実現のためのプロジェクト、クリチバーノス市からフライブルゴ市までの舗装道路の敷設や9月に完成予定の50周年記念誌刊行などについて説明があり、梅田大使は熱心に耳を傾けていた。
 ラーモス移住地では、今回の梅田大使一行訪問が「夢の実現に向け大きな一歩となるもの」と期待を抱いている。
2015年7月23日付




ウユニの第1日目の概要報告

7月23日(水)
10時20分  観光用のTOYOTAの車2台が迎えに来る。ウユニ滞在中の3日間、スペイン語のガイドと運転手二人の3人体制でアテンドしてくれるそうだ。
11時最初の観光スポット、汽車の墓場(野外博物館)の見学を終えて次に移動。
12時10分 サンクリストバルの鉱山に着く。現在は、住友が経営しているそうで日産500トンの銀を生産しており5000人が働いているとの事。日本の会社がボリビアで頑張っている事を知るのは大変嬉しいです。
12時40分サンクリストバルを後にして昼飯のアロータに向かう。遠くに雪を称えた山が望見され近くをリヤマが道路を横切る。荒涼とした景色、写真を撮って置く事にしました。
13時半アロータの街に着く。昼食をこの街の簡易宿泊所で用意してくれており美味しく頂く。焼き鳥風の串に刺した肉が出て来たがこれがリアマの肉だとの事.結構行ける牛肉とそん色のない味わいでしたがコレステロールゼロの健康食だとのことでした。
14時50分に食事を終え次のプログラムに移る。綺麗な川が流れている場所に水鳥が棲息していた。野生のあひるやブラジルにもいる嘴の長い黒い鳥やかもめまでいた。
15時30分  風化した岩が柱の様に並び立った場所が続き一番先にブラジルのポンタグロッサの奇岩群と似た場所で色々想像を逞しくして眺めると結構楽しい。
16時5分  ルカースの奇岩群を強風に煽られながら35分間写真を撮りながら歩く。息切れはするが気持ち良い散策が出来る。万歩計は5291歩を記録しており標高4000メートルの価値ある2000歩と云える。途中リーヤマとビクニアを見つけて車に止まって貰い写真を撮る.
16時40分ウユニが所属するポトシ州から隣のNOR LIPEZ州に入りVILLA  MARと呼ばれる900年から1200年前に出来た亀裂の平な表面に書き残された壁画を見せて貰う。
17時5分  ホテル着 今回お世話になっている旅行社が直接経営するホテルとの事で綺麗な氷を張った川のそばにあるホテルで環境は抜群。
17時20分から18時まで氷が残る川岸を40分間歩く。環境は、最高のホテル。
明日は、5時起床、5時半に朝食、6時出発との事。塩の宮殿ホテル着が6時過ぎになるとの事で車で12時間の観光が予定されている。今日の予行演習に合格したので問題は、無さそうと思っていたら明日のスケジュールの説明会でチリとの国境の近くの火山の火口口まで連れて行くので高山病対策を各自責任をもって遣って置くようにとの注意を受ける。火口は5000メートルを超す高さとの事。少し心配だが今更やめられない。頑張って行って来ます。
インターネット接続ももんだいなさそうで夕食前後にBLOGの更新も済ませて置こう。
歩数も最低の1万歩は、クリアできそう。

須貝さんがこんな写真を送ってくれました。

前便で写真を送るのを忘れてしまいました。池田さんから真砂さんの近況を聞かれた時、彼の元気な写真を添付するのを忘れました。この写真は6月28日に日本学生海外移住連盟OB会、横浜JICA,60周年記念会のときです。
前田さん、池田さん、この写真の女性誰だかわかりますか???

須貝

イメージ 1


↑このページのトップヘ