私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2015年09月

ジウマ=温室効果ガスの削減目標発表=05年の37~43%に=森林伐採80%削減を誇る=概ね好評で迎えられる ニッケイ新聞WEB版より

http://www.nikkeyshimbun.jp/wp-content/uploads/2015/09/RSF_Dilma_Coletiva_de_Imprensa_ONU_27092015_002-850x480-620x330.jpg
27日、国連でのジウマ大統領(Roberto Stuckert Filho/PR)

ジウマ=温室効果ガスの削減目標発表=05年の37~43%に=森林伐採80%削減を誇る=概ね好評で迎えられる

 ジウマ大統領は27日、ニューヨークの国連本部で開かれた、持続可能な開発目標を議論する特別首脳会合(サミット)で演説を行い、2025年までに温室効果ガスの排出量を2005年比37%減、2030年までには同43%減にすると宣言した。この目標値は他国よりも高い数値だ。28日付伯字紙が報じている。
 今回ジウマ大統領が発表したのは各国が自主的に決定する約束草案(INDC)で、今年の12月にパリで開かれる世界気候会議に向けて、地球温暖化を防ぐべく、温室効果ガスの排出を防ぐために各国がどのような貢献が出来るかを具体的に示したものだ。
 これに関し
ジウマ大統領は、2025年までに年間の温室効果ガス排出量を、2・04ギガトンだった2005年より37%減の1・30ギガトンとし、2030年までには同43%減の1・16ギガトンにすると発表した。
 米国や日本も同じく2005年比で2030年の目標を発表しているが、米国は32%、日本は25・4%だから、
伯国の目標値はこれらの国より高い。目標発表の期限は10月1日で、かなりぎりぎりになっての発表だが、伯国の目標は既に発表された中で最も野心的なものとなった。
 もっとも2012年の伯国の温室効果ガス排出量は、2005年より41%減っており、2025年までに37%という削減目標は排出量が増加することになるが、
ジウマ大統領は「経済成長のためにどうしても必要」と説明した。
 また、同大統領は同時に、農牧地開発のための森林伐採は2005年に2万平方キロだったが、2014年は5012平方キロまで、実に82%も減ったとのアピールも行った。
 大統領は森林伐採問題に関する数値目標として、2030年までに森林伐採地1200万ヘクタール分の再植林、荒れた牧草地1500万ヘクタールの回復、500万ヘクタールの農地、牧草地、森林の統括を行うことも発表した。
 さらに、2030年までに、エネルギー需要の45%を再生エネルギーとする計画も発表した。同年までには総発電量の66%を水力発電、同16%をエタノールやバイオマスを利用した発電とする意向で、エネルギー生産の23%は風力発電や太陽光発電で賄う。
 また大統領は、ベロ・モンテ発電所などの水力発電所の建設が遅れていることを認め、改善を目指していくと約束した。
 
ジウマ大統領の発表に対し、環境問題の専門家たちはおおむね好意的な反応を示した。だが、アマゾンの森林地帯は温室効果ガスの問題で大きな部分を占めるところでもあり、「まだ削減は可能だ」とする向きもあった。

≪南米の最少国スリナム≫  麻生さんからのお便りです。

南米の最少国スリナム
南米大陸の東北部にスリナムと云う独立国がある。国土も人口も南米で最小の国だ。大雑把な歴史は次の通り。
1499年=スペイン人により発見。
1650年=イギリスの植民地
1667年=英蘭戦争で、ニューアムステルダムをイギリスに割譲する代わりに、ギアナ(現スリナム)をオランダに割譲。
1815年=パリ条約でオランダ領となる。
1954年=オランダの自治領となる。
1975年=オランダより独立。

オランダ西インド会社
スリナムと云う国名は、先住民のスルナム族に由来する。16世紀にはカリブ族により追われて消滅する。17世紀にイギリス人、オランダ人がギアナ地域に入植し、砂糖、煙草、綿花、ココア等のプランテーションを行う。北側隣国は英領ギアナであるが、スリナムもイギリスが実効支配していた。両国が領有権を巡って係争中の地であったが、スペインが覇を唱えた17世紀初めまでは、英蘭は協力関係にあったが、英蘭両国が東南アジアで東インド会社を設立し、権益(特に香辛料)を巡って争うようになると、18世紀までに4次の戦争を経験した。第二次英蘭戦争(1667-1668年)は北米大陸にも飛び火し、ニューアムステルダム(現ニューヨーク)をイギリスが占領した。ブレダ条約でオランダはニューアムステルダムをイギリスに与える代わりに、ギアナ(現スリナム)を領有した。 
オランダは東南アジアで巨利を挙げた植民地経営会社を南米にも広げ、西インド会社を1621年に創設した。当時ブラジの主要産物は砂糖であり、フランス、イギリスも領有を狙っていた。オランダは敵対していたスペインがポルトガルを1580-1640年間併合したため、ブラジルも敵対関係が生まれた。1620年オランダは70隻の艦船をレシーフェ近郊のオリンダ沖に集結し侵攻した。1640年にポルトガルがスペインから独立し、敵対関係が解消され、休戦協定が締結されるが、オランダはブラジル東北部に居座った。1645年には、東北地域のブラジル植民者とオランダ人入植者の内乱も勃発した。入植オランダ人はイべリヤ半島から追放されたユダヤ人も多く、海外から運んだ租糖の精製業者も多かった。当時のレシーフェはシナゴーグも作られ、海外でも有数のユダヤ人集団地だった。然し、1654年には、オランダは撤退し、(撤退の条件として、ポルトガルはマレー半島の要所マラッカ植民地をオランダに割譲する。マラッカ植民地は1645年にオランダの植民地となる)引き上げ組は一部、蘭領ギアナに渡り、又一部はニューアムステルダムに渡る。今日でも、ニューヨークにはユダヤ系在住者が多く、別名ジューヨークとも呼ばれる。

スリナムの多様な人種と文化
スリナムはアフリカから黒人奴隷を入れて、プランテーションを行ったが、劣悪な環境から逃亡奴隷が絶えず、逃亡奴隷の集団地(ブラジルのキロンボ)が奥地に作られ、マルーンと呼ばれた。1863年奴隷解放が宣言され、農園は労働者不足に陥る。その頃から契約労働者の導入を開始する。インドからヒンズー語族、インドネシアからジャワ人、少数ながら中国人も入国する。公用語はオランダ語だが、その他にスリナム語(オランダ語を母体にヒンズー語、インドネシア語等が混じった現地の言語で国民の半数が理解する)、ヒンズー語、インドネシア語、中国語が話されている。最近、増えているのは中国人で人口の10%位を占める。1975年にオランダより独立したが、最初の10年間はオランダよりの経済援助で賄った。人種構成はインド系27%、インドネシア系15%、中国系10%、混血とアフリカ系30%であり、宗教は、キリスト教40%、ヒンズー教20%イスラム15%、の比率である。尚、スリナム人の人口の半分、30万人がオランダに在住しており、オランダのサッカーチーム等にスリナム人が多い。

スリナムの基礎データー
国土面積=日本の20%(四国より少し小さい) 人口(2015年)=推定60万人 一人当たりGDP=9370ドル  輸出=23億ドル  輸入=21億ドル
輸出物品―ボーキサイト、石油、金、エビ
日本の企業も1社進出している、SUJAFI(Suriname JapanFishery Co)と呼ばれ、日本のニチレイ系の漁業会社新洋漁業と数社の漁業会社が、エビ漁を数隻の漁船で操業している。
エビはギアナピンクと呼ばれる、車エビの一種で高級品である、漁場はアマゾン沖からベネズエラ沖の大陸棚がエビ漁場で、アメリカ系漁船を主体に、500隻位のエビ船が創漁している。従い、首都パナバリボには日本人漁船員数名が在住している。ギアナピンクはブラジルでカマロンローザと呼ばれている種類で、アマゾン川が吐き出す毎秒20万トンと云う膨大な量の淡水と土砂(年間14億トンの土砂が大西洋に吐き出される)がエビの格好の漁場を造成している。エビは大河の畔を好む(世界のエビ漁場は大河があり、メキシコ湾―ミシシッピー川、東シナ海―揚子江、、インドーガンジス川、等)吐き出される土砂はエビの好みの生育場所で、有機質を多量に含んでおり、プランクトンが発生する。
アマゾン川より放出される淡水は、河口から350km東方にまで進み、海流は北上し500kmも進む。ギアナ沖、ベネズエラ沖まで影響を及ぼしている。
以上
2015年9月26日
麻生

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写真は、9月26日ニッケイパレスホテル前で撮った麻生さんを真ん中に左が私、右が滝谷さんです。

ラーメン戦争、勃発か?! ニッケイ新聞WEB版より

 紙面とは別に本紙では、サイトやフェイスブック、ツイッターなどでもニュースをお伝えしている。ブラジル在住の方であれば、コロニア、翻訳面が気になるだろうし、日本の読者であれば、サッカーや経済に興味が傾く。今までにないアクセスを集めたのが19日付けの「日本では食べられない! すき家がラーメンを開始」の記事。ちょっとガックリしながらも国民食ラーメンへの関心の高さを感じた▼リベルダーデにも数軒専門店がある。モジ、クリチーバやロンドリーナなど地方都市にもあり、裾野は広がっているようだ。「すき家」では現在2店舗のみだが、いずれは全店で提供するよう。一気にラーメン最大手になるわけで、今後の展開が楽しみだ▼「クーリエ・ジャパン」という雑誌があり、世界中のメディアの翻訳記事を紹介している。それぞれの国の事情や見方が分かって面白いので愛読しているのだが、世界「ご当地ラーメン」というコーナーがある。ラーメンの魅力に取りつかれた非日系人らが、とても研究熱心に、こだわりを持って味を作りだしている。アメリカ、ヨーロッパ、アジアでそれぞれのラーメン文化が花咲き始めている▼これに比べると、ブラジルのラーメンには思いや熱意が足りない気がする。そこまでブームが来てないのもあるのだろうが、ラーメン好きで今の状態に満足している人はいないのではないか▼九州発祥の有名ラーメン店がリベルダーデに開店するとの噂もある。「ラーメン戦争」の勃発、大いに結構。競争することで質の向上と普及を期待したい。ブラジル人のこだわりラーメンも食べてみたい。(剛)

上記記事はニッケイ新聞のコラムですが、今日リベルダーデからパライーゾのすき屋まで歩いて昼飯代わりにラーメンを食べに歩いて行きました。サンジョアキンから地下鉄3駅の距離で何とか2万歩に達するかと期待したのですが、サンパウロに出て来てから4日間連続2万歩以下で6月の60万歩達成が危ぶまれる状況になって来て居り心配しています。
すき屋では、リベルダーデ大通り店では、11月からラーメン開始とかで昨日は、牛丼を食べましたが、今日はパライーゾ店迄歩いた甲斐がありラーメンを食することが出来ました。ブラジル人間で人気だと云うチャシュウメンを注文しました。大きな少し筋の有る豚肉が麺が見えない程、表面を覆っており成程これならと感心しました。味は東京下町の伝統的な醤油ラーメンの味と謳っているだけに東京生活が長かっただけに馴染みの味だった。写真を貼り付けて置きます。

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第36回ブラジル書道愛好者展は、無事終了しました。

9月26日(土)、27日(日)の両日に行われた第36回ブラジル書道愛好者展は、無事終了しました。明日は、日本食品の買い物等をする予定で午後には日本から吉田ふく子さんとお孫さんの吉田彦英さんがブラジルに到着されニッケイパレスでお会いする予定になっており火曜日の午後のフライトでポルトアレグレに戻ります。
愛好者展に付いてはまだ2-3回は、BLOGに取り上げることになると思いますが、昨日、今日の会場風景等の関係写真を貼り付けて置きます。駒形さんがデモンストレーションの前に来て呉れて3時前から始まった高校生の毎日書道展に入賞した3人の表彰式に来賓として出席された砂古さん、奥様、相田ブラジル稲門会長も来てくれました。昨日には、同船者の和ちゃん(吉田和子さん)いっちゃん(龍川一恵さん)も来てくれたそうですが私は会場を留守しており直接お会いできませんでしたが恵子の話ではお二人ともお元気で話が弾み嬉しかったとの事でした。

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≪日本の秋は実りの秋≫ しゅくこさんからのお便りです。

和田さん & 50年のみなさま
                 しゅくこで~す
 
恵子さんの書道、エネルギーに満ちてますね。
書道音痴の私にもそのすばらしさがドスンと胸に伝わってきます。
昨年の、裸足になって大きなほうきのようなブラシで一気にかきあげる姿は
いまでも心に残っています。
 
こちらからも、エネルギー満タンの日本の秋を写真でお届けしますね
添付の松茸は、商品にする前の時の友人からの写真です。一本1000円以上もするらしい松茸。
数えてみたい気もしますが、別に宣伝する縁もゆかりもございませんので、ひたすら友人手作りの松茸昆布をいただきました。香りがすごくよかったので新米のごはんでおかわりしました。

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柿は今日、枝をバッサリ切り落とし、実をはずして、家の前をとおりかかった知らない人に持って帰ってもらいました。いまの若いおかあさんは、柿の白和をご存じなかったようです。

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彼岸花は散歩中の畦道にさいてました。曼珠沙華ともよばれ毒ですが、なんか郷愁を誘う好きな花の一つです。

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昨日は栗、さつまいも、リンゴなどをいただき、自給自足の真似ごとをしています。

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