私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2015年11月

川越一郎さんから日本の味、恵子の好きなお漬物を頂きました。

淡路島の洲本で2日間ご一緒させて頂いたしゅくこさんの御主人一郎さんとは今回初めてでしたが、元産経新聞の記者から帝人サフロンの大屋社長に乞われ広報部長として途中入社され活躍された企業人で同じ時期に日本の企業戦士として働いて来た同士との立場で大いに話が盛り上がり楽しい時間を過ごさせて頂きましたが、関西OFF会に出席されたしゅくこさんに託して恵子が好きな日本の味、漬物、梅干しを届けて頂きました。早速、お昼の食事にご郷里山形の工夫した新しい漬物≪晩菊≫を試食させて頂きました。
メモと共に写真を貼り付けて置きます。
(追伸) しゅくこさんが海浜でビニールを敷いて写生会を開き絵画談議を予定しておられましたが雨模様で茣蓙を広げる機会もなく写生会は、出来ず残念でした。もっぱら傘を挿しての散歩で歩数稼ぎだけに終わりましたが楽しかったです。

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≪淡路島の洲本で撮った写真です≫ しゅくこさんからのお便りが届いています。


和田さん 恵子さん
             しゅくこで~す


人物写真がたくさんblogに掲載されましたので控えましたが、別にも楽しいのがありましたので、よかったらご覧ください。


「幸せ運び人」のお二人のおかげで、また一つよい思いでが増えました。
muito obrigada


気をつけておかえりくださいね。


別便にて、オフ会のを少しおくります。

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日本から帰国したら山積した新聞の中に日本放送協会から記念品が届いていました。

NHKワールド・ラジオ日本の写真コンテスト「みんなのエピソードでつむぐ 日本ブラジル120年」に応募?送った「すべてがここから始まった!!」がラジオ日本賞に選ばれたとの事でおめでとうと共に記念品を贈って呉れて居ました。
有難く受け取らせて頂きました。
関係写真を貼り付けて置きます。

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和田無事にポルトアレグレに戻って来ました。

11月27日(金)午後5時過ぎに成田を発ち28日(土)の午後5時にポルトアレグレの飛行場に戻って来ました。丸36時間の旅で少々疲れましたが、無事我が家に着き待って呉れて居た弥生の家族、リリアの家族が出迎えて呉れました。洋君は、お昼寝中でしたが途中から置き愛嬌を振りまいていました。3週間会っていなかったのですが覚えていてくれたようで嬉しかったです。また来週からは、遊びに来るでしょう。
愈々年の暮、12月3日の天皇誕生日から始まり南伯日本商工会議所の総会兼忘年会等行事が重なり忙しくなるでしょう。溜まっている雑用を片づけることにします。
訪日中の写真の整理も残っているし。。。
飛行機の車窓から撮った写真と我が家で撮った写真を貼り付けて置きます。

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無事ブラジルに戻って来ました。

結構長かったヒューストンの待ち時間も終えUAのリオ行きに乗り込み10時間の旅、無事今朝11時過ぎにリオのガレオン空港に着き、入国手続き、通関を済ませ4個のトランクをポルトアレグレ向けにGOLに預けました。何と成田で手渡した荷物には最終目的地のPOAのタグが付いて居り通関はリオで済ませましたがそのままでポルトアレグレまで運んでくれるのには助かりました。昼食は、飛行場内にあるESPACO SUSHIで簡単に済ませました。ガレオンでもWIFIが無料で繋がり最近の国際線は、何処の飛行場でも簡単にインターネットに繋がるのは助かります。
3週間の訪日、楽しく過ごせました。成田で夏の気候に合わせオジンパッチ、メリヤスの長袖を脱いだのは良かったのですが、飛行機の中、ヒューストンの飛行場では、寒い思いをして風邪をひいてしまったようです。リオは、暑いです。ポルトアレグレはまた雨でしょうか?今晩は、ゆっくり休みたいです。
和田inリオ、ガレオン空港にて

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半分帰って来ました。

成田を27日(金)の午後525分に発ち12時間近く機内で過ごしヒューストンに着い
たのが同じ27日の午後215分。日付け変更線を通りブラジルとの時差12時間圏に入
りもうブラジルに戻って来たのと同じ気がします。ヒューストンでの待ち時間が7
間もあり退屈するかと思っていたら飛行場内は、無料のWIFIが使えて助かりました。
電源の有る場所が少なく少し苦労しましたが快適な飛行場難民生活を過ごしています。UAの機内食は、余り美味くなく飛行場内で夕食を摂り後3時間待ちです。電源の周りには沢山の人が群がり差し込みを探しています。
サンタクロースのクリスマスの飾りがあり広いスペースの飛行場は清潔で気持ちが良いです。飛行場内で歩き回り何とか1万歩だけは確保できましたが、2万歩には届かないようです。明日土曜日には、リオ着、乗り継ぎでポルトアレグレに戻るのは、5過ぎになるので丁度丸1日、24時間プラス日付け変更線の12時間を足し合計36時間の旅になります。機内には26時間前後ですので10時間は飛行場の待ち時間になります。
結構着かれますが、何とか80歳までは、年に1度、後5回は訪日したいと願っていま
す。何時まで持ちますかね?
ではまた。。。
和田inヒューストン空港にて

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日本企業=セニブラがパルプ生産停止=サマルコ鉱山の堤防決壊で  ニッケイ新聞WEB版より

日本企業=セニブラがパルプ生産停止=サマルコ鉱山の堤防決壊で

 【既報関連】ミナス州マリアナ市のサマルコ社鉱山で5日に起きた鉱山廃水用ダムの堤防決壊事故の影響で、同州イパチンガ市に本社があるパルプ製造メーカーのセニブラが10日、7日からパルプの生産を中止し、代替案を検討中である事を公表したと11日付エスタード紙が報じた。
 同社は1973年、日本の製紙メーカーや商社が設立した日伯紙パルプ資源開発会社(JBP)と
伯国の資源メーカーのリオ・ドッセ(現ヴァーレ)が共同出資して発足し、1977年にイパチンガ工場の操業を開始。民営化後のリオ・ドッセが2001年に競売にかけた持ち株をJBPが優先権を行使して買い取って、100%日本資本の会社となった。正式名称はセルローゼ・ニッポ・ブラジレイラ株式会社。
 同社のパルプ生産量は120万トンで、伯国の生産量の6・5%、世界では4%を占める。日本にも、2012年にJBPとセニブラを連結子会社化した王子製紙中心にパルプを供給している。
 セニブラが生産を停止したのは、サマルコ社鉱山の堤防決壊で、大量の泥や重金属を含んだ泥水がイパチンガ工場で使う水を取水するドッセ川に流入したためだ。生産再開の時期は不明確だが、ドッセ川流域に大量の雨が降って汚染状況が改善されれば、比較的短期間で再開される可能性があると見られている。
 伯国のパルプ業界は1~8月に昨年同期比8・6%増の750万トン、金額にして50億ドル分(昨年同期比2・3%)を輸出している。同社の生産停止は予想外で、スザノ製紙やフィブリアなどの国内製紙メーカーや国際市場との受給バランスが崩れてパルプ値上がりの可能性も高まった。
 なお、エスピリトサント州内のドッセ川には、10日から汚水が流れ込み始め、一両日中には汚泥も流れ込み始めるはずだ。フィブリアは同州の工場には100日分の水を確保しているとし、操業を継続する意向だが、ミナス、エスピリトサント両州では飲用水確保や農業その他で堤防決壊の影響が出てきており、エスピリトサント州政府もサマルコ社に罰金を科す事を決めた。

上記は、邦字紙ニッケイ新聞のセニブラ工場が、リオドーセ河の汚染によりパルプの生産を停止しているとの記事ですが、私の訪日による留守中のブラジルにおける大きなニュースは、このミナス州マリアナにあるサマルコ鉱山の汚水貯蔵ダムの堤防決壊事故による公害問題で地元紙でも連日報道されていたようです。溜まった新聞の1面のトップに掲載されている写真を何枚か選び掲載して置きます。

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