私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2016年02月

「キューバの旅」 勢古口さんのJ REPORTより(その5)

「バラデロ」

第5日目、2月8日(月)
昨晩はプロ・アメリカンフットボールの決勝戦「スーパーボウル」があった。最初の部分を観てから食事に行き、戻ってからまた見たのだが途中から寝てしまう。目覚めたらラスト数分だったが、ダイジェストを延々とやっていたのでゲームの内容は分かった。
さて午前中は島に行く。船で片道1時間半。船と言ってもシーズン中はカジキマグロを釣る船だ。島は「カーヤ・ブランコ」即ち「白い島」という白い砂浜が綺麗な場所だった。(写真49:島)

http://sekoguchi.info/wp-content/uploads/2016/02/dadff3dd0ffe739bc37b087030c9fa85-300x225.jpgOLYMPUS DIGITAL CAMERA
余り透明度は良くなく潜った人に聞くと全く何も濁っていて観えなかったそうだ。サヨリに似た魚がいた。(写真50:魚)

http://sekoguchi.info/wp-content/uploads/2016/02/778cbc46e4af796ecf164e97470a4112-300x225.jpgOLYMPUS DIGITAL CAMERA
(写真51:白い島の海岸線)

http://sekoguchi.info/wp-content/uploads/2016/02/dcd1cdf971df0ac301e5be17f75448ca-300x225.jpgOLYMPUS DIGITAL CAMERA
約1時間島にいてまた戻る。途中から「カモメ」が付いてきて、我々の投げるスナックを奪い合っていた。どこのカモメも同じ行動をとるものだ。(写真52:カモメ)

http://sekoguchi.info/wp-content/uploads/2016/02/090eea6a5aa2c24b7b281e20f5bb70ba-300x225.jpgOLYMPUS DIGITAL CAMERA
午後からはバラデロの街を馬車で観光する。ここは革命以前は高級別荘地だったという。ここで漸く革命の意味とクラッシック・カーや豪邸の理由が分かった。革命軍が奪ったものが「車」であり、「家」であり、富裕層の「財産」だったのだ。富裕層はそれら全てを残して逃げ出すしかなかった。またサンタクララの戦いのように革命軍400人が政府軍4000人に勝つというのは、軍隊自体が戦意喪失しており、命掛けの革命軍の前には戦う前に逃げるしかなかったのだろう。化学会社で財をなした「デュポン」がこの半島の先端部分から10kmを何と1平方メートル当たり16セントで買ったという。その後彼は先端2kmを残して残り8kmを50ドルから100ドルで売ったというから凄い。その中には「アル・カポネ邸」もあった。石造りの家で全てが石で出来ている。ここにカポネは2度訪れたというが実際にはお酒の倉庫だったらしい。当時禁酒法時代のアメリカに密輸するための基地がここだった。(写真53:カポネ邸)

http://sekoguchi.info/wp-content/uploads/2016/02/1c510d1baab052ae843e262838a28f6f-300x225.jpgOLYMPUS DIGITAL CAMERA
デュポンの家は半島の先端にあるから、3方が海という最高のロケーションだ。(写真55:デュポン邸からの眺め)

http://sekoguchi.info/wp-content/uploads/2016/02/f63fdc9aca1812fd99417792cdf82a8e-300x225.jpgOLYMPUS DIGITAL CAMERA
(写真56:ゴルフコース)

http://sekoguchi.info/wp-content/uploads/2016/02/1b775783d43f584f176a2853333f7dd2-300x225.jpgOLYMPUS DIGITAL CAMERA
実際に当時デュポン邸には9ホールのプライベート・ゴルフ・コースもあったという。この屋敷は木造、それもキューバ産のマホガニーで全て造られているから、カポネの家が実にみすぼらしく感じる。エレベータまで付いていた3階建ての邸宅だった。現在のゴルフコースは貸しクラブ含めてビジターが90ドルだそうだ。(写真57:デュポン邸)

http://sekoguchi.info/wp-content/uploads/2016/02/07e0a3bdd7b4bccd3aeb105f99f3ca31-300x225.jpgOLYMPUS DIGITAL CAMERA
夜は「さくら」という鉄板焼きレストランに行った。隣に座ったのがカナダ人の夫婦だったので話しをし、日本食の食べ方を教えたりしたが、20年前にモンテネグロからカナダに移住し現在はトロントで金融のアドバイザーをしている63歳の人とその妻だった。料理自体は「これが和食」とはとても思えない。まあ、仕方がないが鉄板焼き風の物を食べたと思うしかなかった。


≪中銀 24 日発表の統計≫ 山下さんからのお便りです。

山下@リオです
 
中銀24日発表の統計より、

イメージ 1



1月の海外直接投資は25億ドル、過去12カ月累積は1月まで
579億ドルです。日本は7位でした。(inv602.xls)
 
国内の外貨フローは、貿易で1月は34億ドルの黒字、ファイナンス
は、19億ドルの赤字で、差引き15億ドルの流入となりました。
 
本年1月の経常収支は48億ドルの赤字です。 1月の金融収支
44億ドルでカバーしています。
 
1月の貿易収支は9億ドルの黒字で、過去12カ月累積は238億ドル
の黒字でレアル安効果が出てきました。
 
1月の外貨準備高は3698億ドルです。
(添付cambiocontratado602.xls) 
(添付baldepagto602.xls) 
 
1月のM17.7%減、M1の過去12カ月累積は4.25%減と10カ月連続
の通貨引き締めです。
 
インフレはFGVIGPDI指数で、
1月は1.53%、過去12カ月累積は1月まで11.62%増です。
2015年は2桁で終了で、売り値比例税が多いので、級数効果で
止めが効かなくなるのが心配です。
 

ジャパンハウス=和風で奇抜な玄関が特徴=原、隈氏が外観を説明=伊勢神宮付近のヒノキ使用  ニッケイ新聞WEB版より

http://www.nikkeyshimbun.jp/wp-content/uploads/2016/02/160225-jh-1-ogura-620x330-1456526555.jpg
FIESPでの官憲で模型を公開した原さん(左端)、隈さん(右端)ら

ジャパンハウス=和風で奇抜な玄関が特徴=原、隈氏が外観を説明=伊勢神宮付近のヒノキ使用

 2017年3月開設を目指す広報文化施設「ジャパン・ハウス(仮称)」(以下、JH)の総合プロデューサーであるデザイナーの原研哉さん(57、岡山)、設計デザインを監修する隈研吾さん(61、神奈川)が来伯し、25日午後、サンパウロ美術館(MASP)でトークショー(講演会)が開催され、約100人が集まった。建築家の隈さんは「ヒノキ」「和紙」を重要資材と捉え、「通行人が思わず入りたくなるような奇抜な建築物にしたい」と語った。

 20年東京五輪のメイン会場設計者でもある隈さんは、「美しく長持ちするヒノキを最重要資材とした。伊勢神宮には最高級のヒノキが使われており、JHには神宮横の山から採ったヒノキを使用する」と説明。
 玄関には格子状に木材をつなぐ「地獄組み」という日本独自の技術を応用し、竹かごのようなインパクトのある見栄えにしたいという。また天井や壁には、和紙をメッシュ加工した素材を利用する。
 それらの発想は、昨年末に視察した日本館からも刺激を受けたという。「建物の一部が池の上に浮くという構造は、60年前だと斬新で難易度も高い。そんな日本館が市民に親しまれる聖市であれば、JHにもダイナミックで新しいアイデアを注げるのではないか。思い切って新しいことに挑戦したい」と意気込みを語った。
 敷地内には外土間と呼ばれる空間も設置。龍安寺の中庭をイメージし砂利を敷き詰める。「市民に開かれた庭」をテーマとし、「内と外が一体となった空間を想像。通行人が思わず入りたくなるような建築物にしたい」と意欲を見せた。
 原さんは聖市ほかロンドン、ロサンゼルス3館の総合プロデューサーを努める。長野五輪の開・閉会式や愛知万博のプロモーションを担当した同氏は「緻密、丁寧、繊細な日本文化をどう表現するか」「伝統と最先端技術を上手く融合させ、どう視覚化するか」を課題とし、「五感に刺激を与えるようなデザインにしたい」と語った。
 中身については「日本のハイテク産業は風力発電の中など、目に見えない箇所に取り込まれており伝わりづらい。先端テクノロジーの紹介や茶の湯の心、華道、武士道の他、映画やアニメも持ち込めれば。新しい日本を発見できるようなものにしたい」と展望した。
 日本を良く知る日系人が多い聖市だけに、ロス、ロンドンよりもさらに突っ込んだ文化の精髄的内容が盛り込まれ、「鮮度のある施設になるのでは」と期待した。
 同日午前中には、聖市内のFIESP(聖州工業連盟)で伯字メディア向けに記者会見も行なわれ、TVグローボを始め伯字紙や建築業界紙など40人が駆けつけた。
 
□関連コラム□ 大耳小耳
 それにしても、なぜブラジルで英語名「ジャパン・ハウス」なのか。ロス、ロンドンでは違和感がないだろうが…。日本の日本人はカタカナが大好きだが、当地では英語名の立派な建物はあまり聞かない。せめて「カーザ・ジャポネーザ」にするとか、最低限の〃現地化〃の心遣いが必要では。ドイツのインスティトゥート・ゲーテに習って、「インスティトゥート・アクタガワ」とか。それとも、日本人がブラジルで「英語が世界言語だ」と暗に主張する?
     ◎
 JHの外土間「市民に開かれた庭」には砂利が敷き詰められるとの構想を聞き、警察から苦情が寄せられないかと少々不安に。というのもパウリスタ大通りは抗議行動の舞台であり、ブラックブロックが玉砂利を機動隊に投げつけたりしそうだからだ。さらに「地獄組み」に若者が蛮勇を誇示しようと、よじ登って落ちて怪我をしたりしないだろうか。せっかくの施設であり、日本ではありえない〃使われ方〃も十分に想定してほしいもの。

 房総に雪が降りました≫ 稲見さんからのお便りです。

前田さん
3日前に雪が降りました。零下一度でした。この寒さに耐えてイペーやジャカランダが咲くのでしょうか?
今日は種が着くと思いますが、直ぐに室内管理で種蒔きをしていいでしょうか、アドバイスをお願い致します。
稲見

イメージ 1



重安さん御一行南伯訪問2日目は、13時間、275㎞の旅でした。

今朝は、朝8時半にホテルを出発しヴァカリアのホテルにCHK INしたのが夜の9時半だったので都合13時間の旅で275㎞を走っていました。

イメージ 1

イメージ 2

最初に訪問したのは、イボチ移住地内にある移民資料館で各種移住開拓時期の農業用具、日本から持ってきた柳ゴオリ、着物等の陳列から姉妹県の滋賀県から送って貰った信楽焼きの狸他の展示品が並び移住地の歴史を知る上で貴重な写真等が陳列されていました。移住資料館の前で撮った写真です。

イメージ 3

イボチ移住地では、ブドウを栽培しておられる折田さんの畑(昨日で今年のブドウの収穫は、終わったとの事)を見せて頂き森本さんが野菜の苗を作って販売しておられるとの事でイボチ移住地で大々的に野菜、花の栽培をしておられる鈴木さんの所を見学させて頂きました。途中で街道沿いにあるドイツ料理のコリーナ ヴェルデと云うレストランで地ビルを飲み気勢を上げました。
このドイツ料理店で近くで昼食をしていた10人程の団体にターナー(皮革工場)の工場長(オーナの息子さん)のマチエーロさんと云う恵子の元生徒さんがいて恵子先生と懐かしそうに挨拶に立ってきて暫く話し合っていました。一緒に撮った写真も貼り付けて置きます。

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7


ヴァカリア迄、曲がりくねったBR116号線を恵子の慎重な運転で走り4時半までにはロデオの会場で待機して呉れて居た森本さんのお友達のぺドロさんと息子さんにお会いして色々珍しい模型の電動の古い田舎の製材所、製粉所、風車小屋、協会等を見せて貰いました。

イメージ 8

イメージ 9

ロデオの会場訪問後、ぺドロさんのお嬢さんが遣っている家畜、犬猫の餌、水槽、魚等を手広くやっているお店を訪問しましたが森本さんが作られた野菜の苗も店頭に並べて売って貰っていました。
夕食は、森本さんの奥さんが作られた寿司をビールを飲みながらご馳走になり街道沿いのホテルに9時半にCHK INして写真の整理とBLOGの更新をして早めに寝ることにしました。恵子は疲れた様子で直ぐに寝入ってしまったようです。明日は、サンタカタリーナ州のラーモス移住地を訪問します。

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12



↑このページのトップヘ