私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2016年05月

≪繁田一家の残党≫ 丸木英朗著作品 (その1)

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題名:繁田一家の残党
氏名:丸木英朗(マルキ ヒデオ)  
筆名:ハナブサ アキラ(英 朗)
生年月日:昭和十年元旦
 
略歴:昭和33年3月 大阪府立大学経済学部卒
           東芝放射線(現・東芝メディカル)入社
            ブラジル移住、同社代理店総支配人
            アメリカ勤務を経て現在カナダ在住
 

住所:805-4001 BayviewAvenue

            Toronto, Ontario M2M3Z7

             Canada
電話番号:416-222-1726
メールアドレス:maruki_hideo@rogers.com
         
梗概
繁田一家の残党
 
日本で東芝放射線(現在の東芝メディカル)に勤めてたワイは大阪野郎、ブラジル移民のなれの果て、40年連れ添ったオランダ系ブラジル人の妻とカナダのトロントに住んどります。
 
今から50年ぐらい前、海外勤務を申し出ても時期尚早と却下されて腐ってた頃、福岡に繁田正之氏が九州支社長として赴任して来た。単身赴任の繁田親分、社宅を出て独身寮に入りワイら寮生におやじと呼ばせた。
毎晩午前様のご帰館には、ナイトクラブの美人数人が必ず同伴。ホステスの旦那衆はバイアグラなしでは役立たずの爺様ばっかりやから、欲求不満の彼女達と同じ年頃の寮生とは格好の取り組みとなり、社員寮かキャバレーかわからん極楽天国を展開してた。
 
酒類が物置に山積み、時には酒屋が酒やビールを借りにくるほどやった。会社で経理課長が物言いをつけたら「若い奴等が飲みに出て、本社やら他の支社みたいに会社のツケにしよったら、どないなる?酒屋の払いなんか安いもんじゃ、そんなことも勘定でけん経理課長なんか辞めてまえ」と、どやしつけられよった。
困り果てた経理課長が営業課長に泣きついて、営業の実権を握るワイに営業課長が「自分等の飲み代ぐらい工面しんしゃい」ぬかしやがった。販売主任のワイは腹心の部下に知恵を借り、業者に払う販売手数料を横流し酒屋の支払いに充当した。
 
昭和41年の暮れ、ワイは親会社の社長に就任したばかりの土光敏夫氏を横浜市鶴見区の自宅に訪問し「海外進出を進言しても埒があかんので、ブラジルに移住します」と啖呵をきって、神戸から乗船した移民船・ブラジル丸が停泊する横浜港に戻ろうとしたら、石川島重工から東芝に転職される前にリオに造船所を建造された社長は「しかと承知した。俺も定年後はブラジルに移住して百姓になる」と言われたが、経団連会長になってしまい夢は果たされなかった。
 
移民船の2ヶ月間の船旅中には、赤道祭など楽しい催しもあり、竜神を演じたワイは、サンパウロで東芝医用機器代理店になったばかりのメディトロニカ社の総支配人になった。
しかし、戦時中ナチとソ連の二重スパイをしていたというオーナーのデンマーク人に騙されていたことを知り“ブラジルが駄目ならアメリカがあるさ”と再移住し、世界最強の企業ゼネラル・エレクトリックの国際商事本部長になりカウンタートレードの責任者として東欧諸国の元首や首相と丁々発止の裏ネゴに従事しバーンアウト。
 
中近東では禁酒国のサウジアラビアで酔っ払い、石打の刑に処せられる寸前にアメリカ大使館付商務参事官に救出された。
その後、アメリカ各地で転職を繰り返し、カナダに引退するまでの奇想天外なワイの私小説の前半だす。もっとおもろい後半は制限字数を越えるのでまたの機会にどうぞ。
尚、この物語には本名も登場しますが、小説ですから、あくまでフィクションであることを、あらかじめお断わりして置きます。
 
第1話  九州の仲間達
第2話  はるばる来たぜ南米
第3話  中東の街角
第4話  珠江の畔
第5話  マイアミのオメコちゃん
第6話  なつメロ合唱の集い
第7話  トロント協奏曲
第8話  ポルトガル紀行
第9話  ランゼロッチ侯爵夫人の恋
第10話 東欧見聞録
第11話 痔切る博士の発明
第12話 水の妖精
第13話 日本一のポルノ女王


ポルトアレグレでも秋の気配が感じられます。

ニュージランドでは、3月には、既に紅葉が始まり秋を感じましたが、暑かった夏も終わりやっと秋らしい清々しい気候になりました。歩くのには最適な気候ですが、日が暮れるのが早くなり暗くなるのでその点では夏の長い夕刻の方が歩き易いです。
12月から咲き始めた百日紅が長い間目を楽しませて呉れましたが、ポルトアレグレの街路樹では、紅葉するのは数少ない紅葉、楓以外では、この百日紅が一番紅葉し目を楽しませて呉れます。真っ赤に紅葉するのから黄葉するものと落ちた葉がまた綺麗な模様を作って呉れます。5月の末の色付く街路樹の写真を貼り付けて置きます。

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≪アマゾンの花束≫ しゅくこさんからのお便りです。

昭子さ~ん & 花咲爺様へ
              しゅくこです
 
アマゾンの花束、豪華ですね! 
ひとつひとつをばらして触って、香りをかいでみたいものです。
白崑崙花は何と読むのでしょうか?
 
育った土地が違うと人も動物も植物も、それぞれの空気をまとっていることにあらためて驚いています。
それを強く感じたのは、以前にも書きましたが、ブラジルの種から育ったのと、日本で育った我が家の二つのジャカランダのことです。
ずっと同じ条件で並べて育てたのですが、外見は見間違うほど同じ様態だったのに、それぞれを鉢から取り出し、根の土を洗い落とした後、現れたのはまったく違った根でした。
日本育ちのは柔らかい絹糸の感触としたら、ブラジルのはがっちりした鋼のような感触です。
初心者の私にとっては新鮮な驚きでした。
 
写真は早朝の野球公園です。

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ポルトアレグレ市役所国際課との打ち合わせ

先月末イボチ移住地の農産品即売会会場でフォルテナッテ市長ご夫妻とお会いして色々懸案事項に付き話し合う機会が有ったが、正式に市役所国際課と意見交換して置く必要を感じ金沢友の会のサントス会長と一緒に5月20日と23日の両日市役所を訪問ロドリゴ課長と打合せをしました。
金沢市の担当、弥村圭一さんに下記報告を出しました。

弥村 さん お忙しそうですね。
5月20日(金)10時と5月23日(月)11時半―12時半の2度に渡り金沢友の会会長のサントスにも同席頂きポルトアレグレ市役所で諸々の懸案事項について話合ました。
ロドリゴ課長が、水曜日(25日)までに市役所の正式回答として研修生のマリーナさんに弥村さん宛に英語で返信を出させるとの事でしたのでそのLTRが出てから補足説明として出させて貰う積りでしたが、マリナさんの身内に不幸があり2回の会合にも出席しておらずまだ直接お会いしていない状況です。多分まだお休みなのかも知れません。
市役所の回答は、マリナさんのLTRを持って対応して頂くとして下記補足説明として私から2日間の市役所との打ち合わせ(特にロドリゴ課長と直接話す機会が有った月曜日の会合の様子を報告して置きます。
1)            6月12日(日)のポルトアレグレマラソン開催時に金沢マラソンのPRをするのは、是非効果的に行って欲しい。出来れば来年のポルトアレグレマラソンは、姉妹都市金沢マラソン支援大会として共催できないか具体的な案を練って行きたい。出来れば10月23日(日)の第2回金沢マラソンにも選手を派遣させたい。今後主催者のCORPAとのコンタクトを市役所としても取ることにするとの事でした。
2)            ことじ灯篭の設置場所は、最終的に初期に予定していたレデンソン(FAFOPILHA公園)にある池の島の突端(足で漕ぐボート乗り場の反対側)に決めて公園のモヂフィケーション、新規設置等を検討する審議会の許可を取り付けることにして現在根回しをしている。この州内の大学、各種団体等50以上のメンバーからなる歴史建造物保存審議会の許可を5月31日(火)に仮承認を得て(審議会長を含む3名の署名で出して貰える)具体的な計画書を作成し最終承認を得る手続きを取る。
3)            ことじ灯篭は、確か11月頃完成予定の筈ですが、完成次第、船積して欲しい。ことじ灯篭の引き渡し場所は、ポルトアレグレ市が指定する倉庫迄運んでもらえるか(リオグランデ港からポルトアレグレ迄の国内運賃も金沢市負担)。C&Fリオグランデになるか明確にして欲しい。ポルトアレグレ市としては、金沢に国内運賃を負担して貰いたいとの希望を表明していました。これから詰める必要あり。ことじ灯篭の据え付け場所が決まれば(設置場所の許可が下りれば)現場CHKと実際の据え付け前の準備に金沢から何方かが来られるかどうか?据え付け作業の指導に金沢から人を出して貰えるのかどうか?もし金沢から人を派遣して頂ける場合、現地での宿泊費、食費等は、ポルトアレグレ市役所で負担する用意はある。
予算の関係で据え付け時期は、4月か5月の2週間程度で据え付け可能か?正規の引き渡し式は、第6回の日本祭りの前日に当たる8月18日(金)の午前10時開始として夜のテレビの全国放送で流して貰えるようにしたい。金沢市長には、17日中にポルトアレグレに入って頂き18日ことじ灯篭引き渡し式、姉妹都市提携50周年記念式典を行い19日(土)、20日(日)の日本祭りに参加頂き21日(月)帰国を考えて貰いたい。引き渡し式は、8月になるが、据え付け完了後は、一般公開せざるを得ない。(公共の公園で立ち入り禁止区域を設けることはできない』。実際のことじ灯篭の船積時期、据え付け時期等は、これから話し合って行くことになるが、引き渡し式は日本祭りと一緒に提携50周年式典を行いたい。ご検討乞う。
4)            上記の通りことじ灯篭の設置場所と設置時期、運賃負担と現地経費負担等に付いての具体的な市役所サイドの希望が出て来ているのでこれから具体的に詰めて行けば良いと思います。以上ロドリゴ課長との話し合い内容をマリナさんのLTRより先になってしまいましたが先入観を持たず正規のLTRをベースに貴方で取り組んで行って下さい。側面情報等は、当方からも補足情報としてお手伝いして行く積りです。
5)            ロドリゴ課長から出されたもう一つの申し出は、市の文化局で図書館敷設の姉妹都市金沢のスペースを設けているとの情報が寄せられ近々サントスさんと現場を見に行って来ますが、場所も良い所にあり図書館として多くの人が行き貨っているようですのでスペースと保管用のケース等を用意すれば現在手持ちの金沢の展示品をパーマネント展示場として利用することも可能となり日本祭りの間だけ会場に移動させる体制を考えて行けばと話し合っています。具体化するかどうか検討してみます。

写真は、執務中のロドリゴ課長、市役所職員の皆さんとの写真です。

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石碑除幕で日伯の絆確かめ=文協文化祭り1万人超で賑う ニッケイ新聞WEB版より

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除幕式を祝う呉屋会長(右)と中前総領事(左)
 ブラジル日本文化福祉協会(呉屋春美会長)は21、22両日、聖市で開催されたビラーダ・クルツラル期間中、第10回文化祭りを文協ビルで開催した。大講堂での様々な演目をはじめ、サロンでの生け花協会による合同華展、文化ホールでの各種ワークショップなど、日系・非日系を問わず、終日多くの来場者で賑わいを見せた。
 あいにくの悪天候だったが、推定1万2千人以上が来場。1万人超えは数年ぶり。中島エドアルド剛事務局長によれば、例年1日だけの催しだったが、今回は土日2日間の開催で成功させようと一致団結したという。「呉屋会長新体制の下、委員会活動が活発に行われ、ボランティア準備など大変な労力と調整があった」。
 初日正午からの開幕式に先立ち、庭園では安倍晋三首相による揮毫「日伯繁栄 JUNTOS(一緒に)」が刻まれた記念碑の除幕式が執り行われた。安倍首相は一昨年8月、現職としては10年ぶりの来伯だった。
 来賓の中前隆博在聖総領事は、揮毫の内容に加え、それが送られてきた理由を「総理が訪れた際のおもてなしへの感謝、日系社会の歴史に対する敬意。そして日伯両国が共に繁栄しようという、日本政府の強い意思の表れ」と説明した。
 開会式では各団体の代表者が登壇。聖州の公式行事として認定され10周年という節目も迎え、呉屋会長ら文協関係者へ謝意が伝えられた。
 一方、羽藤譲二聖州議は「厳しい政治経済情勢ではあるが、日系社会として伯国に貢献していかなければ」と語りかけ、「雇用を創出し汚職を減らそう」と来場者へ呼びかけた。
 大講堂前のサロンでは、約70点もの生け花が来場者を盛大に迎え、ビル内の各部屋で様々なワークショップが行なわれた。今回文協祭りに初めて訪れたという堀口亮介さん(25、二世)は、「生け花が豪華絢爛で驚いた。これだけ多くのワークショップを一日で体験できるのは初めてだった」と喜びの表情をうかべていた。

□関連コラム□ 大耳小耳
 先日の文化祭りで、お年寄りが元気に体を動かして、賑わいを見せている会場があった。その名も「ダンサ・セニョール」。ドイツ発祥のダンスで、フォークやクラシック音楽に合わせて、楽しく無理なく体を動かすことのできる体操だ。文協1階で毎週火曜日午後1時から定期クラスがあり、わざわざ遠方から来る人が大勢いるとか。家でじっとしている人は1回参加してみては。体を動かし、たくさん話をすることで、心も体もスッキリするかも。


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