私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2016年08月

初日に金メダル2個受賞  丸木さんからのお便りです。

アメリカス マスターズゲームでは、幸先良く五十メートル平泳と二百メートルで優勝しました。

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文協支援の歌謡祭を立案=「手を取り合って」と中平さん ニッケイ新聞WEB版より

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手を取り合う出演者、文協関係者ら

文協支援の歌謡祭を立案=「手を取り合って」と中平さん  

 資金不足のため改修が遅れている、文協ビル地下の文化空間プロジェクトに関し、歌手の中平マリコさんが慈善コンサートを企画した。文協大講堂(Rua Sao Joaquim, 381)で11日午後1時から、『第1回さあ~始めよう みんなで手を取り手を結び 文協文化ホールを完成させよう』を行なう。
 中平さんの呼びかけに日本舞踊の花柳流金龍会、レキオス芸能同好会、歌手の伊藤カレンさん、健康体操協会らが賛同。彼らがステージを彩る。収益は改修資金に充てられ、入場料は30レアル、出演者も同額を寄付する。
 全伯ツアー13年目を迎える中平さんが、日系社会への溢れんばかりの熱い思いを具現化した。日本文化を継承し次世代に伝えてゆくためには、「文化ホールの完成が必要」とし、「今を生きる皆さんと共に歩んでいきたい」と熱意を語る。
 出演者は自己完結で公演するのではなく、前後の出演者と手を取り合うように共演し、共同イベントという色合を全面に出す。ショーを通じ「人は一人では生きていけない」ことを伝える狙いだ。
 イベント自体も「複数回開催したい」と中平さん。「『自分たちで日系社会を守りたい』という次世代の気付きになれば」と期待し、「点と点が繋がり線となり、手を取り合って大きな輪となり広がってほしい」と目を輝かせた。
 当日は弁当販売も。問い合わせは文協(11・3208・1755)まで。

ポルト・アレグレ日本祭り=伯人巻き込み7万人集客=(下)=移民60周年で先駆者顕彰  ニッケイ新聞WEB版より

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叙勲された父の写真を手にする福家ケイコさん

ポルト・アレグレ日本祭り=伯人巻き込み7万人集客=(下)=移民60周年で先駆者顕彰

 第5回目を迎えた今年のテーマは、『南大河州の日本人移民への顕彰』。1956年8月18日に、日本からの直来移民として23人の若者が聖市から南に1140キロ、大陸国家ブラジルの最南端にあるポルト・アレグレに根を下ろしてから、今年は60周年の節目を迎える。
 8月18日はポルト・アレグレ市では「日本移民の日」に制定され、それを記念したこの
日本祭りは、いまや州公式行事にまで認定されている。
 戦後の直来移民を受け入れて支えたのは、1920年代に入植していた国内転住組だった。その一人が福家ゴイチさん。1929年に渡伯した福家さんは最初レジストロに入植したが、1930年代に同州サンタローザに土地を買って入植した。当時としてはごく珍しい転住先だ。
 娘ケイコさん(二世、77)は、特別設置された移民資料館で当時の写真を見て、「当地では初期の移民だったから、父は多くのことを知っていた。寡黙な人だったけど、大事なときに口を開けば、皆が静かに耳を傾けていた。助け合うのは当たり前だと言って、よく人の世話をしていた」と懐かしそうに語る。戦後移民受け入れなど日系社会への貢献により79年に叙勲された。
 ケイコさんは「父はどんな気持ちではるばる海を渡って、伯国で生きてきたのかと色々思うことがある」と感慨深げに語る。「自分に子供はいないけれど、次世代の若者には、日本文化をしっかり引継いで欲しい。日本はとても古い歴史があり、自然への感謝や、自立、助け合いの精神。どれをとっても大切なこと」と感じている。
 また、一方で「伯国にも明るい国民性や他民族への寛容性など良いところが沢山ある。互いに尊敬しあい、両国の良い部分を日系人として引継いで欲しい」と期待した。
 メイン舞台で日本舞踊を披露した田代クミコさん(82、鹿児島)は、58年にアフリカ丸で来伯し、南大河州に移ってきた戦後移民。渡伯前に習ってきた日本舞踊が、「好きで忘れられなかった」という。一緒に舞台へ上がった孫の吉本由美(三世、24)は、3歳からクミコさんに舞踊を教えられたという。
 クミコさんは「孫と一緒の舞台に立てて、とても嬉しい。日本をよりよく理解しようと受け継いでくれる気持ちを持ってくれている。本当に幸せ」と満悦の笑みで語る。由美さんも「
日本祭りで披露してから、日系の若者を中心にどんどん人が集まってきた。日本文化を伝え、保存していかなければ」と意気込みを見せ、「当地には日系人は少ない。同祭は日本文化に触れることのできる唯一の機会。私たちの踊りをぜひ伯人に見て欲しい」と目を輝かせ、日系青年会「新星」の一員として、力強いソーラン節で会場を沸かせた。
 視察に訪れたポルト・アレグレ領事事務所の近藤猛事務所長は、「ポルト・アレグレ市民にしっかり根付いている」と感触を語り、県連
日本祭り実行委員長の市川利雄実行委員長も「文化紹介と展示、体験の均衡が取れており、かなり実力ある墨絵の作品もあった。食の広場では、若い客層に照準が置かれたものが販売されていて、かなり力のある日本祭りだと感じた」と賞賛した。(終わり、大澤航平記者)

≪日本の宿事情≫ 前田さんが貴重な情報を知らせて呉れました。

和田さん
    前田です
私も国内にあちこち出かけますが、ホテルが極めて取りにくくなっています。
充分気をつけてください。
なんだかんだ言っても、中国、台湾、韓国、東南アジアからの観光客が大変増えています。勿論、ヨーロッパ系も。
一昨年、丸木さんと博多でお会いした夜はホテルが予約できずカプセルインを予約して泊まりました。1ヶ月前ではホテルはほとんど予約できないと思った方がいいかも。
外人向けに、マンションに宿泊させるシステムが登場して問題を起こしています。

前田さん
日本のホテル予約が難しくなって来ているようですね。10月の訪日は、次女茜夫婦を帯同しますので2部屋4人の同じホテルでの禁煙ルームは、10月は殆どのホテルが満杯で空いているホテルを探すのに苦労しました。2部屋となるともっと難しく別のホテルに別々に泊まることもできないので次のホテルを探すことになり苦労しましたが、一応全行程ホテルだけは全て押さえました。
成田1泊、房総3泊、札幌3泊、仙台1泊、茨木〈大阪〉3泊〈京都、奈良は日帰り)、神戸1泊〈父母の墓参り)、中津〈耶馬渓〉2泊、熊本1泊、岡山1泊、金沢3泊、軽井沢1泊〈軽井沢プリンスホテルが取れました〉東京3泊〈日帰りで富士山を見せてやりたい)と日本滞在3週間ちょっと奇跡的?にホテルがすべて取れました。前田さんの注意喚起に従い頑張ってよかったです。房総のイペー見学から始まり、札幌からの日帰りの旅〈吉田情報を下にこれからどこに行くか決める)、耶馬渓〈新日本三景の一つで恵子がどうしても行きたいと主張)、岡山では、備中松山城〈雲海の山城=高梁市)に連れて行ってやりふいご峠から城の本丸付近までの山道徒歩20分程を茜と一緒に歩きたいと思っています。毎年通っている姉妹都市金沢を訪問し来年の日本祭りとことじ灯篭贈呈式等に付いての打ち合わせ、軽井沢のプリンスホテルでの休息(去年、山下さんが金沢の帰りに軽井沢に立ち寄ったと聞いていたので探してみたら軽井沢プリンスホテルが幸運にも取れた。浅間山でも見ながら歩くかサイクリングを楽しみたい)帰国前の東京滞在中に箱根、芦ノ湖からの富士を見せてやりたいと思っています。地震の多い日本の被災地、神戸、仙台、熊本を巡り地震の恐ろしさを説き、熊本城、中津城、岡山城、備中松山城等のお城も見せてやりたい。福沢諭吉の郷里中津の隣駅のホテルも取れました。耶馬渓を丸一日のコースで歩いてみたい。
何とか10月の訪日は、茜達の入国査証取得のためのスケジュールとホテル予約書が必要との事で前田さんに喚起して貰い全てが整いました。有難う。
 
下記写真は、新日本三景の一つ耶馬渓と備中松山城に軽井沢プリンスホテルの写真を借りて貼り付けました。

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≪イペーアルバとピリキット≫ 池田さんからピトレスカな写真が届きました。

花咲爺の皆さん
                       
池田です
震える寒い朝ピリキット雌雄がイペーの花を千切っていたずらしておりました。
ベージヤフロルはミツを飲みに来ました。

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