私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2017年04月

≪労働法改正反対スト≫ リオの山下さんからのお便りです。

皆さん
山下@リオです
 
本日28()は、労働法改正反対ストで、リオの港からセントロ地区で、
バス8台が焼き討ちにあいました。
実際、セントロの一部は危険でしたが、人数はそれほど多くはありません
でした。バッラの付近は銀行も通常に業務していました。
 
OGLOBOによると、ストは全国規模で、参加者数、警察当局発表97千人(左図)に対し、労組発表は130万人です(右図)

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《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」=ポルト・ヴェーリョとパウマス(14)「悲しいなんて生易しいもんじゃない」 ニッケイ新聞WEB版より


 PV日本語学校で教師をする荻沼由季さん(29、茨城県)は、現役のJICA青年ボランティアだ。
 日本でも日本語教師を生業とし、来日する留学生に語学学校で教えていた。「ベトナムで教師ボランティアを一週間する機会があった。その時、実は自分は日本語を良く分かっていないのでは、日本人として何が教えられるのかと考えさせられ、もう一度外国で教えたいと思い、JICAに応募しました」と動機を語った。
 「ここにきて、日本とは教え方が違うので、最初はとまどったが、すごく手ごたえがあった」と充実した様子。
 2011年7月から2年間、同ボランティアとしてPVに赴任した中山美早紀さん(30、京都府)。帰国後に1年間、日本の小学校教諭として働いていたが、再びPVに戻った。
 「田辺先生が体調を崩され、先生が足りなくなっているというので、戻ってきました。せっかく盛り上がってきたのに。そのままにはしておけないと思いました。こんな田舎にも日本文化を好きになってくれる生徒がたくさんいる。そんな生徒をもっと育てたい。ブラジルは私に合ってます」とのこと。
 和太鼓は6歳からやっていて、「まさかブラジルで役に立つとは思っていなかった」と笑う。Yosakoiソーランも「元々踊るのが好きで、学生時代に少しかじっていた。今は生徒たちに引っ張られるようにやってます」という。
 和太鼓とYosakoiソーラングループの名前「美光嵐」の由来を聞くと、「田辺先生が付けてくれました。新しい嵐を巻き起こしてほしいという意味だと思います」とのこと。きっと国境地帯に光をもたらす嵐に違いない。
 山田康夫団長は「想像以上に苦しい初期の生活であったことが、今回の訪問で痛切に感じられました。日系人が少ないこの地で、元気に日本文化継承に活躍されている皆さんの存在を、心から有難く思っています」とロンドニア日伯文化協会の役員に記念品を渡した。
     ☆
 娘に連れられ、会場の片隅にいた現地の黒田喜与美さん(77、福岡県)になにげなく声をかけた。すると、「私は東京都足立区大谷田町で育った。15歳以上の働き手が3人以上必要だからって、15歳の時に連れて来られたの。何にも知らない高校生でしょ。ここへ着いて、いきなり電気もない開拓生活。『悲しい』とかいう生易しいもんじゃなく、とにかくすごいショックだったのよ」と振りかえった。
 その一言で、華やかなイベントのお祭り気分は吹き飛んだ。「しっかりと聞かなければ」と襟を正し、ペンを握りなおした。
 黒田さんの父は衆議院の運院所で公務員をしていたという。「お父さんのお金遣いが荒くて、お母さんがアグエンタしなかった(耐えきれなかった)。そんなお父さんがブラジルに行くと言い出した。来て2年目、17歳の時に重人と結婚しました。彼には3人の連れ子がいて、むりやり。夫の弟の家族は12、3人もいて、家政婦のように私が全部トマコンタ(世話)しなければならなかった。それまで、私は何にも知らなかったのよ。どんなにして鶏の捕まえるのか、どう首を切るのかも知らないでよ」と語り始めた。(つづく、深沢正雪記者)

≪中銀 26 日発表の統計≫ リオの山下さんからのお便りです。

山下@リオです
 
中銀26日発表の統計より

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3月の海外直接投資は42億ドル、過去12カ月累積は3まで610億ドルです。日本は11位でした。(inv704.xls)
 
国内の外貨フローは、貿易で3月は85億ドルの黒字です。
ファイナンスは、57億ドルの赤字で、差し引き29億ドルの流入となりました。
 
本年3月の経常収支は14億ドルの黒字です。
 
3月の貿易収支は71億ドルの黒字で、過去12カ月累積は、537億ドルで記録更新です。
 
3月の外貨準備高は3753億ドルです。
因みに過去の記録は20146月の3805億ドルです。
(添付cambiocontratado704.xls) 
(添付baldepagto704.xls) 
 
3月の支払い手段M13%減、M1の過去12カ月累積は、2.43%増です。
 
インフレはFGVIGPDI指数で、3月はマイナス0.38%、過去12カ月累積は3月まで4.38%でした。
 

《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」=ポルト・ヴェーリョとパウマス(13)非日系主体の日本語教師陣 ニッケイ新聞WEB版より

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左からルイザ・フェレイラさん、アルベルト・ソブラルさん、奈良橋勲さん、フェルナンダ・ラッパさん、中山美早紀さん、荻沼由季さん

 「日本祭り」後に田辺さんに呼ばれ、「ぜひ日本語教師を取材してくれ」と声をかけられた。さっそく会うと、JICAボランティア関係以外の大半が非日系だが、しっかりとした日本語で取材に答えた。
 生粋のPVっ子の日本語教師フェルナンダ・ラッパさん(21)は、日本語の勉強を始めて6年目。「漫画アニメが大好きで、日本語を勉強したくなった。折り紙、切り紙も」という。手先が器用なようだ。「日本語教師が少ないから最近手伝い始めたけど、漢字覚えるのが大変」。
 アニメ以外の日本文化で興味がある点を尋ねると、「江戸時代の文化ね。歴史が好きなの」と意外な回答。しかも「夏目漱石の『吾輩は猫である』も日本語とポ語訳を読み比べているわ。昔の日本が想像できて、面白いのよ」とのこと。アニメを入り口に、かなり深みのあるところまで興味の幅を広げている。
 ルイザ・フェレイラさん(21、ボリビア国籍)は国境の向こう側の町ゴヤラ・ミリン生まれ。親の仕事の関係で引っ越しこの町で育った。「カードキャプターさくらのキャラクターがカワイイ。アニメが好きで、4年前に日本語を始めた。半年前から教え始めたけど、助詞や漢字が難しい」。
 アニメ以外の興味のある点を尋ねると「祝日、祭日の由来ね。そこに日本の歴史の大事なものが隠れている気がするの」という答え。驚くほど高尚な視点だ。
 奈良橋ルイキ勲(いさお、29、三世)はブラジリア生まれで、幼少時にPVへ。12年前から日本語を始め、7年から教師をする。「日本から伯母さんと従兄弟が3回ぐらい遊びに来た。それで日本語を話したいと思うようになった」という。
 「18歳の時に1カ月間だけ日本にいっていた。もっと日本の普通の生活が知りたい」。つまり訪日後に日本語教師を始めた計算になる。やはり、訪日経験が若者に与える影響は大きい。デカセギでなく、観光や研修という形で日本体験する機会を増やすことは大きな意味がある。
 リオ市生まれのアルベルト・ソブラルさん(27)は6歳でPVへ。
「アニメが好き。ドラゴンボール、ブリーチ、ワンピースとか。あと日本の古い映画も好き。昔の『ゴジラ』とか、黒澤明の『七人の侍』も大ファン」とのこと。「生徒の日本語能力が上がって来たのが分かる瞬間が一番嬉しい。だけど、いくらやっても漢字は難しい」と頭を掻いた。
 90年代前半に町が大発展を始めたのと軌を一にして、たくさんの人が南や周囲から流れ込んできたことが、日本語教師の出身地からも良く分かる。国境に近い町らしく、会長同様、多国籍な教師陣だ。親日派の市民が育っていることが教師の姿からも実感される。(つづく、深沢正雪記者)

《ブラジル》県連故郷巡り=「承前啓後」=ポルト・ヴェーリョとパウマス(12)アルゼンチン日系二世が文協会長 ニッケイ新聞WEB版より


 ロンドニア日伯文化協会の会長は、なんとアルゼンチンのブエノスアイレス生まれの日系人、玉田マリエラさん(49、二世)だ。戦後移民の娘らしく、日本語が達者で、日本研修中にブラジル日系三世(サンパウロ州トゥッパン出身)の夫と知り合い結婚した。
 一時はサンパウロ市タトゥアペに住んで広島県人会の会員にもなったが、「仕事が忙しくて、活動には参加できなかった」と振りかえる。「両親がブエノスでは日系団体の活動に熱心だった。そんな姿をみて育ったから、自然と自分もそれが当たり前と思うようになった。でも、広島県人会にはたくさん協力者がいるから、『もう一人いる』ぐらいの感じだった」。
 医師である夫の仕事の関係で、10年前にポルト・ヴェーリョ(以下PVと略)に来た。「来てすぐ日系団体がないか探しました。子供が二人いて、日本語教室に通わせたかったから。来てみたら、ここでは自分でやるしかない、私がもっと手伝わないと、という切迫感があった。来て3年目から役員をするようになった」という。
 マリエラさんはサンパウロ市では「たくさんの一人」だったが、PVでは「私がやらないで誰がやる」に変わった。彼女のように、機会が与えられれば一皮むけてリーダーになれる二世、三世というのは、きっとたくさんに埋もれているに違いない。「コロニアの潜在力」だ――。そう思うと頼もしくなった。
 マリエラさんはいう。「実は2010年に解散する瀬戸際だった。会費が高いと苦情が多くなり、会員も減った。会長になる人がいなかったの。別の町ジ・パラナ市に住む非日系の会長が就任してくれ、ここで彼女を補佐するために私は文化部長になった。そして一生懸命手伝っているうちに3年前に会長になった」。
 同会の創立は1994年12月11日、今年23年目だ。BR364がアスファルト舗装された1983年の頃からサンパウロ州やパラナ州との物流が盛んになり、物が入るようになって町の産業構造が変化し、北パラナやサンパウロ州地方部から若い日系人が流入し始めた。それから、ほぼ10年で発足したわけだ。「役員は40~50代の三世が中心です」とのこと。
 その軸になったのが、9月13日移住地出身で地元に根を張った田辺さんのような戦後移民だ。
 現在は会費を徴収しておらず、活動に参加する「協力者」が50人ほど。日常の活動は日本語学校、合気道、和太鼓、Yosakoiソーランが中心。資金集めのイベントとして3カ月ごとにスキヤキ大会をする。マリエラさんは「多い時は500人ぐらい集まりますよ」とのこと。ほぼ赤道直下でもスキヤキは大人気だ。
 故郷巡り一行が到着したあと「日本祭り」の出し物は佳境を迎え、息の合った和太鼓やYosakoiソーランが披露された。それを見ながら、マリエラさんは「JICA青年ボランティアの中山美早紀さんが日本語教師として来てくれ、和太鼓、ソーランも教えてくれ、その活動が始まった。最初は太鼓がないからタイヤや竹を叩いていた。少しずつ太鼓を買いそろえて、今では12個ありますよ」とほほ笑んだ。JICAボランティアの指導が日系団体の主軸活動に育った好例だ。
 「日本祭り」を視察した後藤修二在マナウス総領事は閉会式で、「このような形で日本文化を広めてもらって本当にありがたい」と感謝の言葉をのべた。(つづく、深沢正雪記者)

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