私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2017年09月

ブラジルの国花イッペーの花を日本に咲かせたい。(趣意書) 40年ホームページより転載


余り花鳥風月に関係が薄かった私ですが、『私たちの40年!!』関連BLOGにブラジルに咲く花と云う欄を設けて紹介始めてから散歩時にも草花に注意が行き写真機を向けるようになりました。鹿児島にお住みの元鹿児島大学農学部の園芸学科の先生をしておられ退職後JICAのシニアボランタリーで4年間アルゼンチンにも園芸指導(育種指導)に出掛けられた有隅健一先生に色々コメント頂くことになり写真だけでなく種の採集を始めこまめに有隅先生の所に郵送しておりその内のポルトアレグレに咲いていたブラジルの国花イッペーアマレーロの実生の苗を現在丹精して育てて頂いており私の郷里の神戸、西宮、最近は横浜、浜松等にもメーリングリストのメンバーの皆さんが協力して打診頂いていますが、公共団体では予算を伴う植樹計画の存在有無、街路樹として植えるには3年は育てて有る程度大きく成るまで待たないといけない等の制約等もあり現在育てて頂いている来年6月頃に予定している100本程の苗木の配布先を個人ベースで大事に育てて下さる協力者を探す必要が出て来ています。今更、趣意書とも思いましたが、【イッペーの花を日本で咲かせる会】として扱っていくことにしましたのでこのHPでもご紹介して置きます。
写真は、現在ポルトアレグレで見事に咲いているイッペーの写真の一枚です。

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ブラジルの国花イッペーの花を日本に咲かせたい。

9月7日はブラジルの独立記念日ですが、この季節に広いブラジルの粗全土にブラジルの国旗の色の一つの黄金を象徴する黄色いラッパ状の花を咲かせるイッペーアマレーロが咲き誇ります。

このブラジルの国花イッペーの花を日本の気候上可能な北限まで広めたいとの切なる思いを持っております。

私は『私たちの40年!!』と云うあるぜんちな丸第12次航の1962年5月11日にサントスに上陸した681名の同船者の移住先国(ブラジル始めアルゼンチン、パラグアイ、ボリビア)に置ける定着の過程を戦後移民の歴史の一部として書き残して行きたいとの思いでホームページ、関連BLOG、メーリングリスト、画像掲示板等を管理運営しております。

私の住むブラジル南部のポルトアレグレの街にもこの季節イッペーの花が咲き始めていますが、このイッペーの花を一本でも多く私の故郷、日本に植え多くの日本の皆さんに愛でて欲しいとの思いを抱いておりますが、メーリングリスト、BLOGを通じて交信をさせて頂いている鹿児島市にお住みの元鹿児島大学農学部園芸学科教授の有隅健一先生とお近づきになりせっせとポルトアレグレの街路樹の種を採集し送らせて頂いており現在昨年採集したイッペーの種を今年の春に播種して鹿児島で大事に育てて頂いています。この有隅先生が現在育てておられる実生のイッペーの苗が来年春には日本の冬を耐え忍んだ100本前後が巣立つ予定になっております。

元商社員としてブラジル勤務の経験のある西宮にお住みの杉井皓一さんと東京にお住みの拓殖大学ブラジルOB会の事務局長をしておられる井川 實さん他『私たちの40年!!』関係者一同の協力を得て今回【イッペーの花を日本で咲かせる会】を立ち上げ有隅さんが育てて居られるイッペーの苗を里子として預かり大事に育てて下さる里親探しのキャンペンを始めることにしました。

既にイッペーの花は、神戸の旧移住センターの【移民発祥の地】のブラジルから送られた記念碑の横に見事に花を咲かせて呉れていますし元町駅界隈にもイッペーの木が植えられており神戸の移住坂をイッペーの木で飾ると云う計画も進められていました。神戸以外でも日本各地でブラジル関係者の手引きでイッペーの花が見られるようになって来ています。

私は、神戸出身で神戸の移住センターから移住した移民の一人として自分の住むブラジルの国花イッペーの花を日本に出稼ぎに出掛けている仲間の皆さんに故郷ブラジルを思い出す縁として季節に合わせイッペーの花を観る機会があれば一つの安らぎ、故郷への思いMATA SAUDADE(懐かしさを殺す?) の一役を果たすことができるのではないかと願っております。

大きな事は、望みません。ブラジルから送られて来たイッペーの種を播種、苗を育てて下さった有隅先生の丹精した苗が一人でも多く私たちの趣旨に沿い大事に育てて下さる協力者の手に渡る事を切に願っております。

ブラジルの国花、黄色いイッペーの花を通じて日本からブラジルに移住された方、またブラジルから日本に出稼ぎに来られている方、またそれを温かく受け入れて下さっている皆さんとの友愛のシンボルとして日本の各地に花を咲かせて呉れる日が来ればと願っています。
平成21年9月1日


【イッペーの花を日本で咲かせる会】
 代表責任者   和田 好司(ブラジル ポルトアレグレ在)
         wada@sawayaka.com.br
 協力者   有隅 健一(鹿児島市)
         ken_arisumi@yahoo.co.jp
         杉井 皓一(西宮市在)
         k_sugii5@hotmail.com
         井川 實 (東京都在)
         ig68@chime.ocn.ne.jp


関係ニュースURL

http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=1243

http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/41669701.html

http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/41125842.html

http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/41107761.html

添付写真は8月30日にポルトアレグレに咲いているイッペーの花を撮ったものです。こんなイッペーの黄色い花が日本でも4月から5月に咲いて呉れると嬉しいですね。

上記記事は、私たちの40年‼ 寄稿集に残されている現在の『花咲爺の会』の原点になる9年前の2009年9月7日の記事から転載しました。参考になればと思います。

風車小屋公園のイペーアルバの種が収穫できました。

今日、風車小屋公園に行ったらイペーアルバの鈴なりのサネの手が届きそうな高さのサネが丁度採種に最適の次期になり種が散逸する寸前のものを近くにいた私より背の高いマルコ二さんにも手伝って貰い収穫しました。10本近いサネを犬の糞を入れるビニール袋に飛び散らないように直接収穫し大量の種を確保しました。
写真を貼り付けて置きます。

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衆院選=在外投票11日から開始へ=北朝鮮対策や消費税が争点=各地の在外公館で実施 ニッケイ新聞WEB版より

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 28日の臨時国会本会議での衆議院解散により、「第48回衆議院総選挙」が来月10日公示予定となったことを受けて、11日から在外公館投票が開始される見通しであることが発表された。25日の記者会見で安倍首相は、緊迫度を増す北朝鮮対策や、少子高齢化対策のための19年10月消費税率引上げ等々を掲げ、「国難突破解散」と銘打った。安倍政権の節目、自公連立政権への信任が問われる大事な選挙となりそうだ。
 09年政権交代により発足した民主党政権下での大失政を受け、12年衆院選で議席数3分の2を超える326議席を獲得し、地滑り的大勝を収めた現政権。
 森友加計問題で疑惑が広がり、7月には内閣支持率を不支持率が上回ったが、8月に第3次改造内閣を発足させた。手堅い北朝鮮対策も評価され、政治意識月例調査によれば、今月は支持率が44%に回復した。
 そのなかで、衆議院解散となった今回。対北朝鮮対策や憲法9条改正などを主とする安全保障政策や、19年10月から予定する消費税率の10%への引上げ、原発政策などが政策対立軸として浮上しそうだ。
 見逃せないのが、7月の東京都議選で圧勝した地域政党「都民ファーストの会」を率いる小池百合子氏が25日に設立した「希望の党」だ。
 安保関連法や憲法改正への賛同を条件に多くの民進党議員を取り込みつつも、現政権との対立姿勢を示し、消費税率引上凍結や脱原発などを掲げて無党派層からの期待も高く、政界再編に繋がる可能性を孕む。
 民進党は候補擁立せず事実上の〃解党〃。打倒安倍政権という一点で結束していた民進党リベラル派議員の動向にも注目が集っている。
 在外投票には、在外選挙人証と旅券等の写真付き身分証明書(原本持参、コピー不可)が必要。在外選挙人登録には、申請から交付までおよそ3カ月要するため、在外選挙人証を既に持っている必要がある。
 在外投票には、在外公館での投票と郵便等投票の二つの方法がある。
 在外公館投票は、11日から14日の午前9時半から午後5時まで、原則として各在外公館にて実施される予定。
 在聖総領事館はこれまで援護本部センターで実施してきたが、今回はパウリスタ大通りの総領事館3階多目的ホール(Avenida Paulista, 854, 3º andar)で実施。また、在ベレン領事事務所は13日までの予定。
 一方、在外公館から遠い居住者は、郵便等投票が可能。在外選挙人証と投票用紙等請求書を作成の上、郵便、国際宅急便などを使って、登録地の市町村長の選挙管理委員会に直接送付する。その後、選管から投票用紙、封筒、外封筒を1セットが届いたら、必要事項を記入の上、国内投票日22日午後8時までに選管に到着するよう送付する。詳細は、外務省ホームページ(http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/senkyo/vote2.html)を参照のこと。
 
□関連コラム□ 大耳小耳
 今回衆院選から定数10減の465議席となり、現政権は過半数の233議席を目標とする。安倍総理が目指す憲法改正発議には、3分の2、310議席が必要とされる。なお各在外公館への問合せは以下の連絡先まで。▼在ブラジル大使館(61・3442・4200)▼在ベレン領事事務所(91・3249・3344)▼在レシフェ領事事務所(81・3207・0190)▼在クリチバ総領事館(41・3322・4919)▼在ポルト・アレグレ領事事務所(51・3334・1299)▼在聖総領事館(11・3254・0100)▼在マナウス総領事館(92・3232・2000)▼在リオ総領事館(21・3461・9595)。ブラジルからも清き一票を!

わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=
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2017年9月27日

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 子供たちの学校休日をフエイラ稼業に就労させて、学業をおろそかにする何とも苦い思いであった。
 自分が県人会活動に傾注していると結果的に家族を犠牲にせざるを得なくなる。
 これは誰もが知っている当然のことだ。だがそれを知っていて、しかも無報酬で、なんでそんなことをするのか。
 自家用車を走らせ昼夜を問わず働き、県人会活動やその資金造成に頭を痛め、県人会活性化に手をやき、それでも多くの人々から苦情を言われ、叩かれるそれがおちで、これが県人会長の立場なのか。
 では、それでも何故その職責につくのか。
 馬鹿でなければ果たせない職責といいながら屋比久孟清氏は15期15年間県人会長を務めているし、花城清安氏は10期10年、文化センターでは9期18年も理事長に励んでいる。
 それには人それぞれの事情もあろうが、いささか名誉心も働き、使命感や責任感旺盛で率先して働く姿勢が周囲から推挙の条件となり、その職責につくのではなかろうか。
 沖縄県人は一般的に人前に出ることをさける習性があり「ナイシガル ナイル」といったひかえめの人々が大多数で、他県人会との違いかも知れない。
 組織活動では必然的にそのリーダーシップが必要である。リーダーなくして組織活動は成り立つはずはない。推されたら止むを得ない。
 人々のために働かざるを得ない。これが普通一般の考え方だから仕方がない。
 そして引き受けたらしっかりと徹底してやらねば気がすまない。これが常識であり人間性ではなかろうか?
 沖縄県系人の消極的姿勢(態度)は改めるべきではなかろうか。私は日頃からその思いでいたので推されたらなんでも心ゆくまでその責任を果たさねば気がすまない性格である。
 こうして私は、1964年にサント・アンドレー支部会館建設をめぐって平田志安支部長、仲宗根ペードロ副支部長らの下で、書記会計として資金募集・土地購入、そして建築工事と約4ヵ年がかりで建設する活動に関わりはじめたのである。
 これが私の沖縄県人会活動の始まりである。1966年12月の年末に完成し、イナウグラソンを催した。
 活動拠点の会館は出来たが内部施設や備品を揃えたり、具体的整備に2~3年の歳月を要した。
 その間、玉城栄八郎が支部長として2期務め、1970年の定期総会において私は支部長に選任されたが、当時は、既に書いたように青年隊代表派遣の任務があり、支部長就任を断る以外なかった。
 そのため1ヵ月後に支部臨時総会を開催して金城正雄氏を選任することになった。それ以降私は、青年隊運動に転じ青年隊着伯15周年祭や県人会本部の祖国復帰祝賀会などの役職に協力した。

「第3回さあ~始めよう」=全伯から5万3千レ=同じ釜飯食い、連携上手く ニッケイ新聞WEB版より

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盛況で終えた公演

 およそ1300人を収容する文協大講堂が全席満員となり、10日、大盛況で終えた『第3回さあ~始めよう みんなで手を取り手を結び 文協文化ホールを完成させよう』―。公演を終え、呉屋春美会長、中島エドアルド事務局長、歌手の中平マリコさんが来社し、決算報告を行った。
 出演者も来場者も一人30レアルを払って参加する同公演。今回は1304枚チケットが販売されたほか、全伯60ヶ所を巡り公演を行った中平さんが趣旨を丁寧に説明し賛同を得るなか、地方から多額の寄付が寄せられ、計約5万3千500レアルが寄付された。
 今回、ミリアン大刀コーラス、天龍和太鼓、丹下セツ子太鼓道場、リンス本願寺アソカ学園が初参加。10団体個人が前後の出演者と手を取り合うよう共演する形で構成され、午後1時開始された公演は予定時刻4時きっかりに閉幕した。
 安来節どじょうすくいで熱演を披露した呉屋会長に会場からは驚嘆の声も。当日は出演者200人の昼食のために南仏の豆料理「カスレ」と20キロのご飯を一人で準備したとも。「こんなに作ったのは初めて。皆さんと一緒の舞台に立ち、参加できて本当に良かった」と振り返った。
 中平さんは、「同じ釜の飯を食った仲間。イベントの趣旨を深く理解してくれ、今回は全てにおいて連携が上手くいっていた。次のことを考え皆が自発的に動き、堂々と舞台を楽しんでいた」と手応えを感じたようだ。
 17日に開催された伯力行会創立百周年記念式典で今年の公演を終え、無事帰国した中平さん。「今回は毎公演緊張し、一回一回終わる度に安堵していた。肩の激痛で耳が聞こえなくなり、幻聴が聴こえることすらあった」と苦難を明かした。
 だが、「日系社会の皆さんから本当に大きな大きなパワーを頂きました。来年は移民110周年。必ず笑顔で帰ってきます」と弾ける笑顔で語った。
 なお、今年の中平さんのCD売上額は1万7千500レで日系福祉4団体へ寄付される。CDは、聖市文協内4階の憩の園事務局で販売中。

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