私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2017年10月

新連載 桜井悌司さんの『ブラジルを理解するために』(その28)
連載エッセイ28
単身赴任か家族帯同か?
筆者:桜井悌司(日本ブラジル中央協会常務理事)
 
 サンパウロに駐在して驚いたことは、駐在員の単身赴任が多いことであった。おそらく商社やメーカーの社長クラスの半分は単身赴任であろういう印象を持った。単身赴任の理由は、①子供の教育上の心配、②治安の悪さのために家族を帯同できない、③親の介護のお世話を奥さんに任せなければならない、④奥さんが来たがらない等々があげられる。
単身赴任者の生活は外から見ていても味気ない。唯一の楽しみは、週末のゴルフという駐在員が多かった。私はゴルフを月に1回か多くとも2回、週末に、PLゴルフクラブ他でやっていたが、行くと必ず会う人が相当数いた。おそらく、彼等は、毎週末の土曜日、日曜日には皆勤していると考えられた。コンペの時はいろいろな人とプレイすることになるが、それ以外の時は、ごく限られた親しい日本人とゴルフをエンジョイしているのだろう。日系のゴルフクラブなので、日系コロニアの方はおられるが、ブラジル人は極めて少ない。当然、話題と言えば、ゴルフとビジネスだけになり、ブラジルの政治、経済、社会、文化等に話は及ばないし、現地社会にも融け込んでいるとは到底思えなかった。ウイークデーは、ブラジル人とのビジネスで忙しく、出張で飛び回っているので週末くらいはゴルフでもしてリラックスしたいという感覚は理解できるものの、もっと有意義な時間の使い方もあるのではないかと考えてみたりもする。
私は、ブラジル日本商工会議所で、コンサルタント部会長や常任理事をしていた。最も力を入れたのは、家族そろってのピクニックや遠足であった。写真にあるように,カンピーナスにある東山農場には、社長の岩崎透氏に無理をお願いし、バス3台を連ね、120名の会員の家族が参加した。コーヒー農場での各種実演や岩崎社長が関係されているサンリオのハローキッティ人形を子供たちにプレゼントし、大いに喜んでいただいた。もう1枚の写真はプロポリス工場に行ったときの写真である。サンパウロ郊外の花樹園3か所訪問も評判が良かった。
サンパウロにはフラッチと呼ばれる長期滞在用のスイートがある。キッチン等がついている施設である。私も赴任直後、アパートを探すまでの期間、パライソ地区のフラッチに滞在したが、滞在者のほとんどはあらゆる業種の中長期の単身赴任者であった。中には、日本人だけかと思われるフラッチもある。
外国人夫婦の場合、単身赴任すると言ったら、離婚ものだとよく言われる。そのため海外駐在のため別居するという発想は存在しないのだが、日本人は何故か、単身赴任が多い。家族に対する考え方が異なるものと思われるが、外国人から見ると極めて不思議で理解不能の現象のようだ。そう言えば、受験競争の激しい韓国でも子供の教育のため単身赴任するケースもあるそうだ。私は、メキシコ、チリ、ミラノ、サンパウロと4カ国に駐在したが、すべて家内同伴であったのはラッキーであり、家内に感謝している。
 今、家族同伴と単身赴任の一般的なメリットとデメリットを挙げてみよう。
 
 
家族同伴
単身赴任
メリット
*生活が安定する
*旅行、パーティ、買い物等で家族と思い出をシェアできる
*奥さん人脈、子供人脈で人間関係が広がる
*国際的に見てごくノーマルな状態
*子供をインターナショナル・スクールに通わせることにより、国際人に育てることができる
*時間が自由に使える
*仕事に専念できる
*好きなことに没頭できる(ゴルフ、旅
行、恋愛、遊び、研究・学習等)
デメリット
*子供の教育に不利になる可能性がある。現地日本人学校に通っても帰国後、メリットが無い。
*インターナショナル・スクールなどでは、授業料が高い
*生活が不安定かつ単調になる
*家族関係、夫婦関係が希薄になる
*現地に融け込めない
*国際的に見て異常
 
 思いつくまま挙げてみたが、どう考えてみても、単身赴任のメリットは多くはない。やはり、どこか不自然で国際スタンダード、グローバル・スタンダードではない。ブラジル人に、日本人の単身赴任者の多さにつき説明しても納得が得られず、不可解な日本人という印象が残るであろう。この問題についてもっと派遣元の政府、政府機関、団体、企業はもっと真剣に考えるべきであるし、個人としても何が幸福なのか、何が家族にとってベストなのかを考えた方がいい。
 
(2016年10月上旬執筆)
 
写真 家族そろっての東山農場見学
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写真 プロポリス工場見学
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 ≪西宮市ロンドリーナウィーク  第1報≫ しゅくこさんからのお便りです。

はなさん、出石さん、杉井さん & みなさま
                       しゅくこで~す
 
昨日は西宮市とロンドリーナの姉妹提携、40周年記念祭りをのぞいてきました。
 
はなさんが育てられたたくさんのイペの苗が、お祭りで希望者にプレゼントされたと出石さんからお聞きして、よかったよかったとおもいました。
 
残念ながらその時間に間に合わなくて、お手伝いもできず写真を撮りそこなってしまいごめんなさい。
 
あいにくの悪天候で足元がドロドロでしたが、小雨の中、たくさんのお店が六湛寺公園にテントを張り、子供たちで大賑わい。その中には関西学院の学生グループや、障害者の手作り作品、ロンドリーナ以外の姉妹都市からの出品など盛りだくさんでした。
 
私が着いた頃は、NHKののど自慢でグランドチャンピオンの日系ブラジル人三世、斎藤光壱さんのステージが始まるところでした。
 
雨のため、野外ステージから市役所の隣のアミティホール(1200)に変更され、杉井さん、出石さんとご一緒に、最後はお決まりの「マシュケナダ」でオバ🎶 オバ🎶 オバ🎶 でおもわず体が踊りだすような楽しいひと時でした。
 
マリコさんが、オジ、オジ、オジ🎶と無邪気にそのセリフを変えて、みんなと笑いながら歌った神戸移民館の、あの歌い手と聴き手の手を取れるほどの近い距離で一体感を感じたショーのことなども思い出しながら、
その点では、斎藤さんも、野外ステージの方がよかったかも、と感じました。雨には勝てませんね。
 
杉井さんと出石さんから、はなさんが送られたイペの苗について詳しい情報が入ると思いますのでたのしみにしています。
 
お風邪をひかないようにご自愛ください。

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小雨の中の露天は大賑わい          

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 NHK のど自慢グランプリの斎藤光壱さん    

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おもちゃ、ゲーム、食べ物の屋台


 一笑一若・メキシコ小話「現金引出し200ドル」  富田さんからのお便りです。

和田さん&W50の皆さん、ご機嫌いかがですか?さて、今週の一笑一若・メキシコ小話「現金引出し200ドル」をお届け致します。パリの踊り子と三人のメキシコ人の馬鹿馬鹿しいストーリーですが、「ひも式水着の踊り子」の写真が見ものですぜ。ご用とお急ぎでないお方は、下記のブログをお訪ねのうえ、
一笑一若・メキシコ小話「現金引出し200ドル」E N J O Y !!!


富田眞三  Shinzo Tomita

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               現金引出し200ドル

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  写真:(www.bailes_worldpress.com)

 アラブ系メキシコ人のムスタファとアブーはパリのナイトクラブでショーを楽しんでいた。少し離れたテーブルにはユダヤ系メキシコ人のアイザックがいた。

 そこへひも式水着の踊り子が腰をくねらして踊りながら、世界各国からの観光客の間を通り過ぎようとしていた。

ムスタファは踊り子の水着のひもをつまんで素早くお尻の左ほっぺに100ドル紙幣を挟み込んだ。

するとアブーも同じように100ドル紙幣をお尻の右ほっぺに挟み込んだ。

共にそれ相応の見返りを期待して……。

 やがて踊り子がアイザックのテーブルに近づくと、ユダヤ人はデビット・カードを踊り子のお尻の割れ目にスライドさせた。

そして「現金引出し200ドル」と言って、200ドルを頂戴したのだった【注】

  お後がよろしいようで……。

【注】欧米のデビットカードの機能の一つに、この小話のようにデビットカードを使って加盟店のPOSレジスターから預金(現金)を引き出すことが出来る、サービスがあります。日本は未だ検討中で導入には至っていません。

わが移民人生=おしどり米寿を迎えて=山城 勇=
(83) ニッケイ新聞WEB版より

2017年10月25日

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 山戸は、急遽母国沖縄に妻子を連れて帰国しました。1927年の事でした。
 その帰途四国の高知県に妻の実家を訪ね、3ヶ月滞在した後ブラジルに帰省した。
 2度目の訪日は1968年で、米軍政の統治下にある郷土を再度訪問し、その変貌ぶりに驚愕したという。
篠原恵美子―― 父は、年老いても記憶力が良く、TV、新聞記者とのイタービューにも人物や年代などについて実に詳しく応答し、記者たちをして感心せしめたと云われています。
 子供に対する躾教育においては、率先して自ら挨拶や接客ぶり等をやってみせ実に教育的な父でした、母楠枝は、教育熱心の人で、山戸も子供の教育面については、すべて一任していたようでした。
 また彼女は社会活動にも一生懸命で現在のエスペランサ婦人会の創立者の1人とも云われ、娘たちも当会の役員として活躍しているところです。
 私は、金城家を訪ね、インタービューを続けている内に、恵美子さんはじめ、その家族に至るまで皆、よく父山戸の影響を受け、その優れた人格と能力が伝承されていて、単に先駆移民としてだけでなく、最も尊敬しわれわれの誇り得る移民像だと、つくづく感銘を受けた。
 山戸はその人柄からして多くのブラジルの知名士を顧客にしていた関係上、交友・人脈も多彩であった。
 戦争中、名のある多くの日本人たちは敵国人として敵視され弾圧・投獄されていた。
 そのような中にありながら彼は、その人々を庇護し、彼自身その憂目に合わなかったと伝えられている。
 人徳の素晴らしさを偲ばせるものがあります。
 私たちが篠原恵美子さんの自宅を訪問した時、壁に掲げられた金城山戸翁の写真は泰然として我々に何かを語りかけている様な感銘を抱いた。
 そして清潔で明るい家庭という印象であった。
 恵美子さんは、多くの大切にしまってある貴重な資料を懇切丁寧に説明の上、惜しみなく貸して下さり、私共の編集の手助けに大いに貢献して頂いた。
 衷心より感謝申し上げる次第です。山戸翁の妻楠枝夫人は、1975年11月10日、心筋梗塞で倒れ、眠るが如く此の世を去り、山戸翁は1988年6月17日、「移民の日」の前日、しかもブラジル日本移民80周年祭の前日に全日本移民に惜しまれながら不帰の人となった。
 私たちは、実に偉大なる彼の生涯と崇高なる人格に限りない賛辞を送り、尊敬の念をもって慕うものである。
 志高き移民像として、またその人格として永遠に私たちの子々孫々に継承されていくことでしょう。
 翁の冥福を祈り、心の中で合掌しつつ恵美子さん宅を後にした。

ジャカランダとブーゲンビリアは、相性が良いようです。

ポルトアレグレにジャカランダの大きな老木にピンクのブーゲンビリアが樹の天辺の方まで絡みつき何でジャカランダにピンクの花が?と驚かせられることが良くあります。紫とピンク良くマッチしてコラボしているのを見かけます。ポルトアレグレを出る前に散歩時に撮った写真を貼り付けて置きます。
マナウス3日目の今日は、朝から1日ジープでジャングルツアーに出かけます。午後からはピンクイルカが見れるとの事、楽しみです。少しでも歩く機会があれば嬉しいのですが。。。

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