私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2017年12月

ブラジル稲門会の相田会長から賀状が届きました。

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辻さんの御要望に応え恵子の備前焼の壺の写真を掲載して置きます。

年末は、大掃除をして新しい年を迎えたいとの気持ちから我が家でも恵子が大掃除をしており、NHKで主婦の方の意見では夫婦の分担率は、0でご婦人連の意見では
10対0で男は何もしないとのとの統計数字が出ていましたが、旦那方の意見では5-5が正しいと訂正していましたが、皆さんの家庭の大掃除はどうでしょうか?我が家では9-1位かと思います。呼ばれた時には気持ちよく返事だけはして手伝うので8-2位かな? 恵子は昨日午後から5時間程アトリエ和みの大掃除をしていたので冷たい飲み物を買いに走ったりゴミを捨てに行ったりしましたのでここでも9-1位でしょうか? 辻さんの要請を思い出し恵子の備前焼の壺の写真を撮って来ました。色々ある中でやはり備前焼は輝いていました。端の方に置かせて貰っている唯一の私の作品?は、リスボンのベレンの塔の組立て細工も一緒に貼り付けて置きます。
後2日で正月、ブラジルの仕事も昼でお終い。2日からまた新しい年の仕事が始まりますが、夏季休暇を取って家族と海浜、山の家等に避暑に行っている人が多いようで町は静かです。

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蘇る日系社会の遺産 「サンパウロ大学日本庭園」 移民110周年向けて造成開始  サンパウロ新聞WEB版より

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本来の姿を取り戻しつつある日本庭園(今月5日)
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開園式でテープカットする当時の皇太子殿下御夫妻(サンパウロ花卉園芸同好会・二十年の歩みより)

移民110周年を来年に控えた日系社会には、失われつつある日系の遺産が数多くある。その一つがサンパウロ総合大学(USP)構内にある日本庭園。同庭園は、サンパウロ花卉園芸同好会(初代会長・故下元健吉氏)によって1967年5月26日に開園式が行われ、初来伯した皇太子殿下御夫妻(現天皇皇后両陛下)によってテープカットが行われた歴史ある遺産だ。2003年の戦後移住50周年時に整備された履歴があるものの、その後はUSPの管理下に置かれ、荒廃の一途を辿っていた。今年6月末、ブラジル・ニッポン移住者協会(杓田美代子会長)により、来年の110周年式典に向けて1年計画の造成事業が開始され、本来の姿を取り戻しつつある。日系社会で保護・記録していくべき日系遺産が蘇る代表的な例として、同庭園を紹介する。
 5日、同移住者協会とコチア青年連絡協議会(前田進会長)の役員らが帯同し、同庭園の現状・造成事業の進行状況確認のために、一行が訪れた。
 庭園は、52年創立の花卉園芸同好会によって67年に開園。同好会の重役を代々務めていたのはコチア産業組合創業者で、初代会長の下元健吉氏だった。コチア産組が主導して同庭園を完成させ、USPの植性研究院(Instituto de Biociências)で造園・寄贈した歴史がある。そのため、今回の造成事業の視察にもコチア青年連絡協議会が同行した。
 庭園は当時としては最大規模の5000平米の敷地を持ち、池が大小4カ所あり、中には開園時に放流されたと見られる肥大化した錦鯉が泳ぐ姿もあった。しかし、現在2カ所の池は水漏れを修復している最中で、池の中に溜まった泥を取り出す作業に追われている。USPの管理下にあった庭園は、2003年の戦後移住50周年時に、40日間で庭師・飯島秀雄氏が造成し、イペーや桜の植樹などが行われて以来、手つかずの状態となっていた。現天皇陛下が当時の開園式でお手植えされた日本松は、4、5本あったものが、現在は1本のみ。他の日本松は枯れてしまった。残った1本は、池の後方に立ちすくんでおり、庭園に風情を与える主役となっている。
 今回、庭園の造成事業を担当しているのは、親子2代で庭師を務める吉田斤治さん(76、愛知)と息子の大希知(だいきち)さん(44、2世)。前述の池や、遊歩道の整備、植木の剪定(せんてい)など、仕事は山積みだ。ただ、視察当日には一目で日本庭園だと認識できるまでに整備が進んでおり、来年の式典時に間に合わせることに自信を見せる。
 移民110周年に向けてコチア青年連絡協議会では、庭園入口に胸門(むねもん=瓦で覆われた門)を設置するプロジェクトを計画。同計画は、開園を主導した同好会の歴史にも影響を受けている。同好会は戦後、日本移民廃絶運動が起こった際、日本移民がブラジル社会に貢献できることを証明する意を込めて、コチア産組の下元健吉氏が中心となり、造園された。コチア青年連絡協議会の幹部からは「コチアが関わっている自覚がある」という声も聞かれる。
 移民110周年委員会(菊地義治委員長)・特別委員会の一事業として認定されている庭園の造成事業。日系社会の遺産が埋もれていく中で、庭園が蘇ることには大きな意味がある。
2017年12月14日付

第35回バーチャル座談会『新春放談、行く年来る年2017/2018』その4


余り溜まってしまわない内にバーチャル座談会その4をリリーズします。番外編を加えると今年も10回位にはなるのでしょうかね。年末年始の書き込みをその時の話題として残して置く企画は、継続する事により歴史の記録の価値はあるのかも知れませんね。今年も丸木さんを中心に皆さんの書き込みがあり既に339名のメンバーの内、10%に近い30人近くが参加して居られます。今年は、麻生さんの展望台の松栄さんの参加で話題が豊富になって来ています。1回1万語との制約があり思うように構成できませんが、出来るだけ読みやすいように話題を追って纏めて行く事にします。
今回の写真は、毎年登場している孫の洋君の写真が旅行中のアルゼンチンから届いたのでこれを残して置くことにしました。

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和田: バーチャル座談会その2をリリーズしました。HP掲載文をBLOGに掲載しましたが途中までしか掲載されていません。残りの部分を追加として再掲載しようかとも思いましたが、全文を目を通したい方は、MLでは全文掲載されているしオリジナルのHPには、全文掲載されているのでそちらの方で読んでください。BLOGの掲載可能字数が一番少ないようです。

都賀:  和田さん 小生のアドレスに偶々下記のメールが入ってきました。老いることを防止する一つの方法になりますでしょうか。

和田: 都賀さん 老いることを防止できるかどうか分かりませんが、サミエル・ウルマンさんの御意見には賛同します。老いは、足からとか云われますが、老いはやはり気持ちからかも知れませんね。生きる希望を失わず生かされている間は懸命に何かを追い求めるべきでしょうね。私には、もう仕事は追い求める気持ちは残っていませんが(守るべき会社は存在しますが)、皆さんとのML,BLOG,HPの管理運営は、生きる目的を与えて呉れる必要な存在かも知れませんね。大事に守って行きたいと思います。

吉田:和田さん ダンスパーティーでジルバを一時間ぶっ続けで踊ると汗は滝のように流れズボンが足に引っ付いて動きにくくなり、座って水を飲みたいと思いますが、そのときは和田さんは一日2万歩歩いているんだここでやめられないと自分に言い聞かせて一時間半踊ります。不屈の精神をいただきまして今年もありがとうございます。妻も心筋梗塞で2度入院したことがあり、医師からバイパス手術を勧められましたが、ダンスとカラオケで治ったようです。

和田: 吉田さんダンスパーティーでジルバを続けて1時間半も踊るのですか?楽しみと云うより苦行になりませんか?私は1日2万歩歩くと云っても3-4時間掛けて周りを見ながらぶらぶら歩くので苦行にはなりませんが、踊りを1時間半も続けてやる体力と気力はありません。もし万歩計があれば踊られる時にポケットに入れて計ってみて下さい。歩きなら9000歩前後になるのではないかと思いますが。。。疲れたら休み、飲み物を取って楽しく遣って下さい。我々は、若くないので無理は禁物です。
もう少し生かされている間は、楽しく遣りましょう。一度吉田さんの歌を聞かせて貰いたいです。来る年も宜しくお付き合い下さい。

駒形:吉田さん 御元気でダンスENJOY何よりです。 吉田さんがマリア夫人と他の人が出来ないような踊りを披露するのを見て、皆が感心しています。(老人ダンスパーテーの華です)
でもね、OLD BOYSのダンスは自分の楽しみにやるものですから、「不屈の精神」などと言わず、適当に休んでまたおやりになるのはどうでしょうか? 水を飲み、汗をかき、は若い証拠です。 健康に良いですね。
*(ところでこの年末はどこかへダンス旅行されますか?)


松栄: ネットの皆様 展望台の皆様 相撲の暴力事件について、少し思うところを書かせてください。
現在、相撲界はかなり厳しい国民審査と、今後の方針について問題を抱えさせられているように思います。
初場所が始まるまでに、国民や世界を納得させるなり、筋を通す結論を出す必要があるように思います。
いい加減な采配で、初場所を迎えたら、今後の相撲道が崩れてしまって、柔道と同じような単なるスポーツになってしまう可能性だって有るのではないか、と感じています。
相撲は単なるスポーツではなく、日本の国技としてオリンピックとかワールドカップ、や世界選手権などのレベルではない、ということをはっきり示す必要があるのではないか、と思うのです。
白鵬さんには、相撲界の記録の大半を刷新した、という名誉を認めてあげて、自主的に引退してもらう。相撲界はそれなりの待遇と今後の方向性を認める、ことで全てをやり直す、位の覚悟で望むべきではないでしょうか。
そんなことを考えているのですが、皆様はどのようにお考えでしょうか。
今日出ていた貴乃花が タニマチ(御贔屓筋)に漏らしたという記事から、・・・? この記事が本当かどうか(フェイクか)は分かりませんが、そんなことを考えました。
その貴乃花の弁明のサイトを貼り付けます。
あえて、八角さん、貴乃花さんと白鵬さんに相撲界から引いてもらう、そして全て新しい顔ぶれで、相撲協会を再編する、位の方向性を示さない限り、刷新、という言葉が世界に提示できないかもしれないという見方をしています。

和田: 松栄さん 今年2017年のスポーツ界の話題は、日本の国技とも云える相撲界の暴力事件でしょうね。初場所を迎える前に筋を通す結論を出す必要が有るとのご意見に賛成です。実行犯の日馬富士だけでなく首謀者?の白鳳にも自主引退させると云うご意見に喝采を送ります。やはりそこまでしないと相撲界は、救われないかも知れませんね。丸木さんの云われるようにモンゴルの相撲選手を全てモンゴルに帰国させるという案も実施出来ればやるべきでしょう。純粋の国技としての相撲を守ると云うことであれば、思い切って日本人だけの大相撲にして外国選手を認めないと云った規則を作るのも一つですね。それで相撲取りが激減、相撲部屋の維持が出来なくなったら相撲興行をやめれば良いのではないですか?この年末に松栄さんが提案されるご意見に大賛同し声援んを送りたいと思います。添付の『週間新潮』2017年12月21日号も読ませて頂きました。貴乃花親方の処遇も相撲協会に取って大きな問題ですね。今後の動きを注目して行きたいです。

古谷: 和田さん、皆さん 柔道もそうですが、日本の国技とも言うべき、格闘技が国際化するのは一概に悪いとは言えないとも思いますが、あまりにもスポーツ化して、国技が持つ本来の「技を鍛える精神的バックボーン」が失われるのは、確かに問題と思います。
仰る様に、モンゴル人力士の採用で、江戸時代から連綿と受け継がれてきた「相撲精神」が損なわれていると断じられるなら、王政復古(?)の為に然るべき処置は必要でしょう。
和田さんを始め、大方のご意見を拝聴したいと思います。

和田:古谷さん おっしゃる通り相撲も世界に通用するスポーツとして柔道のように完全スポーツ化を目指すのも一つの道ですが何とか相撲部屋、タニマチ、浴衣姿、6場所制度等日本的なものとして国技として残せるものなら外国人排除も含め生き延び作を考える時が来ているのかも知れませんね。日本に普及したプロ野球以上に親しみの持てる国技として守って行って欲しいですね。大人しくして居れば将来理事長の職にありつける貴乃花の親方として勇気と覚悟を生かせるかどうかが課題でしょうね。注目して行きたいです。

都賀:和田さん 横から口出しさせてください、今回の問題は 白鵬の傲慢が原因だと思います。
たしかに今までモンゴル青年が団体で日本の高校の中の相撲クラブ相当の稽古場を利用して大量に強い力士を大相撲へ送り込みましたが、品行は悪く 金目当ての蛮行が長く続きました。今回は白鵬が貴乃花部屋を攻撃する(正月場所に下位の力士に負けた腹威勢で貴ノ岩を攻撃したことが原因ではあります)そこで他の力士を嗾けてモンゴル出の貴の岩を苛め,怪我をさせてしまいました、これは白鵬がその場で嗾けリーダーシップを執って行った集団暴力行為ですから警察問題ですし、相撲協会が口を出す問題ではありません。
相撲協会の幹部が少し責任のは違えを犯しています。犯罪は 白鵬、日馬富士、他のモンゴル若手力士の集団暴力問題です、相撲協会は警視庁へ協力を依頼して公正な迅速な判断(暴力行為の詳細なデータを添付した)をお願いすることが第一優先事項です。これをしない協会 警察 では今後日本国がモンゴルの自由になってしまいます、現状では 鎌倉時代の蒙古襲来で負けた蒙古の敗者復活活動になってしまいます。安倍政権になってから 日本は国家としての行動でなく安倍政権の私権増強促進団体の下部組織と同等の日本相撲協会に成り下がってしまいますね。私見でした。

丸木で~す  古谷さんと都賀さんの両意見に全面賛同です。今回の件が元寇の役の報復とまでは思い至りませんでしたが、奴らがのさばるのを看過してたら、アメリカ野球の二の舞になります。アメリカの国技であるメジャーにはアメリカ人プレーヤーは少なくなり、以前は禁止されてたスペイン系、アフリカ系が主要選手となりスタープレーヤーになってます。謂わば、横綱大関はじめ役力士が外人部隊です。彼らの母国にはプロ野球と言う職業がないのでアメリカへ出稼ぎに来てるのです。最近では日系メジャーも増えてますが、稼げなくなっても日本に戻り数年は活躍できるので問題ないでしょうが、中南米やカリブ海諸国出身の野球選手には帰ってプレーする国がないので日本に来てプレーしてます。
それでも、日本は有り難いお人好しの国ですから、浜のラミちゃん人気絶頂DNA。またも負けたか阪神タイガース!

丸木: 行く年で印象に残るのはカズオ イシグロさんのノーベル賞受賞です。7冊しか書いてないのに、多数の名著を出版され広く読まれてる村上春樹や東野圭吾に先駆け評価されたのはなぜでしょうか?特に万年候補の村上さんは不運続きですね。イシグロ作品は二冊読んだことがありますが、まさかノーベル賞を取るとは思いもよらず不明の至りです。日系人の書いた本という程度の興味で買ってみた程度でした。

和田: 丸木さんは、読書家ですね。カズオ イシグロさんがノーベル賞を受賞する前に2冊も英語の原文を読んでおられたとの事。丸木さんの文筆業は、普段の読書に支えられているのでしょうね。村上春樹さんは、万年補欠のまま終わってしまうのですかね。今年こそは、今年こそはと期待しているのですが。。。村上春樹の本は多数よんでいます。その内受賞するでしょう。東野圭吾さんと云う方の本は読んだことがありません。移民作家中島 宏さんは、どうでしょう。私の同船者の内田 アキラさんが中島さんと一緒に移民してきた妹さんと結婚しカシアスに住んでおられます。今度会ったら色々聞いて見たいと思っています。中島さんの大作を送って貰いましたが、なかなか時間がなくまだ読み進んでいません。西風6号の中島さんが書かれた『無窮への旅』移民の持つロマンを読まれましたか?
来る年も宜しく。。。

丸木で~す  子供の時から屋外派で野球に明け暮れ、読書とか麻雀とか室内競技は殆どやらないのですが、ここトロントの新聞グローブ&メール2000年6月3日付に全面4ページにイシグロ著のWHEN WE WERE ORPHANSの書評と紹介が大々的に書かれてたので、読んでみただけです。コロニア作家の中島さんとか峯村さんとかには是非お会いしたいですね。


斎藤:≪トロントは雪化粧≫何年ぶりのホワイトクリスマスになりそうです。
ナイヤガラ郊外の住人斎藤ハンク
斎藤さん 追加写真有難う。15センチ位、積もっているようですね。これでは、外出も大変ですね。雨位降っていても歩きに出ないといけませんね。ガレージで最低の1万歩迄は歩きます。
下記BLOGに追加掲載してから皆さんにも送ります。
https://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/49369852.html


和田:静かな静かなポルトアレグレの恵子と二人だけのクリスマスイヴ!今年のクリスマスは、変則で我々二人だけがポルトアレグレに残り静かな静かなクリスマスを迎えています。朝ドラを見て9時過ぎからイヴの晩餐会を恵子の手作りの寿司とウルガウイのリヴェイラの中村さんが持って来てくれたフランス製のシャンペンを開け恵子と二人だけの夕食を楽しみました。気持ちよく飲んだシャンペンが利き恵子は直ぐに酔っ払い寝てしまいまいました。少し寝てから起き出し大きなザクロを食べ始めそれからまた直ぐに寝室に寝に行ってしまい、食べすぎ飲みすぎで直ぐには寝れそうになくまたPCの前に座り込んでいます。そろそろ寝ないと。。。 まあいいか?明日はクリスマス休みで事務所もスパーもどこも遣っていないのでのんびりと静かなクリスマス休日を過ごすことになるのだから、、、
バーチャル座談会その3でもまとめるか?誰もいないクリスマスも良いものだなあと楽しんでいます。昨日は雨で午後からは家に籠りやっと1万歩しか歩けなかったが、今日は、何とか静かな町を2万歩以上は、歩けた。。。

中村: 和田さん、ありがとうございます、持参させて頂いたシャンパンを飲んでくださった訳ですね。今帰国の準備をしています、来月4日、リベラを出てモンテビデオに暫く滞在し、11日に成田に到着します。また、南米に戻って来られると良いのですが。。。

和田: 中村さん 二人だけのクリスマスイヴは、中村さんから頂いたフランス製シャンパンの最高のチャンスでした。有難う御座います。恵子は直ぐ酔っぱらって寝てしまいましたが。普段あまり飲む機会の少ない銘酒に気持ち良く酔っ払ったようです。美味しいものですね。まだ少し残っているので年越しにでも飲んでみます。
愈々任務を終えられ帰国ですか。任地ウルグアイへのJICAからのSV派遣が無くなるのは残念ですが、チリと共に日本の援助を必要としない優良国と云うことでしょう。まだまだブラジルには来て頂けそうですので機会があれば戻って来て下さい。落ち着いてからで結構ですので任地ウルグアイに付いて皆さんに語って上げて下さい。これはJICAの要請ではありませんが私からのお願いです。来る年も良き年になりますように地球の反対側からお祈りしています。

クリスマスが終わり愈々お正月を迎えますが、何かと気忙しいですね。

『もういくつ寝るとお正月』なんて歌ていた子供の頃が懐かしいですが、正月が過ぎると78才になる老人には、正月と云っても特別の感慨はないですが、皆さんのMLへの書き込みをバーチャル座談会として残して置く作業が結構大変でPCの前に座っているか歩いている時間が多いです。そんな中、昨日は朝から1年振りに歯医者に行き違和感を感じていた奥歯を見て貰いました。もっと足繁く通った方が良いですよとニーノ先生に云われ新年早々1月3日にもう一度お邪魔する事にして来ました。その場でレントゲン写真を撮り2本は、治療した方が良いそうで半分だけ終了させました。歯の治療は嫌ですね。眠くなって治療中に先生の手に噛みついたり、痛くて悲鳴を上げたり。。。胃の中にはピロリ菌が住んでいたり、年と共に医者通いが増えて来そうですが、年相応に生かされている間は生きて行かざるを得ないですね。
年末を利用して洋君は、お隣のアルゼンチンと帰路ウルグアイを回って正月に戻って来るようです。洋君のいない間に恵子は自宅とアトリエの大掃除をしたり、年末の支払い、援護協会の仕事、書道の作品作り、絵を描いたり、一緒に歩いて呉れたりと二人だけの年末を楽しんでいるようです。
3才になった洋君は、既にニュージランド、アルゼンチン、ウルグアイと外国を見て回っておりその内日本にも連れて行ってやりたいと思ってますが、両親と楽しんでいるアルゼンチンから弥生が送って来た写真を1枚貼り付けて置きます。

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