連載89:マナウス自由港(ZONA FRANCA MANAUS-ZFM)
執筆者:山岸 照明 氏(YamagishiConsultoria Ltda. 社主、元アマゾナス日系商工会議所会頭)
昨年10月27に付け マナウスのJORNALDO AMAZONAS 紙によると、「最近の英国の経済紙 FINANCIALTIMES 紙は “ラテンアメリカで最も近代的且つ安定性のあるマナウス自由港への投資を推奨する”との記事を掲載しています。
更に、1946年10月には、第33案 として国家アマゾニア庁を創設し、全ての開発経済プロジェクトを纏めて追行すべく アマゾニア経済開発局の設立を提案しました。此の改正案は6年間の議論の末1953年1月6日 法令第1806号として可決されました。そして 連邦憲法 第199号は発令され、AMAZONIA経済開発監督局(SUPERINTENDENCIADO PLANO VALORISAÇÃO ECONOMICA DA AMAZONIA-SPVA) が設立、発足しました。
しかし、SPVAの活動は余り活発とは言えず、西部アマゾンの開発に当たり、当時のジェットリオ・ヷルガス大統領の計画による、アマゾンの天然資源の調査、研究を目的とした国立アマゾナス研究所をマナウスに国家調査研究所の下部組織として設立、マナウス電力会社の発電所のプロジェクトに携わりました。そして1957年6月6日付け法令法令,第3,173号にてマナウス自由港が発足、免税で輸入品を輸入、在庫し、マナウス市内での販売、そして、域外への出荷に応じ、課税する制度を施行しました。又、マナウスの電力は前世紀 イギリスの技術で作られた発電所は老朽化し、電力事情は危機に見舞われ、漸く1962年7,500KVAの火力発電所が完成しています、
しかし当時,企画省では ロベルト・カンポス大臣を中心に ガナバラ自由(ZONAFRANCA DA GUANARABA)の研究が進んでいました。首都のブラジリアへの移転(1956年1月)後 のRIO 市を自由港にしようという訳です。そこで、世界中の自由港、又、経済特区の制度、香港、シンガポール、アメリカのニューヨーク、ニューオリンズ、等々を虱潰しに調べました。.しかし、結局、カステロ・ブランコ大統領の意思のためか、{ZFRIO} は実現できず、調査の資料は全て ZFマナウスの設立に使われた様です。 (注)出所ROBERTOCAMPOS A LANTERNA NA POPA MEMORIA 2 より 転載)
そして、いよいよ カステロ大統領 が動きます。1966年12月6日カステロ・ブランコ大統領はマナウス市のアマゾナス劇場にて「第一回アマゾニア開発に対する恩典供与案」(REUNIÃODE INCENTIVO AO DESEMVOLVIMENTO DA AMAZONIA- I RIDA)の会議が、特別地方組織省のーアマゾニア オペレーションの一環として開催されました。出席者は、国家工業連盟、国家農業連盟を中心とした組織の幹部です。
翌日 明け方のベレン行き、ブラジルロイド汽船会社のROSADE FONCECA 丸に全員乗船し、会議はベレン到着迄、4日間に亘り行われました。各関係大臣、ブラジル北部各州知事、企業家、プロジェクト専門技師、財政投資家、有力報道機関、そして外資系企業代表者、等々429名が参加しました。会議は、丸三日間行われ、アマゾニアの発展の為、重大なる三項目、すなわち、住民社会の発展、経済の独立、国家統合等に関し徹底的な討議が行われました。
ROSA DE FONCECA 丸は12月11日にベレン港に到着し、会議は終了しました。そして、その結果を纏めた「アマゾン宣言」(DECLARAÇÃODA AMAZONIA)が同日付では発表されました。
アマゾン宣言は「今回の会議で決議された優遇政策を忌憚無く実行に移し、連邦政府、並びにアマゾニア(アマゾナス州のみならず、ブラジルアマゾンの全ての州)の全ての州政府は一致団結しアマゾニアの社会発展、そして国家への統合を目指し全ての便宜供与に努力を惜しまない」という趣旨でした。何れにせよ、アマゾン地域開発にあたり、全ての関係者を4日間、世間より隔離し、真剣に討議された会議は、この後にも先にも唯一の会議でありました。現在のZFMは 軍事政権のお陰と思われます。
その結果、マナウス自由港の制度は1967年2月28日 大統領令第288号により誕生を迎えました。発表された税制恩典は、
1-輸入税(連邦税)の免税、
2、工業製品税(連邦税)の免税、
3、商品流通税(州税)の還付、4.法人所得税(連邦税10年間100%免除(現在は75%)免除。期間は30年(1997年まで)と規定されましたが、後年何度も延長され現在は、2075年と定められています。
これらの税制恩典は前述 の監督局―SPVAに変わり設立された、SUPERINTENDENCIADA ZONA FURANCA DE MANAUS-SUFRAMA(マナウス自由港監督局)が設立され、各企業は3年間の事業計画をSUFRAMAへ提出し認可を受ければ恩典が供与されます。地方税の商品流通税(ICMS)の恩典は州企画局(SECRETARIADE ESTADO DE PLANEJAMENTO E DESENVOLVIMENTO ECONOMICO-SEPLAM)へSUFRAMAへの申請と同様3年間の事業計画を提出し、認可を取得、規定に従い製品により還付率が決められます。法人所得税の控除は北伯開発局(SUPERINDENDENSIADE DESENVOLVIMENTO AMZONIA-SUDAM)同様の申請を出し、認可を受ける事が出来ます。
こうして、ZFMが 発足すると、税制恩典を目的に企業の進出が始まります。
第一号は アマゾン原産の砂金を原料にした貴金属メーカーでした。そして直後の1970年にはPANASONIC,71年SHARP,同年GENTEC(GENERAL,JITU),73年 SANYO,同年PHILIPSそして 75年には HONDAがオートバイの生産を開始しました。この様にZFM発足一年目に約 50社が進出しています。
そして、50年の歳月が経ちました。ブラジルの政治状況、マクロの経済状況業績は、多くの山、坂を乗り越えながら現在に至っていますが、説明するまでも無く南米の地方開発プロジェクトとしては、突出した成功例として評価されています。
発足当時人口20万人足らずの過疎化の進む町は、現在250万人の都市に成長しました。2013年にはZFMの売上げが 410万億ドルに達し、記録を更新しました。
その後、伯経済の不景気で2017年は半減していますが、工業団地では約500社の工場が稼動し、生産能力は確保されていますので、ブラジルの景気が回復すれば、必ず業績は好転します。現に今年は 既にマクロ経済に好転の兆しが見え始めて来ました。金利の引き下げ、インフレの低下、労働法の改正等、ブラジルの近代化を目指した政策が施行され始めています。
ZFM 開設以前
|
2012年
| |
総合大学、単科大学
|
1
|
19
|
修士、博士課程
|
0
|
73
|
研究、調査機関
|
2
|
8
|
州立学校
中,高校
|
6
|
208
|
保険所―病院を含む
|
8
|
464
|
GDP一人当たりアマゾナス州
|
―
|
14,620(R$)
|
以上の様な状況ですが、最初は専門職は全て先進他州より導入していましたが、漸くアマゾナス州出身の専門管理職が 工業団地で活躍し始めています。一方単純な一般直接工は、最初は 時間の観念を教えるのに 各社とも苦労されましたが、最近は 経験を積んだベテラン工も現れ、一般的に手作業の能率は非常に良好です。
上記資料で、まずは一生懸命やってることは推察いただけるものと思いますが、近年のような国の政治、経済の問題に対しての対策も新しい意欲が感じられます。