私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2018年02月

新連載 桜井悌司さんの『ブラジルを理解するために』(その41)
連載エッセイ41
ブラジル・メキシコ・中南米・スペイン
短期語学留学の心得
 
執筆者:桜井悌司氏(日本ブラジル中央協会常務理事)
 
1968年にジェトロの研修でスペインのマドリード大学に1年間の短期留学をした。その際に、留学生活を実り多いものにするには、どうすればいいかを考えた。当時、海外移住事業団の総務部長であった故林屋栄吉さん(元スペイン大使、元スペイン・レアル・アカデミア・エスパニョーラ会員)にどうすれば、留学の成果が上がるかにつき、教えを請いに行った。林屋大使のアドバイスは、2つあり、1つは、毎日スペイン語で日記をつけること、2つ目は、極力テアトロを見に行くことというものであった。日記については、毎日ではなかったが励行した。テアトロは、数回見に行ったが、励行したとは言い難い。日記をつけることは、作文力の強化につながるので十分に理解できたが、何故テアトロかといろいろ考えた。今になってみると、林屋大使は、スペイン文化の神髄であるテアトロを鑑賞することによって、語学力と文化力の2つを学べということを私にアドバイスしていただいたと理解している。
 

 ジェトロを退職後、関西外国語大学で教鞭をとるとともに、大学の留学委員の仕事をした。大学の重点施策が留学生交流であり、私は、留学生選抜の試験問題作成や面接試験などを行った。主として、スペイン、ポルトガル、中南米への留学に係わる業務の担当であった。委員をやってみて、気がついたことは、学生が、留学で成果を上げる上で最も重要な3P、すなわち、PREPARATION(準備)、PLANNING{計画}、PATIENCE(忍耐)を実践していないことであった。最初のPである準備は、留学試験への準備、合格してから留学に行くまでの準備、帰国後の就活等への準備等である。2番目のPは、留学期間に最大限成果を得るうえでの学習計画作りである。留学中の休暇を活かし、国内外旅行をする計画の立案も含まれる。3番目のPの忍耐は、すべてに当てはまるが、語学や研究習得上の忍耐強さ、外国生活に伴う各種忍耐の必要性である。そこで、学生のために、大学職員と留学経験者と一緒に、留学マニュアルを作成することにした。最初は、2013年に作成し、最終版である「関西外大生のための留学マニュアル」(スペイン・ラテンアメリカ編)を2014年9月に完成、短期留学に関心を持つ学生に配布した。

 
その後、2012年~13年に文部科学省主催「南米諸国との国際協力に関する審議会」委員、2015年に、文部科学省の依頼で、独立行政法人日本学術振興会の「平成27年度大学の世界展開力強化事業~中南米等との大学間交流形成支援~」の審査部会委員を務め、国内の大学による留学プログラムに関わりができた。ここでも気がついたことは、ほとんどの大学が留学先の大学を探し増やすこと、留学生の派遣や受け入れの量を増やすことに精いっぱいで、どうすれば、留学の成果を出すことができるかというソフトの面まで、エネルギーが行き届いていないことであった。
留学にも、学位や修士号を取得するための留学や最大1年で語学習得を目指す留学等がある。短期留学でなければ学べないことも多々ある。ここでは、英語留学ではなく、大学で初めて習うスペイン語やポルトガル語を習得するための短期語学留学の心得を紹介する。また留学に行く学生も、ごく普通のレベルの学生を対象とした具体的なアドバイス集である。下記のことを実践することはなかなか難しいことであるが、少しでもやってみることをお勧めする。
 
1)留学前に準備すること・心がけること
 
*知的好奇心を持つように心掛けること
 ・ラテン人は好奇心旺盛。好奇心旺盛な人は魅力的
*留学先のことをできるだけ事前勉強をしていくこと
・歴史、政治、経済、社会、文化等々
・相手国を知ろうと努力する人は敬意を表される
・相手国を知れば知るほどよりよく理解できる
*日本のことを勉強しておく
・日本のことを外国語でわかりやすく説明する習慣をつける
・いかに自分は、日本のことを知らないかと感じる環境におくようにする
・自分は、日本大使だと思うくらいの気概を持つよう努力する
*できるだけ、事前に、読解力、作文力、ヒアリング力をつけておく
・NHKワールド等のスペイン語・ポルトガル語を読み聞きする習慣をつける
*可能であれば、留学生や外人観光客をつかまえ会話の練習をする
*なかなか難しいが、スペイン語検定3級、DELEのB2の合格をめざす
 
2)留学地で心得ること
 
*留学目的を明確にする
・何を勉強したいのか?何を得て帰りたいか?
・何のために勉強したいのか?
*与えられた留学期間と達成すべきことを考える
DIPLOMAを取得する
・会話の上達、どの程度までの上達か?
・国民性の理解
・将来の仕事に役立つことをする
*授業にはまじめに出席する
・授業は学習、情報収集のベストの場、極力前の席に座ること
・授業はAMIGOSをつくる上で重要
*友人をたくさんつくり、一緒に会話したり、行動する機会を増やす
  ・大きな声で話す訓練をする
  ・日本の2~3倍話す努力をする
  ・人より先に挨拶するように努める
  ・SIMPATICOと思われるように努める

 ・AMIGOSは、GIVE& TAKEで成り立つことを理解する

 ・1日に最低20語の単語を覚えるようにする。半分忘れても1日、10語の単語を
  覚えることが出来る。スペルをノートに書きながら覚えるようにする
  ・1日に最低10~20の質問を準備し、その日の内にできるだけ多くの人々に話し
   かけ、同じ質問を投げかける
・パーテイを組織する・参加する。誘い合う。誘われれば、パーテイや会合には喜ん
 で参加する
  ・2人の会話であれば、2分の1,3人の会話であれば、3分の1の時間は自分の持
   ち分と考える習慣をつけること
  ・土日を有効に使う方法を考える。旅行、ハイキング、博物館、スポーツ観戦、デー
ト、パーテイ等々
  ・ラテンアメリカに対する先入観を持たない。新しいイメージを見つける努力をする。
変化するラテン世界をフォローする
*自分の意見を持ち、主張する
・間違いを恐れない
・常に自分はどう考えるのかを頭の中で整理しておく
*大いに恥をかくようにする
・自分がいかに何も知らないかということを早く気付く
・できるだけ早い時点で恥をかく。恥をかく環境に自分を置く
*考えたことを積極的に行動に移す
・行動に移して後悔する可能性は、行動せず後悔する可能性と比べてはるかに低い
・行動するとほとんどの場合良いことがある
・常にフットワークを軽くする
*新聞を読む
・政治経済社会情勢をつかむ。1週間に1日だけ新聞を購入し、地域のイベント情報
 をチェックする。各種文化・スポーツ・イベント&行事のスケジュール等を知る
*日記を毎日、留学地の言語でつける
・作文力をつける
・ネイテイブの友人に添削してもらう
*先生には極力コンタクトするようにする
・わからないことや相談したいことがあれば遠慮なくコンタクトする
*わからないことは何でも誰に対しても聞く習慣をつける
・聞くは一時の恥、聞かずは一生の恥
・人は聞かれることが大好き、教える喜びを理解する
*その国の国民性を知るように努める
・人々の考え方を理解するようにする
・常に何故を発信し、相手に尋ねまくる。自国のことを知ろうとする外人は常に歓迎
 される
 *ラテンの世界では常に好循環をつくることが必要。そのためには、積極的に行動する
ことが必要
*極力、大学の寄宿舎かPENSIONに入る
・日本人とできれば一緒に住まないようにする
・アパートは話す機会が少なくなるので極力避ける
・大学の寄宿舎がベストであるが、入れない場合は、ペンションが良い
*旅行計画もできるだけ早く立てる。一緒に旅行する相手を探す
・休み中の旅行計画(できれば友人と一緒に行くようにする)は早めに立てる
・留学期間を考慮し、いつ休み期間になるかをチェックし、行き先等を計画する
・留学期間を1年としても1年はあっという間に過ぎさる
*話す能力をつけることを最優先課題にする
・滞在が短い場合は、話す能力を高めるように最大限努力する
・ヒアリング、リーデイングは家でも日本でもできる
・外でしかできないことと家でもできることを区別する
 *映画を見る 映画は比較的安価であること、ラテン人は映画が大好きで、よく話題にす
るので、会話をスムースにするのに役立つ、
*スポーツや観劇に行く(TEATROは、語学の勉強に良い)
・スポーツ観戦をすると国民性が理解できる
TEATROはヒアリングの向上、文化の理解、エンジョイできると一石三鳥
YES, NOをはっきりさせる
・あいまいだと誤解される
・あいまいだと不利益を蒙る可能性が高い
・外国人のNOは、日本人が考えるほど強くない
*男女を問わず、現地の若い人と仲良くなるのは、貴重な経験である。日本の男性は、比
較的シャイであるが、勇気を出して、外国女性にデートに誘ってみよう
・ダメ元精神で行く
・もちろん相手にはOPTIONがあることを忘れてはいけない
・日本女性は誘われる可能性が大
 *常に心臓強く振る舞うこと
  ・日本人は総じて謙虚なので、いくら心臓強く振る舞っても振る舞いすぎではない。し
ゃしゃり出るようにすること
 *各地の治安情勢には十分に留意すること
  ・現地の人が危険地域というところには決して立ち寄らないこと
  ・周りの人々の行動や服装にはいつも注意して観察すること
  ・日本は、特別に治安が良いことを認識すること
  ・お金やスマホの管理は自己責任で行うこと。相手の犯罪を誘発させるようなことをし
ないこと
  ・自分の身は自分で守ること

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《ブラジル》日系社会、統合時代の幕開けか ニッケイ新聞WEB版より

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救済会の戦争中の活動を記した書類。1942年のコンデ街立ち退き1500人、1943年のサントス強制退去6500人などの日本移民大迫害の時から救済をしてきた
 「自力更生はもう無理ではないかと思う。それなら名誉ある撤退をしたい」――救済会顧問の大浦文雄さん(香川県、93)=スザノ市=は無念そうに、声を震わした。
 サンパウロ市近郊のグアルーリョス市にある老人ホーム「憩の園」(救済会が経営)は、創立者・渡辺マルガリーダ女史の救済精神を貫き、同じ健康状態なら経済的に貧窮した人を選んで引き受けるという福祉重視の方針を60年に渡って続けてきた。だがついに限界に達した。
 入園者77人に対して職員は99人もおり、毎月30万レアルもの赤字が発生。それを埋めるために、周辺に持っていた土地を切り売りしてきたが、もう土地はない。「伝統ある救済会を無残に潰すよりは、できれば日系団体に合併してほしい。合併できるとしたら援協しかないのでは」と大浦さんは考えている。
 その通りだろう。
 戦中に社会政治警察に拘束された日本移民を支援するために、1942年5月に発足した救済会。戦後移民の受入れや支援を目的に1959年1月、日本移民援護協会(現サンパウロ日伯援護協会=援協)が発足するまで、救済会はコロニアが一番苦しい時期に延々と移民支援をしてきた。
 当時の書類を見直して驚いたが、1942年から1961年までの9年間に、生活費や物資を支援した貧困者は延べ1万4581人、世話をした養老者が延べ6517人、孤児が延べ1069人、精神病者が延べ521人。つまり1942年1月にブラジル政府が枢軸国に外交断絶を宣言し、1952年9月に戦後初の君塚慎大使が赴任するまで10年間、「在留邦人保護」という本来なら日本政府の仕事を、一手に引き受けてきた民間組織だった。
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「名誉ある撤退をしたい」と語る大浦文雄さん










 戦後移民が1953年に始まって援協が発足するのを受け、救済会は高齢化する戦前移民の問題に焦点を絞り、1958年4月25日に老人ホーム「憩の園」を開園した。その後いくつもの日系福祉団体が生まれたが、元祖は文句なしに救済会だ。
 憩の園の紹介パンフには「2012年までに1156名のお年寄りが憩の園で生活しました」とあった。つまり1千人以上がこの施設で看取られた。経済的な問題を抱えた人を中心に、大変な数の移民を看取って来たのが憩の園だ。ここがあったから穏やかな余生を送れた人がどれだけいただろう。先週、本コラム欄に書いた「援協は、移民の最後を看取る事業を」の流れにある話だ。
 大浦さんは「そんな施設だからこそ、皇族は3回もご訪問された。いわば〃コロニアの聖地〃といえるのではないか。合併したら経営は変わるだろうが、場所や建物、ドナ・マルガリーダの胸像などは残してほしい。それが名誉ある撤退だと思う。コチア産業組合が崩壊した後、創立者・下元健吉の胸像があちこちになってしまったが、そんな風になってほしくない」と願う。
 渡辺マルガリーダ女史は96年3月12日に95歳で亡くなった。大浦さんは「その直前、お見舞いに行ったんだ。『明日、明後日に亡くなってもおかしくない』と医者から聞いていた。そんな瀕死の病床にも関わらず、逆に『救済会のことをよろしくお願いします。早く良くなってあなたを手伝いたいわ』と言ってくれ、ボクはとても感動した」と昨日のことのように思い出す。
 その言葉に背中を押され、大浦さんは救済会総会に出席し、1967年から29年間も会長職にあったマルガリーダさんの後任選びが延々と難航している様子を見て、「じゃあ、ボクが専任理事をやるから、会長は田中福蔵さん、副会長は左近寿一(としかず)さんにお願いしたい」と注文を付けるとスパッと決まった。そして福博村の自宅に戻ったら、マルガリーダさんが亡くなったとの連絡が入った。「なにか不思議な縁を感じた」という。
 最も伝統あるコロニア福祉団体が危機に瀕した時、どうすべきなのか――。110周年はけっして祝い事だけではない。厳しい現実も我々に突き付けている。
 大浦さんの「いよいよ、コロニアは統合の時代に入ったのではないか…」との言葉が耳の中でこだました。(深)

リオ五輪金メダリスト=ラファエラ・シウヴァが人種差別に=タクシーで自宅に帰るだけで職務質問 ニッケイ新聞WEB版より

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リオ五輪で金メダルを決めた際のラファエラ・シウヴァ(Roberto Castro/Brasil2016)
 リオ五輪女子柔道57キロ級金メダリストのラファエル・シウヴァが22日、自身の住むリオで人種差別の被害を受けたことを、ツイッターを通じて読者に発信した。
 彼女のツイッターによると、22日、ラファエラは旅行先からリオのガレオン空港に着き、タクシーでリオ西部にある自宅に帰ろうとした。
 ところが、そのタクシーがブラジル大通りに差し掛かったとき、4人の警察官が乗ったパトカーがサイレンを鳴らしながらタクシーに近づき、路肩に停車するよう命じたという。
 警察官はタクシーを止め、まず運転手を外に出して質問をはじめた。さらに別の警察官が、車内で携帯電話をいじっていたラファエラにも外に出るよう命じ、職務質問をしようとした。
 ラファエラが車から降りると、警察官は「どこで働いているんだ?」と質問した。それに対し、ラファエラは「働いてないわよ。運動選手だから」と返した。そこでその警察官はラファエラだと気づき、「ああ。確かオリンピックに出ていたよね」と言ったという。
 解放されたラファエラはタクシーに戻ったが、運転手はそこで自分がどういう質問を受けたか彼女に伝えた。
 彼によると、警察官は「どこで彼女を乗せたんだ」と訊いたという。そこで運転手が「彼女はオリンピック選手で、空港でこのタクシーを拾ったんですよ」と答えたところ、その警察官は、「ああ、わかった。私はまた、彼女がファヴェーラの住人か何かかと思ったよ」と言って立ち去ったのだという。
 ラファエラはこのツイートを、「どうやら警察は泥棒を捜してたみたいなんだけど、結局それはつかまらなくて、見つけたのは家に帰ろうとしていた私だったのよ。今のこの世の中に、なんなのよ、この人種差別は」と呆れ果てて結んだ。
 ラファエラはリオ五輪のみならず、12年のロンドン五輪にも出場している。リオ五輪で金メダルを取ったため、国内でも一気に有名になった選手だが、それでもこのような人種差別を体験してしまった。
 リオ州では、16日から、国による治安部門の直接統治がはじまり、同部門を陸軍が統括しはじめるほどの非常事態にもなっている。(23日付Veja誌サイト、23日付現地諸紙などより

≪平昌冬季オリンピックは、無事終了しました≫

≪和やかなフィナーレ 閉会式、選手77人参加≫毎日新聞WEB版よりお借りしました。
 【平昌・岩壁峻】平昌冬季五輪は25日、17日間にわたる熱戦を終え、夜8時からの閉会式でフィナーレを迎えた。各国・地域が整然と入場行進をした開会式と異なり、閉会式では各国選手らが群れをなして歩くように、和やかに入場。日本選手団もサンライズレッドのコートに紺色の帽子やマフラーをまとい、手を振りながらスタジアムに入った。式の最後には各国・地域の選手らが一緒になり、音楽に合わせて踊るなど、戦いを終えてリラックスした表情を見せていた。
 式には日本選手団から、フィギュア男子で連覇を果たした羽生結弦(ANA)、選手団主将のスピード女子500メートル金メダルの小平奈緒(相沢病院)、女子団体追い抜きで優勝した高木菜那(日本電産サンキョー)、美帆(日体大助手)姉妹、カーリング女子で日本勢初の銅メダルを獲得したLS北見のメンバーら、選手77人を含む130人が出席した(日本オリンピック委員会の事前のまとめによる)。会場の寒さや試合前の調整を理由に参加を見送った選手が多かった開会式の37選手に比べて大幅に増えた。
 式の終盤、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長のあいさつの中で、競技を通じてフェアプレーや友好の大切さを世界に伝えた参加選手の代表として、世界の五大陸や直近の五輪開催国の選手が紹介されて登壇。2020年東京五輪を開催する日本からも小平が、フィギュアスケート・ペアのリョム・テオク(北朝鮮)、バイアスロン男子で金メダル3個を獲得したマルタン・フールカデ(フランス)、開会式に続いて上半身裸に民族衣装の姿で注目されたノルディックスキー距離男子のピタ・タウファトフア(トンガ)らとともに、韓国への感謝を伝えた。

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【平昌五輪】閉会式で入場する日本の選手たち=平昌五輪スタジアムで2018年2月25日午後8時27分、手塚耕一郎撮影

西森連邦下議=公金横領告発を最高裁受理=架空職員通じて280万レ?=パ州110周年影響なし ニッケイ新聞WEB版より


2018年2月24日
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パラナ移民110周年の祭典委員長でもある西森下議













 ブラジル連邦検察庁(MPF)から出されていた西森ルイス連邦下院議員(PR―PR)に対する資金洗浄と公金横領に関する告発を、連邦最高裁判所の第1小法廷は20日、全会一致で受理した。20日午後9時17分、同検察庁サイトにその広報が掲載された。西森下議は23日現在、世論調査で支持率2位の右派大統領候補として有名なジャイール・ボウソナロ下議を連れて訪日の途にある。ジョルナル・ニッパク紙が同議員事務所にコメントを試みたところ、補佐官は「西森下議は訪日の機上。5日に帰伯し次第、声明を発表する」と応えた。本紙も帰伯後に西森下議からの説明を取材して掲載する予定。

 連邦議員である西森氏には「法的特権」(foro privilegiado)があるため、最初から最高裁扱い。今後どんな判決が出ても上訴する可能性が十分にある。最高裁には案件が山積みであり、今回は受理したのみ。今後審議が始まり、最終判決がでるまでには数年以上がかかると見られている。
 単なる「容疑」であり、西森下議側からの反証をする機会が今後何度も与えられる。その間は「推定無罪」(有罪と宣告されるまでは無罪と推定されるという近代法の基本原則)により、通常通りの議員活動が保証される。
 つまり、祭典委員長の重責を担うパラナ州110周年記念式典への影響はなさそうだ。
 連邦検察庁の広報によれば、この容疑はパラナ州議時代の2003年から10年の間、パラナ州議会内の同議員事務室に架空の職員9人がおり、その給与として総額280万レアルが横領されたというもの。
 ジュリアーノ・バイオッチ・ビラベルジ・デ・カルバーリョ検察庁副長官は口頭弁論で、犯罪計画における西森氏の指導的役割を強調した。
 捜査によれば、職員2人が架空職員の銀行口座を管理し、そこから引出したお金を5つの口座に移すよう依頼されていたという。その口座のうち3つは同議員名義。残り2つも同議員が管理する非営利団体という。副長官は、「この犯罪には十分な物的な証拠があり、容疑者の関与を示している」と強調した。
 この件は、第1小法廷のアレシャンドレ・モラエス最高裁判事が報告官となって、まず連邦検察庁の起訴書類を受理する判断を宣言し、マルコ・アウレリオ・メロ判事、ローザ・ヴェベル判事、ルイス・ロベルト・バロゾ判事、ルイス・フックス判事も続いた。


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