私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2018年08月

特別座談会=四世ビザはどうあるべきか?=日伯交流の将来担う人材育成の枠組みとして=(8)  ニッケイ新聞WEB版より

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【深沢】「呼び寄せ」がもっと簡単に出来るようになると、こっちの人は行きやすいでしょうね。日本からしても、日本側に誰か拠点となる人間が呼んでる、日本のことをある程度わかっている人間が呼んでるわけだから、安心に呼べる仕組みになるんじゃないかって気がするんですよね。
【永井】家族で一緒に住むことってすごく大切なことなので、そういう権利を保障するような制度っていうのはちゃんと整備して欲しいなと思うんですけどね。
【深沢】本当は五世でも六世でも呼べるような枠組みとして「呼び寄せ」を作ってほしいですね。
 そういう仕組みを作っておいてくれれば、親族の誰かが日本に住んでいれば、それをテコにして家族、行きたくなった人が皆行ける。あと、ときどき在日日系人に聞くんですけど、日本に帰化する条件が難しいと言うんですね。もう少し帰化する条件を緩和してもいいんじゃないかと。
 ブラジルだと、ここで生まれたらブラジル国籍もらえるわけですよね。で、日本の場合は日本国籍にしないとならない。

▼日本に帰化するメリット、デメリット

【永井】そうなんですよね。だからブラジルの場合は面白いですけど、ブラジルで生まれたらブラジル人じゃないですか。で、日本で生まれてもブラジル人なんですよね。
 まあ、いろいろ憲法が変わって一時期、外国で生まれると無国籍になっちゃう時期もありましたけれど、今は日本などの外国で生まれた子供でも、ブラジル人の子はみんなブラジル人になる。日本人の場合は、日本で外国人の子供が生まれた場合は日本人にはなれない。で、日本人の子が外国で生まれても届出しないと日本人になれない。
【深沢】日本で生まれ育って「日本しか知らないブラジル人」ていう世代が今結構出てきてるわけだし、その人たちが例えば帰化したいと思ったときに、割と簡単にできたらいいな、と。
【永井】そういう子は比較的帰化しやすいと思いますけど。
【島野】ただし、帰化したことで、なにか日本社会での扱いが変わるかというと、余り変わらない気がします。だから1月に日本に行ったんですけど、いろんなところを訪問して、保険会社で働いている私のような三世に会いました。顔はほぼ外国人なんですが「どうしても帰化したい」と言うんですよね。
 「どうして?」って聞いたら、「日本人になりたいから」っていわれたんです。「でもね、あんまりメリットが無いのよ」って、いろいろ話してたんですけど。その人も良くわかってなくて、とにかく「日本社会にもっと受け入れてもらいたい」って気持ちが強いことは特に感じました。
【深沢】帰化しても「日本人とまったく同じ」ように扱われる保証はないですよね。現実的には。
【永井】ただですね、僕は日本に住まれているブラジルの方で要件を満たしている人は、全員に帰化することを推奨しています。と言うのは、今の時点ではブラジルの人が日本に帰化した場合は、ブラジル国籍はなくならないんですよね。二重国籍になれるわけです。そうすると、何もデメリットは無いんですよね。
 ブラジルの場合は外国に住んでいても選挙に行かないと、ちゃんと届出しないとムルタ(罰)があるとか、徴兵制度があるとか、一応義務が生じますけど、日本の場合は外国に住んでいる日本人に対する義務はほとんど何も無いんですよね。
【深沢】日本国籍を持っていると、周りの日本人からの見る目が変わるだろうと思います。「この人は日本国籍持ってます」というと、ガイジン顔をしてようが、「あーこの人はニホンジンだね」って。
【永井】そうですよね。
【深沢】そういう部分ってね、妙にあるんですよね、日本人には。
【島野】そうなんですか。
【永井】あとまあ日本語が話せれば、なんか。
【深沢】日本に長いこと住んでいて、日本語が話せて、国籍が日本だったら日本人みたいな雰囲気がありますよね。その辺、ブラジルだと「アイデンティティと国籍が違うのは当たり前」なのが常識ですけど、日本ではその辺が、まだあいまい。
 たとえば戦後移民の多くは、土地取得や会社創業の関係でブラジル国籍に帰化しました。ですが、それは書類上必要だからやったんであって、アイデンティティ自体は「いつまでも日本人」というのは常識。
 昔サッカー日本代表にラモスっていう帰化選手がいましたよね。「サッカー日本代表の司令塔」とか言われてね。みんなラモスのこと「日本人」って言ってたけど、僕らは「あれは日本に帰化したブラジル人だろ」って思っていた。
 実際、僕は以前、東洋街で彼をインタビューしたとき、やっぱり「ブラジル人だ」と感じました。僕は単純に彼は「ー日本代表の司令塔」なんだから日本語でインタビューできると思って行ったら、彼がポルトガル語でこう言うんですよ。「ここはブラジルだから、ポルトゲースじゃないとインタビュー受けない」って。つまり、日本人とブラジル人を切り替えていたんですね。それで最後までポルトガル語でインタビューした。
【島&永】(笑)
【深沢】コイツー、ほんとに日本人かと。いや~、でもそのような切り替え方、割り切り方はブラジルでは当たり前なんですよね。(つづく)


サンパウロ新聞の有馬亜季子さんも綬賞式の写真と早稲田を中心とした祝賀会で撮って呉れ貴重な写真を送って呉れました。

こんにちは、サンパウロ新聞の有馬です。
先日は少しのお手伝いでしたが、笠戸丸賞受賞のお祝いの席に参加させて
いただきありがとうございました。
後輩として、とても嬉しかったです。
 
撮影した写真をお送りしていなかったので、お送りいたします。
なお、容量が重くGoogleドライブのリンクを貼っているので、もし見れな
いようでしたらおっしゃってください。
 
今後とも、どうぞよろしくお願い致します。
 
サンパウロ新聞
有馬亜季子

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ポルトアレグレのシンボルラッサドールのモデルパイション コルテス91歳で逝く!!

8月27日にポルトレグレのシンボルとして親しまれているラッサドールのモデルになった真のガウショとして活躍していたパイション コルテス91歳が亡くなりました。28日の午前10時から州政府政庁ピラチニ宮でお別れの儀式が行われトラヂショナリスタ達の騎馬隊に先導されお墓迄長い葬列が続きサンミゲル墓地に葬られました。巨星落ちる91歳でラッサドールの像と共に永遠の世界に旅立って行きました。RS州では3日間の喪に服しています。
27日、28日の地元紙の報道を中心に真のガウショの死を悼みたいと思います。
合掌、アーメン!!

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特別座談会=四世ビザはどうあるべきか?=日伯交流の将来担う人材育成の枠組みとして=(7) ニッケイ新聞WEB版より

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【島野】「働きながら観光する」という文化に触れ合う感覚でもない。四世ビザはなんかズレているような感じですよね。
【永井】ほんとのワーキングホリデー(WH)にするなら、それはそれでよかった。でもズレちゃっている。「5年の制限」がついていて、しかも「サポーターが必要」。誰かサポーターがなってくれないといけないわけですよね。
 サポーター制度は、日本での生活をサポートするのが本来の役割なんでしょうが、逆に職場に縛り付ける役割をする可能性がある。例えば会社の人がサポーターになって、「仕事辞めたら、私サポーターやめますよ」と言うようなケースですね。
 そうすると介護だとか、相対的にきつくて給料が安くて、自由に転職できるブラジルの方だったらあんまり就職しないところに縛り付けるための役割になっちゃう可能性があるわけですよね。
【深沢】下地議員は、「50人の会社で社員みながサポーターになってくれれば、100人まで受入れできる」みたいなことを言っていましたよね。つまりサポーター一人当たり、2人まで四世を引き受けられると。会社ぐるみでサポーターになった場合、「会社を替える」ことは「サポーターを替える」ことですよね。
 議員は「サポーターを変えても良い」と言っていましたけど、スムーズに変えられるんでしょうか? まあ、全てはやってみないと分からないことですが。
 日本にいる外国人の中で、自由に仕事を変えられる人と、サポーターのおかげで縛られる人との格差が生まれていく可能性がありますね。
【永井】そうです。自由な転職ができずに職場に縛られちゃうと、ブラジル人の間でも在留資格によって格差が生まれていく可能性があります。
 他のブラジルの方と結婚したり、日本の方と結婚したりすれば、在留資格を変更できるみたいではあります。そうしない限りは職場に縛り付けられちゃう。かわいそうなことになるのではないかと心配しています。
 建前としてはサポーターと言うのは、そういう悪いところが出てこないように見張る立場なんだってことになっていますし、職場に縛り付けてはいけないというルールになってはいるんですが。
【深沢】それ以前にサポーターを見つけるのが現実的に難しい感じですよね。
【永井】サポーターを見つける人たちは結局、雇う人たちということになっちゃって、そうすると仕事を変えられないった問題が出てくるんじゃないかと。

▼日本にも「呼び寄せビザ」があれば良いのでは

【深沢】それで思ったんですけど、大半の日系人には日本ですでに永住・定住している親戚がいるような状態ですよね。
 だから、その人たちが「呼び寄せる」って言う形もありじゃないかと。で、その人たちが呼び寄せるんだったら、結果的にサポーター的な役割をすることになる。今回の制度でも、サポーターには「永住者資格」のブラジル人でもなれる訳ですから、日本の親戚と連絡をとってバンバンとサポーターになってもらって、その親戚が働いているところに仕事も紹介してもらうというのが一番ありそうですよね。
 ところで、日本に「呼び寄せビザ」という制度はあるんですか?
【永井】呼び寄せビザというか、三世の方は呼び寄せる形でもいけるんですよね。日本在住の親族が在留資格認定証明書というのを法務省、まあ、入国管理局から取らないといけないので、それが呼び寄せなんですよ。
【深沢】呼びよせの手続きを簡単にして、幅広く出来るようしたらどうでしょうか?
【永井】ただし、ブラジルの制度にあるような「呼び寄せビザ」は無いんですよね。
【深沢】あー。
【永井】なんかの要件に当てはまらないと呼べないので。
【深沢】だからその例えば、三親等どころか、四親等ぐらいまで呼び寄せられるようにしたら良いのではないかと思います。(編註=本人はゼロ親等、両親が一親等、おじいさんやおばあさん、実兄弟が二親等、いとこは四親等)
【永井】基本的には呼び寄せられる人が、日本の場合はすごく厳しく制限されていて、高度技能者のビザを持ている場合は、すごいITスペシャリストだとか、大学の先生だとか、弁護士の資格を持っている外国人で、その高度技能者って言うジャンルに当てはまる人なら、親を呼び寄せられる。そういう在留資格もあります。
 ただし、普通の永住者だとかは基本的に親を呼び寄せることは出来ない。呼び寄せできるのは奥さんと未婚で未成年の子どもだけになっています。
【島野】そもそも身元保証人っていうのは―。
【永井】誰か親戚が身元保証人にはなれば三世の呼び寄せは出来るんですけど、四世以降の呼び寄せは出来ないことになっているんです。
【島野】ただし、たしかサポーターも永住ビザを持っている人じゃないとなれない。なので普通に定住ビザでいる人たちはサポーターになれない。
【永井】日本に住んでいるブラジルの方、半分以上が永住ビザなので、永住を持っている人は相当多いんじゃないかと。
(つづく)

オペラ歌手・田中公道さん=笠戸丸表彰受章、現役の81歳  ニッケイ新聞WEB版より

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田中さん(右)と妻・宏子さん
 








笠戸丸表彰を受章した日本のオペラ歌手の田中公道さん(81、島根県)が来社し、表彰の経緯や今後のブラジルでのコンサートについて報告した。ブラジルでの活動が21年目となり、今年も各地で公演を行う。
 テノール歌手の田中さんは例年ブラジルに数カ月間滞在し、コンサート出演などの活動を行っている。昨年はコンサートに約30回出演した。また、ブラジルでの活動20年の功績や、80歳で現役のオペラ歌手であることなどをたたえられ、サンパウロ州議会やカンピーナス市議会などで6つの表彰を受けた。
 今年は、妻の宏子さんとともに23日に来伯。各地のコンサートに出演したり、コンクールの審査員を務めるなどしながら、来年1月上旬まで滞在する予定だ。
 笠戸丸表彰は、オペラ協会のカルロス・ゴメス会長から推薦を受けて受章に至った。田中さん自身が受章を知ったのは来伯の1週間前。「推薦されていたことも、どういった賞なのかも知らなかった」と笑う。授章式がたまたま来伯の翌日だったので、出席することができた。
 26日には「アルジャー花祭り」で歌声を披露しており、来月1日午後6時半からはカンピーナスのジャルジン・グアナバラ長老派教会(Rua Dr Barbosa Cunha, 562 – Jardim Guanabara, Campinas)でコンサートを行う。他にも10月20日には熟連会館(Rua Dr. Siqueira Campos, 134, Liberdade)で開催の「抒情歌を楽しむ会」で歌う。滞在中に30回ほどステージに立つ予定だ。
 田中さんは「思いがけなく笠戸丸表彰をいただき、とても光栄です」とし、「私の年齢でも現役で活動できる。聴いている人を元気づけたい」と意気込みを話
した。


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