私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2019年01月

震災から8年、岩手県山田町=苦境乗り越え、取り戻した日常=(上)=忘れられない津波の悲劇 ニッケイ新聞WEB版より

教え子が亡くなった海の方を眺めるトミさん
教え子が亡くなった海の方を眺めるトミさん
 【岩手県山田町発】2011年3月11日に発生し、東北に大きな傷跡を残した東日本大震災。震災発生から2か月後に本紙記者が、ブラジル岩手県人会の賛助会員が住む岩手県山田町を訪れ、その惨劇を報じた。それから約8年――昨年12月に再び山田町に足を運び、人々の生活や町の変化を取材すると、震災を乗り越え強く生きようとする人々の姿が見えてきた。

 山田町役場の5階から、町の中心地が見渡せる。かつては住宅と商店が建ち並んでいたが、山田湾から押し寄せた津波に飲み込まれ、壊滅的な被害を受けた。現在は、再建された住宅がまばらに建ち、空いた土地は駐車場として利用されるか、そのまま更地になっている。
 ブラジル岩手県人会の賛助会員の松本トミさん(90)が、窓から眼下の景色をぼうっと眺めている。声をかけると、「町民のほとんどが自分の親族か知り合いを亡くしています。あれから8年も経つなんて…。まるで昨日ことのようです」と静かに話した。
 山田町は人口約1万5千人で、2つの湾を擁す国内有数の漁場だ。震災に伴う津波と火事で家屋の45%が全壊し、死者と行方不明者は800人を超えた。
 岩手県盛岡市で生まれ育ったトミさんは、二十歳のときに体育教員として赴任し、以来70年この町に住む。弟の藤村光夫さんが移住してブラジル岩手県人会の相談役となった関係で、これまでに7回も来伯した。
 階段の上り下りを苦とせず、目も耳も衰えていないため、とても90歳には見えない。還暦までは毎日欠かさずランニングをしていて、今はよく散歩に出かけるそうだ。
 大地震が襲ったとき、トミさんは自宅にいた。既に県内の他の地域に津波が到達していることをニュースで知り、娘夫婦と一緒に車で高台を目指した。車内から後ろを振り返ると、瓦礫を乗せた津波が家々を飲み込むのが見えた。

震災後2月後の山田町(2011年5月撮影)
震災後2月後の山田町(2011年5月撮影)

 避難先で2晩を過ごしてから戻ると、瓦礫は自宅の前で止まっていた。そこより海に近い建物は、元の場所から流されて無くなっていた。自動車が何台も積み重なった瓦礫は2階の高さまで達していて、その中に逃げ遅れた人の遺体があった。
 トミさんは40年間に渡って、山田町の小中学生を教え続けた。「家庭訪問で町中を歩きました。生徒は私に長居してもらいたくて、訪問の順番を最後にしてくれって言うんです」と思い出す。教員時代の話をするトミさんは何とも嬉しそうだ。
 それだけに、震災で何人もの教え子が亡くなったことは、今でもトミさんの胸を締めつける。漁師になった教え子のひとりは、「津波が来る」と聞いて港に停めてある船を見に行ったきり、帰らぬ人となった。
 トミさんは「私より早く逝ってしまうなんて考えもしなかった。やっぱり『津波てんでんこ』です」と言い、涙をぬぐった。
 「津波てんでんこ」とは山田町を擁する三陸地方で昔からある教えで、「津波が来たら、家財も肉親もかまわず、各自てんでんばらばらに高台へ逃げろ」と言う意味だ。東日本大震災後、防災教育の標語として全国的な注目を集めた。(つづく、山縣陸人通信員)


『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(1) ニッケイ新聞WEB版より

強盗の首領を一発で…
ピストルを構える男性(参考写真)
ピストルを構える男性(参考写真)

「…2年ほど前のことだ。日系のモッソが強盗の首領を一発で斃した。
 その日の夜明け前、ある農家を4人組の強盗が襲った。そこの息子サトシが父親と早朝、母屋の前に在る牛舎へ乳搾りに行った。
 すると、牛の陰から4人の男がヌッと現れた。拳銃で二人を脅しながら母屋に押し入った、ママイの首に銃とファッコンを交互に突きつけ『どちらにするか?』と覆面の奥でニヤリ…。『金を出せ、金を出せ』と急かしながら、家中を荒らし回った。
 彼らの隙を見てサトシの兄が、カラビーナを何処かから持ち出した。それに気づいた強盗の一人が発砲した。弾は外れた。サトシが隠してあった拳銃を取り出し、強盗の首領に向け引き金をひいた。弾は額の真ん中を貫いた。驚いた配下たちは逃げ出した。
 サトシがパン、パン、パンと追撃ちをかけた。夜は明けていなかった。配下たちは盲滅法、走った、転んだ、ぶつかった……大怪我をし、医者の所へ助けを求めた。馬から落ちたと言っていたが、そうでないことは一目瞭然だった。
 賊の首領は即死だった。無論、サトシは正当防衛を認められた」
 この西部劇並の話を、筆者は最初2012年、バストス産組の事務所で聞いた。その後、数年ごとに二、三の住民が、内容を補足してくれた。皆、サトシを誇りにしている様子だった。
 ここで少し説明を付すと、筆者がバストスを訪れたのは、本稿(『百年の水流』開発前線編)の取材のためであった。その折、バストス産組が再建中という噂を耳にし、事務所を訪れた。理事長の高木勲さんと支配人の板垣オズワルドさんが応対してくれた。
 この産組の創立は1933年と古く、戦前・戦中は一地域組合でありながら、事業量はコチアに次ぐ規模を誇った。ところが、終戦直後、破産してしまった。後に再建されたが、近年、休眠状態に入っていた。
 高木さんと板垣さんは、その活動を再開しようとしていた。二人によると、「既存の組合員や出稼ぎから帰ってきた人で、小規模の営農を始めたい人がかなり居る。ここでは野菜の生産量が不足、隣のツッパンまで買いに行く有り様。だから良いモノを作れば必ず売れる。土地や機械はあり、技術指導さえすれば、営農も組合活動も成り立つ。が、難航している」ということであった。

バストス産組(1940年当時の写真。建物は現在も存在)
バストス産組(1940年当時の写真。建物は現在も存在)

 難航の原因は「治安の悪さ」だという。バストスでは、10年ほど前から強盗が日系人宅を襲い続け、その横行ぶりは猖獗をきわめた。この話の時点では、被害は減少していたが、まだ続いていて、町から離れた郊外で営農を始めれば、狙われる確率が高かった。
 筆者は「強盗に関しては、何処へ行っても似たような話を聞く。日系人は何故やられ放しになっているのか、団結して自衛策をとるべきではないか?」と訊いてみた。これに、二人が心外そうに「バストス人は、やられ放しの腰抜けばかりではない」と披露したのが、右のサトシの一件なのである。
(そういう見事な若者も居たのか!)と筆者は感嘆した。さらに、こうも思った。(サトシは英雄になり、住民も彼に勇気づけられて団結、強盗に対する自衛策を講じているのだろう。この一件は、バストスでは伝説となって永く語り継がれるだろう。記事にすれば、他所の日系社会を喜ばせるに違いない。詳しいことを取材しよう)
 筆者は、まず当人に会おうと思った。ところが「事件後、日本へ行った。向こうで働くため」という。止むを得ず、家族から話を聞こうとし、板垣さんに紹介を頼んだ。板垣さんは直ぐ電話をしてくれた。ところが、意外な反応が返ってきた。先方が断ったという。「思い出したくない」という理由だった。
 筆者は以後6年、追加取材の過程で、色々と新しい材料を入手したが、アレコレ思い迷った末、この稿では、本人の姓名は伏せることにした。事件から8年も経っており、そこまでする必要は常識的にはないし、記事の迫力は落ちるが、後々、悶着が起こるのが煩わしかったのである。従って「サトシ」は仮名である。(つづく)


 ≪中銀 29 日発表の12月統計≫ リオの山下さんからのお便りです。

山下リオです
 
中銀29日発表の統計より 

イメージ 1

 
12月の海外直接投資は71億ドル、過去12カ月累積は12月まで
461億ドルです。
 
国内の外貨フローは、貿易で12月は19億ドルの黒字です。
ファイナンスは、146億ドルの赤字で、合計128億ドルの流出
なりました。
 
本年12月の経常収支は8億ドルの赤字です。
 
12月の貿易収支66億ドルの黒字で、過去12カ月累積は
587億ドルです。
 
12月の外貨準備高は3747億ドルです。
(添付cambiocontratado901.xlsx) 
(添付baldepagto901.xlsx) 
 
12月の支払い手段M18.8%増、M1の過去12カ月は6.1
増です。
インフレはFGVIGPDI指数で、12月はマイナス0.45%
過去12カ月累積は12月まで7.10%です。最後の2か月の
マイナスは不自然でしたが1桁インフレで年を終えました。
 
 
  • 8/205桁のデノミをした北のヴェネズエラ10日マドゥロ大統領が
軍と最高裁の支持で2期目に就任、111日には国民議会はグァイド議長
を暫定大統領に選出、正と暫定の二大統領になり政治経済は混乱の極みです。
今後の軍の動きに注目です。
 
ボリバル・ソベラノ(Blivar Soberano
公定レート1月のみで5倍下落
 
 
Cucuta
Implicito
DICOM
平行ドル
D.Bitcoin
Petro
 
817
国境レート
外準レート
公定
 
 
 
2018
821
13.24
45.00
60.00
65.18
89.95
3600
2018
1231
674.42
45.00
638.18
730.29
749.04
9000
2019
129
2433.33
45.00
3196.13
3299.12
2968.04
36000
国境地帯レートは3.6倍、
平行ドルは4.5倍下落しています。

臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(40) ニッケイ新聞WEB版より

 コーヒー樹の何本かは霜を受けず、さくらんぼのように実が赤くなり、樹全体が美しい一色に染まっていた。けれども赤い実にまじってまだ収穫期できない青い実の樹もあった。もっとも、採集者には赤も緑も関係なかった。
 各自が家からもってきた巾2メートル長さ4メートルほどのズックの布の上に落とした。2枚の布をうまく使えば、成樹一本に十分まにあうのだった。
 収穫にはコーヒーの実を「①布にしごき落とす」方法と「②地面にしごき落とす」方法と二つあった。
 実を地面に落とす②の方法は、早熟で自然に落果して、発酵・腐敗してしまった実と混ざる可能性があるから敬遠された。①のやり方は労力の割りに収量が少なく原価は高くなるのだが、コーヒーの品質がずっとよくなる。青い実はコーヒーの味をそこね、質をおとす原因になる。これは働きはじめて何日かしかたたない正輝にも、コーヒーの樹の下にできる二色の実の山をみて、赤一色のコーヒーより質が落ちることがわかった。けれども青い実を分ける必要はないという指示があった。
「①」にしても、布の上にはコーヒー豆以外にいろいろなゴミが落ちたため、豆とゴミを分けるのにふるいが使われた。布に貯められた豆やゴミはいっしょにふるいにのせられ、空高く放りあげられる。それを何回もくり返すうちに、重いコーヒーの実と軽い葉や細い枝やその他のゴミが分別される。ほとんどは風に吹かれて飛ばされるのだが、それでも残ったものは豆の上に溜まるから、とり除けやすくなるのだった。
 すべての作業は監督の指示によって、その場で身につけなければならない。監督のいうことがわからないのだから、すべてジェスチャーである。まちがったり、能率のあがらないやりかたは是正される。仕事を覚えることは辛くもなかった。辛いのは、まず、猛烈にすりむいた手の熱いようないたみ、次に、体におそいかかる疲労。動けないほどだ。
 半日も仕事をすると正輝は体が半分に裂かれるような痛み覚えた。布におちている実をふるいに入れるため身をかがめる。次に立ち上がって、両手、両足、そして体全体をつかってふるいの中味を上に高く放りあげる。その一回一回が大変な力を必要とした。
「いつまでつづくんだ」と愚痴がでる。それはこれまでの生涯でいちばん長い日々でも日が暮れてから疲れきって家に帰った。サン・マルチニョ耕地のヨーロッパ系の労働者とちがって、保久原家や沖縄人には毎日入浴する習慣があった。準備しておいたドラム缶に湯をわかし、まず、洗面器に一杯だけ体にかけてから石鹸で洗い、あわを流すためにもう一杯湯をかける。
 体を洗ってから、あたたまるために5分ほど湯船につかる。はじめに樽、つづいて、正輝、さいごにウシが入浴する。入浴前と入浴後、風呂場の周りを裸で歩きまわった。みんなコーヒー園の仕事で疲れきっている最初の夜だから、だれかに見られることもないだろうと思ったのだ。
 そのうち、日が経つにつれて、ヨーロッパ系の労働者の目に留まってしまった。彼らは仰天した。沖縄人は日本人から野蛮だと思われていたが、ここではヨーロッパ人にもそう思われてしまったのだ。

《ブラジル 鉱山ダム決壊事故》ダムの監査責任者5人を逮捕=厳罰求めるドッジ検察庁長官=国内のダムは2千超だが、監査員は僅か154人=正式稼動許可ありは1万3千のみ  ニッケイ新聞WEB版より

2019年1月30日

28日から捜索、救助活動に加わったイスラエル軍兵士達(Israel Defense Force)
28日から捜索、救助活動に加わったイスラエル軍兵士達(Israel Defense Force)
 【既報関連】25日に発生したミナス州ブルマジーニョの鉱滓ダム決壊事故に関して、決壊したダムの強度を監査し、安全性を保障する文書を作成、提出した技師ら5人が29日朝、逮捕されたと、同日付ブラジルニュースサイトが報じた。逮捕された5人の内、3人はヴァーレ社職員で、2人は下請け会社職員だ。拘留期間は30日で、全員がミナス州検察局によって取調べを受ける。

 国家水資源庁(ANA)の報告書によると、ブラジル国内には2017年末現在で2万4092基のダムが存在する事が確認されているが、同年の場合、強度や使用状況を監査するスタッフは154人しかいなかった。また、2万4092基のダムの内、何らかの許可を当局から受けていたのは1万3997基で、全体の6割にも満たなかった。
 同年の報告書では、45基のダムが「事故発生の懸念がある」と評価されていたが、今回崩壊したブルマジーニョのダムは、このリストに入っていなかった。
 国家鉱業庁(ANM)が2017年付で出した報告書には、全国には790基の鉱滓ダムがあるが、同年に監査を受けたのは27%、211基だけと記されている。
 ブラジルでは、15年11月にもミナス州マリアナ市で鉱滓ダム決壊事故が発生したばかりだが、ダムの監査体制はずさんで脆弱なまま、一向に変わっていない。水力工学の教授カルロス・マルチネス氏によると、ブラジル国内には監査状況の悪いダムが100基以上あるという。2010年には連邦議会で国家ダム保全政策(PNSB)が成立したが、これも実効が上がっていない。
 25日に決壊したブルマジーニョのダムには2015年以降、新たな鉱滓は入れられておらず、流出したのはダムに溜められていた分だ。昨年12月には、ダム内の鉱滓の再利用とダムの稼動終了の認可が出ていた。
 ヴァーレ社は決壊したダムのあったエリアのミナ・デ・ジャンガーダ、コレゴ・ド・フェイジョン地区の採掘量を、年間1006万トンから、1700万トンに増やす許可を昨年12月に受けたばかりでもあった。この許可を出したミナス州の環境当局は、25日の事故直後に同地域でのヴァーレ社の採掘活動を全面的に禁じた。
 また、ブラジルでは事故発生後初の取引となった28日、ヴァーレ社株は24・5%下げて42・38レアルで取引を終え、時価総額にして710億レアルを失った。アミウトン・モウロン副大統領は同日、「ヴァーレ社幹部の強制退陣の他に、刑事処分も考慮に入れるべき」と発言、検察庁特捜局(PGR)のラケル・ドッジ長官も、「責任者を厳重に処分すべき」としている。
 救出作業は事故発生から5日目となった29日も続いている。同日昼までに確認された死者は65人で、31人は身元が判明している。また、救出された生存者は192人、所在や無事が確認された人は390人、行方不明者は288人だ。


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