私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2019年02月

臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(58) ニッケイ新聞WEB版より

2019年2月28日

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 正輝は日本語独特の的確でぴったりあった感情や状態を表す繊細な表現を、しだいにしなくなりはじめていることがつらかった。形容詞の「暑い」と「寒い」の間をあらわす「暖かい」、「涼しい」。同じように「明るい」と「暗い」の間をあらわす「うす明るい」「うす暗い」。そんな言葉を使わなくなっていた。菓子や食べ物につかう「甘みがある」「味がうすい」ということもいわなくなった。
 正輝にはそれが心の荒廃を示すバロメーターに思えた。
「繊細な言葉を忘れてしまうことは精神的生き方の衰弱化にほかならない。そうやって言語が繊細さを失い、粗雑になっていく」
 その傾向は時間が解決してくれるどころか、ますます、ひどくなっていった。
 わずかばかりのひまに、そんな時間はほんの少しだったが、正輝は石油ランプのもとで、読書に励んだ。仕事に役立つわけではなかったが、生きるための視野を広める心の糧となる。自分の人格を育てるのに読書が大いに役立つはずだ。
 樽はすでに4人の子持ち(1927年にタダオがうまれ)になっていた。タバチンガでは棉の収量は多かったのだが、働き手が少ない家族には不向きな仕事だと考えた。重労働の割には手にする金が少なかったから、割りに合わない仕事だと思い、牛に「ここにとどまってもどうしようもない」とこぼした。
 そして、1928年ふたたび移動した。タバチンガを通る鉄道の出発駅があるサンカルロス近くの菜園を友人が管理しているはなしを聞き、そこに菜園用の借地をみつけることができたのだ。大きな町の近郊にすめば生産する青物や蔬菜を自ら直接販売できて、都合がいいと思ったのだ。なにより、植え付けから収穫までの期間が棉よりずっと短く、年に一度の作物より蔬菜は金を手にする期間がずっと早い。樽は「今の仕事より歩がいい」とできるだけ早く移ろうと牛をうながし、タバチンガから移っていった。
 こうしてサンカルロスに6年間とどまった。樽は日本に帰る望みがうすれていくなかでも、故郷から遠いブラジルに金儲けができる可能性のある土地があるという思いを捨て去ることはできなかった。それゆえに、まるで、流浪の民のように、決してなじめないこの国をあちこちさすらい歩くのだった。

第4章  房子

 ブラジルへの移民送出はたいした成果をあげなかったのだが、一方には日本政府の移民をブラジルに送らなければならない事情もあった。
まず、労働力の過剰による社会情勢の悪化がある。日本経済は世界経済の変動になやまされていた。人口増加をつづける日本人の主食である米価の高騰があり、また勢いのついた繊維工業に不可欠な棉の価格がそのあおりを受けていた。
 1924年、アメリカ政府は日本移民への門戸を完全に閉ざし、北米国籍をもつ者だけの入国を許可した。この処置はちょうど日本が最悪状態にあったときと重なっている。1923年は、東京をおそった関東大震災の被害をもろにうけ、国の工業は停止状態、失業者は増える一方で、多くの人間が住む家さえうしなっていた時期である。


『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=外山 脩=(21) ニッケイ新聞WEB版より

遂に一社だけに…
ブラタク製糸バストス工場
ブラタク製糸バストス工場

 1983年、この国の生糸の生産はブラタク製糸が52%を占め、日系進出組が47%、非日系1%となっていた。ブラタクは、進出組6社と競合、過半のシェアを確保していたのである。
 進出組は、ブラタク以外の生糸メーカーを廃業に追いやっていたが、実は、その経営は順調ではなかった。まず市田が華僑との合弁を試みて失敗した。他の5社も、当初の目算が大きく狂っていた。


 これは「ブラジルの経済の大混乱」「日本に於ける絹の需要減退、中国産生糸の流入、政府による生糸輸入の割当て制実施」が主たる原因だった。
 ために進出組は、次々とブラジルから撤退あるいは身売りという最期を迎えることになる。
 対してブラタクは、波に乗った観があった。
 1988年、進出組のグンサン(在ドアルチーナ)が操業継続を断念した時は、ブラタクが、これを買収した。500万ドルの言い値を100万㌦で買い取った。コロニアの企業が進出組を買収したのである。空前の出来事であった。
 1990年、バストスの人口の30~40%がブラタクの社員とその家族となっていた。
 1991年、同社の従業員はバストス1、507人、ロンドリーナ903人、ドアルチーナ429人、サンパウロ11人、計2850人で、過去最多であった。
 1993年、日本と欧州への輸出が急増、設備を大拡張した。
 昭栄、伊藤忠、ブラタクの合弁会社ショウエイ・ブラタクは1997年に事業活動を終えた。日本の昭栄本社が蚕糸業から手を引いたことによる。
 2005年、進出組の中で最後まで頑張っていたカネボーが身売りをした。親会社鐘紡の倒産のためである。買い手は日本の藤村製糸であった。
 2006年、大資本を投じて建設したコカマールの製糸工場が操業を停止した。(コカマール=パラナ州マリンガに本部を置く大型農協、非日系)。
 ブラジルの生糸メーカーは、ブラタクほか2社のみとなった。2社とは藤村(パラナ)、ベラルジン(在パウリスタ延長戦ガルサ、非日系)である。
 2008年、ベラルジンが操業を停止した。
 2010年、藤村が撤退した。
 そして残るはブラタク一社だけとなってしまった。
 しかも、この間、日本では生糸メーカーが総て消えていた。国内に養蚕家が居なくなったためである。加えて、生糸の需要……ということは絹の需要ということになるが、それが激減していた。
 以後は中国、フィリピン、ヴェトナム、インドネシア、タイ、インド…そしてブラジルが、生糸生産国となった。ヴェトナムでは、日本から進出した撚糸商が、ブラタクから生糸を輸入、絹にして日本へ輸出するようになった。
 こうした激変の中で、ブラタクは、その規模、製品の品質、信用で世界一になっていた。中国にはブラタク級の規模のメーカーは未だあるが、信用面で劣るという。それについては後で補筆する。

燻し銀の光
 天野の死から19年後の1998年、南米銀行は身売りをし、ブラ拓系の企業は、ブラタク製糸だけとなった。筆者は、天野が、その頃から燻し銀の光を放ち始めた様な気がする。
 付記すれば、ブラジルに於いて、戦前創立の日系企業で──戦中も閉鎖せず──今日まで存続しているのは、数社に過ぎず、地元資本はブラタク製糸のみである。
 なお、天野とともにブラタク製糸を築き上げた谷口は、晩年、バストスの文協会長を通算11年務め、1994年、92歳で永眠した。(つづく)

≪中銀 27 日発表の1月統計≫ リオの山下さんからのお便りです。

山下リオです
 
中銀27日発表の統計より 

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1月の海外直接投資は21億ドル、過去12カ月累積は1月まで449億ドルです。
 
国内の外貨フローは、貿易で1月は5億ドルの赤字です。
ファイナンスは、5.5億ドルの黒字で、合計0.6億ドルの流入なりました。
 
本年1月の経常収支は65億ドルの赤字です。
 
1月の貿易収支22億ドルの黒字で、過去12カ月累積は580億ドルです。
 
1月の外貨準備高は3770億ドルです。
(添付cambiocontratado902.xlsx) 
(添付baldepagto902.xlsx) 
 
1月の支払い手段M19.0%減、M1の過去12カ月は6.6%増です。
インフレはFGVIGPDI指数で、1月は0.07%、過去12カ月累積は1月まで6.56%です。
 
 
隣国ヴェネズエラ事情
  • 22日援助物資搬入に反対し、マドゥロ大統領は、コロンビアとブラジルの国境を閉鎖し紛争状態になりました。
  • 中国の560億ドル融資以外に、ロシアも170億ドル融資しており、軍事顧問団まで派遣しているので、今後の軍の動きに注目です。
  • 26日米空軍が偵察飛行を開始。
  • 昨年8/205桁のデノミをしたボリバル・ソベラノ(Bolivar Soberanoは本年になって約5倍下落。
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「港町神戸」じわりと地盤沈下 古谷さんからのお便りです。

皆さん
 古谷です
 
購読中の月刊誌に載った掲題の記事を添付別紙でお送りします。
ご一読下さい。

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主催者の和田さんが神戸出身だからの所為ばかりでないと思いますが
W50年」には結構神戸出身者が多い印象を受けます。斯く申す私も
高校三年生まで神戸市須磨区に住んでいました。
 
その神戸出身者にとって、誠に腹立たしいのが、添付資料の内容です。
大都市で人口が減っているのは神戸市だけで、その順位は川崎市にも
抜かれ、第七位に転落しそうだとの事。
 
その理由が、「阪急と地下鉄の相互乗り入れ」案、「関西国際空港誘
致」案、に市議会が反対したので、アクセスが悪くなったためと言い
ます。反対した市議員の頭を金づちで叩きたい思いです。

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私が餓鬼の頃は、神戸電鉄が湊川、山陽電鉄が兵庫、阪急が三宮、阪
神が元町までと、市内に私鉄が四社も乗り入れながら、長い間相互乗
り入れが出来なかったのが、目出度く下記の如く繋がりました。

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処が、下記の地下鉄の路線図を見ると海岸線が私鉄と繋がりそうな感じ
がしますが、無理なんでしょうかネ。

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ベネズエラ=国境封鎖で邦人女性足止め=ロライマ山観光登山の帰り=大使館員が保護に急行 ニッケイ新聞WEB版より

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神秘的な台地ロライマ山(From Wikimedia Commons)
 ブラジルとベネズエラの国境に跨る有名な観光地ロライマ山に登山している間に、急に国境が閉鎖されてブラジルに戻れなくなっていた日本人女性旅行者が居ることが、26日付エスタード紙報道で明らかになった。日本の観光客かブラジル永住者かは不明。在ベネズエラ日本国大使館によれば、当該女性は無事で、国境沿いのサンタエレナデウアイレン市に滞在しており、大使館職員が陸路で保護に向かっている途中だという。

 26日付けエスタード紙(E紙)によれば当該女性は、ブラジル側のロライマ州都ボア・ビスタの旅行会社を通じ、伯人25人とともにロライマ山ツアーに参加してベネズエラ側に入っていた。下山した一行は、サンタエレナデウアイレン市経由でブラジルに戻るはずだったが、マドゥーロ独裁政権が支援物資搬入を阻止するために、21日晩から急きょ国境封鎖をしたため足止めを食っていた。
 同市の国境地帯では先週末、グアイド暫定大統領が呼びかけた人道物資搬入を巡り、搬入阻止をする政府軍との間で死傷者が相当数出るような衝突が発生している。
 地質学者で観光ガイドとして随行していたベネズエラ人のアレシャンドレ・コルデーロさん(46)はE紙に対し、「下山した後、国境が通過できないようになっていた。銃撃戦や催涙弾が飛び交う紛争地帯を迂回し、市内のブラジル総領事館に向かった」と話している。
 これを受けて、在サンエレナデウアイレン伯総領事館は、ベネズエラ国家警備隊や陸軍と交渉し、特別許可を得て伯人25人については24日夜、同警備隊の護衛付きで出国した。
 ところが《ツアーに参加していた日本人女性は、領事館の保護を受けられなかったため、国境を越える保証が得られず、現在、伯総領事館職員の自宅で保護されている》とE紙は報じた。
 26日に本紙取材に応じたベネズエラ日本国大使館に拠れば、「伯総領事館職員の自宅で保護されているという事実はない。一昨日くらい前からその女性と連絡を取り合っており、現在、大使館職員が陸路で保護に向かっているところ」と説明した。
 同大使館は「現在、ベネズエラには渡航中止勧告が出ている。ブラジル在留邦人の方もベネズエラには入国しないで下さい」と注意を促した。

□関連コラム□ 大耳小耳
 ブラジル、ベネズエラ、ガイアナの国境に位置する「地球最後の秘境」ギアナ高地。その中でもロライマ山は最高点が2810メートルもあるテーブルマウンテン(卓状台地)。ゴンドワナ大陸時代の地球最古の岩盤がそのまま残っていると言われている。コナン・ドイルの小説「失われた世界」の舞台となったことで有名になり、今も世界中から観光客が集まる。ブラジル側から登山する時はボア・ビスタを拠点に登頂するのが一般的で、6泊7日程の日程で登ることができるとか。それにしても、なにもベネズエラに大統領が二人も生まれ、一触即発になっているこんな時にいかなくても…。

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