私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2019年03月

連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳= (64) ニッケイ新聞WEB版より

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 ところがその結婚に問題が生じていた。そのことを妹に知らせるため、樽は自らサントスまで迎えにきたのだった。挨拶がすむと、本題に入った。
 回りくどい話しはせず、事実だけを伝えた。幾三郎は親友で、りっぱな男だった。自分らと同じ、花城の大事なウンシマウチつまり、同郷者だった。房子と結婚することで、彼女にブラシルにわたる道を開いてくれた。そして、それが実現したのだ。そのことについては樽は非常に感謝している。
 しかし、委任状による結婚が成立し、房子が乗船する間に、幾三郎は医者にも見当のつかない大病にかかっていた。身体は激しく衰弱し、立つこともままならず、はっきり言葉を発することさえできなくなってしまったのだ。治療法など皆無だった。
 そんなわけで樽は妹がすぐに、そして、若くして未亡人になるのを防ぐため、婚姻が成立しないように図った。房子が夫となる人に会わない。それだけでよかった。房子は花城で彼を見たことはあったが、まだ、子どもで覚えてはいなかった。兄は彼を知っていたといわないように釘をさし、またこれからも会うことはないと念を押した。
 「これからはうちの家族とタバチンガでいっしょに暮らすのだ。ちいさい娘が二人いるが、家のことはできるし、ウチナアグチも上手だ。行先きが決まるまで、娘たちとうちでくらせ」と樽はいった。
 サントスからサンパウロまで行くはずだったが、長時間汽車をまつことになった。というのも、朝出る汽車に乗れず、次の列車まで4、5時間またなければならなかったからだ。駅の立ち食いするバールやレストランで食事した。ご飯、フェイジョン、レタスのサラダ、肉とじゃがいもの煮物というごく質素な食事だった。このような食べ物についてはすでに情報を得ていた。これから先、このような食べ物が毎日、テーブルにならべられるのだと、早くなじもうと、いっしょうけんめい食べた。
 変わった飲み物を飲んだ。黄色くて、泡立ち、はじめに一口は焼けるように感じた。だが、甘くて、変わった味でおいしかった。樽は「ガゾオザ」と説明した。本当はグァラナだったが、日本人はどんな清涼飲料水も「ガゾオザ」といっていた。「いつも飲むわけじゃない。祝いのときだけだ」と兄は力を入れていった。祝いごとなどそうあるものではない。けれども、二人にとってこの再会は祝いの日なのだから、味わいながら飲むよう妹に伝えたかったのだ。
 サントスからサンパウロに向かいルス駅に着いたのはすでに夕方だった。
 その時季は日が短い。6時半には街灯はともっていた。樽はいちばん近いサンカルロスまでの乗車券を2枚かった。そこで、ドウラデンセ線に乗りかえ、タバチンガに行こうとしていた。
 サンカルロス行きの汽車は午後11時にしか出なかった。それまで、時間があまりすぎるほどあった。樽は自分の手荷物とそれよりずっと大きい妹の荷物を荷物預り所において、二人で駅のそばでも歩こうと駅をでた。まずはじめに、駅の北側にあるルス公園にむかった。木の茂った、よく手入れされた公園だが、歩くには暗すぎた。その一角にりっぱなビルがあったが、夜は照明もなく、不気味な感じがした。そこは州立のピナコテッカ博物館の本部だった。それでも、樽はその近くまで行ってみた。日本から着いたばかりの妹に見せたかった。すぐ近くだから、行くだけのかいがあると思ったのだ。


特別寄稿=この国に移り住んで60年=貴方はしあわせですか?=聖市在住  駒形 秀雄 ニッケイ新聞WEB版より

 私達多くの日本人が希望に燃えてブラジルに渡ってから60年近くの歳月が経ちました。そして、戦前にブラジルに来た親達と地方で農業に従事していた若者たちも、サンパウロなどの大都市に移り住んでからやはり60年前後が過ぎています。
 その年月の間には色々苦しい事や嬉しいこともありましたが、人の生涯に例えてみればもう還暦、一区切りの時期です。
 若い頃は無我夢中でただ仕事に、生活に闘っていましたが、今、老境に入り頭も体も弱って来たことが実感されます。その上さらに、日本を始め、海外の情報などが沢山入ってくるようになったので、つい今の自分の環境とを較べることにもなります。
 「この頃のブラジルは治安、モラルなどひどいもんだ。(日本は治安も介護も良いと聞くが) 一体、自分はブラジルへ来て良かったのだろうか? この土地を選んだ自分達はしあわせと言えるのだろうか?」。そう考えるようになります。
 「家があって、最新の車があっても人間のしあわせはお金だけでは決められないと言う。これからの余生、何とか心豊に、満足して過ごしたいものだが」その行く末に心は動きます。さて、この難しい(楽しい)? 問題、皆様と一緒に以下考えてみましょう。

▼貴方の国はしあわせですか
高齢者の夫婦
 知りませんでしたが、3月20日は『世界しあわせの日』なんだそうです。この日に合わせて国連の関連機関が『貴方の国の幸福度』を調べて発表しました。世界各国の・国内総生産(GDP)・社会保障・寿命・自由・寛容度・汚職・移民の生活の質、など多くを項目別に点数化して評価し、その総合点に基づき順位を付けたのです。相当信頼できる順位と言って良いでしょう。(別表―参照)
(表―1)世界主要国幸福度(2018年度)

資料・国連機関 (数字は順位)

1.フィンランド 2.ノルウェイ 3.デンマーク 4.アイスランド 5.スイス 6.オランダ 7.カナダ 8.N.ランド 10.オーストラリア 15.ドイツ 18.米国 19.英国 24.メキシコ 25、チリ 26.台湾 28.ブラジル 29、アルゼンチン 46.タイ 47.イタリア 54.日本 57.韓国 59.ロシア  86.中国 156.南スーダン/ブルンジ
 それによりますと、幸せな国の順位は①フィンランド ②ノルウェー ③デンマークなど治安も良く、生活水準も高い北欧の国々が上位を占めています。豊かさも、伝統文化もあると思われるドイツは15位、18位米国、19位英国と続きます。我がブラジルは24位メキシコ、25位チリ、26位台湾よりも下の28位で『チェ、何だ』というところでしょう。

 ところで世界第3位の経済大国と思っていた我等が日本国はというと、上位50カ国にも入らない、54位です。57位が韓国、59位にロシアが来るので間違いではありません。世界第2位の経済を誇る中国が86位となっているのは、『やっぱり幸せとカネは比例する訳ではないのかな』と思わされます。では156の調査国の最下位はというと、内戦で荒れるアフリカの南スーダン/ブルンジです。
 この調査結果について日本、中国、韓国など東洋の君子の国々が経済力の割りに評価が低かったのは「まずキチンと働くのが第一、遊びや芸能などは2の次だ」という考え方、また、先輩や上役などの上下関係を重視する東洋の風潮が「家族のしあわせが第一、仕事はそのための手段に過ぎない。個人の自由を尊重しよう」などの西欧型の選定基準と違っていたから(低く評価された)と見られています。
 また、この報告の中で日本は「友達が出来難い」『冷たい』『仕事と生活のバランスが最悪』とされており、これは日本への出稼ぎに行って失望して帰ってきた『日系人』の日本観と一致しております。留意が必要でしょうね。
 それにしても我が愛するブラジルも日本も客観的な『しあわせ度』は自分で思っていたほど高くなかったんですね。

▼山あり谷あり新天地
 夢と希望に溢れて移って来た新天地でしたが、現実はそう甘い物ではなく、半世紀ほどの間には色々な出来事で揺さぶられました。周りの事情が分からぬまま、ただ働いていた時代(1960年ー70年)は有難いことにブラジル経済も成長期。サンパウロなどの大都市では人口が急増して素人が商売などしても大抵ご飯は食べられました。働く気さえあれば金儲けの種はいくらでもあったのです。そしてこの時期に多くの日本人たちも生涯の伴侶を得、子供が授かり生活の基盤が出来ました。(表―2参照)

(表―2)ブラジル経済成長率(GDP―%)
(年次=%)
1960年= 8%
1961年= 7%
1968年= 9%
1969年= 9%
1972年=11%
1974年= 8%
2013年= 3%
2014年=0・5%
2015年=(-)3.7%
2016年=(-)3.6%
(注・数字は概数。年次は飛んでいるので注意を)

 しかし良い時ばかりではありません。1980年代にかけては月80%を超える高インフレにも見舞われ一般人はアップアップ、折角得た財産をアッという間になくした人が多数出ました。
 そしてこの苦境の逃れ道のように日本への出稼ぎ始まり、『故郷の様子を見たいね』と考えた人達も合わせ、日本詣でが急増しました。何年か働いた金で家を買ったなどと言う話が多く聞かれ、これが日本人の生活安定に寄与してくれました。
 本人等が現役を退いた後(2013年ー16年)には経済のマイナス成長(不景気)が来て、濃い緑と明るい黄色のブラジル国旗も色あせて見えることになります。新天地に移り住んで半世紀ほど、振り返って見れば『山あり谷あり』の人生で、苦労もなしの『しあわせ』は得られてなかった気がしますね。

▼日本(系)人はしあわせか

 それで、ブラジルに住む日本人、大都会(サンパウロ)で暮らしている日系人は今、幸せにくらしているのでしょうか。『しあわせ』と言うのはその人の感じるところに大きく左右されるし、日系人だけの特別の調査も基準もありません。それで、ここでは手に入る資料、多くの人達に聞いて見た結果を基にしてレポートして見たいと思います。
(A)若い時に苦労して来た人達、また、戦前に移住し慣れぬ環境の中必死に働く親達の背中を見ながら育った人達は総じて今、『しあわせ』だと感じています。
 以下、谷川某さんの意見です。「日本から船に乗った時はトランク一つ、自分の身体だけが元でだったが、いまになってみれば、自分の家もある。子供たちも十分な教育を受けて立派な社会人になっている。ブラジルは人種差別もなく、見ず知らずの我々を寛容に受け入れてくれた。有難い、良いとこへ来たもんだ感じている。それに私も自分の金で現代の日本を始め海外の様子を見ることも出来た。どの国にも貧乏人も居れば金持ちもいるんだと分かった。大農場主にはなれなかったが、それは夢の内、人間まあこんなとこかと納得もしていますよ」
(B)もう一つのグループはあまり他の日本人との交流も無く、一般ブラジル人達の生活に慣れ親しんできた人達です。このような日系人は周囲のブラジル人に同化し、始めから夢みたいな目標などは持っていない。「まあ、その日その日を楽しく過ごせれば良いさ。分かりもしない将来のことでくよくよ心配もしないよ」
 学校も仕事もマイペースでやって来たので「目標を達成出来なかった」などと悔やむこともありません。「ポリチコは皆ラドロン(泥棒)だ」とくさしながら、病気の治療も、交通の渋滞も『国や市がやってくれるだろ』と気長に待つ。そんなこんなでブラジル人的しあわせ感でおおむね満たされているようです。
 「それで?」日頃から世間話をし、社会問題にウンチクを傾けてくれる河合某さんにご意見を伺いました。「有難いことにこのブラジルじゃ、総じて日本人の評判は良い。『真面目に働き、頭の良い人も多い。その割にあまり出しゃばりをせず、人間関係を大事にする』と思われている。これが悪党や暴力犯が多いブラジルで我々を住みよくさせてくれる要因のひとつだ。この良い雰囲気を大事にせねばならない」
 「で、日系人は幸せか、だが今老境に入った多くの日系人はまあまあ家族との平穏な暮らしがあって、しあわせと考えているのでないか。泥棒が居ない(?)、汚職する政治家が居ない(?)日本と較べてこの国を悪く言う人達が居るが、日本には日本の、金満国アメリカにはアメリカなりの問題点も多く、幸せの優等国でもない。あまり他所と較べてどうこう言ってみても仕様がないのでないか」
 河合さんがまとめました。「地震も無い、ツナミも無い神の恵みに溢れたこの地で、五体満足で暮らせれば、それだけで十分と思わなきゃね。ものは考えようでしょう。今の自分の生活に満足して、これからの残り少ない人生を皆で楽しく過ごしたいものですね」(ご意見などは=> hhkomagata@gmail.com )


《ブラジル》ボウソナロ大統領、マイア議長との雪解け強調=社会保障改革に集中姿勢か ニッケイ新聞WEB版より

ボウソナロ大統領(Marcelo Camargo / Ag.brasil)
 【既報関連】「ページはめくられた」―。ロドリゴ・マイア下院議長(民主党・DEM)との“口論”の末、28日にボウソナロ大統領(社会自由党・PSL)はこう語り、対立を解消して、社会保障制度改革の成立に向けて協力する姿勢を示したと28、29日付現地各紙が報じた。
 ここ一週間程、「古い政治」「ツイッターばかり」と、両者は口角泡を飛ばしあっていた。
 マイア議長が26日、大統領へのあてつけのように、強制予算関連の憲法改正案(PEC)をスピード採決、承認させた事や、パウロ・ゲデス経済相が社会保障制度改革案を最初に審議する憲政委員会(CCJ)を欠席した事、PSLが同改革案のCCJでの投票を4月3日から17日に遅らせるよう求めた事で、金融市場に「社会保障制度改革危うし」の空気が広がり、27日は株価もレアルも大きく下げた。
 大統領の「ページはめくられた」発言の同日、マイア議長も、「口論はもう済んだ事。我々は社会保障制度改革成立に集中しなくてはいけない」と語った。マイア議長はゲデス経済相とも会談を行い、協力して議員たちとの折衝を行う事に同意した。
 議長と経済相の動きの背景には、こじれるばかりの大統領と議長の関係に業を煮やした企業関係者たちによる、「関係を修復し、社会保障制度改革を進めるように」との働きかけがあった。
 ただし、「下院議会内に存在する超党派の巨大勢力セントロンからは、『この辺で政府の出方を見てみよう』の声が聞こえる。大統領いびりは完全には終わっていないようだ」と29日付フォーリャ紙は報じている。
 しかしながら、休戦ムードを市場は好感。27日は3・57%下げたサンパウロ市株式市場指数も、28日には2・7%アップと反発した。一時は1ドル=4レアルに達する勢いだった為替も、28日は1ドル=3・91レで取引を終えた。
 また、予定より大きく遅れたものの、28日には、社会保障制度改革案に関するCCJの報告官が、マルセロ・フレイタス下議(PSL)に決まった。
 ゲデス経済相は、「多少の雑音があっても、行政府も立法府も本来の重要な役割を忘れる事はない。これからは全てが動き出す」と語っている。
 マイア議長との一応の和解は全て、記者団を通じた間接的な会話に止まっており、直接対面しないまま、ボウソナロ大統領は、30日から4月3日までの予定でイスラエルへの外遊に飛ぶ。

花談議381≪しゅこさんのお庭も春爛漫ですね~≫ 久留米のはなさんからのお便りです。

我が家はチューリップ、ビオラ、ゼラニウムが咲いてますが
立浪草などの山野草もつぼみから花色が見え始めました。
 
これからは色々な草花が咲きそろい楽しい季節ですね~
 
珍しい花形のつつじ、「錦英・きんえい」も満開です。
 
 
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≪久留米からも桜を・・・≫ はなさんからの花便りです。

多加代さん、しゅくこさん、昭子さん、皆様へ
 
    はなです
 
多加代さんお久しぶりです。お元気のようですね~
多加代さんの桜の写真につられて久留米からも桜を・・・
 
近所の公園からです。

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満開とまではいかないけれど、それでもちらほら桜を見に来る人たちがいますよ。週末にはお弁当持参のお花見客が多いかも。

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