私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2019年05月

文協=文化祭りで来場者新記録=非日系中心に1万7千人=実演体験、料理教室が大好評 ニッケイ新聞WEB版より

ブラジル人でごった返す書道展示

ブラジル人でごった返す書道展示

 ブラジル日本文化福祉協会(石川レナト会長)は「第13回文化祭り」を25、26日に聖市の文協ビル全体を使って開催し、一般市民を中心に1万8599人が来場して新記録を更新した。地下の日本文化スペースの料理教室コーナーが念願の初稼働をし、7階が改装オープンされた移民史料館では2日間の来場者が2850人を記録するなど、一般市民が日本移民の歴史や文化に触れる絶好の機会となった。

 当日は韓国人気アーチストBTSのコンサート、親ボウソナロ集会があったにも関わらず、文協ビル内は日本文化好きで溢れていた。大久保カルラ実行委員長に取材している最中も、「ボクも協力したい」と申し出る来場者の日系少年がおり、青年文協への入会を勧めていた。
 今回のテーマは「レガシー(遺産):ブラジル、日本、そして私」。中心となるワークショップ(実演体験コーナー)には押し花、折り紙、漫画、風呂敷、剣道、忍術などが並び、一般市民が次から次へと参加していた。
 メイドカフェ主催者の一人、カリーナ・カバウカンテさんは「メニューも自分たちで独自に作った。5年前からあちこちのPOPイベントでカフェをやっているが、いつか自分たちの店を持つのが夢」と目を輝かせた。

来場者であふれた食の広場

来場者であふれた食の広場

 シェフコーナーでは「藍染」「ジョジョラーメン」など聖市有名日本食レストランが出店し、本格的な料理を提供し、午後早々に売れ切れるところもあった。
 地下の料理教室コーナーが今回、初めて稼働を始めた。この二日間で細巻、コロッケ、カツサンド、スキヤキ、カレー、ハワイ風手巻き寿司などの7講座が開かれ、各40人が参加、計280人が日本食の料理法に親しんだ。担当したサクラ中矢社の広報・畑中ミリアンさんは「イベント時だけでなく、普段から料理教室を開催したい」と意気込んだ。教室を出ると、1時間後に開始する講座の列が早速できていた。
 来場者の西国幸四郎さんは「大講堂で『優美』の日本舞踊を見てきたけど、若い人が生き生きと日本舞踊を踊っていて気持ちいいね」とほほ笑んだ。
 大久保実行委員長は「来場者目標1万7千人を達成できてうれしい。日本文化に興味がある全ての人に家族で来てほしい。今年はYOSAKOIソーラン、料理教室などの新しい取り組みをし、200万人の登録者を持つ日系姉妹ユーチューバ―に来てもらって宣伝している。委員会メンバー15人が力を合わせ、50日系団体以上が協力してくれている」と感謝した。


□関連コラム□大耳小耳

 大久保カルラ実行委員長は2年前に文協青年部に入って文化祭りの手伝いをはじめたばかりで、昨年、今回の実行委員長を任された。その間、「昨年6月、サンパウロ新聞の招待で15人の若者をハワイでの海外日系人大会に参加し、日本を見せてもらった。素晴らしい体験でした。おかげで、もっと日本文化をブラジルに広めなくちゃと痛感して実行委員長を引き受けました」という。これはサ紙主催の「日伯懸け橋プロジェクト」(協賛:竹内運輸工業、ワールドリンクス)のことで、20~40歳の日系の若者15人が昨年6月に1週間ほど、ハワイでの海外日系人大会出席後に訪日し、横浜のJICA海外移住資料館、「ブラジル・タウン」群馬県大泉町視察、日光見学などをした件だ。サ紙の取組みは早速成果を生んでいるようだ。
     ◎
 文協の文化祭りは2015年までは1日だけだったが、06年に初めて土日開催となり、聖市主催のビラーダ・クルツラルと重なったこともあって数年ぶりに1万人越えを記録した。17年には文協ビルと日本館で8日間開催して初の着物ショーを行うなどして1万1500人を動員、18年はブラジル日本青年会議所が協力して大人気Youtuberのデボラ・フッツさんの講演も行われ1万3400人が来場した。今年は1万8千人を越えて、いよいよ2万人の大台に近づいてきた。
     ◎
 韓国の人気K―POPグループ「BTS」(防弾少年団)のコンサートがこの週末25、26日に聖市のアリアンツ・パルケ(パルメイラスのサッカー場)であった。各4万2千人ずつ、計8万4千人が韓国音楽に酔いしれた。グローボ・ニュースによれば、中には3カ月前からチケット購入の列を作ったブラジル人ファンも。世界ツアー中、南米ではこの2公演だけなので、わざわざコロンビアから来たファンもいたそう。韓国のソフトパワーはブラジルにもしっかりと浸透しつつある。ジャパン・ハウスができたからって、日本勢もウカウカしていられない?! 日本のアイドル・グループにも負けないように頑張ってほしいところ。

県連故郷巡りカリフォルニア=150周年、満砂那(マンザナー)に平和を祈る=《18》 ニッケイ新聞WEB版より

高良シゲオさん
高良シゲオさん

 一行の一人、高良シゲオさん(67、二世、聖市)は10年前に映画『Adeus a Manzanar』(原題Farewell to Manzanar 1976)を見て深い感銘を受け、いつかマンザナーに行ってみたいと思っていたという。
 実際にマンザナーを見たの感想を聞くと、「日系人であるがゆえに強制収容された子孫に、強い悲しみと共感を覚える。父の故郷の国と戦争で戦う時、二世兵士はどんな気持ちなのだろうかと思った。そんな辛い経験をした子孫のためにも平和な時代が続いてい欲しい」と率直なコメントをした。
 またロスで北米沖縄県人会のメンバーと交流した際、「ブラジルの方が団結していると感じた。例えばビラ・カロンにはウチナーグチ教室まであるが、ロスにはない」と比較した。

マンザナー強制収容所跡に再現された共同トイレ。各バラック内にトイレ、炊事施設はなく、共同棟で用をすますようになっていた
マンザナー強制収容所跡に再現された共同トイレ。各バラック内にトイレ、炊事施設はなく、共同棟で用をすますようになっていた
      ☆
畠山富士雄さんと妻の手島幸子さん
畠山富士雄さんと妻の手島幸子さん
 4月13日(土)朝、一行の畠山富士雄さん(75、二世)は「マンザナーを見て、ポーランドに観光に行った時に見たユダヤ人強制収容施設を思い出したよ。ブラジルでも戦争中はリベルダーデでも、サントスでも強制立退きがあった。こういう歴史は忘れてはいけないね」としみじみ語っていた。
渡辺民栄ラウラさんと夫・定則さん
渡辺民栄ラウラさんと夫・定則さん

 カンピーナス市在住の参加者、渡辺定則さん(75、大分県)は「ロスの全米日系人博物館をもっとゆっくり見たかった。でもマンザナーで法要が出来て良かった。ただの観光旅行じゃなくて、日系人としての歴史を知ることに故郷巡りの醍醐味があるからね。本を読んだり、ドラマを見たりして知っていたけど、実際のその場所に立ってみるとインパクトが全く違うね」という。
 妻の民栄ラウラさん(75、二世)も「法要をあげることで、自分たちも現地の歴史に参加している気分になる」とのべた。

本橋さん
本橋さん

 県連前会長の本橋幹久さん(83、鳥取県)は、現職会長だった5年前からマンザナー行きを計画していたという。「ロスから一番近い強制収容所がマンザナー。この姿をブラジルの一世、二世も良く見ておいた方がいいと思っていた。満砂那という当て字を見て、辛い状況なのに『ここは美しい場所』だと前向きにとらえているところに日本人らしさを感じた」という。
 本橋さんはブラジル鳥取県人会としてロスと交流をしたいと考えており、「7月21日にロスで予定されている南加鳥取クラブの創立百周年式典に来たいと思っている」との希望を語った。(つづく、深沢正雪記者)


臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(100) ニッケイ新聞WEB版より

 農場の仕事を手伝わせるために雇った玉城といっしょに内地出身の使用人がいた。その戸田つくしはどこにいるのだ? 戸田がいなくなった。銃もなくなった。彼はこの事件に関係があるのではないか?
 署長は事件の山はみえたと考えた。胸の傷跡からみて、自分の胸に銃を発したとは考えられない。使われた凶器はライフルとみられ、それを自分の胸に向けて発砲するのはむずかしい。午吉がウサグァーを殺害しそのあと、自殺未遂したのではなく、第三者が犯人なのだ。というのも、午吉が署長にただ一言残していった言葉が、
「トダがやった」で、署長は戸田をフォダ(ちくしょう)と聞きちがえ、
「たしかにフォダだ。しかし、犯人はだれなのだ?」と聞き返すと、
「トダだ。トダは犯人の名前だ」と答えたのだった。
 では、なぜ戸田つくしがウサグァーと午吉を撃ったのか、それが謎だった。署長は家族や近所の住民から話しを聞き集めた情報で、その経過がおよそわかった。そのことにつき1940年11月26日火曜日の「オ インパルシアル デ アララクァーラ」新聞に次のような記事が出た。

「マッシャードス区
 日本人の間で起きた血まみれの悲劇
 二名が銃で死亡」

「日曜日の夜中、アララクァーラ市の近郊のマッシャードス区は中心人物二人の死を招く悲劇の舞台となった。この地区には日本から移住した蔬菜生産者の所有地が広がり、町の朝市に生産物を供給している者が多い。
 事件は関係者からえた警察の調べによると、保久原正輝所有の農場内でおきた。そこには離婚者嘉数ウサ、戸田つくしそして玉城午吉が雑居していた。
 悲劇の主人公戸田つくしはウインチェスター・ライフルで何発も発砲し、その弾が嘉数ウサと玉城午吉に当ったもよう。女性は即死、男性はサンタカーザ慈善病院で手術を受けたが昨日死亡。
 事件の発生場所におもむいた地域警察署長、ライムンド・アルバロ・デ・メネーゼスはその場で必要な処置を取ったあと、犯行後、逃亡した殺人者戸田を目下追跡中。また、事件の詳しい解明に当っている」

 しかし、なぜ、戸田はウサグァーと午吉を殺害したのだろうか?
 正輝と房子が朝市に出かけているあいだ、注意深く家の様子をうかがっていた隣近所の人たちからの話しを聞くうちに、正輝の謎がとけてきた。『オ・インパルシアル』新聞によると、彼らは雑居しているとあるが、ウサグァーは二人と関係をもっていたようだ。つまり、ウサグァー、午吉、つくしは三角関係だったのだ。戸田つくしはこの状況に耐えられず、二人を殺してしまったのだ。
 事件後、マッシャードス地区で彼の姿を見たものはいなかった。警察も彼を見つけることはできなかった。
 ウサグァーの死亡についてはアララクァーラ司法区、自然人登記所の死亡登録帳Cの047番、243─Vページ、7200番に登録された。1940年11月25日の死亡証明書には「カカズ・ウサ30歳、既婚者、女性、黄色、家事、国籍日本、サンパウロ州アララクァーラ市在住、父母イモレ ジロー、カマともに日本人、1940年11月24日、午前4時、アララクァーラ市マッシャードス区にて死亡」と記載された。

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花談議449≪皆さんへの返信です≫ しゅくこさんからのお便りです。 

和田さ~ん、 皆さまへ
                しゅくこです

はなさん、美知子さん
 
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はなさん、体調はいかがですか?   次回はぜひご一緒させてくださいね。その日を楽しみにしています。
 
花の名前に詳しくない私たちでしたが、にこにこ、おっとりした一人歩きの、杉井さんを少し太らせた感じのおじさんが途中から合流し、目にしたすべての花の名前を教えてくださり、わたしたちは学生気分で質問攻めにしてはそれをメモリ、道中はいっそう中身の濃い一日になりました。なによりもお天気がさわやかだったので、はしゃぎっぱなしでした。
 
翌日の28日はどしゃぶりで、体を休めるにはちょうどよく、そして昨日20日は神戸から旧友が訪ねてきて、弥生が丘小道を午前中に歩き、午後からはウッディタウンの平谷川に沿って歩きました。
 
この日はさわやかな風を頬に受け、柔らかな陽射しと川のせせらぎの音に助けられて、よく歩き、しゃべり、食べました。帰りはほてった体をジムの水風呂で冷やして、頭もついでに冷やして、
疲れはありますが今日は一休みしています。

数日後に山形から埼玉、東京と予定している小旅行に備えています。暑いのだけはいやですね。

体に気をつけてお過ごしください。美知子さん、また誘ってくださいね
 
杉井さん

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さすがに世界の山々、日本の山々を征服していらっしゃる山男です。逢山峡は裏庭のようなものでしょうか砂防ダムができる前の逢山峡をご存知なんですね。

美知子さんが四つ葉のクローバーが群生していたところに、工事現場の資材が積まれたので消滅したとおっしゃっていましたが、その場に行くとたった一本ですが四つ葉のクローバーを見つけました。これからまたたくさん生えてきて、山歩きの人々にささやかな幸せを与えてくれることでしょう。

かえりに、美知子さんがつくられた四つ葉のクローバーを押し花にしたランチョンマットをいただき、昨日は神戸から来た友人とさっそく並べてちょっと贅沢なランチをしました。
スイスへ山登りはもうすぐですね。写真とお話が待ち遠しいです。
 
丸木さん 

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美知子さんのチヂミはジャガイモを擦ったものがベースなのでお腹にもたれずいくつでもいただけました。いつか50年の食いしん坊たちがおじゃまして、チヂミパーティをさせていただきたいですね。

子供の頃は我が家の隣が一畳くらいのお好み焼き屋の屋台で、家主のおばちゃんが鉄板の上で焼いて熱々を新聞紙にくるんで一枚10円で売っていました。中身はキャベツのせん切りとか、かつおぶしが盛りだくさんで、玉子を落としてもらうとも少し高かったと思います。

子供心にたっぷりのソースが甘くておいしかった。いまは600円~も払ってお店で食べる気にもなりません。

それなら自分で作ってと思いますが、子供の頃の美味しかったのにはどうもぴたり来ません。

「一段」と呼ばれるゴム飛びや、缶蹴りをしながらほおばったものです。いまでいうクレープみたいなおやつでした。
 
和田さん
 
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美知子さんの散歩道、逢山峡(ほうざんきょう)にご一緒したいですね。よく似た名前ですが、和田さんご夫妻と昨年の春に行った宝塚から有馬の間に位置する松本清張の小説の舞台になった蓬莱峡(ほうらいきょう)は花崗岩の断崖が迫る、のんびり歩くのとはまたちがったすごみのある風景でしたね。愉快なタクシー運転手も一役かってくれたことを思い出します。

一笑一若・メキシコ小話「修道院に来たオウム」 富田さんからのお便りです。


   和田さん&W50年の皆さん、ご機嫌いかがですか?今週は一笑一若・メキシコ小話「修道院に来たオウム」をお届けします。メキシコ時代、ぼくに小話の醍醐味を教えてくれたのが、今は亡きハヴィエル神父様でした。神父様は小話で教会をテーマにするのはいいが、聖職者を冒とくする小話は許さない、といつも語っていました。今回の小話は将にこの範疇に属するものなので、実に面白い。「神父様、お許しください。」

では、ご用とお急ぎでないお方は、下記のブログをお訪ねのうえ、一笑一若・メキシコ小話「修道院に来たオウム」E N J O Y !!!



富田眞三 Shinzo Tomita


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              修道院に来たオウム

 

     

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                                                     写真:www.ramonanibaltv.blogspot.com

メキシコを襲った大地震で、ところの売春宿が倒壊、飼われていたオウムは籠に入ったまま、道端に置いてきぼりにされていた。

 

 そこへたまたま通りかかった修道女は可哀そうに思って、オウムを修道院へ連れ帰った。

 

修道院では近辺の司教さま、司祭さまたちと修道女たちの会議が終わったところで、一同は庭で雑談していた。

 

珍しそうにオウムの籠の周りに集まってきた一同をぐるりと見渡して、オウムは大声で感想を述べた。

 

「ははん、女たちは新顔ばかりだが、男たちはみんなお馴染みさんだなぁ…。」

 

お後がよろしいようで……。

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