私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2019年06月

≪砂古画集99作品紹介≫ 作品編その11

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40  笠戸丸 アクリル画 70x100

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 サントス港での笠戸丸の寫眞は岸壁上から船尾を撮った寫眞以外に残っていない。笠戸丸が係留された14番倉庫の⑭は戦後何回かの後発移民社員の出迎で親しんだマーク⑫⑬⑭の一つ。これを絵に残すには、左舷を海上から見るしかない。
 2006年に2度目來伯の、船舶研究者で笠戸丸に関して研究図書2冊の著者、宇佐美教授と知り合えた。氏はイギリスの造船所調査に3度目もの渡英で100年前の笠戸丸建造設計図を発見しておられたので、帰国後メールで送信して頂いた。
 船名だけが白地にポジで KAZAN とあるのは、建造当初はイギリスの船舶会社がボリビアのPOTOSIの名前で同地採掘の錫の大量運送のため発注建造中であったのを、ロシアの富裕都市kazanの市民の献金で、戦時に備え軍用船適応を考慮しての買い取りであったため、POTOSIのネガをKAZANのポジに切り替えた所以である。
 笠戸丸は6000トン。カザンの設計図を参考に描いたが、左後ろ海面から見上げる構想にしたので、船尾が誇張された。
 埠頭から市内へ500メーター程引っ込んだ発着点からの通勤者用小舟で、⑭と⑮の間の水路を画材集めで通過する度に係留された外国船の高い船尾を上に見て、女性の巨大なお尻を見上げたような印象に依るもの。
 手前のボートには、当時世界に知られたTOGOを名付けた。マストの自然木や帆布の縫い目は、サントスにある100年前の海景画家ベネヂットカリスト美術館で参考。
 人工の近代建造物を歴史的に描くのは、自然物と異なり、絵になり難いと身に染みた。  
 文協の移民資料館に贈呈、収蔵。

41  アクリマソン公園の犬  水彩 50x70

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 このGalleriaで紹介3度目の、アクリマソン公園です。2005年頃描きました。水彩のフルサイズです。今回は犬を4匹招き入れました。一匹はCampos do Jordãoの家で飼っていた、胴長のために「ソーセージ」とも言われるダックフントにしました。
 カンポス療養の義父義母をサンパウロの自宅に引き取るようになり、犬は聖市のアパート内規では飼育出来ず、カンポスの知人宅に譲りましたが、ある日泡を吐いて死亡したと知りました。
 病気に強いダックフントなので、カンポスに多い紫陽花の花を食べたものかと後ほど想像するようになりました。紫陽花の花は子供や小動物には危険な花の一つと知りました。

42  Rioが望めるNiteroiの海岸  水彩 38x54

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 1983年、青木建設が関係したホテルシーザーパークに泊まって、リオとブリジッドバルド-滞在で有名になったBuziosなどを廻ろうと、友人の運転で2夫婦4人の旅行に出かけました。
 この友人とは1950年代前半にリオで同居した親友。滞在中に一日だけ別行動し、親しい遠縁の家族を訪ねリオ対岸のニテロイに渡った折描いた水彩です。  このGalleria Sunagoのトップから2番目と同じ海岸ですが、描いた10年程前はすでに開発されて、利用者で一杯の白浜に変貌していましたが、83年の当時は辺鄙な存在で雑草に覆われていました。

43  弓場劇場  水彩 30x40

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 この Galleriaの12番目で、サンパウロから北西600キロのミランドポリスにある弓場農場の自家用鶏豚処理場の絵を紹介してもらいましたが、800人収容の劇場の絵も参加させて頂きます。
 コーヒー園のあった斜面に数十年前に自分達で建てたもので、舞台を見下ろせるようになっており、地面は白い砂で裸足になっても心地よくできております。


花談議460 ≪イペーアマレーロも咲き始めました≫地元ポルトアレグレから

四季咲きのイペーアマレーロが6月の末に花を付け始めました。背丈が低くて気に入っていたイペーなのですが生長点をカットして横に広がらせ場良かったのですが、街路樹は、勝手に手を加えると罰せられるので見ていると背丈がぐんぐん伸びてしまい、今では写真を撮るのに苦労するようになりました。旨く撮れていませんが、6月末の咲き始めのイペーの写真を残して置きます。

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日本移民の4英傑揃い踏み!=水野龍と平野運平胸像を落成=東洋街ラルゴ・ダ・ポルヴォラに ニッケイ新聞WEB版より

水野胸像落成を祝う代表者ら
水野胸像落成を祝う代表者ら
 これで日本移民の英傑4人が揃い踏み――水野龍(りょう)と平野運平胸像の除幕式が15日、サンパウロ市リベルダーデ区の日本風広場ラルゴ・ダ・ポルヴォラ(Largo da Polvora)で執り行われた。水野龍の三男・龍三郎さん、在聖日本国総領事館の楠彰首席領事、コンサートのため訪伯中の演歌歌手三山ひろし一行、各日系団体の代表者ら約120人が参列し、広場は落成を祝う人で埋め尽くされた。
 代表者により胸像を覆う白い布が取り払われると、顔の細部まで精巧に造られた、赤銅色に輝く水野龍の姿が現れた。参列者からは万雷の拍手が沸き起こった。
 挨拶で聖市長代理は、「『ラルゴ・ダ・ポルヴォラ』の名前は残しつつ『移民の父広場』と新しく名付ける方向で進んでいる」と発表。参列者からは一層大きな拍手が響いた。
 三山ひろしは「今日ここに来られたのは、水野龍を始め、皆さんが日系社会を支えてくださったからです」と参列者に祝意と感謝を表し、「オブリガード!」と締めくくった。
水野胸像
水野胸像
 水野胸像の制作者の久保カルロスさん(69、二世)は「1ヵ月かけて造った。この広場に立ったことがとても嬉しい」
と笑顔を見せた。
 鉄板をレーザーで切り取り、重ね合わせる工法で制作。台座を除く胸像の重さは約130キロ。一般的な胸像よりはるかに薄いが、色の異なる鉄板を用いることで立体感や顔の彫りまで再現されている。「芸術家として、現代的な方法で普通とは違うものを造りたかった」とのこだわりを語った。
平野胸像
平野胸像
 平野胸像の除幕も行われ、広場は再び参列者の拍手喝采に包まれた。
 ブラジル日本都道府県人会連合会の網野弥太郎元会長(83、山梨県)は「今日ここに胸像が立ち、改めて日本移民の先人達がブラジルに認められたように感じた。111年経った今も、困難を乗り越えた先人達は忘れられていないし、後世にも伝えていきたい」としみじみ思いを述べた。
 広場には以前から上塚周平、宮崎八郎の像も立っており、ブラジル日本移民の4英傑が集うこととなった。

 この除幕式は熊本県文化交流協会(清原健児会長)、高知県人会(片山俊一アルナルド会長)、佐賀文化福祉協会(西山実会長)、静岡県人会(原永門会長)、教育機関アルバレス・ペンテアード財団(FECAP)、ブラジル日本青年会議所(JCI、和田ルドルフ理事長)、ブラジル環境保全協会(AMA Brasil)の共催で行われた。

□関連コラム□ 大耳小耳
 東洋人街のラルゴ・ダ・ポルヴォラに、新たに立った水野龍胸像。今後心配なのは盗難の被害だ。設計の都合上、一般的な像より薄く軽い。また現段階では、8本のボルトで台座に固定したのみで、これでは心許ない。過去には近くのカンブシ区、平野運平広場の同氏胸像が盗難に遭っている。今度は東洋人街から「移民の祖」が消え去るようなことにならないよう、何か手を打ってほしいところ。
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水野胸像の側面
水野胸像の側面
 水野胸像の台座には日ポ両語で水野龍の名前があるが、ポ語表記が「RYU MIZUNO」となっている。「龍」という名前は、同郷の英雄、坂本龍馬から取ったもので、本来は「RYO(りょう)」とすべきところ。水野本人も読み方にこだわっていたと言われている。日系社会の中心部に立つ移民の祖の胸像ゆえに、もう少しこだわるべきだったのでは。
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 水野胸像の台座にはポ語で説明があり、「日本移民の夢を叶えるために困難に立ち向かった勇敢な男。敬意と決断力、無私の精神が、水野龍の人柄と精神を形作っている」との旨が記されている。読むだけでも水野の熱い思いや苦労を思い起こさせる。ぜひ広場に「日本移民の4英傑」を見に行ってみては?

花談議459 ≪はなさ~ん & 和田さ~ん、みなさまへ≫ しゅくこさんからのお便りです。

はなさ~ん & 和田さ~ん、みなさまへ
 
                  しゅくこです
 
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しばらくごぶさたしていました。
 
ジブリ博覧会をご覧になったとか。よかったですね。
わたしも一度は見たいとおもいながら、残念ながらまだ行けてません。
 
6/3日から一週間ほど 山形 東京、埼玉をうろうろしていました。
 
一寸前に「忘れなぐさとスナフキン」というエッセイをこのブログに紹介していただきましたが、今回の旅行では そのスナフキンとムーミンたちに会いに埼玉にも行ってきました。
 
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今年3月にオープンした「ムーミン村」。大きな宮沢湖にそって緑に包まれた村は、18.7 ha (東京ドームの4個分)。まだ出来立てほやほやですが、平日なのに、西武池袋線の飯能駅から出ている直行バスは行列、満杯。
 
埼玉県飯能市は約40年前、東京に住んでいたころに乗馬に通い詰めた田舎の駅でした。
埼玉はそのころから「ダサイ タマ」と揶揄されていただけに、いま、世界の人気者、ムーミンの村がそこにできるなんて、とても興味しんしんでした。駅前はすっかりおしゃれな都会風。
なんといっても、地元フィンランドについで世界で二番目に大きいムーミン村ができたのです。
これで「ダサイ タマ」の汚名返上ができるかも.....
 
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作者のトーベ ヤンソン(女性 19142001)を紹介するパビリオンは中身が濃くて丁寧に企画されていました。
 
ムーミン物語だけではなく、画家、政治風刺挿絵など描いていた彼女は、二度の大戦を通して、その作風のなかに反戦のメッセージを伝えていると言われ、たっぷりその世界に浸るだけでも行ったかいがありました。
 
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まだいろいろかきたくなりましたが、もう2amになります。長くなりますのでこの辺で。おやすみなさ~い
 
なにか少し社会の動きが変わったような気がしました。

花談議458 ≪西宮のジャカランダ≫ 出石さんからのお便りです。

はなさん 和田さん みなさんへ

                                                                              

神戸、出石です。
はなさん、久しぶりに福岡へ行かれてよかったですね。
楽しい時間を過ごされたようですね。
中洲の料亭でのぜいたくなランチ。うらやましいです。
イペーつながりのあの方のお店ですね?
紹介してくださった石田さんに感謝ですね。
本当にいい出会いがあったと、端ながら喜んでいます。
 
さて、関西のジャカランダですが、神戸ではなくて西宮のお寺です。
阪急・西宮北口から北東へ23分のところにあります。
移住ミュージアムのイペーの苗が少なくなったので、
先日、去年ブラジルからの種をあげていた後輩から、10数本の苗をもらってミュージアムに運んだのですが、その後輩の家から目と鼻の先にあるお寺です。私が行った時に「あれがジャカランダだ」と言われた木は、青々とした葉っぱしか見えませんでした。
 
はなさんのメールで、改めて聞きましたら、
阪神大震災の年に植えた木で、2016年に初めて花が咲いて、2017年はきれいに咲いたそうです。
でも2018年は冬の寒さで、枝先がすべて枯れ、夏に新芽が少し出ただけでしたと言うことです。
だから、去年と今年は残念ながら咲かなかったようです。
でも、来年は咲くと思いますので、連絡があったら直接行って写真を送りますね。
2017年の写真を送ってくれました。

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木、植物、空、屋外が含まれている画像

後輩は5種類全部のイペー苗木をまだ持っていますので、ぜひ、そのお寺にイペーの苗木を12本差しあげて、将来名所になりますよと伝えるように頼んでいます。

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