私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2020年02月

復興する福島を海外に伝える=移住者子弟の受入研修=(7)=「福島は大丈夫と伝えたい」 ニッケイ新聞WEB版より

 野口英世はアメリカのロックフェラー医学研究所を拠点に、世界で活躍した福島県人だ。彼が生きていた当時、中南米では黄熱病が猛威を振るっており、その研究のためにエクアドル、メキシコ、ペルー、ブラジルを次々と訪れ、業績を残した。
 そのため各国では今も彼を顕彰する式典が行われ、滞在を記念した場所や建物が残っている。
 一昨年はエクアドル、昨年はメキシコで野口英世訪問100周年目を記念し、記念事業も行われた。今年はペルーが訪問100周年を迎えており、記念事業が日本ペルー文化会館で行われる予定だ。エクアドルにはノグチ通りやヒデヨノグチ小学校、ペルーのリマには野口英世学園、メキシコには野口英世博士医学研究所がある。
 中南米にこれだけ広く足跡を残した日本人は他にいない。中南米と絆の深い福島県人だ。
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蒔絵体験で作品を見せるアガタさんと理恵さん

 「持って帰るのがとても楽しみ!」。アガタさんは漆器に描いた絵を見て笑顔を浮かべた。明治中期に創業した木之本漆器店では、伝統工芸技法の蒔絵体験を行った。完成された漆器の表面に漆で文様を描き、金粉や銀粉を巻き付ける蒔絵は、喜多方地方では400年以上も継承されている。

木の本漆器店の前で記念撮影

 「好きな柄を描いてください」とスタッフが声をかけて見本を手渡すと、研修生は松などの古典的な柄を選ぶ人が多かったが、米国ハワイの研修生タウニー・イリヒア・フィリアロハ・エミコさん(17、五世)は「たくさんの色を使いたい」と色彩豊かな作品に仕上げていた。
 この日の昼食は老舗の『まこと食堂』で喜多方ラーメンを味わい、さらに午後は宿泊先のリステル猪苗代でそり滑り体験を行うなど、会津地方の文化を楽しむ1日となった。「私もこんなに雪を見たのは初めてだった」と喜んだペルーの県費留学生・ステファニーさんとは、ここで別れた。
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福本カレン理恵さん

 「帰国したら、福島はもう大丈夫だって伝えたい」――福島県費留学生でブラジル福島県人会青年部に所属している福本カレン理恵さん(25、三世)に県費留学の経験について取材すると、そう締めくくった。
 理恵さんは、昨年5月から郡山市の国際アート&デザイン大学校でコンピューターグラフィックスを学んでいる。アニメやゲームが大好きで、流暢な日本語もその影響で覚えた。


 最初は福島に対して「東日本大震災のイメージが強かった」という理恵さんだが、「2017年のブラジル福島県人会創立百周年で、内堀知事がジャパン・ハウスで県の現状を語り、『もう大丈夫』と綺麗な花の写真を見せてくれた」ことがきっかけで印象が変わった。
 実際に住んでみると治安が良く、綺麗で落ち着いた街でとても気に入った。県民に愛される特産品『桃』や郡山市最大の祭り『郡山うねめまつり』等の文化も楽しんだ。「最近はむしろ、お洒落なカフェ、ふとした時に見る空の美しさなどの日常自体に魅力を感じる」。
 留学当初は日本語での講義に苦労したが、慣れると授業内容は自分に合うものだと感じた。ブラジルではプログラマーやアニメのイラストレーターとして働いていたので、「仕事でこの知識を活かせる」と喜ぶ。ブラジルに戻ったら「福島に関する漫画やゲームを作って『今は大丈夫だ』と伝えたい」と頼もしい決意を口にした。
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武士の名門校「會津藩校日新館」

 研修8日目の1月29日は雨。訪問地中で最も寒い会津で、真夏の中南米からきた研修生はとくに震えあがった。ところが県国際課の安田吉紀副主査は「今年は暖冬で雪は少ないんです」と笑っており、改めて冬の厳しさに驚かされた。
 寒い雨の中、一行が向かったのは会津藩校日新館。江戸時代には、全国三百藩校の中で規模内容共に随一と謳われ、多くの優秀な人材を輩出した武士の名門校だ。東京帝国大学(現東京大学)総長だった山川健次郎も同校の出身として有名だ。


 五代藩主、松平容頌(かたのぶ)の時代、家老の田中玄宰(はるなか)が「教育は百年かけてやるべき大事な仕事です」と進言し計画された。その5年後の1803年に完成した。
 上級藩士の子弟は10歳になると入学し、儒教の教典を修める素読、弓・馬・槍・剣の武術を必須科目として学ぶ。入学前は6~9歳の幼児教育グループ『什』を作り、什長(リーダー)が教える『什の掟』を学び、「ならぬことはならぬ」の精神を身に着けた。

「人格形成が大事」と説かれた弓道体験

 ここで研修生は武道体験として弓道を行った。「アーチェリーは的当てだが、弓道は武道。当てることより、精神を鍛える鍛錬や人格形成の方が大事」との心構えを説明され、研修生らは精神を集中させて矢を射た。最後は感謝の気持ちを込めてぎこちないお辞儀をし、道場を後にした。
 米国ハワイからの研修生、エワリコ・カエナ・リー・トウカイリンさん(26、四世)は、「やっぱりサムライの歴史は面白い」と興味津々で、見学中も職員へ積極的に質問していた。(つづく、有馬亜季子記者)

JH=夢に見た日本展、4月26日まで=迫力の映像と音楽で日本の旅 ニッケイ新聞WEB版より

展示の様子(Crédito Danny Rose Studio)

 サンパウロ市のジャパン・ハウス(JH、マルセロ・アラウージョ館長)は、アートとテクノロジーで日本を体感する『夢に見た日本』展を今月18日~4月26日まで、同館(Av. Paulista, 52 – Bela Vista)の地階展示スペースで開催している。入場無料。
 本展では、大型プロジェクションマッピング(実物と映像をシンクロさせる手法)による迫力の映像と幻想的な音楽を用いて、日本の旅を疑似体験できる。


 空間を手掛けたのはダニー・ローズ・スタジオで、パリのアトリエ・デ・ルミエールで発表した『Japon Rêvé(夢見た日本)』を再現した。


(Crédito Danny Rose Studio)

 映像は日本を象徴する桜の花吹雪や、スカイランタンで有名な新潟県の津南雪まつり、浮世絵師、葛飾北斎が描いた神秘的な森など、日本らしいもので構成されている。これに坂本龍一の音楽や、高速で打ち鳴らされる和太鼓が流れることで、日本気分を味わうことができる。
 JHのナターシャ・バルザギ・ジーネン企画担当局長は「日本を象徴する映像の数々で、日本にいるような夢の世界を体感できますよ」と語っている。問い合わせはJH(11・3090・8900)まで。また、JHの詳しいプログラムやイベントはFacebook(www.facebook.com/JapanHouseSP/)又はインスタグラム(@japanhousesp)で確認できる。


JICA=「世界レベルを体感して!」=学生剣士エリートが来伯指導 ニッケイ新聞WEB版より

派遣された学生剣士9人と中武さん(後列左端)

 日本の学生剣士の最高峰ともいえる9人が「2019年度短期第1回日系社会海外協力隊」として、2月18日から1カ月間の短期で特別に教えに来伯している。
 JICA企画調整員の永浦裕太さんによれば、現在ブラジル剣道のレベルは世界で4~8位程度。3年に一度開催される世界大会では、前回の韓国大会で「悔しい結果」に終わった。次の2021年フランス大会に向けて、ブラジルチームの強化と剣道の普及のために来伯した。日本で公募し、応募した人から選考された。

 派遣された9氏は次の通り。加納誠也(かのうせいや、筑波大学4年、22)、場埼千優(ばさきちひろ、21、国士館大学3年)、村岡尚武(むらおかなおたけ、同)、土橋尚樹(どばしなおき、同)、土川友輔(つちかわゆうすけ、大阪大学4年、23)、得能史晴(とくのふみはる、国士館大学3年、20)、奈良田廉(ならたれん、同、21)、廣澤快(ひろさわかい、中央大学2年、20)、甕健介(もたいけんすけ、筑波大学修士1年、23)。
 サンパウロ市の三重県人会で代表候補の強化練習をするほか、佐賀県人会、香川県人会、文協、聖武館、国士館スポーツセンター、ピオネイロ、リオ、スザノ市(合同練習)、創価学園、フジ・ラモス、サウーデの松風館などで稽古をつける予定。
 土川さんは「国際協力に興味があったが、自分の専門(剣道)が活かせる場があまりないので、良い機会だと思って参加した」との動機を語った。


 ジャパン・ハウスで模範試合をするために2年前にも来伯した甕さんは「剣道の国際発展に貢献するように、現地の要望をしっかりと聞いて、課題として持ち帰りたい」との抱負を語った。
 村岡さんは「今の国士館大学の剣道部長は、昔ブラジルの国士館で剣道を教えていた先生。『ブラジルは剣道に熱心だから、それに応えられるようにしっかりと頑張ってこい』といって送り出された」とのこと。
 昨年1月に着任したJICA長期剣道指導員・中武亮介さんは「世界の剣道人口250万人のうち170万人が日本人。その学生トップ剣士がこの人たち。世界レベルを肌で感じてほしい」と語った。




今こそカーニバルの知的風刺精神は知られるべき ニッケイ新聞WEB版より


ボウソナロ大統領に扮するアジネッチ(Ronaldo Nina | Riotur)

 24日朝、コラム子がツイッターを眺めていると、突然、日本の知人から連絡が入った。「ポルトガル語で興味深いニュース記事をネットで見つけたのだが、言葉がわからないので教えてくれ」とのことだった。
 それはサンパウロ市カーニバルのデスフィーレ(パレード)で、エスコーラ、アギア・デ・オウロが披露した「原爆によるきのこ雲」についてだった。






 コラム子はサンパウロ市カーニバルは見ていなかったが、カーニバルの性格上、これが何を意味するのかはすぐにわかったので「ああ、これは平和を求めるパレードの反戦反核のメッセージだよ」とその場で伝えると、その答えが意外であるかのような印象の返答をされた。
 その知人の例だけでなく、他の日本人のこの件での反応も見てみたのだが、悪い言い方をすれば、「享楽的な裸踊りをするブラジルのカーニバルでモラルを忘れた行動を行なった」ような解釈をした人も少なくなかったようだ。だからこそ思った。「もっとカーニバルのパレードの真意はしっかり理解されるべきだ」と。
 カーニバルが来るたびに毎年書いているような気もするが、パレードで表現されるのは、ドンちゃん騒ぎではなく、社会に対しての主張であり、尊敬すべきものへの深い敬愛の念だ。参加している女性たちの肌の露出度を見て何を想像するかは自由ではあるが、根底にある精神性を見失うと、カーニバルの根本的な理解にはつながらないものなのだ。

 そんなカーニバルの精神性を知るのに今ほど絶好な時期はない。この傾向はここ数年、強くなっていたが、今年はとりわけ強く出た。
 その理由は現在の政治状況が生み出したものだ。カーニバルを語る際にもう一つ必要なことは、それが「社会的弱者の立場に寄り添ったもの」であるということだ。それはカーニバルの音楽サンバの起源が、19世紀までは奴隷の立場にあった黒人にあるためだ。

 カーニバルのみならずブラジル社会では今でも「社会的弱者」といえば「黒人、(田舎の)北東部、女性、LGBT」のイメージが強い。彼らの中で日常に強い不満があると、それぞれの社会的弱者が強い連帯感を示し、強烈な社会的主張に転ずるのだ。

 現在はとりわけボウソナロ大統領の治世。かねてから、女性やLGBT、黒人、先住民への差別心を隠さず、富裕層を優遇する政治を実践し、さらに独裁政治への希望を匂わすような言動も少なくない同氏は、社会的弱者たちにとっての格好の敵だ。
 大統領就任早々は、エスコーラ側がまだお手やらかにしていたところも今にして思えばあった。だが、就任1年を過ぎた今年は、エスコーラも黙ってはなかった。聖市もリオも今年のパレードのテーマは「人種問題」「フェミニズム」「LGBT」「環境問題」と、ボウソナロ氏が敵視するものばかりがずらりと並んだ。リオのカーニバルで今年優勝したエスコーラ、ヴィラドウロのテーマは「北東部の女性の強さ」で、準優勝のグランデ・リオは実在した民間宗教の教祖ジョアンジーニョ・デ・ゴメイアで、同氏は北東部出身の黒人の同性愛者でもあった。
 そして、リオのカーニバルではテレビで頻繁にボウソナロ大統領を演じて茶化すことで有名なコメディアン、マルセロ・アジネッチが大統領役でパレードに登場。いつものように大統領の行動を会場の大観衆や生中継の視聴者の前で大胆にからかった。
 ブラジルでコメディといえば、イエス・キリストを同性愛者として演じ、保守的な福音派を命がけで挑発するグループも存在する。こうしたとんがった風刺精神は、コメディや流行歌で首相の政治ひとつ批判するのもはばかられるようなどこかの国には欲しい勇気でもある。(陽)


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復興する福島を海外に伝える=移住者子弟の受入研修=(6)=廃炉措置のための最新技術 ニッケイ新聞WEB版より

 震災から9年が経った今も、福島第一原子力発電所は閉鎖されたままだ。原発の廃炉措置、そして福島県の環境回復と住民の早期帰還に向けた取組は続いている。
 廃炉推進のためには、放射線量率が高い場所で作業を行うことが多いため、遠隔技術の開発は不可欠だ。災害時対応として応用の利く技術でもある。
 そこで国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(JAEA)は、ロボット等の遠隔操作機器の開発実証施設として、「楢葉(ならは)遠隔技術開発センター」を15年10月に設立。16年4月から運用を開始している。

 センターは研究管理棟と試験棟で構成されており、研究管理棟は、廃炉作業の計画検討や作業者訓練等に利用する最新のバーチャルリアリティ(VR、仮想現実)システムや、ロボットシュミレーターを有している。

加島洋一副センター長から説明を受ける

 一行は加島洋一副センター長の案内のもと、まずはVRシステムを体験する部屋に向かった。3D(立体画像)メガネを装着し、巨大なスクリーンの前に立つと、視界いっぱいに福島第一原発の1階内部の風景が広がる。まるで本当にそこにいるかのような感じだ。
 ガイドがコントロールを持ち、一行を誘導して画面が動きを見せると、本当に歩いて何かにぶつかったような錯覚に陥る。あまりにリアルな体験なため、3D眼鏡をはずすとき、研修生からはため息が漏れていた。

3Dメガネを装着してVR体験

 続いて外に出て向かったのは、研究管理棟の隣りにある試験棟。ここでは、原子炉格納容器の一部を実物大で再現している、実規模モックアップ(外見を実物そっくりに似せて作られた模型)など、各種試験装置が備わっている。
 例えば福島第一原発施設内の階段を模擬することができるモックアップ階段や、ロボット試験用で直径4・5m、水深5mの大型水槽等の最新技術だ。これらの設備は、廃炉作業に関係がない大学や研究機関等にも日々利用されているという。
 研修生も最新の技術開発に感動し、「ロボットは放射能の影響を受けないのか」「毎日データを取らなければならないのか」など、活発な質問が飛び出していた。
 廃炉措置には30年~40年の歳月が必要だと言われ、廃炉にはまだ時間がかかるが、加島(かしま)副センター長は「着実に廃炉への道を歩んでいますよ」と強調した。
 レヴィさんは、施設の技術について加島副センター長に質問を繰り返し、「とても興味深い施設だった」と感心したように語った。

試験棟を背景に記念撮影

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 いわき市にある東日本国際大学で学生と交流した一行は、同大学に通っている県費留学生のチョイ・サンペイ・ステファニーさん(25、四世)と合流し、ホテル華の湯で宿泊した。翌日の朝は雪が降っており、アガタさんは「雪を見るのは初めて!」と嬉しそうだ。
 28日朝は、福島県が生んだ偉人、野口英世の記念館を訪問した。2004年から千円紙幣の肖像になっていることでも知られる。

 野口は世界的にも有名な細菌学者で、黄熱病や梅毒の研究で知られている。ノーベル賞候補に三度名前が挙がったが、黄熱病の研究中に自身も罹患し、51歳で命を落とした。

野口英世記念館に保存されている生家

 ブラジルには、1923年に黄熱病研究のためにバイーア州都サルバドールに約3月間滞在し、オズワルドクルス研究所(現ゴンザロモニッツ研究所)で研究を行った。使用した研究所には、今も「LABORATORIO PROF NOGICHI」のレリーフがあるという。
 彼がブラジル滞在中に訪れたリオ・デ・ジャネイロには「RUA DR NOGUCHI(野口通り)」という通りがある他、サンパウロ州カンピーナス市の野口英世記念公園には、銅像が建立されている。
 記念館には、野口の生家がそのまま残っている。案内してくれた学芸課の森田鉄平主任は、囲炉裏を指さすと「野口は1歳の頃にここに落ちて左手に大火傷を負いました」と語る。
 裕福ではなかった野口は、すぐに左手を治療できず、子供の頃は右手しか使えなかった。先生や仲間の援助で15歳の時に手術を受け、医学の素晴らしさに感動した。この事は彼の人生に多大な影響を及ぼしたという。
 医学の道を志した野口は、医術開業試験を受験するために19歳で上京。その時に「志を得ざれば再び此地を踏まず(医者になれなければ生まれ故郷には帰ってこない)」という言葉を生家の床柱に小刀で刻んでおり、記念館ではそれが今も大切に保存されている。(つづく、有馬亜季子記者)

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