私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2020年08月

アメリカ便り「嫌われるメキシコの中国人」 富田さんからのお便りです。


和田さん&W50年の皆さん、厳しい残暑が続きますが、お元気ですか?先週は突然の安倍総理の辞任表明のニュースが日本はもちろん、世界中でトップニュースとなりました。安倍氏は安倍外交と呼ばれる、トップダウン型首脳外交を地球規模で展開し、世界的リーダーとしての存在感を示した。安倍氏の志半ばでの退陣は残念ですが、今は一日も早い持病の回復をお祈りいたします。さて、今週の
アメリカ便り「嫌われるメキシコの中国人」と題して、何故中国人が嫌われるのかをレポートします。これはあくまでも私自身が経験した、実話を基に書きました。外国暮らしの長い筆者は、外国、外国人を「日本人の物差し」で測ってはならない、と考えます。根本的に尺度が違うからです。三つの私自身の中国人に関する信じられない出来事から、いかに彼らが異質なのか、を感じて頂ければ幸いです。下記のブログをお訪ねの上、アメリカ便り「嫌われるメキシコの中国人」をお読み頂ければ幸いです。

http://iron3919.livedoor.blog/archives/7268229.html


富田眞三  Shinzo Tomita

アメリカ便り緑

嫌われるメキシコの中国人

001.vocerobolivariano.blogger - コピー


                 写真:(www.vocerobolivariano.blogger.com)
メキシコに渡った半世紀以上昔の話である。
ある日、メキシコシティ最大のプエルト・デ・リベルプール(リバプール港)というデパートに行ったとき、女店員から「あなたはどこの国の人?」と聞かれた。「日本人だよ」と答えると、「皆な、ちょっと来て!」と同僚に声を掛けた。集まってきた、5,6人に「この人は日本人だって」と紹介(?)された。すると、動物園の猿を眺めるように観察された。腹が立ったが、彼女たちにとって、私が最初に見る日本人だった、と知った。


そんな訳で珍しい存在だった、日本人はよく中国人に間違えられた。そのことを、私はあまり気にしなかったが、ある日一世のご老人が「チーノ(中国人)」と言われて、激怒している現場に居合わせた。新参者の私は後で説明を受けて、「なるほど」と納得した。
メキシコ人は中国人をChinoと書いて、チーノと発音する。その場合チーノに「コチーノ」を加えて呼ぶことが多い。コチーノとは豚のことだが、「汚い、卑劣、ずるい」の意味もあり、いかにメキシコでチーノが蛇蝎のごとく嫌われているかが分かる、というものである。


なお、国を現わす言葉は、China(チーナ)である。これは差別語ではないが、「軽蔑感」を加味したいときは、チーナ・コチーナを使う。要するに、「豚のように汚いの意」を込めて使うのである。当然、チーノと言われた日本人は、「俺は日本人だ」と言って怒る。すると、怒られたメキシコ人は例外なく「失礼しました」と謝るから面白い。メキシコの日本人は少数だが、自営業、医師、歯科医師、会計士等が多く、社会的に尊敬を受けている人々が多いのである。なお、メキシコの日本人には金物店と文房具店の経営者が多い。
メキシコに住む我が同胞は知らない人からドクターと呼びかけられることが多い。メキシコの二世社会内の医師と歯科医師の密度が非常に高いのは、つとに有名なので、メキシコ人は日本人と見ると、「ドクトル」と呼びかけるのである。それほど日本人医師、取り分け歯科医師は多い。


チーノと日本人の評価の差
メキシコに於いて、何故中国人と日本人にこれ程大きい評価の差が生まれたのだろうか。
中国人、即ちスペイン語のチーノがメキシコに入ったのは、19世紀後半だった。当時、開始されたメキシコ中部から米国国境のメヒカリ市への鉄道建設の作業員として、多数のチーノが入国した。それ以前から中国人は、米国大陸横断・鉄道建設の作業員として、大量に米国に移民してきた。特に大陸横断鉄道の終点であった、カリフォルニア州には、中国人の方が白人より多い、と言われたほど中国人が集結していた。異様な髪型の弁髪の中国人はその奇妙な習慣と相まって、1848年に米国領になったばかりのカリフォルニアの米国人から「ここは米国かそれとも中国か?」と誕生したばかりの国家のアイデンティティが問題視されて、黄禍論がほうはいと巻き起こり、1904年には中国人移民は禁止された。なお1924年の移民法成立によって日本移民も禁止になった。


20世紀初頭、米国移民が不可能になった中国人は、メキシコ北部の米墨国境地帯へ入国して、米国へ密入国するチャンスを狙うようになった。こうして、メキシコ北部、特にバハ・カリフォルニア半島に中国人が集結して行った。彼らのほとんどは無学文盲だったのが特徴だったが、当時のヨーロッパからの移民の多くも同様に無学文盲が多かった。


一方、メキシコへの日本移民の先駆けは、1897年にメキシコ国最南部のチャパス州に入植した榎本武揚が企画した、榎本移民の36名の男性だった。彼らの大部分は元武士だったため、スパイン語こそ出来なかったが読書きソロバンは出来た。その後、日本から少数ながら7回集団移民が入植したが、彼らの多くは旧制中学卒だった。
そして戦前、歯科医師不足に悩んでいたメキシコは、日本を含む諸外国の歯科医師免許を承認したため、かなりの数の日本人歯科医師がメキシコへ渡った、と思われる。


私はそのうち二人の「日本の歯医者さん」と付合いがあった。一人は日本で歯医者をしていたが、婿養子であったため、酷い婿いびりに耐えかねて、ロサンジェルスへ移住した北条ドクターだった。ところが1920年代の米国は「禁酒時代」だったため、大酒飲みの同氏は、歯科医師として働け、しかも酒が飲めるメキシコへ移住したのである。同氏は後に日墨協会の会長及び名誉日本領事を務めた。
もう一人の西村ドクターは同時期、日本力行会を通じて、メキシコ湾岸沿いのタンピコ市に移住して、歯科医院を開業した。タンピコ市近辺はメキシコの重要な石油地帯だった。そのため、日本海軍はタンピコ石油地帯の開発に意欲を示し、藤原銀次郎を団長とする、調査団を派遣したほどだった。第二次大戦が勃発すると、メキシコ政府は、西村ドクターを「スパイ」として、逮捕、太平洋上の三人マリア島刑務所(Islas 3 Marias)に収容した。同氏は島ただ一人の歯科医師として刑務所島で敬愛される存在だったが、戦後になって釈放された。
両氏のようなメキシコに於ける、日本人歯科医師のパイオニアたちは、日本から来た青年たちを書生として、自宅に住まわせて、歯科医師の資格を取らせた。こうして、徐々に日本人歯科医師が増えて行った。
とにかく、歯医者以外のメキシコの日本移民たちも、無学文盲で礼節もわきまえぬ中国人とは文字通り別人種とメキシコ人から見られている。
では、なぜメキシコで、チーノスが蛇蝎のように嫌われるのか実例を年代順に三つだけあげる。


(1) 中国人の長生き伝説
私の息子の小中学校の同級生の父親にガルシアさんという弁護士兼公認会計士がいた。彼が若いころ勤務した弁護士事務所は、メキシコ全域の中国社会の顧問をしていた。当時、中国人は非常に長命であるという都市伝説が広く信じられていた。100才はおろか120才の長寿を保つ人も数多くいる、と聞いていた。ところが、これはとんでもない、ペテンだった、と中国人専門の弁護士が私に語ってくれた。19世紀後半、鉄道建設作業員としてメキシコに入国した彼らは、正規の旅券を所有していた。当時の旅券は1次旅券と言って、母国を出国して帰国すると、返納することになっていた。そして外国に長期滞在している間、旅券を更新する必要はなかった。やがて、20世紀に入ると、中国人のメキシコ入国は禁じられてしまった。だが、メキシコ北部では、チャイナ・タウンが出来たほどチーノス(中国人)人口が増えていた。最盛期にはメヒカリ市だけでも200店のシナ料理店が営業していたため、多数の料理人の需要があった。そこで、本国からコックを不正入国させて、死亡した老移民の旅券を若いコックに売ったのである。こうして、若者が死者に成りすましたのだった。チーノスの顔はみな同じに見えたのでこんなインチキが出来た。従って、100才、120才のチーノが多数存在した、と言うから嘘のような本当の話だった。
彼らがチーノ・コチーノ(汚いシナ人)と言われる由来である。


(2) スニーカー事件

  

002.fashionnetwork.com


                写真:(www.fashionnetwork.com)
40年ほど昔、メキシコの有力なスーパー・マーケット「コメルシアル・メヒカーナ」でこんな事件が起こった。私は同社に文具、事務用品を卸していた関係で、同社の仕入部長から聞いた実話である。80年代初頭、巨大な石油鉱脈が発見されて、石油ブームに沸くメキシコは束の間の我が世の春を謳歌していた。石油公社には世界中から原油の買付にビジネスマンが駆けつけ、スーパー・マーケットにも世界各地からセールスマンが同社を訪れた。ある中国の商社マンは一足2ドルのスニーカーを売りつけにきた。ただし、最低10万足買ってくれ、という条件を付けた。そして、話はまとまった。2ヵ月後、10万足のスニーカーが到着した。ところが、何と全部右足だけだった。
カンカンに怒ったバイヤーがチーノ(中国人)に抗議すると、彼は平然と、「10万足と言いました。Pair(1組)とは言わなかった」とほざいたのだった。
すったもんだの挙句、スーパーは左足10万足を1足10ドルで買わざるを得なかった。彼らがチーノ・コチーノ(汚いシナ人)と呼ばれる由来である。


(3) 一時期中国人はメキシコに入国禁止だった
50年ほど昔、私の義弟が日本で結婚した新妻を伴って、メキシコ空港に到着した。ところが待てど暮らせど、二人は出て来ない。やがて、入国管理官の使いが私を呼びに来た。義弟の新妻の国籍に問題があるので、義弟が私にSOSを頼んで来たのだった。話を聞くと、新妻の提出した入国審査の書類に「出生地:満州国・長春」と記載されていたため、日本旅券の所有者であるにも関わらず「彼女は中国国籍であり、チーノのメキシコ入国は禁じられている」として入国を拒否された。私は戦前、多くの日本人が居住していた長春は当時新京と呼ばれる、満州国の首都だったが、彼女の父は、日本の領事館に娘の出生届を出して、日本人としての戸籍が作られた等々を説明した。ついでに、当時の満州国は「出生地主義」ではなかったことも説明した挙句、入国管理官にそっと100ドル紙幣を渡した。すると、えへん、とか咳払いをした役人は黙ってスタンプを押してくれた。


要するに、50年前、チーノのメキシコ入国は禁止されていたのだ。長年にわたり、チーノはメキシコにとって招かれざる客だった。多分、中国からの不法入国者が多かったことと、犯罪に走るものが多かったからに違いない。こうして、チーノ・コチーノのあだ名はメキシコ社会に定着したのだった。現在、メキシコ入国の際、日本人はNo visaだが、中国人はヴィザとツーストカードの記入が必要である。


最後に中国にも評判が良いものが一つあることをお伝えして結びとしたい。シナ料理である。中にはメヒカリ市のシナ料理は世界一という食通もいる。80年代のメキシコ市の警視総監だった、ネグロ・デュラソは、専用機で時々メヒカリまで食べに行ったほどだった。チーノスは汚いから嫌いだが、シナ料理は別物というところが、如何にもメキシコ人のバランス感覚の見事さを表わしているではないか?
(終わり)

コロナ禍=帰伯できない永住権所持者=在日ブラジル総領事館で申請を ニッケイ新聞WEB版より

日本のパスポート

日本のパスポート

 日本在住者から≪今まで永住権維持のために、2年に一度ブラジルに行っていたのですが、今回のコロナ禍の中、来年1月で期限です。ブラジル再入国の期限過ぎた場合、永住権を効力失うのでしょうか?≫という問い合わせが来た。
 元駐在員、元移住者などでブラジル永住権を所有している人は、2年以内にいったん帰伯することが義務化されているが、現在はコロナ禍でそれができない。その対策を問うものだ。

 在東京ブラジル総領事館の査証班に問い合わせたところ、すぐに以下のような返事が来た。≪当総領事館で宣言書を発行し、永住権所有者がブラジル連邦警察へ提出する書類となります。宣言書の手続きに関して、ブラジルへの渡航日程が決まりましたら申請可能です。申請にあたって必要な書類はパスポート、CRNM(RNE)、航空券。発行手数料は発生いたしません≫とのこと。
 この特別措置はコロナ禍が始まった4月下旬から始まったが、いつまで適用されるかは現段階では未定。とにかく、4月下旬からコロナ禍で自由に行き来ができない期間は、日本にあるブラジル総領事館で宣言書を発行してもらえば、永住権所持者が失効しないですむ。ブラジルへの渡航日程が決まらないと宣言書の申請ができないので要注意。
 ちなみに、ブラジル連邦政府は年末までの期間で非常事態宣言(estado de calamidade pública)を出している。詳細は、直接に日本にあるブラジル総領事館の査証班に問い合わせを。在東京ブラジル総領事館(visa.cgtoquio@itamaraty.gov.br Fax:03・5488・5458)

ラテンアメリカ映像オンエアのお知らせ9/3, 8NHK「ダークサイドミステリー」相川知子さんより


来る9月3日(木)夜9時~

NHKBSプレミアム「ダークサイドミステリーひかりごけの衝撃~現代の私たちの物語~」

https://www.nhk.jp/p/darkside/ts/4847XJM6K8/episode/te/8NZ3Z83M71/

のなかで、アルゼンチン、ウルグアイ、チリのラテンアメリカ関係の撮影コーディネーションを行いました。

なお、この番組は再放送 があります。

9月8日(火)夜11時45分~

 

極限状況を生き残るためには、人は誰かを犠牲にするしかないのか

というテーマでウルグアイで起こった大事件(奇跡)に関連する取材になります。

 

コロナ禍の現在、日本からの取材クルーはアルゼンチンをはじめ南米に来てもらえません。

今までもメールや電話で日本のディレクター、スタッフとのやり取りをして、取材対象者を決めたり、取材スケジュールを作り、アポを取ります。

しかし、今回は全てメールやSNS電話などを中心に手配を行いました。また資料などを撮影許可や使用許可を取るのも今までは現場にいったり、ミーティングを行うのが対面では全くできない状態です。

 

一部のところに移動も気を付けてコロナ衛生プロトコール対策をとっている車両で移動です。

 

https://www.facebook.com/Tokyoremis

tokyoremis@gmail.com


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そのため、一部の特別対応を除いて遠隔資料収集、遠隔アポ取り、そして遠隔取材、遠隔撮影、遠隔通訳を行いました。

現実には遠隔取材撮影通訳になりますね。

スペイン語通訳ですが、実際にはインタビューのための通訳なので、そのまま通訳すればいいものではなく、インタビューの回答をうまく撮影に落とし込まなければなりません。

今まで対面の場合は話が長かったりすると合図を送ったり特にめくばせやちょっと触れるのですが、それが全くできませんので調子がちょっと違いますね。

 

そういう工夫が必要なのですが、何とかアルゼンチンをはじめ、ラテンアメリカの映像を少しはまた日本の人々にお見せすることができるのではと考えています。

 

まだまだコロナ禍は続き、アルゼンチンは920日まで隔離期間ですが、おそらく伸びるでしょうし、ウルグアイやチリにも行けません。。。

((いっても隔離期間などあるので現実的ではないです))

そのためしばらく遠隔取材が続くでしょう。

ただ町の様子は少しずつ現地撮影なども可能です。

お問い合わせはファニプロラテンアメリカ代表

撮影通訳コーディネーター  相川知子

tomokobuenosaires@gmail.com

 

そして持つべきものは友達で、今までの関係が重要ですね。

特別に資料集めや取材のための準備の許可をしてくれました。

 

http://blog.livedoor.jp/tomokoar/archives/52231868.html

 

TOMOKO 相川知子

ファニプロラテンアメリカ代表

FunnyPro LatinAmerica

https://tomokoargentina.wixsite.com/funnyprolatinamerica

tomokocomunication@gmail.com

主観的アルゼンチンブエノスアイレス事情

(アルゼンチンのことを日本語で発信して22年)

http://blog.livedoor.jp/tomokoar/    (コロナウイルスについてもリアルタイムで掲載中)

地球の歩き方特派員ブログでは写真多めに掲載中

https://tokuhain.arukikata.co.jp/buenos_aires/

アルゼンチン現地最新情報やTOMOKOなコメントはツイッターで

https://twitter.com/tomokoargentina

アルゼンチンの綺麗なことはインスタグラムで発信

https://www.instagram.com/tomokoaikawaargentina/


≪中銀 28 日発表の7月統計≫ リオの山下さんからの報告です。


山下リオ@日本です

 

先日リオより郵便で書簡を送ったら到着まで22日かかり、返信を

出そうとしたら日本の郵便局に「ブラジル向けは受け付けていない」

といわれました。

通常の航空便は復旧していると思っていましたが、停止や自粛は

思ったより広範囲で、経済回復までには大変な時間がかかりそうです。

 

中銀28日発表の統計より
 

0000 a 1 yamashita chuuginn 7gatu 1


7月の海外直接投資32億ドル、過去12カ月累積は7月まで

448億ドルです。

 

国内の外貨フローは、貿易で7月は17億ドルの黒字です。

ファイナンスは、50億ドルの赤字で、差し引き33億ドルの流出

昨年から流出が進み累積で297億ドルになっています。

 

本年7月の経常収支は16億ドルの黒字です。

 

7月の貿易収支81億ドルの黒字で、過去12カ月累積は

485億ドルです。

 

7月の外貨準備高は3547億ドルです。

 (添付cambiocontratado008.xlsx) 

(添付baldepagto008.xlsx) 

 

7月の支払い手段M11.75%増、M1の過去12カ月は43.11%増と

コロナ対応で緩めています。

インフレはFGVIGPDI指数で、7月は2.34%、

過去12カ月累積は7月まで10.35

 

隣国ベネズエラ事情

  • 20188/205桁のデノミをしたボリバル・ソベラノ(Bolivar Soberano

0000 a 1 yamashita chuuginn 7gatu 2

《ブラジル》緊急支援金再延長分は300レアルに決定=レンダ・ブラジル金額は後回し ニッケイ新聞WEB版より

21日のイベントで緊急支援金の支給延長を約束したボウソナロ大統領(同日付G1サイトの記事の一部)

 ボウソナロ大統領が年末まで延長すると約束した、コロナ禍に伴う低所得者などへの緊急支援金の金額を300レアルとする事を、ブラジル政府の経済スタッフが決めたと27日付現地サイトが報じた。
 低所得者や失業者、零細・個人企業家などへの緊急支援金は、コロナ禍で職を失ったり、収入が減少したりした人にとっては命綱ともいえるもの。当初予定された3カ月間が2カ月間延長され、この間の支給額は月額600レアル(家計を支えている女性には1200レアル)だった。それが再延長され、その金額が300レアルと発表された。

 コロナ禍で経済活動も縮小する中、緊急支援金は、失業や時短・減給によって収入が減少した人達が極貧状態に落ちいったり、食に窮したりするのを防ぐだけでなく、国内総生産(GDP)が大きく落ち込むのを防ぐ役目も果たしている。
 また、緊急支援金の支給とその延長は、これまではボウソナロ大統領への支持率が低かった北東部や北部での支持率上昇を招いた。この事を知った大統領は、22年の大統領選と支援継続を求める議会からの声の双方に目を向け、21日に年末までの延長を明言。ただし、この時点では支給額は未定だった。
 他方、ゲデス経済相らはこの間も、景気刺激策としてのインフラ投資や事業計画を扱うプロジェクト「プロ・ブラジル」や、ボウサ・ファミリアに替わる生活扶助の「レンダ・ブラジル」などの経済政策の準備を続けていた。

 だが、レンダ・ブラジルでの平均支給額に関して、歳出上限法が定めるインフレ率までという予算増額に縛られる経済相と、300レアル以上にしたい大統領との間で折り合いがつかないなどの問題が生じていた。
 そんな中、ゲデス経済相がとり急いで提示したのが、今後の緊急支援金の方を300レアルにする案だった。大統領は28日「月に500億レアルが必要で、現行額(600レアル)維持は無理」との見解と共に、支給額を明らかにした。
 大統領は、支援金の額が決まった事で一息ついた形だが、市場関係者は支給額が半減すれば、所得が減った労働者の購買力が落ち、景気回復にブレーキがかかると案じている。
 ただし、緊急支援金を引き継ぐ形で始まる予定のレンダ・ブラジルの平均支給額の発表はまだだ。大統領が望んでいる種々の恩典の維持などを全て盛り込めば、月額平均300レアル以上の支給をあきらめるか、対象者の枠を縮小する必要も生じかねない。
 なお、各省や議会からの圧力もあり、大統領はゲデス経済相にレンダ・ブラジル見直しを命じた後、プロ・ブラジルの規模を65億レアルに拡大した。
 ゲデス経済相は40億レアルを考えており、立て続けで意向を否定された事になる。65億レアルの内の33億レアルは議員割当金として票田固めに使われる見込みで、地域開発省とインフラ省には16億レアルが振り当てられる見込みだ。
 また、コロナ禍で税収が減ったのに経費が増大し、赤字が拡大している事などもあり、国家通貨審議会は27日、中銀が為替差益など、計3250億レアルを国庫に回す事を承認した。  

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