皆さんへ 第160回 江崎道朗著「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」(PHP新書 1108)
と説明すると、公爵は顔色を直して、井上さん、私は実はそうなんです、それで困っているんです。と淡白に認めた。私は、この人は何と言う正直な人だろうと感心しました。大抵の者なら、君はそういうが、私は決して云々、とすぐ反ぱくするところである。近衛総理については色々と調べたが、この近衛二重人格説が最も真実に近いのではないかと私は思っているし、この文章にこそ戦前の日本のエリート達の苦悩が見事に描かれていると思う。というのも、之まで本書で指摘してきたように、日本の魂と社会主義という二つの相矛盾する価値観を抱えて、どうしていいのか分らなかった二重人格は、近衛だけではなかったからだ。其れは当時のエリート達全体のなやみであった。歴史と伝統から切り離され、近代化という名の欧米化を推進した戦前のエリート達の多くは、日本の政治的伝統、つまり聖徳太子から五箇条のご誓文、大日本帝国憲法に至る保守自由主義に対する確信を見失っていた。そんな時昭和恐慌に直面し貧困に喘ぐ同胞達を救う為には議会制民主主義や資本主義では駄目だ、統制経済と全体主義でしか日本を救えないと言うコミンテルンの宣伝に乗ってしまったのが近衛総理であり、左右の全体主義者達だったのだ。幸い私は戦前、戦中に苦闘された多くの先生方から、この構図をおしえていただく機会を得た。この構図が見えなければ、昭和史の真実は見えてこない。そしてコミンテルンの謀略を議論しないわが国の歴史学の限界もここにある。ところで、日召と近衛総理が意気投合したのは、当時の政治家達が昭和天皇の御心を軽んじる傾向にあったことに対して、同じ憂慮を抱いていたからであった.日召はこう述べている。私が最も敬服したことは、近衛公は決して噓を言わぬ人だ、ということであった。
其の当時までの日本の政治は、所謂報告政治であって、政府は思うままに政治を行って、あとから、陛下に適当に報告申し上げる。そこには作り事が沢山あった。陛下はもとより平和主義者であらせられ、近衛公もそうだったから、君臣の間が全く緊密で、だからこの近衛内閣の間は戦争回避が出来ていた。東條でも誰でも、皆自分の都合のよいように、陛下に対して嘘をついたが、近衛公には其れが全くなかった。昭和天皇に自分の都合のいいように、適当に報告申し上げる報告政治が戦前、戦中まかり通っていたのである。
浅海 拝 411頁