私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2021年02月

《ブラジル》下院倫理委員会が報告官選出=シルヴェイラ氏はビデオで参加 ニッケイ新聞WEB版より

16日から勾留中のシルヴェイラ下議(Pinho Xavier/Camara dos Deputados)

 下院倫理委員会が24日、ダニエル・シルヴェイラ下議とフロルデリス下議の二人に関する審議の報告官として、フェルナンド・ロドルフォ下議とアレッシャンドレ・レイテ下議を選んだ。
 これにより、シルヴェイラ、フロルデリスの両氏は10営業日(土日、祝日を除いた平日)以内に弁明を行わなければならなくなった。二人には各々、自分達を弁護するための証人を8人指名する権利が与えられる。
 倫理委員会での審議は60日(営業日)以内に行う事となっており、報告官達は各々、期日までに意見書を提出しなければならない。委員会のメンバーは報告官が提出する意見書を基に、各下議に対する懲罰の必要やその内容などを審議した後、意見書を採用するか否かの投票を行う。

 懲罰の内容は、口頭または文書での検閲、議員としての特権停止、議員としての職務の一時停止などで、議席のはく奪もあり得る。
 報告官が議席はく奪に値すると判断し、委員会が承認した場合は、本会議にかけて罷免か否かを決める。議席はく奪(罷免)成立には、最低でも257票が必要だ。

 シルヴェイラ氏の告発は下院議長団が行った。また、6政党が同氏罷免を求めている。同氏は16日に流したビデオで、最高裁判事達を口頭で攻撃した上、判事達に対する暴力を扇動するような言動を行った。また、軍政時代に出た中でも最も酷いとされる軍政令第5号(AI5)を擁護する発言も行っている。AI5は1968年12月13日に出され、議会閉鎖や、軍政に反対する判事や議員の罷免を招いた。
 シルヴェイラ氏は元軍警で、16日に現行犯逮捕された後、ニテロイ市の軍警特別刑務所に勾留されている。最高裁のアレッシャンドレ・モラエス判事は24日、同氏にビデオ会議の形で委員会での審議に参加する事を認めた。
 フロルデリス氏は、2019年6月16日に起きた夫のアンデルソン・ド・カルモ氏殺害事件を計画した主犯として起訴され、23日にはリオ州地裁で公的職務を行う事を禁じられた。これは下議罷免を意味するが、正式に議席はく奪となるか否かは、下院が判断する事となる。(24日付アジェンシア・ブラジルより)

《ブラジル》上院での緊急支援金の投票先延ばし=支払額などで意見が割れる=3月支給開始を希望するも ニッケイ新聞WEB版より

パシェコ上院議長(Fabio Rodrigues Pozzebom)

 コロナ対策の一環としての2021年度の緊急支援金の支給に関する緊急の憲法改正法案(PEC)の上院での投票が遅れている。その理由は、支給される期間と額で折り合いがつかないためだ。上院では具体案を後から承認させる分割承認を行おうとしているが、経済省の強い反発を受けていると、24、25日付現地紙、サイトが報じている。
 ロドリゴ・パシェコ上院議長(民主党・DEM)は22日、21年度の緊急支援金に関する緊急PECに関して「3月から支給を開始させたい」との意向を示していた。

 同議長がそのときに語ったところによると、今回の案件は緊急PECとして扱うため、下院での承認がなくても効力を発するもので、「上院で承認され次第、連邦政府は支給を開始する必要がある」との見解を示した。
 だが、パシェコ上院議長はこのとき、支給される額や期間については言及しなかった。同議長は「最低でも4カ月間は必要との共通認識を持っている」と語り、緊急支援金の必要性については連邦政府と合意ができているとの見解を示した。この点に関しては、同PECの報告官をつとめるマルシオ・ビッタル上議(民主運動・MDB)も同様の見解だった。
 だが、パシェコ上院議長は24日、緊急支援金のPECに関し「当初の予定どおり、25日から上院の全体審議にかける」としたものの、「今週は話し合いのみになる」として当初予定されていた今週中の承認が、来週にずれこむとの見解を示した。

 さらにパシェコ議長は、承認に関しても「とりあえず緊急支援金は今年も実施するという法案を先に承認させて、具体的な内容は後から承認を行う」という分割承認案の手法をとることを示唆している。
 この背景には、支給額、支給期間のアイデアが各政党、社会団体によって異なることや、教育や保健衛生に関する投資に関する予算と歳出上限法との関係が明らかにされていないことがある。上院本会議では23、24日の両日もPECに関する質問が相次ぐなど、総意がとれておらず、政党リーダーたちは25日午後、緊急PECの承認の先延ばしを決めた。
 24日に示された分割承認という方法に対しは、経済省はすでに強い拒否反応を示している。それは、あらかじめ支援金の総額の目安を決めないと、年間の財政支出の上限をずるずると破り続けることになりかねないためだ。20年のときと異なり、21年は緊急事態(カラミダーデ)宣言を行っていないため、緊急支援金の資金繰りで苦戦すると早くから予想されていた。
 一部の報道によると、緊急PECの原案には、昨年同様、緊急支援金を通常会計から切り離すための「戦争予算(Orçamento de Guerra)」と酷似した項目も含まれているという。
 また、経済省の意向に同調するように、アルトゥール・リラ下院議長(進歩党・PP)も、「上院が分割承認にするなら、下院ではこの件に関する投票は行わない」として、パシェコ議長の意向に反対している。
 支援金の支給額や支払期間は上院の中で統一を見ていない。その一例として、シドニー・レイテ上議(社会民主党・PSD)が「毎月300レアルを12回支払い」の提案を行おうとしているなどと報じられている。

■訃報■カラオケ「新宿」ママ、氏家志津江さん  ニッケイ新聞WEB版より

丸木で~

広橋さんや園田さんと歌いに行った新宿もなくなりましたか。懐メロ合唱の集いも叙情歌の集いに吸収合流となり、カラオケ全盛時代のモンブランも閉店して久しく寂しくなったものです。僕が軍歌ばっかり歌うのでホステスがボックスから居なくなって広橋さんが困られたグロリア街の風は今でも盛業でしょうか?

https://www.nikkeyshimbun.jp/2021/210226-24colonia.html 

■訃報■カラオケ「新宿」ママ、氏家志津江さん ニッケイ新聞WEB版より

氏家志津江さん

氏家志津江さん

 サンパウロ市ベラ・ヴィスタ区にあるカラオケ店「新宿」(R. Rui Barbosa, 734)のママ「しーちゃん」こと、氏家志津江さん(うじいえ・しづえ、北海道出身)が、24日(水)にサンパウロ市内のSUS病院で心臓病により亡くなった。行年68歳。
 新型コロナウイルスの流行が始まってからカラオケ店を閉めた後に腰の骨を折り、人工骨を入れる手術をしていた。術後に白血病の症状が出たほか、脳溢血を起こすなど体調を著しく崩し入院が続いていた。
 氏家さんは1964年あめりか丸で家族と共に渡伯。カラオケ店はコロニア以外からも愛され、駐在員も足を運ぶ有名店だった。氏家さんは「しーちゃん」という愛称で親しまれていた。25日に親族のみの10人ほどで葬儀を行ったという。

一笑一若・アメリカ小話「ヌーディスト・クラブ」 富田さんからのお便りです。


   
 和田さん&W50年の皆さん、お元気ですか? 21日(日)帰国しました。さて、テキサス州は2月の11日からちょうど1週間、大寒波が襲来し、14(日)、17(水)、18(木)と三回も雪が降りました。11日から普段は暖かいサン・アントニオの気温が下がり始め、13(土)は-3.3℃14-10℃15-12.7℃という具合でした。-12.7℃180年ぶりの最低気温で、テキサスの大半が停電となり、水道管が破裂して断水となり,学校はもちろんスーパー、病院までクローズしました。

私の帰国便は15日でしたが、17日に延期されたと思ったところ、また雪が降り、20日(土)にやっと出発出来ました。そして成田に着いたと思ったら、まさかのサプライズが待ち構えていました。今回の帰国便前後の混乱はかつてないほどの大問題でしたので、停電事情とともに来週詳しくご報告したい、と思います。ところで、テキサスも寒かったですが、東京も寒いですね。そこで今週は真っ裸で暮らす、「熱いヌーディストたち」の小話をお届けします。題して、一笑一若・アメリカ小話「ヌーディスト・クラブ」。ご用とお急ぎでないお方は下記のブログをお訪ねのうえ、お熱いアメリカ小話をE N J O Y !!!

http://iron3919.livedoor.blog/archives/9268289.html


富田眞三  Shinzo Tomita

アメリカ小話


「ヌーディスト・クラブ」
001.thrillst.com

               写真:(www.twitter.com)
【蛇足的まえがき】
 寒いですね。そこで今回は年中裸で暮らす人たちの小話をお届けしたい。即ちヌーディスト・クラブである。ヌーディスト・クラブには、当然のことながら、ピンからキリまである。キャンピング・カーで暮らすヌーディストが集まる質素なクラブから、一年中裸で暮らせる、フロリダのプール、レストラン、その他の豪華な設備を持つ、高級リゾートのようなクラブまである。
いずれにせよ、ヌーディスト・リゾートのうたい文句は、クラブに入ると、「ライフスタイルが変わる」という。アメリカにはヌーディストだけが暮らす町とか、ビーチ、果てはヌーディスト専用のクルーズまである、というから驚く。

 ヌーディストたちは全員が「フリーセックス愛好者である」と言うのは、とんでもない誤解だと、ヌーディスト社会の雑誌「Nマガジン」のストーリー編集長は語る。これは普通人間が裸になるのは、セックスをするときか、風呂に入るときだけからくる誤解であり、ヌーディストとフリーセックス愛好者には何らの相関性もない、と主張する。
だが、最も豪華なフロリダ州のカリエンテ・ヌーディスト・クラブは時たま週末に、この種のパーティーを主催している。長年カリエンテ・クラブに住む、ある住人は、ここの1/3の住人は彼らのパートナーとともに「フリーセックス・パーティー」に参加している、と言う。そうそう、カリエンテ(caliente)とはスペイン語で熱い(hot)の意である。この語は気候の意の他に「性的興奮」の意も持っている。将に語るに落ちる、話ではある。
 とにかく、ほとんどのヌーディストは、フリーセックス愛好者のライフ・スタイル(生活様式)を尊重しているのだそうだ。

 さて、どういう年齢層がヌーディストかというと、かつては20代の若者もいたが、今は後期高齢者が多くなっている。すなわち、大部分のヌーディスト・クラブのメンバーは退職した、お年寄りなのである。どうやら「裸で暮らす老人ホーム」でもあるようだ。
大昔、亡妻とスペイン南部のコスタ・デル・ソル(太陽ビーチ)のホテルに泊まったときのことである。ホテルのプライベート・ビーチを散歩していると、二人のお婆ちゃん、デブちゃんとやせっぽちが真っ裸であお向けに寝転んで日光浴をしていた。ヌーディスト・クラブではない、観光ホテルですよ。我々は「タオルでもかけてくれよ」と言いながら、ホテルへ引き返したものだった。ヌーディストと言っても、ピンからキリまであるのですなぁ…。
 では、そんなアメリカ小話「ヌーディスト・クラブ」をお楽しみください。
(テキサス無宿記)


一笑一若・アメリカ小話「ヌーディスト・クラブ」
 ニューヨークのビジネスマンが郊外の高級ヌーディスト・クラブに入会した。
プライベート・ビーチもある広大なクラブを丸裸で実地踏査していると、すこぶる付きの金髪美女に出会った。すると、たちまち彼の一物が勃起した。

 金髪美女はにっこり笑って、「私をお呼びになりました?」と訊いた。

「いや、呼んじゃいないよ」とビジネスマン。

金髪女性は「これはクラブの規則ですのよ。あたしを見てあなたが勃起したら、あなたが『私をお呼びになった』ということになるのよ」と彼女は説明した。

という訳で金髪美女はビジネスマンを灌木の後ろに誘うと、二人は夢見るようなメイクラブを楽しんだのである。

 美女と別れた後、1時間ほどクラブ内の施設を見て廻ったビジネスマンは、サウナにたどり着いた。サウナ室に入るやいなや、彼は一発放屁した。

すると、どこからか毛むくじゃらな大男が現れて、「俺を呼んだかい?」と訊いて来た。
「いや、呼んじゃいないよ」とビジネスマン。

「まぁいいや、これはクラブの規則でね、君が屁をこいたってことは、『俺を呼んだ』ってことなんだぜ」と言って、大男はビジネスマンの手足の自由を奪い、彼の体をテーブルの上にうつ伏せにして、後ろから……したのである。

 頭に来たビジネスマンは直ちに事務所へ直行すると、「もうクラブには加入しないから入会金を返してくれ」と要求した。
係員は「何があったのですか? ここの施設とメンバーの皆さん素晴らしいのに…」と言った。

「そんなことは二の次だ。問題はここの可笑しな規則だ。61歳の私は月に2回しか勃起しないが、放屁ときたら毎日15回もする。おかげでとんでもなく不快な目にあった。だから、クラブに入るのは辞める!」と男は怒鳴った。 

お後がよろしいようで……。

浅海さんの連載記事転載その36です。

皆さんへ 第158回 江崎道朗著 「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」(PHP新書 1108)

しかも厄介な事に、当時の欧米諸国による植民地支配は残虐なものが多かったし、資本主義、自由主義も格差を生み出してしまうなど大きな欠点が幾つもあるために、彼らはドイツやイタリアの全体主義思想に影響を受けつつ、計画経済的、統制主義的な体制に魅惑されて行ったのだ。かくして、日本のエリート達が自滅を選ぶ道筋は、着実に準備されていたのであった。そして、この様な国を憂うる人たちを巧妙に操ろうとしたのがコミンテルンであり、其れこそが最も恐ろしいところなのだ。そして、この恐ろしさは、決して過去のみに留丸物ではない事にも、充分注意して置かねばならないだろう。謀略や工作は、仕掛ける側だけの問題ではなく、仕掛けられた側の問題も大きいと言う至極当たり前のことを、今改めて心に銘記すべきなのである。其の上で、美濃部達吉や佐々木惣一と言った憲法学者、聖徳太子の17条憲法を学び、シナ事変長期化に反対した小田村寅二郎たち、統制経済に反対し国民経済を護ろうとした山本勝市といった経済学者ら、所謂保守自由主義たちが、コミンテルンの謀略に乗せられた戦前の左右全体主義に対して果敢に立ち向ったことを誇りに思おう。圧倒的な欧米崇拝、社会主義賛美の風潮の中で、コミンテルンの謀略に果敢に立ち向かい、皇室を戴き、自由で繁栄する戦後の日本を築く思想的拠点を構築した方々がいるのだ。改憲派は憲法改正によって戦前回帰を目指していると、一部のマスコミは盛んに批判している。其れに対してわれわれは、憲法改正によって取り戻すべきは保守自由主義であって、右翼全体主義でも左翼全体主義でもないと明確に答える事が出来るようになっておくべきなのだ。戦前、戦中の歴史を謙虚に且つ厳密に学ぶことは、将来の日本を築く力となるだろう。

16-終わりに、近衛文麿という謎

コミンテルンによる対日工作の話題になると、必ず出てくるのが近衛文麿総理はコミンテルンのスパイと言う説だ。ソ連のスパイであった尾崎秀実や偽装転向組の拠点となった昭和研究会を重用したのも、シナ事変を長期化させ、対米戦争へと流れを作ったのも近衛総理だったからだ。

 浅海 拝  407頁


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