私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2021年03月

≪「らぷらた丸」の船内新聞を読んでみました≫ 神戸の出石さんからのお便りです。

私たちの40年!! あるぜんちな丸同船者寄稿集 (nikkeybrasil.com.br)

出石さんは、神戸にお住みで毎週末に旧神戸移住センター(現移住と文化の交流センター)に語り部として訪問者をアテンドされるお仕事をボルンタリアとして遣って居られ多くの訪問者が重宝して移民の話を聞いておられます。皆さんへの説明のためにご自分でも戦前、戦後の移民に付いて勉強しておられ今回戦前移住者を神戸から乗せて南米に向かったらぷらた丸の船内新聞を見つけられて読む機会があったとの事でお便りを頂きました。昭和13年3月23日に神戸を出航した「らぷらた丸」の船内新聞を見つけられ丹念に読まれ一部をピックアップしてコメントしておられます。昭和13年と云えば私が生まれる2年前でもう83年も前になります。私たちのあるぜんちな丸より24年も前の話です。私たちの40年!!ホームページの船内新聞の話題欄に残して置くことにしました。出石さん有難う。
写真は、らぷらた丸の写真があればと思ったのですが上手く見つからず笠戸丸を使った本の「戦前活躍した移民船」という題の本の表紙を使うことにしました。


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和田さん  みなさん
神戸、いずしです。
今日、以前からゆっくり読んでみたいと思っていた昭和13年3月23日に神戸を出航した「らぷらた丸」の船内新聞を読んでみました。
3月26日に創刊号が出て、4月30日に終刊号が出るまで13号ありました。多い日は6ページくらいで大体は2ページ、終刊号は18ページもありました。
当時の新聞を現物寄贈してくださっていたのです。
(表紙の写真だけでも送ろうとしましたがPDFスキャンだったためうまく画像を送れませんでした)

なにぶん戦前の新聞ですので、船内小学校の開講式の記事には先生役?の方たちを「訓導」と紹介してあったり、立つを横に2つ書く漢字は(多分)ならびと読ませるんだなぁ~と思ったり(又を二つ並べて“ならび”と読むのは知っていましたが、立つを並べて書くのは初めて見ました)、赤道祭や大運動会、慰安演劇大会、相撲大会、剣道大会や船内プールの案内などどれも面白かったです。

4月1日号には「医務室より」とあって
23日神戸出航以来31日までの発病患者左記の通りとあって
内科  17名
外科  13名
眼科  55名
皮膚科  7名
耳科   2名
歯科   2名
花柳病  1名
とあったのが可笑しかったです。(花柳病ってなんや?・・って)

「水に浮いて水に窮す」とあって
次の寄港地迄水が足りなくなりそうなので
 洗面  2~3合
 入浴  4~5升(1人当たり、但し週に1回)
とあるのは厳しいな~と思いました。

船旅中に4才と6才の二人の子供の訃報がありました。
最後に百余名の児童が通っていた小学校の閉校式があったようです。
そしていよいよブラジルが近づいて「ブラジル語を覚えよ」ってあるのには、ブラジル語って・・ポルトガル語なのにと思ったり・・。
それでも当時の人達の「律義さ」がとてもよく伝わる新聞でした。

そういえば和田さん達も船内新聞を作られていたのですね?
その頃の資料は残っていませんか?
戦後に行かれているので内容が大分違うのではないかと思いますが~。
もし何か残っていれば是非ご披露ください。



聖南西柿農家巡り(上)=ピエダーデの西尾章子さん=絶えることない研究心と情熱 ニッケイ新聞WEB版より

作った柿を持つ西尾さん

作った柿を持つ西尾さん

 20日に暦が秋に変わり、柿の季節が始まっている。例年であればピエダーデ柿祭りなどが行われる頃だが、今年はパンデミックのため全て中止。そんな中、ピエダーデやコロニア・ピニャールで柿などの果実農家3軒を訪ね、今年の作柄や最近の様子などを聞いてみた。第1回は、無農薬柿を中心とした果樹菜園を始めて50年以上の西尾章子(ふみこ)さんだ。

 「毎日柿の事ばかりを考えています。どうすればもっと甘い柿ができるか、どうすれば大きな柿ができるか。考え始めたらきりがありませんが、これがなによりも楽しいんです」――聖州ピエダーデ市で無農薬の甘い柿を作り続ける西尾章子さん(ふみこ)(86歳・兵庫県)はそう満面に笑みを浮かべた。
 多くの戦後移民が農業者として入植した聖南西地区。1962年に西尾さんは脱サラした夫・故西尾之(ゆき)さんと共に小さい一人娘を連れて移住した。

移民当初から住む土壁の家

移民当初から住む土壁の家

 西尾さんは日本で看護婦(当時の保健婦)として働き、之さんは財閥系石油会社に勤務していた。当時は2人とも農業とは無縁の仕事だったという。
 来伯早々、西尾夫婦は同地区に汗水垂らし土壁造りの一軒家を建てて、果樹栽培と野菜栽培を始めた。章子さんは50年以上経つ現在も、原点とも言えるその家に愛犬と共に住む。
 西尾さんは「この家は移住当初に建てたので、大方60年住んでいます。最初は2人で建てたので、まぁ大変でした。年季が入っていますが生活になんら支障はないので住み続けていますよ」と深い愛着を持っている。
 家のすぐそば、敷地内には西尾さんが長年守り続けた柿畑が約5万平方メートル(約2アルケール)がある。現在はその畑内に東京御所の木を95本、富有柿の木を25本、大事に大事に管理している。

 西尾さんは、その類まれな柿への愛と探究心から、どうすれば甘く美味しい柿が作れるかを日々考えている。「毎日どうやったら美味しいのが作れるか、今でも模索しています。マグネシウムや尿素、光合成菌、白石灰、木酢液などの肥料を自作し、量を調整して、月や天気の状況をみて撒くタイミングを図っています。虫に食われた柿の部分を顕微鏡で観察するのも日々の日課。これが本当に楽しいんですよ」と意気揚々と語る。
 西尾さんは07年から無農薬の柿を生産している。農薬大国として知られるブラジルで無農薬柿を作り続ける理由を尋ねると、「なによりも農薬がない方が体にいいからです。『無農薬は作るのが大変だ』という声も聞きますが、なんも大変なことはない。愛情もって試行錯誤して、日々研究すれば農薬を使わずとも美味しいものができます」と答える。
 「なぜそこまで柿の事を考えるのか」を尋ねると、「柿が可愛いから。柿が私の手入れを待っているから。そして、その私が大事に手塩にかけて育てた柿を待っている人がいるから。だから私はそれと一緒に歩むと決めたんです」と曇りの無い瞳できっぱりと応えた。


■大耳小耳■
    ◎
 耳子も取材時に西尾さんの柿を食べたが、まだ硬めの柿でもかなり甘く驚いた。高齢ながら愛犬と過ごし、愛する柿のために身体を奮い立たせる毎日を送る西尾さん。なにかの機会に、ぜひ一度訪ねてみては?

 

《ブラジル》コロナ感染症用の免疫血清に治験許可=重症化を防ぐ特効薬になるか ニッケイ新聞WEB版より

国家衛生監督庁(Marcelo Camargo/Agencia Brasil)

 国家衛生監督庁(Anvisa)が24日、ブタンタン研究所に対し、コロナ感染症用の免疫血清の臨床試験開始への同意書を発行した。これによって、同研究所が開発中の免疫血清の人体での治験開始が可能となる。
 ブタンタン研究所が開発中の免疫血清は、動物実験で効用が確認されていたが、新薬として承認されるためには人体での治験が不可欠だ。

 免疫血清に関する人体での治験許可を求める最初の書類が提出されたのは3月初旬で、10日には動物実験の結果に関するデータも提出された。
 19日には動物実験の結果に関する質疑のための会合が開かれ、新たな資料の提出が求められた。23日に追加の資料が提出された事を受け、人体での治験開始への同意書が出た。

 Anvisaは治験開始への同意書を出すにあたり、「臨床試験の許可申請を審査する際は、開発中の薬剤の安全性や有効性を立証するのに充分な内容かを評価する。人体での臨床試験は、治験に参加するボランティアの人数やプロフィール、使用される薬剤の分量その他の事柄を含めて評価した上で同意される」と述べている。
 治験開始が認められた免疫血清は、不活性化したウイルスを馬に接種した後、抗体が生じた事を確認した上で馬の血液を採取し、作られた。
 ブタンタン研究所は免疫血清の開発には実績があり、これまでも、毒蛇にかまれた時に使用される血清や狂犬病の治療用の血清などを開発している。
 同研究所によると、新型コロナに対する免疫血清に関する動物実験は二つのタイプのものを終えており、免疫血清が新型コロナ感染症の重症化を防ぐ事が確認できているという。
 予防接種は感染そのものを防ぐ事を主な目的としているが、免疫血清は治療用に使われる。(24日付アジェンシア・ブラジルより)

《リオ州議会》コロナ対策で10連休を承認=観光名所も閉鎖に ニッケイ新聞WEB版より

コルコバードとチジュッカ国立公園(Marcello Casal Jr./Agencia Brasil)

 リオ州議会が23日、新型コロナの感染拡大抑制のため、休日の前倒しと州の休日宣言により、26日から4月4日までを10連休とする事を承認した。
 同州では、26日と31日、4月1日を州の休日とした上、4月21日と23日の休日を29、30日に振り替えるという形で、10連休を作り出した。

 同州では既に、リオ市がこの期間を連休とする事を決めている。承認された条例案は既に知事代行中のクラウジオ・カストロ副知事のもとに送付されており、裁可後に実行に移される。
 今回の措置は感染拡大抑制策であるため、医療施設や社会福祉機関、治安関係の諸機関、葬儀関連のサービス、教会や寺院、その他の生活必需の活動やテレワークは継続する事ができる。

 州の場合もリオ市の場合も、10連休は観光や旅行のためのものではない事を明確にしており、コルコバードやチジュッカ国立公園などの観光名所も閉鎖される。
 このため、コルコバードのキリスト像に上るための交通機関は同期間中のサービスを停止する。
 チジュッカ国立公園では、ラジェ公園への訪問と、同公園からコルコバードまでのトレイルへのアクセスが禁止される他、また、同国立公園内にある展望台や滝などの利用も禁止される。
 ただし、禁じられているのはグループでの活動で、国立公園内の一般道路とトレイルの一部は、個人が運動目的で散策する事は認められている。
 また、指導者がついて行うダブル・フリーフライトは禁止されるが、スポーツ愛好者が行う個人飛行は認められる。(23、24日付アジェンシア・ブラジル、23日付G1サイトより)

《ブラジル》新保健相「1日100万人に予防接種する」宣言=死者30万人突破の日に=だが「いつから」と予告なし  ニッケイ新聞WEB版より

ケイロガ保健相(Fabio Rodrigues Pozzebom/Agencia Brasil)

 マルセロ・ケイロガ新保健相が24日、「新型コロナのワクチン接種を現状の3倍強の1日100万回分に加速する」と宣言した。ただし、いつからと開始日時を限定しなかったと23、24日付現地紙、サイトが報じた。
25日の感染者数は10万158人、累計は1232万169人、死者数は2777人、累計では30万3462人となった。

 同日は新型コロナによる死者が30万人を突破した日だ。しかも感染者や死者を登録するシステムが予告なく変更され、一部または全てのデータを更新できなかった州が続出するという問題も起きた。
 24日は三権の長や検察庁長官、閣僚、知事などが集まって新型コロナ対策に特化した会合を開き、ケイロガ氏も正式な保健相として参加した。医師のケイロガ氏の保健相就任で、コロナ対策がどのように変わるかは皆が注目している。
 正式な保健相としての初日は、会合直後の会見でボルソナロ大統領が薬効が証明されていない薬剤を使う「早期治療」を擁護した件について訊かれ、「コロナ感染症キットに含まれているクロロキンなどの薬はどれも薬効が証明されていない」と返答。大統領の言いなりではない事を示すかの発言で始まった。
 同日午後の会見では、「予防接種キャンペーンを強力に推進」との連邦政府の方針に従って、現状では1日30万回分程度のワクチン接種を1日100万回分に引き上げると発言した。

 保健相は「連邦政府がワクチン確保のために努力してきた事は周知の事実」とした上、「95%の国民が接種を受けたがっているから、それに応え、予防接種計画敢行のために努める」と述べた。「1日100万回の接種実施」は計画達成のための具体的な目標だ。接種促進は大統領も前日のテレビ演説で訴えていた。
 この発言は、新型コロナの現状に関するデータ登録システムで予告もなく変更が行われ、感染者や死者に関するデータが正常に新できなかった州が続出し、批判を浴びた直後に行われた。
 登録システムは23日午後から不安定になっていた上、納税者番号や統一医療保健システム(SUS)上の登録番号の記載が義務付けられるようになり、市や州の担当者が最新データを入力できない事態が生じた。
 入力データの突然の変更は、州と市の保健局長審議会(Conass、Conasems)からの抗議を受けて取り消されたが、セアラー州は感染者と死者のデータ更新を諦めた。
 また、サンパウロ州やマット・グロッソ・ド・スル州などは市保健局がデータを更新できず、サンパウロ州の場合は前日の死者1021人増が281人増に、マット・グロッソ・ド・スル州も41人増が20人増になど、増加傾向を打ち消すかの部分的更新しか行えなかった。
 それでも、24日の感染者は8万9992人増の1222万11人、死者は2009人増の30万685人と30万人の大台超えとなった。
 感染者急増や死者30万人突破という事実が国民生活や経済活動に与える衝撃は大きく、ロックダウンその他の外出規制が各地で行われている。
 ゲデス経済相は現状を案じ、6カ月以内に全国民への接種をと訴えていた。ケイロガ氏が挙げた目標の実現はかなり難しいが、ゲデス氏は25日に語調を一変させ、「保健相の発言通りに接種が行われれば、ブラジル経済は60日以内に新局面を迎える」と述べ始めた。

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