私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2021年04月

「悲観的すぎる予測」も考えもの ニッケイ新聞WEB版より

病院内の風景(Rovena Rosa)

病院内の風景(Rovena Rosa)

 3月に大爆発したブラジルでの変異株を中心としたコロナ第2波。4月も引き続き記録的な死者は記録はしたものの、5月を目前とした現在、ひところに比べればだいぶピークを超えた様相を見せている。
 28日付フォーリャ紙サイトによると、全国の死者の1週間での総数が前週比較で20・2%、感染者数が21・4%減少している。同日付G1サイトによると、感染、死亡が特に悪化している州は12州で安定、13州で減少を記録している。

 この背景には、各自治体の厳しい外出自粛の努力とワクチン接種が進んだことがあげられ、1カ月前の今頃を思うと状況はかなり良い意味で裏切られたように思う。
 思えば3月の終わり頃、メディアの予測は幾分、悲観的すぎたとコラム子は思う。「1日の死者5千人もありえる」「6月の初旬には全国の死者が60万人に」。そうした言葉が記事の見出しとして踊っていたからだ。
 コロナ禍の深刻さを訴えないといけない立場にあるのは承知の上だが、それでもコラム子はブラジルメディアのこうした報道に疑問を感じていた。ひとつは、専門家の望むような完璧なロックダウンこそ行なわれなかったものの、大聖市圏内での10日間の「フェリアドン」をはじめ、各地でそれなりに厳しい対策が行われていたから。「外出の機会そのものが必然的に減るのに、そこまで大きな感染は起こりようがないだろう」。そう思ったからだ。
 そして、もうひとつが、「変異株が生じた地域でのデータ」をコラム子があらかじめ情報収集していたからだ。変異株の生まれたイギリスや南アフリカでも、国内でもアマゾナス州マナウスやサンパウロ州アララクアラでも、「いったん、感染ペースが下がり始めたら収束が早い」ことを知っていた。「あとは予想が当たればいいが」と思っていたが、今のところ、コラム子の予想よりも早くそれが起こっている。
 また、コラム子の読みだと「サンパウロ州は5月に入って商業活動再開。中旬にサービス復活」だと睨んでいたが、それよりも2週間前にそれが起こった。「少し早すぎるのでは」とも思ったが、今のところ、それに伴うぶり返しの話などもない。
 今の感じだと、よほどのぶり返しがない限り、1日の死者が5千人になることも、1カ月でもう20万人が亡くなる(現在の死者が約40万人)こともなさそうだ。考えようによっては「脅しが効いた」と解釈する人もいるかもしれない。
 だが、コラム子はこうした報道に「落ち着かないといけないときにパニックになりやすいブラジル」の一端を見たような気がした。起こりもしていない恐怖を煽るよりも、落ち着いて規制を守らせる方が良いのでは。いわゆる「否定論者」の存在も、そもそも現実と向かい合いたくない恐怖心から生まれて来ているような気もする。
 煽りすぎて逃避させない方が良いのでは。(陽)

特別寄稿=『菊と刀』は北米日系移民の研究書=恩、義理と人情、恥の文化を再読=サンパウロ市ヴィラカロン在住 毛利律子 ニッケイ新聞WEB版より

アメリカ人女性の文化人類学者ルース・ベネディクト(World Telegram staff photographer, Public domain, via Wikimedia Commons)

 もし、ニッケイ社会の若い世代から、祖国日本の「恥、義理、人情、恩返し」という文化って何ですか、と聞かれたら、どのように答えよう。大いに戸惑い、返事に窮してしまうのではないだろうか。
 このような日本固有の文化的価値観を、一人のアメリカ人女性の文化人類学者ルース・ベネディクトが分析し、説明を試みたのが『菊と刀』である。


 ルース・ベネディクトは1887年、ニューヨークの旧家生まれで、名門コロンビア大学でアメリカ文化人類学の元祖フランツ・ボアに師事した。20世紀初頭、すでにアメリカでは女性の大学進学が許されていたが、教授となったのは晩年で、『菊と刀』を書いて二年後に心筋梗塞で亡くなった。61歳であった。

発刊の経緯

 四百数十頁に及ぶこの大著は、冒頭から次のように始まる。
 「アメリカ合衆国が全面的な戦争においてこれまで戦った敵の中で、日本人ほど不可解な国民はなかった。手ごわい敵と戦争になったことは以前にもあったが、見過ごせない行動と志向の習慣がこれほどいちじるしく異なっていた例(ためし)はない」。つまり、「太平洋戦争は作戦を超え、日本人の行動の意味を理解しないことには対処の仕様がない」
 ベネディクトは、1944年、アメリカ軍戦時情報局から、「日本人とはどういう民族か」、「(日米両者とも太平洋戦争に勝つつもりでいた)当面の戦争に勝ち、日本を占領、統治するにあたり、日本人にどのように臨めばよいか。この国についての情報を徹底的に集めるように」との委嘱を受けた。
 ベネディクトは日本語は話せず、文化人類学者でありながら、戦時下で調査研究のため来日することも出来なかった。そこで彼女は、情報局図書館やあらゆる出版物、文献、日本映画などから歴史を徹底的に読み込んだ。
 加えて、「この国(アメリカ)には、実際にその文化を生きた大勢の日本人移民がいる。その人々からの具体的事実の証言を基にして」日本人の文化的行動パターンを積み上げたのであった。
 この本は「日本人論」の先駆けと位置付けられている。日本人が日頃から頻繁に使う「恩返し、義理人情、恥。分相応(不相応)」。今日では死語になったとも言われるこれらの言葉はしかし、日本文化の深層に歴然として横たわっている。
 ところが、文化の違う外国人に、あるいは日本人子孫にこれらをどう説明するかとなると、立ち止まってしまう。空気のように当たり前の自国の文化のことだからである。
 この一書はアメリカ人が纏めているが、日本人こそ知っておきたいことが網羅されている。江戸時代の社会の仕組み、各階層の人々の暮らしぶりは興味津々で、好奇心は尽きない。コロナ禍中で、世界的に日本人の清潔な暮らしぶりなどがほめそやされているが、その元を辿ることで多くを発見し、民族的個性が浮び、深く共感・共鳴を覚える。戦後すぐに出版され、現在までおよそ300万冊発売されている所以は、自国の文化を再考する際に大いに助けになるからであろう。
 筆者にとっては、『菊と刀』を何度か周期的に再読してきた。こちらに来る前は、大学の比較文化論講座で学生と共に読み解き、今、歴史のあるブラジルニッケイ移民社会で日本人観を考える上で再読している。
 ここでは、冒頭にあげたような言葉の意味を尋ねられた時、どう答えるか。相手を納得させられる説明ができるだろうかということから、本書の中からほんの一部ではあるが抜粋して、再確認したいと思った。

『菊と刀』が象徴する日本人像

『菊と刀』(ルース・ベネディクト著、角田安正翻訳、2008年、光文社古典新訳文庫)

 まず、タイトルが非常に印象深い。
 作者によると、「菊」は国家神道主義における天皇制を表しているのではない。世の中がどれほど騒々しくても、淡々と菊作りに没頭する人びとのことを表しているようだ。「菊」は、「役者や絵師を敬う美意識、あるいは菊の栽培にあらん限りの工夫を凝らす美的感覚を一般大衆が大事にしている」
 「刀」は、「平和な時代でも刀を錆びさせてはならない武士の義務」を指し、「自己責任を全うしようとする強い意志を表している」。刀を崇め、武士(もののふ)を恭しく扱う風習である。
「日本人は攻撃的でもあり、温和でもある。軍事を優先しつつ、同時に美の追求も飽くことを知らない。思い上がっていると同時に礼儀正しい。頑固であり、柔軟である。従順であると同時に、ぞんざいな扱いを受けると憤る。節操があると同時に二心もある。勇敢でもあり、小心でもある。保守的であると同時に、新しいやり方を歓迎する。他人の目をおそろしく気にする一方で、他人に自分の気持ちを知られていない場合でも、やはり、やましい気持ちに駆られる。兵卒は徹底的に規律を叩き込まれているが、同時に反抗的でもある」(本文から引用)
 日本の芸術・芸能・一般の物つくりまで、細心のこだわりは世界に比類無いであろう。菊作りといえば、「秋の風物詩」として人気の菊花展(略称・きっかてん)がある。毎年、10月より11月まで全国で開催される。審査基準となる大輪の菊の花を咲かせるための日々の丹精は到底並みの努力では達成できない最高の職人技を競い合う。
 このように一方では平和な暮らしの中で最高の物つくりを愛でながらも、予断を許さず刀を磨き、途端に戦闘態勢に入れるように準備周到にしておく、という極端な二面的精神文化を「菊と刀」で象徴し、これが日本人気質の縦糸と横糸であると、作者は説明している。

語り部はアメリカ日系移民や戦争捕虜

大戦中に強制収容されるアメリカの日本人移民(National Archives at College Park, Public domain, via Wikimedia Commons)

 ベネディクトは多くの日本人移民と捕虜などの対象者に直接面接して記録を集めた。つまり、当時の北米移民は明治時代に日本で生まれ、日本文化を身につけて渡米した。渡米してからはその居住地の社会に溶け込めず、日本人だけの閉鎖社会を作り、その中で明治・大正の日本文化を温存していた人々であった。
 時代によって物の見かたや考え方が変わるといっても、どの文化にも旧態依然として変わらないものが社会の底にある。移民の心の奥には、ベネディクトの言う、「日本文化が純粋培養」された不変の精神性が残っていたことから、彼らの回答を「日本文化の型」の根拠とした。
 この書は、「日本文化の型」を説明するという点で高い評価がある一方、文化人類学者としては一度も現地調査をせずに、歴史的文献やアメリカ日系移民の証言を基にしたということに対して、多くの厳しい指摘、批判・評価がある。
 批判には、アメリカ優越主義に基づいて比較し、日本人の行動パターンを蔑視するような表現があること。「集団主義である」という誤った決めつけが広まるきっかけになったこと。実地調査をしていないので、社会のタテ関係はもとより、ヨコ関係の詰めが甘い。歴史的考察が欠如。移民からのデータ収集に基づく分析には誤解や偏見が多い。意味の取り違え、混乱が多いといったことなどである。

大戦中、強制収容所で合衆国旗への「忠誠の誓い」をする子供たち(1942年4月、Photo attributed to Dorothea Lange(w)., Public domain, via Wikimedia Commons)

 ベネディクト自身も冒頭で言う。「(私の)文化人類学者としての基本的研究姿勢は間違っているが、何分日米は戦時中であり、アメリカ人の日本人に対する知識の欠落は否めないが、それを、日系移民に対面する中で補足できるはずだ…私は日系人を伴って、日本映画をほぼ総て見たが、互いの解釈はかなり違った。監督の創作意図も正しく見抜くことはできなかった。日系人から教えられてようやく納得した。小説も同様であった。受け止め方の差異は大きかった。
 日系人には、自国の文化・習慣を擁護する者もあれば、毛嫌いし、悉く一蹴する者もいた。
(中略)日本について語る日本人は、本当に重大な事柄を見逃してしまう。その重大さが空気と同じように身近すぎて、目に見えないからである。アメリカ人も同様である」(要約)
 この本が書かれたのが戦時中であったという事情や、多岐にわたる日本文化の分析を考えると、よくぞここまで調べ上げたという賛辞も多い。筆者も、日本社会の階層仕組みや、当時の風習などから、学ぶことばかりである。

どう説明するか「恥、恩かえし、義理人情」

 これらの事柄は詳細に述べられていて、要約すると語弊が生じるかもしれないが、敢えてベネディクトの説をできるだけ簡潔にしてみた。(本書ではこれらは一覧表で記され、一つ一つ細かい説明がある)
●「恩」とは
恩は受ける側から見た言い方で、「恩を受ける・恩を着る」という。天皇から受ける皇恩、両親から受ける孝恩、主君から受ける恩、師匠から受ける恩。
●恩返し
恩は借りである。したがって借りた分だけ返さなければならない。恩に報いようと一生懸命になったときが、立派な行いの始まりである。
●義務
恩人に対して、恩を受けたものは「義務」としての「恩返し」をしなければならない。皇恩に対する忠義、親に対する孝行である。
●義理
義理は与えられた行為と同じ量だけ返すべきものとみなされる。世間的には、主君、親、家族。他人では、金銭を貰ったり、厚意を受けたり、労働力を受けた恩への債務。
 親戚は、同じ先祖から恩を受けたことと同じで義理を果たせねばならない。
●名前に対する義理
侮辱を受けたときの汚名をすすぐ、恨みを晴らす債務。
●日本の礼儀作法を護る債務。つまり、十分に節度を守る。分を弁えた生活をする。不適切な場所での感情を自制する。「分相応(不相応)」というのは、欧米の権威主義とは別物であるが、日本には伝統的に階層的秩序があり、挨拶、連絡の仕方、敬語などの言葉使い、礼儀作法などは、几帳面な決まりごとに則って行われ、絶えず相手がどのような立場の人か、識別することを心得ておく必要がある。
●お辞儀の仕方一つとっても、誰に向かってお辞儀するのか、どの程度深い角度にしなければならないか。それは、相手によっては無礼、あるいは侮辱したという不本意なことになるので気を付けなければならない。
●「義理人情」とは「義理ほどつらいものはない」が、「義理知らず」とは言われたくないので不本意ながらもタテマエの「義理を果たす」。なぜなら「義理」は「人の踏み行う道だから」である、しかし、ホンネの人情も自然の働きとして起きる。
 分かりやすく、身近の例を引こう。年に二回のお中元・お歳暮の習慣は、この「義理を果たす」行為であり、日本文化として定着している。

「罪の文化」と「恥の文化」

 ベネディクトは、欧米は「罪の文化」、日本は「恥の文化」と分けた。キリスト教文明国家では、神に見られているという絶対的な規範の中で行動が罪の意識に繋がっているという。しかし、欧米にそのような罪意識が確立徹底しているわけでない。
 日本は、世間体や外聞といった他人の視線を気にする「恥の文化」。例えば、親から子への注意は「世間に顔向けできないことをするな」「祖先を泣かすな」という自己規制である。
 日本には欧米のように唯一絶対神というのがない代わりに、世間体というのがその役割をしている。世間体に強くこだわる日本人の心情は竹の地下茎のようなもので頑として、根強く張り巡らされている。
 以上のことは、現代社会と比較するとより一層理解しやすいが、ここでは割愛した。機会があれば、外国人の見た「日本人のための日本文化観」再考をお勧めしたい。
【参考文献】
ルース・ベネディクト『菊と刀』角田安正訳・光文社

春の叙勲=多彩な分野から10人受勲=潮崎夫妻、中矢氏、サアジ氏ら=百周年や教育機関の功労者など ニッケイ新聞WEB版より

 日本政府は春の叙勲受章者を28日に発表した。ブラジルからは邦人叙勲2人、外国人受勲8人の10人が受勲した。受勲者と功績は次の通り。今回は、移民百周年関連や日系教育機関の功労者などが特に選ばれている。(敬称略)

【在ブラジル日本国大使館推薦叙勲受章者】

〈外国人叙勲〉
▽ウィリアム・ボス・ウー(52)=旭日小綬章=元伯日友好議員連盟会長、元連邦下院議員。日系人政治家として日伯関係の強化・促進に取り組んできた。日本ブラジル交流100周年の際は、伯日友好議員連盟副会長として活躍し、「巨大折り紙パネルプロジェクト」の発起人として現場責任者も務めた。
▽ヒダ・ミルトン・マサト(83)=旭日小綬章=元サンパウロ州立パウリスタ総合大学ボツカツ医学部教授、現ブラジル日系医師会長。昭和53年から継続的に日本の医学生によるブラジル訪問に関する調整及び同学生への指導を行った。また、日本の大学と共同研究をするなど日伯間の学術交流に貢献した。また、ブラジル日系医師会長としても日系人医師の地位向上に貢献した。また、ブラジル日系医師会長としても日系人医師の地位向上に貢献した。
▽藤本・ロベルト・守(71)=旭日双光章=現ブラジリア日伯文化娯楽クラブ会長。ブラジリア連邦区内最大規模の日系クラブで18年間役員職を歴任。現在は会長。日系社会福祉及び日伯両国の相互理解促進に貢献。数年に亘ってブラジル伝統行事に日本文化を織り交ぜた祭り「フェスタジュニーナ」を開催し、特に08年のブラジル日本移民100周年記念フェスタジュニーナにおいては、一万人を超える来場者を得るなど記念行事の成功に貢献した。

【在サンパウロ総領事館推薦叙勲受章者】

〈邦人叙勲〉
▽林慶太(林宗慶)(76)=旭日双光章=元裏千家ブラジルセンター代表。ブラジル国内各地に点在する門下生に茶道の稽古を行い、質の高い指導を行った。また、サンパウロ大学に茶道講座を開講し、ブラジルにおいて日本文化の普及を担う次世代の学生らに、茶の湯の世界に留まらない日本文化の教育を施すことに尽力した。ブラジルの美術館や文化機関との協力により、多種多様な催し物で茶の湯を紹介、幅広い層に対して茶道を紹介するなどして対日理解促進に貢献した。

〈外国人叙勲〉
▽ジョアン・カルロス・サアジ(69)=旭日中綬章=元ブラジル放送局協会(ABRA)会長、現ラジオ・エ・テレビザン・バンデイランテス(株)社長。ブラジルの大手メディアの社長として、グループ傘下のTVバンデイランテスとNHKとの提携を実現させたほか、日伯両国の重要な節目に数多くの日本関連報道を続けるなど、ブラジル国民への対日理解の促進に貢献を果たした。ブラジル放送局協会(ABRA)会長としても、ブラジルの地上デジタルテレビ放送の実用化に際し、同国政府の日本方式採用を支持。講演会等を通じて、同国の発展における日系人の多大なる貢献や戦略的パートナーとしての我が国の重要性を繰り返し発信するなど、長年にわたり、両国の文化交流及び相互理解の促進に寄与した。

▽中矢・レナト・ケンジ(76)=旭日双光章=元サクラ中矢食品社長、現サンパウロ州菓子・保存食産業組合会長。父からサクラ中矢食品を引き継ぎ、経営改革に取り組むことにより、同社をブラジル国内の醤油市場で85%、味噌市場で95%のシェアを占める会社に成長させた。これまで非日系のブラジル人に馴染みのなかった醤油や味噌の普及に貢献。10年以上にわたりサンパウロ州菓子・保存食産業組合会長の幹部を務め、日本食の食品規格を定めること等を通じ、日本食の質の向上と普及に貢献した。15年以上にわたりサンタクルス日伯慈善協会の役員をつとめ、サンタクルス病院の経営状況の改善にも尽力した。

▽東・ルイス(70)=旭日双光章=元汎スザノ文化体育農事協会会長、元スザノ市議会議員。汎スザノ文化体育農事協会の会長として、同協会内に日本語授業や日本の文化、価値観を取り入れた教育を行う学校「スザノ日伯学園」創立を提案、同学園開校を実現させた。スザノ地域に於ける日本文化・日本語の普及、日系社会の発展、日伯の友好関係促進に大きく貢献した。スザノ市議会議員を務めた際は、道路の舗装工事を働きかけ交通の便を改善した他、日本の地域警察システム導入プロジェクトの同市での取り入れに尽力し、多くの日系人が居住する地域の治安を改善する等、日系社会の福祉向上にも貢献した。

【在リオ・デ・ジャネイロ日本国総領事館推薦叙勲受章者】

〈外国人叙勲〉
▽ワタナベ・モトム(74)=旭日単光章=現ノーバフリブルゴ日伯文化体育協会会長。2005年から同体育協会会長を務め、ノーバフリブルゴ日伯文化体育協会会館の建設を企画・実現した。日本文化祭り等の各種日系イベントを開催し、日系社会の活性化や日伯両国の文化交流、友好親善の増進等を通じた日系社会の福祉向上に貢献。慈善活動を行うためのボランティア団体を結成、25年以上に亘り、障害者施設や貧困層の住民への日本食の無料配布、各種イベントでの日本食販売により得た収益の慈善団体への寄付等、地域社会への慈善活動を献身的に行っている。

【在クリチバ日本国総領事館推薦叙勲受章者】

〈邦人叙勲〉
▽潮崎明芳(潮崎アフォンソ明芳)(71)=旭日双光章=現マリンガ文化体育協会会長。同協会の役員として、長年に亘り地域社会の融和と日本文化・日本語の普及等に貢献している。会長就任以降は、同協会が例年開催する「運動会」や「文化祭」といったパラナ州マリンガ市でも有数の日本関連行事の成功に貢献している他、平成27(2015)年に秋篠宮同妃両殿下、平成30(2018)年に眞子内親王殿下がマリンガ市を御訪問された際には、現地日系社会の接遇側の中心として重要な役割を果たした。移民100周年記念事業として行われた、南米最大の日本庭園を有するマリンガ日本公園の設置の中心的な役割を果たし、完成後も日本庭園の維持・管理のため各所との調整に奔走している。同公園は現在ではパラナ州内外から旅行者を集める人気の観光地となり、対日理解の促進と日本文化の普及に貢献している。

〈外国人叙勲〉
▽潮崎・エリザ・チエミ(69)=旭日小綬章=現フランシスコ・シャビエル学校校長。パラナ州マリンガ市にある同校校長として、日本語学習や日本文化、日本人ブラジル移民の歴史の紹介等を行い、日本の多様な文化や慣習に触れ合う機会を生徒に提供し、長年に亘り日本語及び日本文化の普及に尽力。同校には日系人の教師や生徒が多く存在し、日本でのデカセギから帰国した子女を広く受け入れ、ブラジル社会に適応できるようサポートを行い、日伯両国間の交流や友好親善の促進に貢献している。マリンガ文化体育協会会長夫人として、毎年兵庫県加古川市から友好訪問団が訪伯する際には、夫である同協会会長とともに接遇役を務め、平成30年に眞子内親王殿下がマリンガ市を御訪問された際には接遇側において中心的な役割を務め、御訪問の成功、両国の友好親善の増進に貢献した。

《ブラジル》緊急支援金減額で貧困者増加=極貧者も1930万人に ニッケイ新聞WEB版より

緊急支援金の減額で貧困者増加と報じる22日付G1サイトの記事の一部

 サンパウロ総合大学不平等に関するマクロ経済調査センター(Made―USP)が22日、新型コロナ対策としての緊急支援金が減額された上、受給者も一家で1人になったため、貧困者が6100万人、極貧レベルの人も1930万人に増えたと発表した。
 同センターでは世界銀行の基準に則り、1人あたりの世帯収入が月額469レアル(約9300円、1・90ドル/日)以下を貧困者、162レアル(約3200円)以下を極貧者と規定している。

 19年の貧困者は5190万人だったから、新型コロナのパンデミックで貧困者が910万人増えた事になる。また、極貧者は19年の1390万人以降、540万人増えている。
 同センター調査員のアナ・ルイーザ・マトス・デ・オリヴェイラ氏によると、貧困者や極貧者の増加傾向はパンデミック前からあったが、昨年は600レアル(家計を支える女性には1200レアル)の緊急支援金が支給され、貧困者や極貧者の増加が回避された。
 今年の支援金額は一人暮らし150レアル、家族持ち250レアル、家計を支える女性375レアルに減った上、一家に1人のみになったため、貧困者や極貧者が増えた。
 オリヴェイラ氏は、昨年の国内総生産(GDP)が4・1%のマイナスで済んだのは、緊急支援金の支給で最低限の消費活動が保たれた人が多かったからだという。
 ブラジルの貧困者は、ボルサ・ファミリアと呼ばれる生活扶助やインフレ率以上の調整で実質的に増額されていた最低賃金、教育の機関が増えた事などにより、14年までは減る傾向にあった。

 だが、15年の経済危機で貧困者が再び増加。貧困者の増加傾向が中断されたのは、パンデミックによって緊急支援金が導入されたためで、4月以降は600レアルか1200レアル、9月以降もその半額が支給された事で、2950億レアルの経済効果が生じた。
 貧困者や極貧者が最も減った20年7月は、極貧者が人口の2・4%、貧困者は20・3%だった。ジェツリオ・ヴァルガス財団ブラジル経済研究所のダニエル・ドゥッケ氏によると、この数字は少なくとも過去40年間で最も低い。
 19年は極貧者6・6%、貧困者24・8%で、現在は極貧者9・1%、貧困者28・9%とされている。
 1~3月は緊急支援金が支給されず、状況がより悪化した。4月からは支援金の支給が始まったが、支給は連邦貯蓄銀行のアプリで行われ、インターネットにアクセスする手段を持たない人は、5月まで利用できない。
 今年の緊急支援金受給者は昨年の6820万人から4560万世帯に減少。対象は昨年の受給者に限られ、年末年始に失業したりした人達は対象外となる。今年の支給回数は4回、支給総額は440億レアルのみだ。
 今年はパンデミック第2波で外出規制が強化され、失業や減収で悩む人が増えた。19年の貧困者は黒人女性の33%、黒人男性の32%、白人(男女共)の15%で、極貧者は黒人女性の9・2%、黒人男性の8・9%、白人女性の3・5%、白人男性の3・4%だったが、今年の各グループの極貧者は、12・3%、11・6%、5・6%、5・5%だ。
 調査員達は、貧困者や極貧者の増加は現在の支援が不十分である証拠とし、国や州などの支援強化が必要だと主張。国連も、貧困者やビジネス継続のための支援を継続するよう勧めている。(22日付G1サイト、21日付アジェンシア・ブラジルより)

★2020年10月10日《ブラジル》緊急支援金で貧困層が減少=一時的に1500万人も
★2020年8月18日≪ブラジル≫緊急支援金が格差縮小に貢献=ルーラ政権時代より改善
★2020年12月3日《ブラジル》緊急支援金減額で貧困者や極貧者増加=来年打ち切りでさらに悪化へ=最悪なら失業者は倍の3千万人に?

世界岐阜県人会議を初開催=14団体の代表が勢揃い=5月に創立総会で発足へ ニッケイ新聞WEB版より

世界岐阜県人会オンライン初会議の様子

世界岐阜県人会オンライン初会議の様子

 世界中の岐阜県人会をつなぐ「岐阜県人会インターナショナル/GKI」が発足し、3月20日に各国から14の岐阜県人会代表40人が参加して、初めての「世界岐阜県人会オンライン会議」が行われた。同イベントは、「国を超えて岐阜愛を合言葉にひとつになろう!」というスローガンのもとに開催され、各国代表者による歴史や活動状況を紹介、今後の目標などの意見交換がされた。


 当日は県庁や岐阜新聞の関係者はもとより、米国の南カリフォルニア、タイのバンコク、ベトナムのホーチミン、インドネシア、中国の大連や上海など、世界中から岐阜県人やその子孫らがオンラインで集まり、約2時間に渡ってお互いの事情を説明しあった。
 発案者のブラジル岐阜県人会の長屋充良会長は、「以前から、県庁と県人会の『縦の関係』だけでなく、世界中の岐阜県人会同士の『横の関係』も強化できればと考え発案しました。距離や時間的問題があったため時間がかかりましたが、不幸中の幸いかコロナ禍のオンライン促進により実現しました」と発足の経緯を語る。
 さらに長屋会長は、「長年望んでいた事が実現して本当に嬉しい。今後も強固な関係が作れるように世界の岐阜県人とそのルーツを持つ方々と活動していきたい」と笑顔で語った。
 同会は、今後も関係強化のため、定期的に会議を行い、5月には「GKI創立総会」を行う予定だ。

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