私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2021年06月

安慶名栄子著『篤成』(31) ニッケイ新聞WEB版より

 仕事が増える分、自分の時間が減っていく。私はその頃サントアンドレー市のジャサツーバ区に住んでおり、会社がブタンタンという所にありました。フスカというフォルクスワーゲン社製の小型大衆車で毎日1時間半もかけて通っていました。
 仕事はどんどん増え続け、その場所も見る見る狭くなってきたので私たちは会社をお客さんの近くに移した方が良いという結論に達し、パルケ・ノヴォ・ムンドという場所に倉庫を借り、そこへ移転しました。
 勝利への希望と喜び、そして色々な障害も増えてくるのは当然のことです。
 私達は「品質、時間厳守、誠実」をモットーとして、皆一つになって働くことを心掛けました。すると、お客さん達が自ら口コミで家族や親戚、知り合いの方々に紹介してくれるので仕事が手に負えなくなる程顧客が増えてきました。
 ということで従業員数も増やしましたが、それでも間に合わず、私とパートナーのマリオさんも生産の方で夜の11時まで働きました。加工過程で使われる化学物質の毒性が高く、私たちは咳が止まらないほどの中毒状態に陥ることもありました。そういう時には車を止め、道端で座り込んで息が出来なくなる程咳をするのでした。目(瞳孔)も拡張し、電柱の照明が雨傘のように見えるのでした。

 だが「父を幸せにする夢」は、私の心の中に大きくなるばかりで、仕事のリズムを続けるしかありませんでした。翌日の朝4時にはもう出社していました。従業員が会社に着く時までにはボイラーを十分に熱しておきたかったのです。
 「この世の中であんたほど働く女性はいない」と父はいつも言っていました。
 マリオも私を活気づけるためだったのでしょうか、「お金を儲けるにはあと5年しかない。栄子ももう年だから、今のうちに儲けるんだ」といつも言っていました。
 仕事は増え続け、絶えず新たな戦いに見舞われました。その頃はすでに17人の従業員がおり、ジーパンの流行は絶頂点に達していました。
 常に新しい加工法が生み出されていましたが、ある時期、なかなか真似が出来ない加工法が現れました。一日中試し、あらゆる手段を尽くしてもダメでした。夜寝ている間にその加工法について夢まで見て、翌日再度試してみました。
 やはり失敗しました。しかし、その失敗作はとても綺麗な生地を生み出し、お客さんが気に入ってくれたのです。それからは、もうあの流行の加工法を試みる暇もなくなってしまうほど仕事が増えたのです。
 すると、ある日突然、その加工法を教えてほしいとチリのサンチアゴ市から同業の経営者が現れたのでびっくりしました。私たちの小さな加工所の商品がチリまで行き届いていたとは・・・。
 普段通り快く出迎え、会社に入ってもらって洗浄加工の責任者に紹介しました。洗い加工の担当者たちは全員その経営者の質問に全部答えてあげましたが、その方がすべて綿密にメモを取っていたことに皆感心していました。
 チリでは過マンガン酸塩の利用は断じて禁じられているとのことでした。それでした。私が前の加工法に失敗したのは、その酸化剤について何も知らなかったためでした。

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一笑一若・メキシコ小話「俺とはしてない!」 富田さんからのお便りです。


 和田さん&W50年の皆さん、ご機嫌いかがですか?明日は早や7月、文月とは!

7月の名句といえば、 閑かさや 岩にしみいる 蝉の声 芭蕉」だが、この句には素晴らしい思い出がある。この句が収録されている、「奥の細道」のスペイン語訳は、メキシコのノーベル賞作家、オクタビオ・パスと林屋永吉元駐スペイン大使の共著による名著として、スペイン語圏諸国では、つとに有名である。晩年の大使のお話を聞く機会があったとき、私は貴重な裏話を聞くことが出来た。

大使は「奥の細道」の全ての句の翻訳と解説を彼一人で書いて、パスに推敲をご依頼したところ、パスの名で出版する書物にも関わらず、パスは語句の訂正など何もせず、大使のスペイン語訳を全面的に承認した、とのことだった。ただし、パスが書き換えた箇所が一か所あった。それが「閑かさや」の解説だった。パスはよほどこの句が気に入ったと見える。と共にいかに大使のスペイン語が完璧だったかも分かる。因みに大使は永年に亘り昭和天皇のスペイン語通訳でもあった。

そこで、私はサンアントニオに戻ったとき、パスによる、この句の解説を読んでみた。詩人パスの文章は難解なことで有名だが、この「閑かさや」の解説も私には「豚に真珠」だった。

 

さて、今週はカトン教授作の一笑一若・メキシコ小話「俺とはしてない!」をお届けします。今回の主人公アスタシオはババに輪をかけたような、お人好しでございます。ご用とお急ぎでないお方は、哀れアスタシオが何をやらかしたのか、いや、されたのかを下記のブログでお確かめのうえ、一笑一若・メキシコ小話「俺とはしてない!」E N J O Y !!!

https://iron3919.livedoor.blog/archives/10411825.html

富田眞三  Shinzo Tomita

メキシコ小話OK


 メキシコ小話「俺とはしてない!」
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【蛇足的まえがき】
 Caton作のメキシコ小話「俺とはしてない!」の主役アスタシオは初登場の中年男である。カトン小話には小学校低学年のいたずら坊主で成績は悪いが、どこか憎めないペピート、男好きで色っぽいセニョリータ・ピルリーナ、お人好しで、失敗ばかりするババルッカス、通称ババが皆さんにはお馴染みのトリオである。
 今回、初めてお目見えする、アスタシオの名前のアスタ(asta)は牛の角を意味する。
スペイン語でよだれを垂らしながら、ノロノロ歩く牛は、バカの代名詞なのである。
ブエノスアイレスに行ったとき、車が渋滞すると、運転手がみな右手の親指と小指で牛角の格好を作って、無言で前の車の運転手に鋭く何回も繰り出すのを見た。地元の人に聞いたところ、「バカ野郎、早く動け!」の意味だという。クラクションはもちろん、怒鳴っても罰金だからだ。
さて、アスタシオはババの兄貴格の「頭の弱いおっさん」なので、憶えておいて頂きたい。とにかく、メキシコ小話には、とんまな男たちが主役になる小話が多い。
では、アスタシオが何をやらかすか、じゃなく、何をされたのかをお楽しみください。
(テキサス無宿記)


    一笑一若・メキシコ小話「俺とはしてない!」
 どこの社会にもいる、うわさ好きな、その男はアスタシオにこう語りかけた。
「言いにくい話だが、お前の女房は村中のすべての男たちとメイクラブしているってことを知っているか、アスタシオ?」

「それはうそだ!!! いい加減なことを言うな」とアスタシオはわめいた。

「お前の気持ちは分かるけど、これは本当な話なんだ。お前の女房は村中のすべての男たちとメイクラブしているんだ」と男は繰り返した。

「それはうそだ!!!」と怒ったアスタシオはわめいた。「俺とはしてない!」。 

お後がよろしいようで…。

《ブラジル》20日間続いた大捕物に幕=銃撃戦で一家殺害犯死亡=逃亡助けた人物の捜査続く ニッケイ新聞WEB版より

ラザロ容疑者(Divulgacao Policia Civil)

 【既報関連】6月9日に連邦直轄区(DF)で起きた一家4人殺害事件の犯人ラザロ・バルボーザ(32)が28日に逮捕されたが、逮捕時の銃撃戦で負傷し、病院に運ばれたが死亡した。警察は逮捕後も、逃亡を助けた人物の割り出しなどを続けていると29日付現地サイトが報じた。
 9日の事件は、DFセイランジアに住む48歳の男性と2人の息子(21歳と15歳)が銃と刃物で殺されたもの。連れ去られていた43歳の妻も、12日に自宅傍の森の中で遺体となって発見された。

 犯人は11日まで現場周辺に潜んでいたが、12日にゴイアス州コカルジーニョ・デ・ゴイアス市に移動。その後は同市やその隣のアグアス・リンダス・デ・ゴイアス市の農園への侵入や窃盗、誘拐などを繰り返しながら、森に潜んで逃亡を続けていた。
 これに対し、警察側は市警、軍警、治安部隊ら270人体制に加え、警察犬、ヘリコプター、熱源センサーを搭載したドローンなどを投入して追跡を継続していた。
 複数の情報源から犯人が知人などの助けを得て逃亡を続けている事などを掴んだ警察は、24日に食事や寝床を提供し、逃亡を助けていた農場主と管理人を逮捕。一段と包囲網を狭めていた。
 当局によると、ラザロ容疑者は薬物依存症で、攻撃的かつ衝動的な人物とされ、情緒不安定で自分をコントロールできない一方、犯罪時は非常に冷酷であったともいう。

 同容疑者の犯罪歴は19歳の時からある。バイア州とDF、ゴイアス州で繰り返した犯罪は殺人や強姦、強盗殺人、殺人未遂、脱獄、家屋侵入、窃盗、誘拐、銃の不法所持などとなっている。
 匿った疑いで24日に逮捕された農場主は、裁判官の質問にも黙秘を通した。だが、そこで働く管理人は、農場主が5日間、食事を提供したり、「扉は空いているぞ」と森に向かって叫び、家屋に入って休むよう促していたと供述している。
 同容疑者は土地勘があり、小川に入って警察犬をまいたりしていたが、警官や侵入を試みた農園の主人、使用人との銃撃戦で負傷。足を引きずって歩いていたという。
 また、母親への電話で「共犯者がいる」と語った事や、離縁した妻の家の傍で27日の夜、同容疑者を目撃したとの情報がある事、同容疑者が4400レアルの現金を所持していた事などから、元妻なども逃亡を助けていたと見られている。
 28日はロナルド・カイアド・ゴイアス州知事が「ラザロ逮捕」と発表と同時に、負傷した同容疑者を車から降ろして救急車に移した警官達が逮捕を喜ぶ姿や病院に運び込まれた同容疑者の姿などを伝える映像がテレビで流れた。その後間もなく「犯人絶命」と伝える報道が駆け巡った。
 20日に及ぶ捕物劇の間、包囲網に阻まれて帰宅さえできないなど、まんじりともできない毎日を過ごしていた地元住民は、やっと安堵した。
 ラザロ容疑者の叔母は28日、甥の死に動揺している事や同容疑者の母親は脅迫を受けて以来、携帯の電源を切っている事を明かした。正午現在では埋葬の場所などは未定。警察は既に元妻らからの事情聴取を始めた。

★2021年6月22日《ブラジル》病的連続殺害犯が逃亡潜伏=2週間も恐怖に怯える住民
★2015年8月20日《サンパウロ》連続殺人は軍警の仕業?=殺された同僚の報復か=軍警査問会議開かれる
★2014年12月12日リオ州のシリアルキラー=白人系女性ら43人殺す
★16年3月3日ゴイアス州=30人殺害犯に2度目の判決=1人目と同じ20年の実刑

ジャパン・ハウス=「WINDOWOLOGY窓学:窓は文明であり、文化である」展 ニッケイ新聞WEB版より

JHロサンゼルスでの展示の様子

JHロサンゼルスでの展示の様子

 聖市のジャパン・ハウス(JH、エリック・アレシャンドレ・クルッグ館長)は6月29日から8月22日まで、「WINDOWOLOGY窓学:窓は文明であり、文化である」を同館2階で開催する。入場料は無料。
 窓を学問として研究を行う、公益財団法人窓研究所がJHの巡回企画展として企画し、ロサンゼルスから続いて2拠点目の開催。建築の一構造物のみならず、文学や芸術などで表現される窓の役割を紹介しながら窓の存在意義を紐解いていく。

 展示には手仕事の窓、環境の窓、現代住宅の窓など9つのテーマ毎に図面や模型、写真、映像、漫画、文学作品を通して、現代に至るまでの窓の文化に焦点をあて、社会との関わりやその変遷を垣間見る事ができる。
 特に、日本の伝統文化である茶道の茶室のうち、一番窓が多い茶室「擁翠亭」を実物大で再現し展示する。窓には日本製の手漉き和紙が用いられる。
 広報資料には、同展キュレーターの五十嵐太郎氏の言葉として「窓は常に様々な地域や文化の人々に特有の行動を喚起させており、このコロナ渦では特にその特性を強く認識することができる」と紹介されている。
 窓辺に立ち近所の人たちのためにオペラを歌う、医療従事者へ感謝のメッセージを送る、窓から物を渡すなど、危機的な状況下で人間距離を保ちながら、希望や感謝の気持ちを共有するユニークな役割を果たしていると考える。
 ナターシャ・バルザギ・ジーネンJH企画局長は、「窓は様々な象徴を秘めた詩的な存在ですが、生活に溶け込んでおり実感することは少ないでしょう。しかし、コロナ禍で他者と隔離や孤立が強いられる昨今において、その重要性や存在意義を理解する必要に余計かられると思います」とコメントを寄せる。
 同展はオンラインプログラムやSNS上でも様々なコンテンツを発信していく。同館展示後にはロンドンのJHで開催が予定されている。
 展覧会の詳細はJHサイト内特設ページ(https://www.japanhousesp.com.br/exposicao/windowology-estudo-de-janelas-no-japao/)から確認できる。


 

文協=「国際日系人の日」祝賀会配信=ニッケイの価値見直すために=90歳一世が報恩でセアラ転住 ニッケイ新聞WEB版より

セアラ州でイチジクを栽培する木村タケオさん夫妻

セアラ州でイチジクを栽培する木村タケオさん夫妻

 ブラジル日本文化福祉協会(文協、石川レナト会長)は19日(土)午後8時、「国際日系人の日(Dia Internacional do Nikkei=DIN)」に合わせ、オンライン祝賀会「DIN21」を文協ユーチューブでライブ配信した。昨年に続き、「日系人の価値観を示す」をコンセプトに、パンデミックの難局にも焦点を当てた特別プログラムが実施された。協賛はTAKEUCHI CO.,LTD.、JPLAY DIGITAL、後援は在ブラジル日本国大使館、在サンパウロ日本国総領事館、nk2 brandingほか。


 オンライン映像では「6月19日の国際日系人の日が、世界各国の約300万人の日系人への評価と団結を目的として、2018年にハワイのホノルルで開催された第59回海外日系人大会で制定された」との説明から始まった。
 6月19日は、1868年にハワイに最初の日本移民〝元年者〟が到着した日だ。
 続いて、石川レナト文協会長、田中克之海外日系人協会会長、桑名良輔サンパウロ総領事、山田彰駐ブラジル日本大使、野村アウレリオ・サンパウロ市議会議員が祝辞を述べた。
 石川会長は東京オリンピックに合わせ、「ブラジルは、世界の様々な人種や文化が受け入れられ、統合されてきた国。日本も例外ではなく、象徴的な文化の一つが柔道。オリンピックでブラジルが獲得するメダルは柔道が多く、それは日本人移民の先生方の努力のたまもの」と述べた。


 文協の「日伯懸け橋プロジェクト」の「ジェネレーション・プロジェクト」が中心となって組織された同イベントは、パンデミックに入ってから日系の人々がどのように困難を克服して来たかや、日系人としての生き方、価値観を実践している人の体験談などが紹介された。
 出演者の一人、サンパウロ南部で8年前からレストラン『スクアロス』を営業している玉城ジルベルトさんは、パンデミックに入るまではビジネスも好調だったが、外出自粛令が出され、事態は急変した。最初の10日間は、家族で顔を見合わせる度に「どうしよう」という言葉しか出ず、借金が増えるばかりだった。
 しかしある日、メディアでレストランの事情が報道されてから、多くの人から注文が入り、連絡していなかった友人たちの間でも支援の輪が広げられ、デリバリーを開始することで徐々に事態は好転していった。「実父も亡くなり、家族間には険悪なムードが漂い始めていました。それでも、結果的には、家族の絆と周囲の支援に救われました」と感謝する。
 力行会で渡伯してタウバテで農業をしていた木村タケオさん(90、岡山県出身)夫妻は、今は子ども8人と多くの孫に囲まれ、ひっそりと余生を送ることもできる。
 しかし、「ブラジルから受けた恩を少しでも返したい」と感謝の気持ちを原動力に、セアラ州の発展の遅れた地域の開発に、あえて再転住してイチジクを栽培することに決めた。今も厳しい気候や害虫の問題などと日々格闘が続く。
 だがブラジルに来る前、日本力行会会長から「コーヒーを植えて儲ける事だけを考えず、人を作ることを考え、ブラジル社会に貢献するように」と言われた言葉を胸に、ブラジルの発展を夢見て働き続ける。
 オンライン祝賀会「DIN21」は、https://www.youtube.com/watch?v=WyLA0BQ2xM0で視聴できる。


□大耳小耳□ 関連コラム
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 文協主催のオンライン祝賀会「DIN21」は、すべてポルトガル語のみ。視聴した複数の日本人移住者から「せっかくブラジルや海外の日系人について学べる機会と思って楽しみに拝聴したのですが、日本語の字幕やユーチューブの自動翻訳字幕も設定されておらず、意味がほとんど分からなくて残念だった」とクレームの声が挙げられている。昨年から盛んになった日系社会のオンラインイベントは、総じてポルトガル語のみ。ネット時代だからこそ、日本と切り離せない日系社会のイベントは、日本の日本人が聞いても分かるだけの日本語による情報伝達も必要であり、その解決は喫緊の課題では。


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