私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2021年07月

《ブラジル》保健省も青少年への接種承認=ワクチンの接種間隔見直しも=サンパンロ州は接種計画の前倒し発表 ニッケイ新聞WEB版より

接種間隔短縮が検討されているファイザー社製ワクチン(GEA/Divulgação)

 保健省が27日、新型コロナに関する国の予防接種計画(PNI)に12~17歳の青少年も組み込む事を認めた。青少年への接種開始は18歳以上の成人への初回接種終了後で、ファイザー社製ワクチンの接種間隔短縮もそれにあわせて決める意向だと27日付現地サイトが報じた。
 12~17歳の青少年へのワクチン接種の開始は州や市から要請が出ていたが、保健省が明確な方針を出さないため、ジルマル・メンデス最高裁判事が早急に検討するよう命じていた。青少年への接種承認は、州や市の保健関係者との会合の席で明らかにされた。
 ケイロガ保健相によると、12~17歳の青少年への接種開始は18歳以上の成人への初回接種用のワクチンの配布終了後で、高血圧や糖尿病、心臓疾患、肥満などの基礎疾患のある人や妊婦などが優先されるという。

 同じ席上で、成人向けの初回接種用ワクチンの配布が終わった時点で、ファイザー社製のワクチンの接種間隔を90日から3週間に短縮するか否かを決める事も明らかにされた。同社製のワクチンの接種間隔短縮は、デルタ株による感染拡大を抑制する策の一つとして検討されている。

 保健相の見解では、18歳以上の成人向けの初回接種は9月のはじめには終わる見込みで、この時点で接種間隔を3~5週間にすれば年内に接種完了となる人が増えると見ている。同社製のワクチンの説明書には適正な接種間隔は21日とあるが、デルタ株に対する効用は間隔が長い方が大きいとの説もある。
 他方、サンパウロ州政府は28日、従来は8月20日までの予定だった18歳以上への接種を同月16日までに済ませ、8月23日からの予定だった12~17歳への接種を同月18日から始めると発表した。
 28日発表の接種日程によると、8月5~9日が25~27歳、8月10~16日が18~24歳、8月18~29日が基礎疾患や障害のある人と妊婦、出産直後の人、8月30日~9月5日が15~17歳、9月6~12日が12~14歳となっている。ただし、接種日程は各市が定めたものが優先される。

□関連コラム□ 東西南北

 サンパウロ市でのコロナワクチン接種は順調に進み、27日は20代を対象にした接種がはじまった。この日は29歳限定だったが、各接種会場には長蛇の列ができ、場所によっては2時間待ちのところもあったという。20代になると人口が多いので、時間がかかるのは仕方がないといったところか。ただ、20代への接種がはじまったことで、市内の成人が少なくとも1回目の接種を終えるめどが立ってきたことは事実。ファイザー・ワクチンの接種間隔を12週間から3週間にする案なども浮上してきているが、それがどうなるにせよ、11月の半ばまでには市内の成人が接種を完了させることには変わりはなさそうだ。

《サンパウロ州》子供が冗談で「ここに埋められているのでは」=掘ってみたら行方不明だった家主の遺体発見  ニッケイ新聞WEB版より

風光明媚なビーチで有名なウバツーバ市(DeyvesMartins, via Wikimedia Commons)

 サンパウロ州海岸部のウバツーバ市で、2018年からある借家に住んでいた家族が、2013年8月から行方不明になっていたという家主の女性が庭に埋められていたのを発見したと27日付G1サイトなどが報じた。
 問題の家には、13年の失踪当時62歳だった女性が住んでいた。警察は当時、手を尽くして探したが女性の行方はつかめず、迷宮入り。その家は借家として扱われる事になった。

 その家を借りたのは子供が2人いる夫婦だった。この夫婦は借家を探していた時、居心地がよく広々としていた上、他の地区よりも家賃が安いという事でこの物件を選択。18年8月から住んでいた。
 この一家は引越し寸前に「家主が失踪した」と聞いて不思議に思ったが、物件が気に入っていたため、そのままそこに住み始めたという。
 引っ越してから数カ月経った頃、子供達が冗談半分に「ひょっとしたら家主さんはここに埋められているのかも」と話した事があったが、親達は「そんなバカな」と取り合わなかった。

借家の庭で失踪した家主の遺体発見と報じる27日付ア・トリブナ・サイトの記事の一部

 ところが今年の1月13日、庭の木が大きくなって日陰になる上、湿気が多く、いつもカタツムリがいる場所があり、犬が遊んで汚れたまま家に中に入ってくるなどの理由で、庭をきれいにして芝生を植えようという事になった。
 上の子と父親が庭の片隅をいじっていたところ、布切れのようなものが埋まっているのに気づき、さらに掘ってみたところ人骨が見つかったという。
 子供の冗談が現実のものとして目の前に現れたのに気づいた父親は、時間が止まり、ホラー映画でも見ているような心地になったという。
 警察が調べた結果、人骨は行方不明になっていた家主の女性のものである事が確認された。子供の冗談が本当になった事で、一度お蔵入りになった事件は再び警察が扱う事になった。検死の結果、女性は絞殺された後に埋められた可能性があるという。

★2015年12月24日《ブラジル》町中が見守り病院で結婚式=ガンの新婦、写真も見ずに逝く

★2017年10月31日《ブラジル》殺人事件の死者6万人超す=強盗殺人は7年で58%増

★2021年4月23日《ブラジル》コロナ怖さに死者もワクチン接種?=謎の事例が27件発覚

ミナス州=白浜さん外務大臣表彰祝賀会=「ブラジル農業の発展を常に考えた」 ニッケイ新聞WEB版より

左から村上さん、白浜さん、妻・輝子さん

左から村上さん、白浜さん、妻・輝子さん

 昨年12月1日にサンパウロ総領事館(桑名良輔総領事)より発表された「外務大臣表彰」受賞者の1人、白浜清俊さん(熊本県・82歳)の受賞祝賀会が、7月4日ミナス州南部カンブイの別荘にて盛大に行われた。
 白浜さんは20歳の時、1960年にコチア青年2次6回で渡伯。サンパウロ州ブラガンサ・パウリスタのバタタ農園で働いた後、種芋作りに専念するために同船者だった友人らとともにカンブイに移り住んだ。

 同所に移り住んで2年目の66年に妻・輝子さんと結婚。69年には農事関連会社「アグロ・マキナス・ミナス・ジェライス」を創業。当時、日本人が少なかった南ミナス地方でブラジル人に野菜や果物などの生産指導を行い、当時目立った生産物がなかった同地をジャガイモや苺、マンジョッカなどの一大産地に育て上げた功労者。
 これらの貢献が評価され1986年には名誉市民に、2013年には農業発展に寄与したとして州議会から「コメンダドール」(Ordem do Merito Legislativo do Estado de Minas Gerais)の顕彰を受けた。
 祝賀会にはコチア青年連絡協議会の前田進会長や広島県人会の村上佳和さん、従業員、友人、関係者ら約50人程が駆けつけ、感染対策を徹底しながら盛大に行われた。同会の始めに外務大臣表彰賞状の代読を村上さんが務めた。
 白浜さんは「今回頂いた外務大臣表彰は身にあまる思いです。ブラジル農業の発展を常に考えてここまで来ました。これも先人や、ここまで支えてくれた多くの方のおかげ。こうしてコロナ禍でも多くの人が祝賀会に駆けつけてくれて本当に嬉しい」と受賞を喜びながらも謝辞を述べた。
皆で飲み物片手に乾杯

皆で飲み物片手に乾杯

 白浜さんを外務大臣表彰に推薦した1人である同協議会の前田会長は「白浜さんがブラジル農業に与えた影響はとても大きい。今まで彼が積み上げてきた功績を考えれば顕彰は当然だと思います。受賞を心の底から喜んでいます」と称えた。
 コチア青年で渡航し現在イタチーバに在住の岩野忠さんは「白浜さんはこの外務大臣表彰までの道のりで多くの苦労と努力をしてきた。そして常にブラジルの発展を考えて行動し貢献してきました。私も今回の白浜さんの受賞が自分のことのように嬉しい」と笑顔を浮かべた。
 村上さんは「彼がカンブイはもとよりミナス州の発展を進めたと言っても過言ではない。そこには、言葉にしきれない程の苦労があったと思う。今回の受賞を心から称えたい」と笑顔で語った。


メダルだけでは測れない各人の価値 ニッケイ新聞WEB版より

 
ウゴ・カルデラノが卓球でブラジル初の準々決勝進出を達成と報じる27日付アジェンシア・ブラジルの記事の一部

ウゴ・カルデラノが卓球でブラジル初の準々決勝進出を達成と報じる27日付アジェンシア・ブラジルの記事の一部

 23日に開幕した東京五輪では連日、悲喜こもごもの歴史が刻まれている。
 27日にブラジル初の金メダルを獲得したサーフィンのイタロと、金の期待を負いながら4位に甘んじたメディーナ。ブラジルの体操選手のフラヴィアや米国の体操選手で金メダリストのビレスのように、演技中のケガで途中退場の例も然りだ。
 メダルこそ逃したがブラジル初を記録した選手もいる。サーフィンやスケートの選手は全てブラジル初の五輪出場だし、28日に準々決勝で敗れた卓球のウゴ・カルデラノは卓球ではブラジル初の準々決勝進出者。ウゴと同僚のグルターヴォ・ツボイのブラジル人2人の32強同時進出も初めてだった。

 柔道女子70キロ級のマリア・ポルテラは、史上最長の14分の取り組み後、3度目の指導を受けて敗北という結果に涙した。
 決勝には進んだが入賞を逃した選手や初戦敗退した選手、東京到着後の手術や出発直前のコロナ感染判明で出場を諦めた選手もいる。五輪出場を逃し、涙を飲んだ選手は数え切れない。
 ブラジル初の金メダルをもたらしたイタロは、魚を売っていた父から借りた発泡スチロールの箱の蓋でサーフィンをやったといった話や、フィリピン初の金メダリストとなった女子重量挙げの選手の涙も胸を打つ。
 五輪前や開幕後も、コラム子にはコロナ禍で会う事さえかなわず亡くなった友人や恩人がいたし、すぐ骨折する「ガラスの骨」という病気の人の子供も同じ病気である事が判明という記事も読んだ。
 誰であれ、今生きている事や毎日積み上げている歩みは勝利だし、皆がかけがえのない価値を持っている。
 各選手の歴史はいかにと思いながら、五輪中継を見、結果を伝える記事を読む毎日が続いている。メダルの有無には関わりなく、「今いるところで精一杯やった」「周囲の支援で今がある」と言える人達に心からの拍手を送りたい。 (み)

NCC=テニス部長に大崎エニオさん=統合と革新を掲げて1千人統括 ニッケイ新聞WEB版より

テニス部長の任命証明書を手にする大崎エニオさん

テニス部長の任命証明書を手にする大崎エニオさん

 サンパウロ州アルジャ市にある日系最大のスポーツクラブ、ニッポン・カントリークラブ(鴨井春海ルーベンス氏、以下NCC)のテニス部の新部長就任式が、7月24日午後2時からグァルーリョス市サドキン区の同テニス部イベント会場で行われた。新部長には大崎エニオさん(56)が就いた。会場には約500人が参加、舞台上で佐々木ヴァルテル評議会長(前会長)がステンレス版の任命証書を渡した。エニオさんは「32年の伝統を引き継ぎ、若年層の育成に努めたい」とあいさつした。
 大崎エニオさんは聖市生まれの三世。今年56歳になる。26歳の時にテニスを始め、聖市内のテニスコートで約20年間練習し、46歳の時、日本カントリークラブのテニス部に入会。テニス歴は計30年になる。

 新部長就任の抱負として「インテグラソン(統合・無差別)」と「イノヴァソン(革新)」についてそれぞれ述べた。
 インテグラソンについては、会員同士が家族のような付き合いをし、人種、性別、言葉、文化などの偏見を撤廃し、日系・非日系を問わずに会員を増やし、テニス部組織を拡大していきたい。
 イノヴァソンについては、テニス競技大会のコンピューター化を進め、試合の組み合わせなどのスピード化を図りたい。また、新型コロナ禍を契機に、ワッツアップなど携帯電話を駆使して新しいコミュニケーション・システムの構築を模索したい。日本カントリークラブでは毎年、55歳以上の男子、40歳以上の女子選手を対象に『日系テニス大会』を主催している。
日本カントリークラブ創立者の山本勝造について語る山川アウバロさん

日本カントリークラブ創立者の山本勝造について語る山川アウバロさん

 テニス部の部員は約1千人。ブラジルではテニスはハイクラスのスポーツとされ、日系人が80%、非日系人が20%を占める。テニスコート18面とイベント会場を所有する。土曜日には3歳から18歳までの幼児から青年たち360人を対象にテニスを指導、選手育成に努めている。
 テニス部のあるアメリカの各大学ではテニス選手の引き抜きがあり、日本カントリークラブからも毎年数人がスカウトされ、今までに30人近くの選手が入学している。日本の大学にも同様のシステムがあり、5人が入学した。
 日本カントリークラブの創立会員(67人)であり、第1回理事会のメンバーでもある山川アウバロさん(85)さんは「日本カントリークラブ創立者の山本勝造さんは厳しい人で、テニス部をつくろうと提案すると〝クラブの中にクラブを作るな〟と言って叱られた。その日には反対されたが、翌日には考え直してくれ積極的に若者を応援してくれた」と創立者を懐かしく振り返った。

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