私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2021年07月

《ブラジル》大統領がヒトラー政権大臣の孫と面談=台頭中の極右政党の女性下議 ニッケイ新聞WEB版より

ベアトリクス・フォン・ストーチ氏(左)とボルソナロ大統領(ベアトリクス氏のInstagramより)

 ボルソナロ大統領が先週、ドイツの極右政党「AfD(ドイツのための選択肢)」所属で、ナチス・ドイツ政権の大臣の子孫である女性政治家と非公式に会っていたことが明らかになり、物議を醸している。AfDは2013年に結党したばかりだが、独連邦議会631議席中の92議席を占めるまでに躍進した右派政党。27日付伯字紙が報じている。
 この女性政治家はベアトリクス・フォン・ストーチ氏で、先週、大統領府を訪れていた。この面会は大統領府の公式行事には含まれておらず、26日にベアトリクス氏が自身のSNSにボルソナロ氏と写った写真を掲載したことで明らかになった。
 彼女の母方の祖父ルートヴィヒ・クロージク氏は、ヒトラーのナチス政権時代の財相を務め、ユダヤ人を排斥する法律にも携わっていた人物だ。ヒトラーの死後は首相代行も務めており、ニュルンベルク継続裁判(本裁判で裁かれなかったナチ戦犯を裁いた後続の法廷)の大臣裁判で有罪判決をうけて投獄されたが、冷戦時代に恩赦を受けて出所した。

 ベアトリクス氏は大統領と「欧州の問題と自身の政治的挑戦について語り、感銘を受けた」という。
 同氏は大統領の他にも大統領三男のエドゥアルド下議やビア・キシス下議とも面会を行っている。これに対してブラジル・イスラエル連盟やホロコースト博物館は抗議声明を出している。

★2019年11月23日《ブラジル》体操界のエースがボルソナロ大統領と面会し物議=「ゲイなのに極右支持か」とネット荒れる
★2019年9月25日《ブラジル》ボルソナロ大統領=「アマゾンは人類の財産ではない」=国連総会で物議醸す演説=森林火災拡大での批判後=極右的主張を終始繰り返す
★2018年10月30日《ブラジル》大統領選=ボルソナロが42代大統領に=ハダジに55%対45%=裕福な地域での支持強く=「ブラジル初の極右大統領に」

横浜海外移住史料館=細川人文研理事の講演第2回=「4千キロを貫く日系魂」 ニッケイ新聞WEB版より

告知チラシ

告知チラシ

 JICA横浜海外移住資料館は8月27日19時半から1時間(日本時間)、サンパウロ人文科学研究所の細川多美子理事による「世界最大の日系人コミュニティの実像~440ヵ所のリアルボイス~」の講演第2回目「アマゾンから雪降る町まで、4千キロを貫く日系魂」を行う。3回シリーズの2回目。
 アマゾンから雪降る町まで伯国4千キロを縦断するブラジル日系社会。各地で開催する日本祭りや盆踊り、運動会などは日系の枠を超えて現地地域で賑わいをみせ、文化施設として思わぬ力を発揮する。

 今日まで続くこの行事やイベントを支えてきたのはKaikan(会館)、Fujinkai(婦人会)、Valor(精神性)を背景にした誠意と人情のヤキソバだという。モザイク模様のように伝統と変貌を織り成す日系社会の今の姿を、行事やイベントからとらえる。
 申し込みはメール(jicayic_jomm_info@jica.go.jp)へ「移住資料館講演会(8/27)参加」の件名で、参加者の氏名、メールアドレス、高校生/大学(院)生/教員/会社員/一般などの別を明記して申し込むこと。
 イベント開催日の1営業日前に当日使用するズームのリンクが送られる。届かない場合はJICA横浜海外移住資料館(電話=045・663・3257、メール=jicayic_jomm_info@jica.go.jp)まで連絡を。
 詳細は同館サイトのイベント告知ページ(https://www.jica.go.jp/jomm/events/2021/210827.html)でも確認できる。

安慶名栄子著『篤成』(43) ニッケイ新聞WEB版より

第32章  夢のパンタナール

 姉のよし子が一緒に旅行してくれることが父の一つの要望でした。父は、「自分はもう年寄りで、もしもの事があったら、栄子が一人で介護をするのは気の毒だ」と思っていたのです。
 私たちはまだパンタナールへ行ったことがありませんでした。それでカーセレスという所へ行きましたが、今回はよし子姉さんも一緒でしたので父はとても喜んでいました。

 シャパダ・ドス・ギマラエスでは素晴らしい絶景や滝を満喫しました。ブラジルの大陸の中心点にたどり着きました。
 実は父がその時「長旅はこれが最後だ」、と言ったので私は怖くなりましたが、その反面、父は色々なところに行く事が出来、本当に幸せだ、そろそろ休みたいと言っているのだと思いました。
 旅行は父に幸せをもたらしたので、それが私にとって一番の幸せでした。


第32章  永遠に変わらぬ感謝

 ちょっと話を戻し、ジュキアからサンカエターノへ引っ越して以来、数年間会わなかったおばあちゃんの話をしたいと思います。運命の巡り合わせで数年後に、おばあちゃんの家族もグァルーリョスへ引っ越し、もっと近くなったので、たまに遊びに行ったりしました。
 遠い距離になって別れ別れに過ごした時期でも、おばあちゃんの私たちに対する愛情は全く同じでした。おばあちゃんはサンカエターノまで来てくれる度に自分の服の中にしまい込んだ包みを取り出し、私たちにプレゼントするのでした。そんな些細なしぐさにおばあちゃんの大きな愛情が表されていたので、感激せずにはいられませんでした。
 時にはハンカチにお札を持ってきてくださいました。私にはそのお金を使う勇気がなく、長い間収めていたのを覚えています。
 おばあちゃんは病に侵され、私たちがお返しをする機会もなく逝ってしまいました。
 私は、おばあちゃんの誕生日やお正月にちょっとした贈り物以外、何もしてあげられませんでしたので、とても悔やんでいました。何とかお礼を示したかったが、もう遅かった。
 沖縄へ行くときには、必ず上原タツさんにチョコレートを持っていきました。タツさんは、他の無数の家族同様、おばあちゃんがブラジルに渡った時にやむを得ず沖縄に残してしまった娘さんでした。父と同じように、おばあちゃんは娘を親の元に預けて、数年後必ず迎えに来る希望をもってブラジルに渡ったのでした。
 しかし、その夢は叶えられず、一度たりとも娘に会うことがなく、亡くなってしまいました。
 何回かタツさんの所に行ったある日、「栄子さん、あなたはいつも私にプレゼントを持ってきてくれるけど、親戚でも友達でもないのに、なぜそんなことをするの」と聞かれました。
 私は「あなたのお母さんは、私たちにとって母親みたいな存在でした。母を亡くした小さい私たちを支えてくれたのはあなたのお母さんでした。それなのに、おばあちゃんは私たちがお返しをする機会がないうちに亡くなってしまったのです」、と答えました。
 すると、彼女の反応にはショックでした。「ああ、そう。母は私を育てずに他人の子供を育てたのね」と。

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《サンパウロ市》奥地探検隊の英雄銅像を焼き討ち=先住民虐殺に加担の言い伝え受け ニッケイ新聞WEB版より

24日、焼き討ちにあったボルバ・ガット像(Twitter)

 24日、サンパウロ市南部サントアマーロ地区に建てられている17〜18世紀の奥地探検隊(バンデイランテス)のリーダーとして、当時は英雄視されていたボルバ・ガット(1649〜1718年)の銅像が焼き討ちにあった。バンデイランテスは金銀採掘を目指して奥地に踏み入り、インディオや黒人を奴隷として従えて強制労働させていた。そのため、ボルバ・ガットにも先住民虐殺に加担したとの言い伝えがあり、かねてからこの銅像に反感を持つ市民もいた。25日付現地紙などが報じている。
 事件が起こったのは24日13時30分頃、市南部の地下鉄5号線ボルバ・ガット駅前に建てられている銅像前に黒人を中心とした団体のメンバーが集まり、駐車中のトラックからは外したタイヤなどを銅像の足元に置いて火をつけた。

焼かれる前のボルバ・ガットの銅像(Geogast,via Wikimedia Commons)

 火はあっという間に燃え広がり、銅像全体が炎に覆われた。この光景はショッキング映像としてネットで拡散され、テレビでも全国的に報じられた。焼き討ちを行った団体のメンバーは翌25日に逮捕された。彼らはファヴェーラの黒人グループだった。
 この犯罪行為に対し、リカルド・ヌーネス・サンパウロ市市長は「嘆かわしい」と批判した。
 だが、この焼き討ちに関するネット上での意見は二分されている。それは、このボルバ・ガット像が建立された1963年以来、「道義的に問題がある」とされてきた経緯があるためだ。

★2014年6月12日《ブラジル》イトゥー市へ来てください=歴史や特色ある工業都市=奥地探検隊が拓いた町

★2016年11月10日《ブラジル》第46回県連故郷巡り=悠久と躍動の北西パラナ=(9)=元スペイン領、現パラナ州

一笑一若・アメリカ小話「見上げてごらん…」 富田さんからのお便りです。

 
 和田さん&W50年の皆さん、ご機嫌いかがですか?酷暑のなか、TOKYO 2020が開幕しました。昨日までに日本勢は金メダル10個を獲得して国中を沸かせています。皆さまもTV観戦でお忙しいだろうと拝察し、今週から5週間、アメリカ便りは、恒例の「暑気払い小話大会」を開催いたします。今回は、201820年までの人気小話を5編厳選してお届けいたします。

第一弾は子供にまで語れる健全作品でございます。題して、一笑一若・アメリカ小話「見上げてごらん

ロンドンの公園の芝生で転げまわって遊んでいる幼い兄弟が「見上げてごらん」と言われて見たものは。ご用とお急ぎでないお方は、下記のブログをお訪ねのうえ、一笑一若・アメリカ小話「見上げてごらんE N J O Y !!!

http://iron3919.livedoor.blog/archives/10714918.html

富田眞三  Shinzo Tomita

アメリカ小話


                 暑気払い小話大会第一弾 
          
               見上げてごらん……
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                          写真:(www.sieteplanetasdesorbitados.com)
【蛇足的まえがき】
 軍楽隊員が身に着けているスカート状がキルトである。キルトはスコットランド高地の男性の伝説的衣装であるが女性も使用する。これは長いタータン柄のウール地を独特の方法で腰に巻きつけ、紐、ベルト或いはピン等で留めるもので、スカートではない。キング初め王族の方々も着用する正装であり、スコットランドの軍人たちは軍服として着用する。
キルトを着用する際、下着をつけないのが決まりである。従って椅子に座る際、股を広げすぎると、大事なところが見えてしまう。その結果、数限りない小話が語り続けられ、国際的にも有名である。
スコットランド地方以外の住人は、キルトを見る機会がないので、キルトを着用した男女が登場すると、人々は老若男女を問わず、好奇心丸出しになる。今回はロンドンの子供たちが主役になった。 なお、この小話は2018年1月30日に掲載されたものです。
(テキサス無宿記)


    一笑一若・アメリカ小話「見上げてごらん…」
ロンドンのハイドパークにスコットランドのバグパイプ軍楽隊が演奏に来ていた。

芝生で転げまわって遊んでいた、幼いジョンとボブ兄弟は、休憩中の軍楽隊員に話しかけた。

「兵隊さん、キルトの下にパンツ履いていない、って本当」とジョン。

「寒くないの?」とボブが訊いた。

すると、兵士は「何なら、見上げてごらん」と二人に言った。

お後がよろしいようで……。

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