私たちの50年!!

1962年5月11日サントス着のあるぜんちな丸第12次航で着伯。681名の同船者の移住先国への定着の過程を戦後移住の歴史の一部として残して置く事を目的とした私たちの40年!!と云うホームページを開設してい居りその関連BLOGとして位置付けている。

2022年02月

≪Covid-19 INFO (2月28日)≫ リオの山下さんからの報告です。


和田 様

山下リオ@日本です  

 

世界の最新コロナ情報(2/28

 

2/28COVID-19の世界累計感染数435969884人、死亡者数5967986人。

 

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<参>赤印:日の増加過去最多、1.4%で月五割増、2.4%で月倍増となる。

日の増加率

3%超え韓国、香港、

2%超えシンガポール、

1%越えは日本など。

 

累計感染者数を対数グラフにすると傾向が図示できて比較も可能になる。

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<グラフ解説>

カーブが水平に移行すると増加の止まりを意味する。

 

<中国>広東省、上海市,内モンゴル自治区、広西チワン自治区、など25州で感染発生。

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出所:Wikipedia,Jetro短信などより要約。

 

<米国> 新規感染者数は過去最多完全山越え、死亡者数山越え。日の増加7千人。

現時点の入院感染者数26401648人、重症感染者数(ICU)8279

 

<ブラジル>新規感染者数過去最多山越え、死亡者数は抑えている。日の増加2.7万人。

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現時点の入院感染者数1935286人、重症感染者数(ICU)8318人。

 

<日本>新規感染者数過去最多山越えだが死亡者数過去最多。

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現時点の入院感染者数747658人、重症感染者数(ICU)1482

 

グラフで見る

下記新規感染者数が過去最多で現在急増中、

ベトナム、韓国、シンガポール、香港など。

過去最多は医療機関の受付体制が過去に経験しない事態になることを意味する。感染ピークより少し遅れて重症者が増加するオミクロン株は

死者数が日本、韓国、デンマーク、香港で過去最多。ロシア、トルコ、シンガポールで増加中。

今回のコロナとは別の新種とした方がスッキリする。

特別寄稿=誰も書かなかった日伯音楽交流史=坂尾英矩=4=幻のコルネット奏者マサオ・ウコン ブラジル日報WEB版より

「ウワー! 幻の右近さんだ」

1961年サンパウロ・デキシーランダーズ練習場にて(左から2人目は筆者、5人目が右近さん、筆者提供)

 ブラジルジャズ界には外国人二人の名前が際立っている。米国人ブッカー・ピットマンと日本人右近雅夫である。
 私は仕事の関係で日本から訪伯する音楽関係者と接することが多いが、関西出身の高年者から必ずと言ってよいくらい受ける質問は「トランぺッターの右近さんはどうしてますか」なのには驚かされる。
 大分以前に邦字誌「オーパ」の細川多美子編集長とサンパウロのジャズ・ライブハウスへ行った時、彼女はステージを見て「ウワー! 幻の右近さんだ」と叫んだのである。
 このいきさつをたどるには、右近さんの渡伯前から話を始めなくてはならない。
 右近雅夫、1931年神戸生まれ。右近家は江戸時代の北前船主だったから豪商の御曹子である。終戦で解放された敵性国家の伝統的デキシーランド・ジャズに魅惑されてトランペットを習い始め、関西学院商科在学中に学生たちで「ハート・ウオーマーズ」というデキシーランド・バンドを結成してリーダーのコルネット奏者となった。
 もともと関西はジャズが盛んで、大正13(1924)年には阪神地区のカフェやダンスホールで日本人バンドが演奏していたのである。
 しかし学生のデキシーランド・バンドは、1953年の関西学院大学グループが日本で最初だった。だから、ジャズ評論家の草分け、野口久光、油井正一両大家の目にとまり、強力なバックアップとなってラジオやコンサートで活躍するようになった。
 名声が高くなってきた1955年、思いがけない右近一家のブラジル移住はジャズ界の大きな驚きであった。
大阪商船サントス丸が神戸を出港して横浜に寄港した日の晩は、油井先生をはじめ日本一のデキシー・バンド南里文夫とホットペッパーズのメンバーが銀座並木通りにあったジャズの殿堂「テネシー」に集まり、右近さんを招待して送別ジャム・セッションを催したのである。

サンバの国ブラジルへ移住

パンチあふれる喜寿の演奏会(ブンバ誌細川多美子撮影)

 ブラジルのサンパウロに落ち着いた右近家はマジック・インクの会社を設立した。しかしラッパが吹きたくてうずうずしていた彼にとって、デキシーランド・ジャズなんて当時のブラジルでは聴けないのが淋しかった。
 ところがバンドマンの世界は狭いもので、日本から若いジャズマンが移住してきたというニュースが知れ渡り、当地のアマチュア・グループ「パウリスタニア・ジャズバンド」から招きを受けたのである。
 このバンドのクラリネット奏者には奇しくも1930年代にニューヨークでルイ・アームストロングなどと仕事をしていた一流ジャズマン、ブッカー・ピットマンが加わった。
 彼はヨーロッパ演奏旅行の帰途1935年にブラジルにやって来て以来、南米諸国へ出かけてから消息不明となって死んだと噂されていた。ところが、パラナ州ロンドリーナで農業の下働きをして食いつないでいたアルコール中毒のブッカーを、パウリスタニアの仏人トロンボニスト、フィリッペが見つけ、サンパウロへ連れ戻し面倒を見て回復させたところだったのである。
 日米のジャズスターの参加でパウリスタニアは魚が水に帰ったように活気に満ちて、観光広告業界でも扱われるようになり人気が上昇した。名前も「サンパウロ・デキシーランダーズ」と変えて有名になった。
 それからの右近氏はデキシーランド一筋に身を捧げる人生を歩んできたわけである。あの時代はブラジルでも映画やレコードなどで米国文化の影響が強くなり、学生やエリート階級の間ではアメリカ音楽愛好者が増えている時期だったからタイミングが良かった。

ブラジルにデキシーランドを植え付けた男

83歳最後の演奏姿(マリア・アントニア夫人提供)

 サンパウロ・デキシーランダーズのヒットによって、アマチュア・ミュージシャンによるデキシースタイルのバンドが続々と結成された。
 しかしマサオ・ウコンをリーダー兼アレンジャーとするサンパウロ・デキシーランダーズは、このジャンルでトップの名声を保っていた。ブラジルで著名な音楽評論家ズーザ・オーメン・デ・メーロや、サンパウロ州立ジャズシンフォニー・オーケストラ指揮者だったマエストロ・ネルソン・アイレスも、このバンドのメンバーだったのは知られていない。
 右近さんのエネルギッシュで顕著な活動はブラジル音楽界でも認められ、エドアルド・ヴィドシッキ著『サンパウロ・ジャズ史』(1966)とスイング・ジャーナル社発行『世界ジャズ人名辞典』(1981)には業績が記載されている。
 1961年の大新聞フォーリャ紙主催のジャズ・フェスティバルで右近さんが金賞を受けた際の演奏に、私も参加した貴重な思い出がある。
 1980年ジャパン・デキシーランド・ジャズ・フェスティバルに日本へ招待されて以来、1983年から2008年まで神戸で開催されるジャズ・ストリートというイベントには毎年のように自費で参加しているし、神戸大震災の直後には故郷慰問演奏を企画して実施した。
 1997年にサンパウロのジャズ・ライブハウス「ブルボン」に出演した折には、訪伯していたトニー・ベネットが聴きに来て「ブラジルでアメリカの伝統的オリジナル・ジャズが聴けるとは思わなかった」と感激していたそうである。
 ブラジルで一流アルトサックス奏者として活躍し、現在サキソフォーン教授のアルゼンチン人エクトール・コスティータ先生にマサオ評を聞いてみた。
 「ブラジルでは優秀なジャズマンの多くはバカテクや耳の良さでうまいプレーをするが、マサオのすごさは体から出るノリで吹いているから本物なんだ。彼はブラジルにデキシーランドという作物を植え付けた開拓者だね。実は私もウコン農場の農夫だったんだよ」と笑った。

マサオ画伯の自画像(マリア・アントニア夫人提供)

 右近さんの偉大さは、自分の会社の利益をコンサート経費や20枚ほどのCD制作と無料配布に充てた点と、どんなに小さなパーティや演奏指導でさえもギャラとは関係なく足を運んだ業績である。その情熱は病みつきの「おたく」ではなくて、むしろ「宣教師」と呼んだ方が適切かもしれない。
 残念ながら2014年以後、右近さんは健康上の理由で演奏活動が不可能であるが、小さな分野とは言えブラジルにおけるデキシーランド・ジャズ発展の原動力となった日本人パイオニアの名は日伯交流史に大きく残すべきであろう。


山形県人会総会=佐藤マリオ会長が再選=来年は創立70周年 ブラジル日報WEB版より

総会後の新年会での乾杯。右奥が佐藤会長


 ブラジル山形県人会は13日、サンパウロ市の同県人会館で第69回通常総会と新年会を開催し、約25人が出席した。今年は役員改選が行われ、佐藤マリオ会長(65、三世)が再選された。来年2023年に創立70周年を迎える同会では、記念事業のひとつとして県人および子弟の実態調査を計画している。

 総会の冒頭、先没者の霊に一分間の黙祷を捧げた。続いて挨拶に立った佐藤会長は、新型コロナウィルスの影響により20年、21年は十分な県人会活動が実施できなかったことを振り返り、「今年からは、少しずつ元に戻れることを期待している」と述べた。
 続いて昨年度の事業報告と決算報告の審議、今年度の事業計画と予算案の発表が行われ、いずれも出席者により承認された。年会費は、昨年までの120レアルから130レアルに変更することが承認された。
 21年度は新型コロナウィルスの影響により対面式の行事は見合わせたが、母県山形県とのオンライン交流事業が3回実施された。7月末に県人会の若者5人と山形県酒田市の東北公益文科大学の学生5人による意見交換会が実施され、その後10月にブラジルと山形県の料理を互いに紹介するイベント、11月に花笠踊りの体験イベントが行われ、インターネットを通じて母県の人たちと親睦を深めた。
 今年度は、23年に迎える創立70周年の記念事業のひとつとして、ブラジル国内の県人および子弟の実態調査を計画していることが発表された。会員をはじめ県人・子弟に質問票への記入を呼びかける予定だという。コーディネーターを務める齋藤保副会長が同調査について説明し、協力を呼びかけた。
 常任理事改選では、他の立候補届け出がなかったため、選挙管理委員長の豊田豊名誉顧問が佐藤会長の再選を提案し、佐藤氏を会長とする新理事会および新監査役が出席者により承認された。
 二期目となる佐藤会長は就任あいさつで、豊田顧問から「より多くの若者の参加が必要、県との関係を強化することが必要」と助言を受けたことを紹介し、若い世代の参加に期待を表した。また、23年間務めた県人会第1会計を退任する内谷敏さんに感謝の言葉を述べ、出席者から内谷さんに拍手が送られた。
 県民歌「最上川」を出席者で合唱し、総会を終了。続いて新年会が催され、出席者は婦人部の手料理を楽しみながら歓談した。

外務省=海外邦人向け無料医療相談=予約受付3月25日まで ブラジル日報WEB版より

 日本国外務省は海外在留邦人向けに、無料のオンライン医療相談・精神カウンセリング「Doctorfellow」サービスを1日から3月31日まで実施している。利用には予約が必要で、予約受付は3月25日まで。
 同事業は全世界対応で、24時間無料。日本人専門医によるオンライン上での医療相談や精神カウンセリングが利用できる。海外に住居中もしくは一時滞在中の在留邦人や、一親等内の家族であれば外国人も対象者として利用可能。

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「Doctorfellow」サイトアクセスのためのQRコード

  総合内科や総合外科をはじめ、心療内科や精神科、新型コロナや感染症科などのほか幅広い専門的な診療科に対応している。
 利用には受付用ウェブサイト(https://doctorfellow.net/MOFA)へアクセスし、利用者の氏名や在住国、面談希望日や症状などの必要事項を記入して予約。希望日の中から医師が日時を確定し、後日20分ほどのウェブ面談が行われる。
 診療科の対応日時や予約、詳細については予約サイトで確認を。

森林農法のサンパウロ州普及進む=ジュサラ椰子保護、活用も=日本の非営利団体「VERSTA ブラジル日報WEB版より

 サンパウロ州を中心にアグロフォレストリー(森林農法、AF)の普及活動を行う日本の非営利団体「VERSTA(ベルスタ)」が2日、サンパウロ州環境局環境研究所(IPA)と共に「ジュサラ椰子AFプロジェクト&啓発合同セミナー」をセッチバラス市立老人ホームにて開催した。8日、ベルスタの小野瀬由一(おのせ・よしかず)専務理事と山添源二名誉顧問がサンパウロ市の本紙編集部を訪れ、同セミナーの様子や近年の活動について語った。

 アグロフォレストリーは、Agriculture(農業)とForestry(森林)を掛け合わせて造られた言葉。農作物と共に樹木を植え、植物同士の相互作用を利用することで農薬や肥料を使わずに農業を行う。森林を伐採して農地開発をしないで済む利点もある。
 ジュサラ椰子は、マッタ・アトランチカ(大西洋岸林)に自生する植物で、若芽(パルミット)や果皮が食用に用いられる。パルミットの採取を目的とした乱盗伐が長年行われ、地域の植生維持、品種減少の観点から問題となっている。
 ベルスタはジュサラ椰子を用いたAFの普及活動を通じて、国連が2015年に採択し、30年の達成を目指す「持続可能な開発目標(SDGs)」の実現に向け活動を行っている。
 昨年は三井物産環境基金とイオン環境財団から助成金支援を受け、伯国の環境団体と協同してジュサラ椰子のAFの実施、二次林(再生林)栽培の指導を行った。
 サンパウロ州との合同セミナーでは会場に95人が来場、オンライン上で200人が視聴参加した。小野瀬専務理事は「昨年行ったセミナーの参加者は100人。オンライン化のおかげで多くの人にAFを伝えられるようになりました」と語る。
 コロナ禍前には日本の大学生会員をブラジルに送り、現地でAFを体験してもらう研修事業を実施していた。コロナ禍によって研修事業を中断している現在は、研修事業費をジュサラ椰子の植林費用に置き換え、植林活動を実施。21年時点でベルスタが支援したジュサラ椰子の農地面積は46ヘクタール(東京ドーム10個分)になるという。
 しかし、AFで育てたジュサラ椰子を商品として売り出すには一定数を安定供給する必要がある。生産量安定のために「サンパウロ州立公園にジュサラ椰子を植えてもらっている」という。
 今後は、同農法の認知度向上、違法伐採防止のためのAF環境学習の実施、ジュサラ椰子の付加価値を高めるための化粧品や高齢者向け健康食品の開発を進めていく。
 セミナーはサンパウロ州インフラ・観光局のユーチューブ上(https://www.youtube.com/watch?v=2NRBy1w9LS0)で今も公開されており、視聴可能。一部が日本語になっている。

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