≪南米の最少国スリナム≫  麻生さんからのお便りです。

南米の最少国スリナム
南米大陸の東北部にスリナムと云う独立国がある。国土も人口も南米で最小の国だ。大雑把な歴史は次の通り。
1499年=スペイン人により発見。
1650年=イギリスの植民地
1667年=英蘭戦争で、ニューアムステルダムをイギリスに割譲する代わりに、ギアナ(現スリナム)をオランダに割譲。
1815年=パリ条約でオランダ領となる。
1954年=オランダの自治領となる。
1975年=オランダより独立。

オランダ西インド会社
スリナムと云う国名は、先住民のスルナム族に由来する。16世紀にはカリブ族により追われて消滅する。17世紀にイギリス人、オランダ人がギアナ地域に入植し、砂糖、煙草、綿花、ココア等のプランテーションを行う。北側隣国は英領ギアナであるが、スリナムもイギリスが実効支配していた。両国が領有権を巡って係争中の地であったが、スペインが覇を唱えた17世紀初めまでは、英蘭は協力関係にあったが、英蘭両国が東南アジアで東インド会社を設立し、権益(特に香辛料)を巡って争うようになると、18世紀までに4次の戦争を経験した。第二次英蘭戦争(1667-1668年)は北米大陸にも飛び火し、ニューアムステルダム(現ニューヨーク)をイギリスが占領した。ブレダ条約でオランダはニューアムステルダムをイギリスに与える代わりに、ギアナ(現スリナム)を領有した。 
オランダは東南アジアで巨利を挙げた植民地経営会社を南米にも広げ、西インド会社を1621年に創設した。当時ブラジの主要産物は砂糖であり、フランス、イギリスも領有を狙っていた。オランダは敵対していたスペインがポルトガルを1580-1640年間併合したため、ブラジルも敵対関係が生まれた。1620年オランダは70隻の艦船をレシーフェ近郊のオリンダ沖に集結し侵攻した。1640年にポルトガルがスペインから独立し、敵対関係が解消され、休戦協定が締結されるが、オランダはブラジル東北部に居座った。1645年には、東北地域のブラジル植民者とオランダ人入植者の内乱も勃発した。入植オランダ人はイべリヤ半島から追放されたユダヤ人も多く、海外から運んだ租糖の精製業者も多かった。当時のレシーフェはシナゴーグも作られ、海外でも有数のユダヤ人集団地だった。然し、1654年には、オランダは撤退し、(撤退の条件として、ポルトガルはマレー半島の要所マラッカ植民地をオランダに割譲する。マラッカ植民地は1645年にオランダの植民地となる)引き上げ組は一部、蘭領ギアナに渡り、又一部はニューアムステルダムに渡る。今日でも、ニューヨークにはユダヤ系在住者が多く、別名ジューヨークとも呼ばれる。

スリナムの多様な人種と文化
スリナムはアフリカから黒人奴隷を入れて、プランテーションを行ったが、劣悪な環境から逃亡奴隷が絶えず、逃亡奴隷の集団地(ブラジルのキロンボ)が奥地に作られ、マルーンと呼ばれた。1863年奴隷解放が宣言され、農園は労働者不足に陥る。その頃から契約労働者の導入を開始する。インドからヒンズー語族、インドネシアからジャワ人、少数ながら中国人も入国する。公用語はオランダ語だが、その他にスリナム語(オランダ語を母体にヒンズー語、インドネシア語等が混じった現地の言語で国民の半数が理解する)、ヒンズー語、インドネシア語、中国語が話されている。最近、増えているのは中国人で人口の10%位を占める。1975年にオランダより独立したが、最初の10年間はオランダよりの経済援助で賄った。人種構成はインド系27%、インドネシア系15%、中国系10%、混血とアフリカ系30%であり、宗教は、キリスト教40%、ヒンズー教20%イスラム15%、の比率である。尚、スリナム人の人口の半分、30万人がオランダに在住しており、オランダのサッカーチーム等にスリナム人が多い。

スリナムの基礎データー
国土面積=日本の20%(四国より少し小さい) 人口(2015年)=推定60万人 一人当たりGDP=9370ドル  輸出=23億ドル  輸入=21億ドル
輸出物品―ボーキサイト、石油、金、エビ
日本の企業も1社進出している、SUJAFI(Suriname JapanFishery Co)と呼ばれ、日本のニチレイ系の漁業会社新洋漁業と数社の漁業会社が、エビ漁を数隻の漁船で操業している。
エビはギアナピンクと呼ばれる、車エビの一種で高級品である、漁場はアマゾン沖からベネズエラ沖の大陸棚がエビ漁場で、アメリカ系漁船を主体に、500隻位のエビ船が創漁している。従い、首都パナバリボには日本人漁船員数名が在住している。ギアナピンクはブラジルでカマロンローザと呼ばれている種類で、アマゾン川が吐き出す毎秒20万トンと云う膨大な量の淡水と土砂(年間14億トンの土砂が大西洋に吐き出される)がエビの格好の漁場を造成している。エビは大河の畔を好む(世界のエビ漁場は大河があり、メキシコ湾―ミシシッピー川、東シナ海―揚子江、、インドーガンジス川、等)吐き出される土砂はエビの好みの生育場所で、有機質を多量に含んでおり、プランクトンが発生する。
アマゾン川より放出される淡水は、河口から350km東方にまで進み、海流は北上し500kmも進む。ギアナ沖、ベネズエラ沖まで影響を及ぼしている。
以上
2015年9月26日
麻生

イメージ 1

写真は、9月26日ニッケイパレスホテル前で撮った麻生さんを真ん中に左が私、右が滝谷さんです。